第7話 アサガオ

 小学一年生の時にアサガオを育てたことがきっかけだった。


 よくある、つやつやでカラフルなプラ製植木鉢に専用の支柱を取り付けて観察日記をつけるという、きっとどこの小学生でもやったことがあるはずの授業だ。


 最初は先生に指示されるがまま世話をしていただけだったが、ある日の朝、小さな小さな芽が出ていることに気が付いた瞬間に、俺の中に衝撃が走った。


【よっ、はじめましてだな。萌え!】


 芽が挨拶してきたのだ。


 そのみずみずしい若芽とはかけ離れた、かなり低く渋い声で。


 正直驚いた。だって当然だろう、相手は植物なのだ。

 その時にはそれがどういう感情だったのか判断が出来なかったが、今にして思えば初めて自覚した友情みたいなものだったのだろう。


 それから饒舌に話しかけてくるアサガオとの対話を続ける中、どうやらこの声が自分にしか聞こえていないことにすぐに気が付いた。


 なぜなら、いまよりはずいぶんマシとはいえ、度を超えた悪ガキじみた顔をしたやつがブツブツとアサガオに向かって独り言を呟いているのだ。

 まわりから気味悪がって向けられる奇異の視線に気が付くなんて時間の問題だった。


 子供ながらに察しが良かった俺は、なるべく人前でアサガオに話しかけるのをやめた。


【萌えーっ!】


 それから毎日、献身的な世話を続けた結果、アサガオが淡いピンクの花を咲かせた。

 その時の感動は今でもはっきりと覚えている。あんなに嬉しかったことはない。


 ちなみにこの時はまだ、萌え萌え言っているのはこのアサガオの口癖みたいなものだとしか思っていなかった。


【……ありがとな。お前に育てて貰えて幸せだったぜ】


 次々に咲き続け萌え萌え連発していたが、最後の一輪が萎みきる頃、アサガオはそんな風に礼を述べて静かになり、やがて種をつけた。


 その全てに驚きと感動を覚え、それからはもう植物の虜となった。


 俺の見た目への偏見と噂だけで遠巻きにしてくるまわりの人間になど目もくれず、自宅のベランダにプランターを置き季節ごとにいろいろな花を独学で調べながら育てた。

 時に失敗を重ね、花たちからの声に耳を傾け、自分で言うのもおこがましいがめきめきと上達していった。


 そして必然的な流れとして地植えにも興味を持ち、小学六年生の時に園芸委員になって花壇の世話をした。そしてやはり、プランターだけでなく地植えの植物たちの声も聞こえた。同時に俺以外には一切、植物たちの声が聞こえていないことも確信した。


 中学生になった時には俺の見た目の凶悪さはほぼ完成形に近付き、そのうえ植物相手に独り言を呟いている変人扱いで更なるハンデを増やさないため、植物たちの声が聞こえることは絶対に口外しないようにした。


 それなのに植物たちは俺に声が届いているとわかるみたいで、お喋りなやつらは一方的に話しかけてくるのだ。どうしても無視出来ずについ返事をしてしまい、そんな時に限って誰かに見られて気味悪がられ距離をとられてしまった。


 植物とのふれあいや会話は心から楽しかったが、そういった理由から高校では園芸部的な部活や、植物に携わる委員活動などとは一切関わらないつもりでいたのだ。


 正直、楽しくて仕方ない植物たちとの関わりを絶つのは苦渋の決断だった。


 しかし無理して学校でまで園芸に関わる必要などないのだ。趣味のベランダ栽培をもっと拡張して楽しめばいいのだし、なにより自分がいるせいで誰かに迷惑をかけたくなかった。それ以上に、自分自身もこれ以上変人と思われたくなかった。


 それなのに運が良いのか悪いのか、欠席しているうちにくじ引きで環境委員になり、その場で鈴木さんと白崎先輩にガーデニング部へと誘われてしまった。


 ――好きなら好きって言わなきゃお花がかわいそうだよ?


 鈴木さんの言葉は、いとも簡単に俺の心の琴線に触れた。


 校内の花壇を見て回り終えて、二人とスマホで連絡先の交換をしている間も、じつは小躍りしそうになるほど嬉しかった。

 人殺しの薄ら笑いと恐れられる微笑みを、必死に堪えて表情筋を強張らせることに全神経を集中しなければならないほどに。


『あす、7じ、せいもんまえにしゆうごう』


 帰宅後に白崎しろさき先輩から、そんな何かの暗号なのかと思ってしまいそうなたどたどしい連絡が届いた時は、もはや人の目を気にする必要もなかったので嬉しさのあまり遠慮なくベッドでのたうち回ってしまった。


 土いじり、植物の世話が出来ることは当然だったが、なにより最も喜びを感じたのは、初めて気持ちを同じくする仲間が出来たことだった。


 しかも、鈴木さんに至っては俺の見た目をまるで気にもかけないのだ。きっと眼鏡の度が合ってなくて俺の顔がしっかり見えていないのだろうが、それでも堪らなく嬉しかった。


「仮入部だなんて面倒な手順を踏む必要なんてないのだよ?」


 別れ際に白崎先輩からそう言われたが、堪らなく嬉しいからこそ俺には仮入部という保険が必要だった。


 小学生の時の園芸委員、中学生の時の園芸部と、俺が植物と関わりたい気持ちを表に出した行動の結果、それを迷惑に思って泣き出す人や辞めていく人まで現れたのだ。


 しかも今回は自らの意思ではなく鈴木さんと白崎先輩に誘われたのだ。

 それによって二人に迷惑がかかることだけは絶対にあってはならない。


 だから仮入部という形でしばらく様子を見たかったのだ。二人がどんなに俺を歓迎していても、俺がガーデニング部にいることを快く思わない人が出てくるかもしれない。


 どんな理由であれ、俺の存在が原因で何か問題が起こってしまうようなことがあればすぐに身を引けるように。気休めかもしれないがそれが仮入部という保険なのだ。


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