第6話 ムスカリ
「じゃあ、まずはお花を植え込めるように土の入れ替えですね!」
「……ですが、ここまで大型のプランターの土を全部入れ替えるとなると、かなりの重労働になりますね。1基だけでも相当時間がかかりますよ」
プランターの中でカチカチに固まった古い土を撫でながら言ってのける鈴木さんには申し訳ないが、口で言うほど簡単な作業ではないだろう。
「うーん、これってコンクリートかな? プランター自体も重そうだよねー……」
「いえ、この手触りはコンクリートの風合いを出しているファイバークレイ素材だと思います。プランター自体はおそらく軽量でしょう。高さが俺の膝上くらいなので50センチ弱、幅は目測で1メートル50くらい、奥行き40センチといったところですね。となると容量は100リットルくらいでしょう」
お洒落なマンションのエントランスとかに設置されている大型プランターと同じくらいのサイズだ。
これがグラウンドの外周に10基設置されているのだ。土仕事なんて軽く言ってのけられる範疇の話ではない。
「……
「いえ、違いますけど……」
任侠映画などで使われているので意味は伝わるが、シノギなんて言葉は女子高生が使っていい単語ではない。
「まあそういったわけでご覧の通り、綺麗なお花たちに囲まれてキャッキャウフフ的な華々しさは微塵もないのだよ。生徒会に掛け合ってもいるのだけど、元の園芸部に戻れの一点張りで話にならないし、学校側は環境委員の活動でなんとかしろとしか言わなくてね。人手確保の見込みさえないのだよ……」
生徒会も学校側も極めてまともなことしか言っていないのでぐうの音も出ないのだろう。ここまで不遜な態度と物言いだった白崎先輩が初めて弱々しく俯いてしまう。
「じゃあ、最初に集まった裏庭の花壇に咲いていたムスカリは自然分球で増えて勝手に咲いていたってことですか?」
白崎先輩が俺の顔を見て尻餅をついた後ろの花壇に、数はそれほど多くはなかったものの等間隔で青いぶどう状の花が咲き誇って萌え萌え大騒ぎしていたのだ。
「……ああ、あれは去年の冬前に私が植えたのだよ。裏庭でなるべく日当たりの良い位置に、せめて手間のかからない球根だけでもと思ってね」
白崎先輩が驚いたよう瞬きを繰り返しながら答え、隣の鈴木さんと顔を見合わせる。
二人が揃って訝しそうに眉をひそめて小さく頷くと、ずいっと鈴木さんが俺に近付きまじまじと眼鏡越しに視線を突き付けてくる。
「――ねえ鮫島くん」
「え、はい?」
「………………あのお花がムスカリってわかったの?」
眼鏡をかけているだけあって視力が悪いのだろうが、まっすぐ見つめてくる顔の近さが尋常ではない。目と鼻の先とはこのことだろう。距離感を図れないのだろうか?
それにしても質問の意図がさっぱりわからない。
「は、はい……。青紫色で特徴的な小花を房みたいに咲かせるのはムスカリの――」
困惑しながら饒舌に答えている途中でハッとし、慌てて口をつぐむが遅かった。
――しまった、またやらかした。
こんな凶悪犯みたいな顔をしているやつが流暢に花の特徴を語るだなんて、気持ち悪がられてしまうに決まっているじゃないか。
子供の頃から幾度となく繰り返してきたはずなのに、どうしてこう学習能力がないのだ俺は。
「あ、っと、その、……いや、えっとですね、………………あ、当てずっぽうです」
「あれだけスラスラ説明できて当てずっぽうってことはないだろう? ムスカリが自然分球で勝手に花を咲かせることまで知っているなんて、並大抵のことではないよ?」
瞬きを繰り返しながら向けられる視線が痛い。
「そうだよ。あの青い花を見ただけでムスカリって名前を言い当てる男の子なんて――」
鈴木さんの視線に射竦められたように全身が言うことを聞かない。
為す術もないまま、ただただ冷や汗が頬を伝う。
死刑宣告を待つみたいに無限にも感じる間で、自分の心臓の音だけが耳の中でこだまする。
「――お花、すっごく大好きだよね鮫島くん!?」
「えっ……」
前のめりになりながら、あろうことか俺の手を取りがっちりと握り締めてきた。
「うむ。私も一目見た瞬間から鮫島くんは只者ではないと感じていたよ」
「……それは絶対に意味違ってますよね?」
たぶん、カタギ的な意味合いで。
「鮫島くん鮫島くんっ、わたしと一緒にガーデニング部でお花育てようよ!」
握り締めたままの俺の手をぶんぶん振って鈴木さんがぴょんぴょん跳びはねる。
遊びたくてうずうずしながら、しっぽが千切れそうなほどぶんぶん振り回している子犬みたいだ。
「環境委員の説明にここまで付き合ってくれたんだ、嫌いじゃないんだろう?」
「ホントにそう! 他の委員の子たちなんてみんなすぐに帰っちゃったし!」
「いや、待ってください。たぶん、俺みたいなのが入部したら迷惑が……」
答えながら辛い記憶の片鱗が顔を出してきて、語尾にしたがい弱々しい呟きとなってしまう。
小学六年生になった時、それこそ偶然くじ引きで園芸委員になり花壇の世話をすることになったのが事の発端だった。
雑草引きをしていた俺の姿を、素行の悪さから罰としてやらされていると勘違いされ、同じ園芸委員の女子たちが一緒に作業したくないと泣き出してしまった。
中学生になり、俺は気を取り直して園芸部に入部した。先輩たちから見事に怯えられ、数人の先輩が一度も目を合わせることもないまま恐れ戦き退部していった。
それでも黙々と部活を続けていると、学校の花壇で大麻を栽培しているヤツがいると噂され通報を受けた警察がやって来たことがあった。
全て俺の見た目が原因だった。
この歳に見合わない強面のせいで、ただそこで他人と同じ普通の作業をしているだけなのに誤解を生み出し、場合によっては何もしていなくても勘違いされて他人に迷惑をかけてしまうのだ。
俺にはどうすることも出来ない外的要因のせいで、似合わないこと、不釣り合いなことと決め付けられ、本来関係のない他人が迷惑を被るのだ。
「……鮫島くんみたいなのって何が?」
視線を落とした俺の逡巡などお構いなしといった様子で、鈴木さんが下から覗き込んで見上げてきながらぐいっと顔を近付けてくる。
眼鏡のつるに指をかけ、顔の中心に全部のパーツを寄せようとしているみたいにぎゅーっと目を細めて無遠慮に俺を見つめてくるその様は、ほとんど睨み付けてきているようにしか見えない。
「うーん…………、ちゃんと目が二つに、鼻と口が一つだね。ぜんぜん普通に見えるけど?」
「いや、そこの数が違っていたら大変ですよ……?」
すごく分厚い眼鏡をかけているのだが、もしかすると度が合っていないのではないか?
鼻先がくっ付きそうなほど顔を近付けてきて、なんと言えばいいのだろう、まるでキスでもされるみたいな顔の寄せ方だ。言うまでもなくキスなんてしたことないから詳しいことなどわからないのだが。
「……鮫島くん、土とお花の匂いがするね」
「え……っと」
近付けていた鼻先をすいっと俺の首元へと滑らせて、すんすん嗅ぎながら鈴木さんがそんなことを口走る。
「家でもやってるでしょ、土いじり」
「う……」
確かにやっている。
自室に観葉植物の鉢が三つと、ベランダに家庭菜園用の横長プランターを並べて季節の花とハーブや野菜を育てたりしている。
匂いでわかるのか?
いや、そもそも匂いなんてするのか?
鈴木さんはもしかすると、視力が弱い代わりに嗅覚が研ぎ澄まされているのだろうか? いずれにしろ、只者じゃないのは鈴木さんの方だと思う。
「ね、お花大好きなんでしょ?」
「いや、そんなことない、ですけど……」
お見通しと言わんばかりの笑顔を浮かべる鈴木さんから視線を逸らして片言で否定する。
「嘘をついてる顔してる」
「うそ……」
「ねえ鮫島くん。好きなら好きって言わなきゃお花がかわいそうだよ?」
――瞬間、息を飲んだ。
そんなことを、そんな考え方に至ることなんて一度もなかった。
植物たちの声が聞こえるせいで、聞こえるがゆえに、植物たちに対して好きだなんて言葉にすることがなかった。しようとも思わなかった。
こんな見た目で花が好きだなんて、周りから気持ち悪がられると体裁ばかりを気にして。
「ね、好きでしょ? 絶対に好きだよ! わたしにはわかる! なにより、そんなに詳しいのにもったいないよ。わたしたちを助けると思って一緒にやろうよ鮫島くん!」
「ああ、私からもお願いするよ鮫島くん。君は逸材になれるとも!」
逸らした俺の視線を追って、鈴木さんがふわりと注ぐ春の日差しみたいな笑顔を浮かべる。その後ろで白崎先輩がうんうん頷きながら断言してみせる。
自分の揺れる心情に驚きを隠しきれない。
知らなかった。俺はこんな非道な見た目をしておきながら情に絆されやすいのかもしれない。
「………………わ、わかりました。ひとまず、仮入部ということでなら」
「「やったあぁぁ!」」
飛び上がりながら万歳する二人の様子を見ながら、渋々了承した風を装いつつも俺は弾み始める気持ちが表情に出てこないよう堪えるのに必死だった。
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