第45話「ミュウレ帝国使節団」

 領都『トリニスタン』から白壁山脈の南端までは、飛空艇なら数分だが、徒歩で行くと丸一日かかる。馬車は荷物をたくさん積めるので便利だが、速度は歩くより少し速い程度だ。 ミュウレ帝国の帝都から白壁山脈の南端までは徒歩でほぼ一日かかるが、馬だと約半日程度の距離だ。


 ミュウレ帝国を早朝に出発した老宰相のマルタは翌日の昼頃、臨時に置かれたロワール王国国境警備隊の天幕でお茶を飲んでいた。

「こんな粗末な所で申し訳ないのですが、なにせ道が急に出来たものですから」

 国境警備隊の隊長はひたすら頭を下げた。


「お気遣いは無用。事情は理解しておるつもりじゃ」

「はい、ありがとうございます。では、こちらをお返しいたします。役目とはいえ足止めして申し訳ありません」

 警備隊長はロワール王国が発行した通行許可証をマルタ宰相に返した。

「なんのなんの、お茶に誘ってもらって喜んでおるくらいじゃ。お役目ご苦労」


 相手が一国の王であれば別だが、そうでなければ人員の確認と簡単な荷物の確認をする決まりになっていた。その間、馬車から降りて寛いでもらおうと警備隊長は配慮したのだ。

「ここから領都「トリニスタン」までは馬車で一日の距離です。どうか、お気をつけて」

「うむ、ありがとう」

 そう言って、マルタは自分の馬車に乗り込んだ。


「出発」

 宰相が馬車に乗ったのを確認した護衛の第一騎士団長が号令をかける。マルタ宰相が乗った豪華な馬車の他に、文官たちが乗った馬車が二台と友好の証として進呈する品物を載せた馬車が続く。騎乗した護衛の騎士団五十名は馬車の前後に分かれていた。


 翌日、トリニスタン領の領都に入った使節団は元領主の屋敷に立ち寄る。宰相のマルタは、そこで代官のルーベンスと非公式の会談をしていた。

「そうすると、スタンピードが起ったというのは事実なんじゃな?」

「はい、宰相閣下。紛れもない事実です」

 マルタの問いにルーベンスは正直に答えた。この会談は予想された事なので、質疑内容については前もってブロッケン宰相と打ち合わせ済みだった。


「スタンピードの規模はどのくらいだったのじゃ?」

「5千体の魔物を確認しております」

 本当はアルテミス1が算出した数をレンヌに伝えたものだが、ルーベンスもそこまでは知らない。

「5千体! よく討伐できたものじゃ」

「はい。僥倖でした」

 そのルーベンスの言葉を聞いて、詳細を明かすつもりは無いなとマルタは思った。マルタは、ここで時間をかけるつもりは無かったので直球勝負に出た。


「それで、スタンピードはどうやって終息させたのじゃ?」

 しかし、それはルーベンスの予想の範囲内だった。

「それはロワール王国の軍事機密に触れます故に、私の口から申し上げられません」

 国家の軍事機密と言われれば、マルタも踏み込む事が躊躇われた。

「そうであるか」

 とだけ言ったが、そこで大人しく引き下がる老宰相ではない。


「これは、年寄の独り言じゃが」と前置きして、マルタは言う。

「とある冒険者の、強力な魔道具の話を聞いたのじゃ。なんでも山を吹き飛ばす威力があるらしいが、疑わしいものじゃ」

『だから,事の真偽を知りたい』

 とマルタは暗に言っているのだ。


 いつも笑顔を絶やさないルーベンスの顔から笑みが消えた。お茶が入ったカップを持つ手が小さく震えている。ティーカップがカチャカチャと音を立てた。

『切れ者と聞いていたが、さあどう出る?』

 マルタは相手の出方を伺った。どんな答えで切り返してくるのか、と待ち構えた。


「な! な、な、な、何の事でしょう? ぼ、僕、分かんないや」

 鋭い切り返しを期待していたマルタは、椅子の上で器用にコケた。そして、思った。

『誰だ、こいつを切れ者と言った奴は?』


「急用を思い出しました」

 とルーベンスが会談を打ち切ったので、使節団は先乗りが予約した宿に向かった。

 会談に立ち会っていた腹心の部下が、馬車の中で聞いた。

「閣下、さきほどのアレは演技でしょうか?」

「いや、素であろう」


 部下は小首を傾げて言った。

「切れ者と聞いておりましたが?」

「確か、お前に聞いたと覚えておるが?」

「な! な、な、な、何の事でしょう」

「ぶっ! ははは。よく似ておるわ」

 二人は馬車の中で大笑いした。

『あの男も、この部下くらい切り返しが上手ければ……』とマルタは思った。


 翌朝早く、使節団はロワール王国の王都に向けて出発した。目当ての魔道具の持ち主が、ここにいることも知らずに。王都までは約十日の日程である。


 領都「トリニスタン」の東門に近い建物の影から、ミュウレ帝国の使節団を見ている者がいた。

『間違いない。あれはミュウレ帝国の宰相、マルタだ』

 リール王国特殊部隊長のクラインは、遠眼鏡を懐にしまった。過去にミュウレ帝国に潜入した事があったので宰相の顔を知っていた。

『宰相自らが乗り込んで来たのか? いったい、この国に何があるというのだ?』

 

 ミュウレ帝国の使節団を見送ったクラインはアジトに戻り、一人の小隊長を呼んだ。

「ミュウレ帝国の宰相マルタを知っているな?」

「はい、見知っています」

「その宰相が、今しがたここの東門を出た」

「東門を出たということは、行く先はロワール王国の王都ですか?」

「そうだ。お前の小隊は後を追って、宰相の動きを探れ」

「はい。報告はいつもの方法で宜しいですか?」

「それでいい。行け」


 クラインの部隊がトリニスタンに潜入して、まだ数日しか経っていない。しかし、既にレンヌの情報を掴んでいた。レンヌ活躍と魔道具の事までは掴んでいないが、スタンピードの事はかなりの部分まで把握していた。もちろん、知り得た情報はその都度本国に送っている。


『ここでの情報収集はそろそろ限界に来ているが、宰相から受けた命令と違うことを勝手にできない。一度、本国に判断を仰ぐ必要があるだろう』

 その上で、ミュウレ帝国の動向を探れという新たな命令が来るのを待つしかない。慌てる必要は無い。ミュウレ帝国の連中がロワール王国の王都に行くまでは、まだ日数が必要なはずだ。クラインは現状で最良の判断をすべく思考を重ねた。




 

 同じ頃のロワール王国の王都では、エイベル侯爵家の秘密の部屋で王太子とエイベル侯爵が密談を交わしていた。

「昨日、父上に呼ばれた」

「国王陛下に、ですか?」

「そうだ。父上の執務室にだ」

「お話の内容は?」

「俺が父上の執務室に行くと、なぜかブロッケンがいたんだ」

「宰相が?」


 王太子のオスカーは緊張しているのかお茶を口に運んで喉を潤した。

「今後、俺が王太子として相応しいかを評価すると言うのだ」

「王太子として相応しい評価とは?」

「早い話が功績を上げろということだ」

「功績と言っても抽象的過ぎて分かり辛いですな」

「戦争でも起これば手っ取り早いんだがな」


 エイベル侯爵は押し黙って、何かを考えているようだ。暫くは、二人の間に沈黙が続いた。

「一つだけ心当たりが有ります」

 オスカーは思わず身を乗り出した。

「それは、何だ?」

「我が国の北にあるメース王国をご存知ですね」

「知っている。女王が治めている国だろう。確か、エイベル侯爵領に接しているはずだ」

「そうです。北の辺境伯爵が北西を、私の領地が北東に有るのです。もっとも、辺境伯爵の領地が大部分を占めているのですが」

「その分、海岸沿いの美味しい場所は侯爵が押さえていたと記憶しているが」

「まあ、その話は置いといて本題に入りましょう」

「うん、是非とも聞きたい」


 エイベルは詳しい話を始めた。メース王国に接している関係上、メース王国とロワール王国の国境に近いメース王国の貴族と婚姻関係にある。エイベル侯爵の次女をメース王国の伯爵の長男に嫁がせているのだ。嫁いだ時に間諜を次女の従者として数名送り込んだ。その間諜から密書が届いた。


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