第41話「隣国の事情」
結果として、また山脈に大穴を開けてしまったが、流石に今回は仕方がないとレンヌは思った。邪竜を放置すれば工業都市だけでなく、ロワール王国の他の都市にも波及する恐れがあった。
『あんな化け物が彷徨いていたら』と思うと、レンヌは空恐ろしくなった。そして、あの怪物が本当に死んだのかと不安が過った。
「アルテミス1。魔物がどうなったか気になる、穴の中を念入りに調査しろ」
「館長、了解しました」
「レンヌ様、ご無事ですか?」
とつぜん、通信機からアニエスの声が届き、すぐにイネスの声に変わった。
「レンヌ殿、邪竜ヴァリトラが出たと聞きましたが大丈夫ですか?」
「大丈夫です。無事に撃退しました」
「邪竜ヴァリトラを撃退したのですか。やっぱりレンヌ殿はお強い!」
「その言い方だと、イネスは邪竜ヴァリトラを知ってるのか?」
アニエスの声が答えた。
「先ほど、とつぜん通信機から話し声が聞こえて、その中に邪竜ヴァリトラの言葉が出たので最長老に尋ねたのです」
慌てていたのでオープンチャンネルを使った事をレンヌは思い出した。
また、イネスの声がした。
「なんせ、最長老は御年が千歳を超えておられる、エルフの里の生き字引だから」
『千歳! ストラスブール王国の平均寿命が百歳なので、十倍か』
エルフという種族の長命さを知って、驚くレンヌだった。
『それならば、防護壁を腐食させた未知の物質の事も知っているかも知れない』とレンヌは考えた。
「アニエス、邪竜ヴァリトラが吐き出した物について、最長老に尋ねたいのだが。見てもらった方が早いだろうか?」
「最長老が知っているかは分かりませんが聞いてみます。後で連絡しますね」
「わかった、宜しく頼む」
「アルテミス1、防護壁の修理にどのくらいかかる?」
「未知の物質の除去作業次第だと思われます」
「わかった」
『やはり、最長老に見てもらった方が早いだろうな』
レンヌは、そう判断した。しかし、今は最長老に未知の物質について尋ねている最中なのだ。
『少し時間を置いた方がいいだろうな』
幾つもの事が起った。とにかく、するべき事に優先順位をつける事にした。子供たちが安全に過ごせる場所の確保と防護壁の修復。そして最大の謎、魔法の存在と未知なる物質の解明。
『この場所は思ったよりも危ない。工業都市の移転は早めにした方がいいかも知れない。腐食した防護壁は、汚染が広がらないように保管しておくしかない。代わりはいくらでも作れるのだから』
後は、魔法の存在だ。それなら、生き字引と言われるエルフの里の最長老の知識は是非とも必要だろう。
『そう言えば、イネスは風魔法を使うと言ってたな』
レンヌは昔の雑談を思い出しながら、コーヒーを啜った。
ロワール王国の南に位置するリール王国は大陸の最南端にあり、エルフの里がある『迷いの森』と接している。ロワール王国との国境は迷いの森から南海岸に流れる川だ。東がロワール王国で西がリール王国になっている。川には大きな橋が掛けられており、両国の交易に役立っている。
橋の両端には国境を取り締まる砦が建てられていたが、商人には取締がキツくなかった。橋を渡るほとんどの者が両国の商人なので、調査に時間をかけると長蛇の列が出来てしまう。両国の通商条約で簡易検査が取り決められた。もちろん、密偵などを潜り込ませないとの条文はあるが、それを守る国は存在しない。
その砦からリール王国の王城にいるフロス宰相のところに報告がもたらされた。フロスは内容を確認すると国王の元に急いだ。
フロス宰相が持ってきた報告書を手に持ちスレイン国王が聞く。
「前回の報告では、迷いの森の北側の森と白壁山脈の一部が消失したとあったが、今回の報告はその続きか?」
「陛下。消失原因の調査のために、ロワール王国に放っていた密偵からの報告でございます」
フロスは森と山の消失原因を探るべく、商人に扮した多くの密偵をロワール王国に潜ませていた。
スレイン王は報告書に目を通した。
報告書にはスタンピード討伐の事が書かれていた。スタンピードの討伐現場から離れた場所にはロワール王国軍の兵士が大勢いた。遠目なので誰が何をしたかまでは分からないが、光の束が出現したのは見えたようだ。
「これに拠ると、光の束が現れた直後に二つの山が消失した、とあるな」
「まことに信じられない報告ですが、ほぼ全員の密偵が同じ報告を持ち帰りましてございます」
「もし、それが事実と言うのなら、ロワール王国はとんでもない軍事力を持っている事になる。フロスよ、我が国に山を消し飛ばせる者がおるか?」
「陛下、残念ながら我が国にそれほどの力を持つ者はいません」
「フロス宰相、この内容では不十分だ。もっと詳しく調べさせよ」
「畏まりました」
フロスは一礼して自室に戻った。
暫くして、一人の男が音も無くフロスの下に現れた。
「宰相閣下、参上しました」
「うむ、ご苦労。新しい指令を下す。クライン、頼むぞ」
男は封書を受け取ると、またも音をたてずに姿を消した。
リール王国の王城の地下にあるリール王国特殊諜報部隊の隠し部屋には十五人の男と五人の女がいた。二百人が所属している特殊諜報部隊のうち、半分ほどは各国に潜んで活動している。残っている者から二十名の精鋭を選び実行部隊にした。宰相直属の特殊諜報部隊は、その特異性から国内においても存在を秘密にされていた。活動資金を宰相自ら手渡ししているくらいだ。
「今回の指令はロワール王国で起った山と森の消失原因の調査だ。詳細はいつものように各小隊長に伝えるので情報を共有しろ。以上」
解散していく隊員の中で五名の小隊長だけが残った。小隊は四人一組で五つの部隊に分けられている。
隊長のクラインは小隊長を集めて、詳細を伝えると共に多額の活動資金を与えた。クラインは指令を伝えた後、宰相から受け取った指令書を燃やした。
「必ず結果をもたらせ、行け」
宰相がじぶんの名前を呼ぶ時は重大な局面の時だ。ましてや、これまでに「頼む」の言葉を付け加えた事はほとんどない。クラインは今回の任務が、国にとって重要なものだと判断した。
実行部隊の隊員たちは隠れ蓑にしている商会に戻って、キャラバンを装う準備をした。そして、翌日にはロワール王国へと出発した。宰相の押印がある認可状を持っているので、ほとんど自由に通り抜けられる。
ロワール王国にはリール王国の諜報部隊が経営する商会がある。表向きはリール王国と取引をしている商会ということになっている。商会長はロワール人だ。裏切らないように従属魔法をかけてある。
リール王国からロワール王国の領都トリニスタンまではキャラバンの速度では十日ほどかかる。国境を通過したキャラバンから二つの部隊が抜けて、急ぎトリニスタンに向かった。
「問題はロワール王国の出方だ。ミュウレ帝国と道が繋がった以上は、ロワール王国も侵攻の対象になり得る。大国のミュウレ帝国の侵攻を疑うならば、我が国との同盟を考えるであろう」
宰相としては大国のミュウレ帝国に単独で対応したくはない。また、牽制の意味からもロワール王国とは同盟を結びたいと考えていた。もし、今回のスタンピードの事がロワール王国に与する者の力だったなら、リール王国と同盟しなくてもロワール王国はミュウレ帝国に単独で抵抗できる。そうなれば、リール王国は単独でミュウレ帝国と対立しなければならない。
『何れにしても、今回の原因を一刻も早く解明したい。全ての事はそこからだ』
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