第14話 お嬢様視点 3

 私は昨日で紗雪と離れるつもりでいた。だから最後の思い出に紗雪とデートをしようと脇山すみ枝先生の展示会に出掛けたのだ。

 突然実家に呼び出された日、私の結婚相手という男性に引き合わされた。そんなものをすんなりと受けるつもりはなかったけれど、それを破談にするためには私にもそれなりの覚悟がいる。

 そんなゴタゴタに紗雪を巻き込みたくないと思った。

 そんなとき私の家庭の事情を知っている幼なじみでクラスメートの那須折江(なすおりえ)さんが紗雪とのデートを提案したのだ。

「デート?」

 聞き返した私に折江さんは「一度もデートしたことないんでしょう?」と言った。

「一緒に出掛けたことなら何度もあるわよ」

「でもそれは使用人としてお供をしてただけよね?」

「まぁ、確かに。でもそれとデートってどう違うのよ」

「告白しちゃえば?」

「で、できるわけないでしょう!」

 すると折江さんはクスクスと笑う。完全にからかわれているようだ。だけどこんな風に話ができる友人は折江さん一人だから、それも少し心地いい。

「例えば使用人としてではなくついてきてって頼むのはどう?あとは私服で出掛けるとか……あ、そうそう『お嬢様』って呼ばないようにしてもらうとか」

 最後の案は難しそうだけど、あとの二つならばなんとか紗雪を言い含められそうだ。

「その気になってきた?」

 折江さんは見透かしたように言うと、一枚のポストカードを私に差し出した。脇山すみ枝展という文字と私好みのイラストがプリントされている。

「美羽さんが好きそうだから誘おうと思ってたんだけど、これに紗雪さんと二人で行って来たら?」

 そんな出来事を経て、私は昨日、紗雪を脇山先生の展示会に誘ったのだ。

 さりげなく紗雪を誘えたと思うし、紗雪も私服だったし、私も折江さんに見せてもらったファッション誌を参考にした服装で出掛けられたし、作戦は大成功だったと思う。

 紗雪はデートだなんて思っていなかっただろうけれど、私は満足だった。脇山先生本人にも会えたし紗雪と久しぶりに手をつなげた。

 脇山先生の絵を買わなかったのは、これから実家に戻る身で飾る余裕があるかわからなかったからだ。それにあの汚い世界に脇山先生の絵はきれいすぎる。そしてもうひとつ、思い出の品なんて持って行ったら、いつまでも紗雪のことを思い出してしまいそうだったからだ。

 それなのに紗雪はわざわざ画集を買って脇山先生のサインまでもらってきたのだ。

 そんなことをされたら未練が残ってしまう。この画集を見る度に紗雪のことを思い出してしまう。

 だけどそれが本当にうれしかった。だから夕食後、紗雪に解雇を告げたとき、まるで愚痴のように、紗雪に止めてほしいというように、余計なことまで話してしまった。

 紗雪は早く使用人を辞めてパン屋を開きたいのだろうと、私はずっと思っていた。だから解雇を告げれば驚くだろうけれど、すんなりと受け入れるだろうと考えていたのだ。

 だけど紗雪はそうしなかった。

 紗雪は一緒に逃げようと言ってくれた。紗雪は鈍いからその言葉の意味なんてわからずに、ただ結婚から遠ざけようとしているだけなのだろう。その言葉が私にとってどれだけうれしいのかなんて紗雪は想像もしていないはずだ。

 だから冗談めかして「それじゃプロポーズみたいよ」と言ってみた。きっと「そういう意味じゃなくて」なんて言いながら慌てるだろうと思ったからだ。

 ところが紗雪は言葉を取り消さなかった。プロポーズだと宣言して一緒に逃げようと言って抱きしめてくれた。

 夢でも見ているのかと思った。目が覚めたらすべてが無くなっているのではないかと思った。

 でもこれが本当なら私は考えなくてはいけない。紗雪と過ごす未来を勝ち取るために闘わなくてはいけない。そのための勇気が欲しくて、私が未成年だからとキスを拒んだ紗雪に雇い主の権限で動かないように命令して唇を重ねた。

 はっきりいってそれだけでいっぱいいっぱいだったのに、紗雪は私を強く抱きしめた上で激しく唇を吸った。

 驚いて「紗雪」と言おうと口を開いた隙をついて紗雪の舌が私の口中に侵入した。

 口から流れ込む紗雪の熱にめまいがして、脳が溶けて何も考えられなくなるんじゃないかと思った。

 ちょっとしたパニックになりながらもなんとか紗雪を引き剥がして部屋に閉じこもってからも大変だった。

 いつまで経っても紗雪の熱は消えなくて何度も何度も記憶がよみがえってくる。

 はじめてのキスは私には刺激的過ぎた。正直に言ってしまえば気持ちよすぎて死ぬかと思った。あんなことを続けたらきっと父とどう戦うかなんて考えられなくなってしまう。

 だからその日まではもう絶対に紗雪とはキスをしない。

 でもせっかく紗雪と両想いになれたのだから少しくらいは恋人っぽいことをしたいという気持ちもある。だけど紗雪が暴走してしまうかもしれない。現に昨日だってあんな状態だったのだ。

 びっくりしただけで決して嫌だったわけではない。それでもあんなことが続いたら心臓が持たない。少なくとも私にもう少し耐性ができなければ無理だと思う。

 どうすれば耐性ができるのだろう。誰かと練習するなんてことはできないし、紗雪相手に練習したら元も子もない。

 折江さんに聞いてみようか、それとも安曇先生の方がいいだろうか。安曇先生なら色々なことを知っていそうだ。

 そうしてスマホに手を伸ばそうとしたとき部屋の扉がノックされた。

「お嬢様、片づけが終わりましたけど」

 紗雪の声が聞こえた。

「今行くわ」

 私は返事をしてから頬を軽く叩いて気を引き締めた。

 部屋を出ると紗雪が紅茶をソファーの前のローテーブルに置くところだった。

 ソファーは一人掛けと三人掛けがL字型に並べられている。私は少し考えて一人掛けのソファーに座った。

 昨日は紗雪と最後の話だと思ったから三人掛けに並んで座ったけれど、同じ座り方をしたら昨日のことを思い出してしまいそうだ。

「紗雪も座って」

 紅茶の給仕を終えた紗雪に言う。紗雪はソファーをキョロヨロと見た後少しだけ不満そうな表情を浮かべつつ、三人掛けのソファーの真ん中あたりに座った。

 そういえばずっと前に、紗雪との距離を縮めたくてあのソファーに並んで座ったことがある。

 あのときは映画を一緒に見ようと誘ったのだ。誘ったというより命令したという方が正しいかもしれない。

 中世ヨーロッパを舞台にした貴族の令嬢とその家の使用人の少女との愛にも似た友情を描いた感動作だった。もちろんその映画を選んだのは、私たちと少し境遇が似た映画を見ることで、私のことを少し意識してもらえるかもしれないと思ったらからだ。

 紗雪は最初こそ興味なさそうにしていたものの、次第に映画に引き込まれていったようだ。物語が終盤に差し掛かり息をのむ展開になったところで、さりげなく手を握ってみようかなんて画策していたのだけれど、紗雪がグスグスと異音を発しはじめたのだ。

 横を見ると紗雪が号泣していた。涙と鼻水で顔をグチャグチャにしていたのでティッシュを渡すと、画面に食い入ったまま豪快に鼻をかんで涙を拭いていた。

 確かに感動作ではあるのだけれど、泣きはじめるのが早すぎるし、何より号泣しすぎだと思った。私は呆気に取られて映画に感動するどころではなくなっていたし、紗雪といいムードになることもなかった。

 そのことを思い出してクスッと笑うと紗雪が小さく首を傾げた。

「なんでもないわ。どこから話しましょうか」

「あ、その前にひとついいですか?」

「昨日、解雇だって言われたと思うんですけど、それはどうなっているんでしょう?」

 そう言えばそうだった。その件について撤回をしていない気がする。

「解雇は一旦撤回するわ」

 紗雪はホッとするのだろうと思ったのに、なぜかものすごくガッカリとした表情を浮かべた。

「そうですか……」

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