本当にほしいもの


 何処か出かけよう、と言っていたにしても、外はそこそこ暑いし、朝から色々あったし、皆して疲れ切ってしまっていた。


「とりあえず、出かけるかどうかは昼過ぎてから決めない?」


 ゴロゴロとソファーで座りながらひまりが言うが、完全に同意である。

 というか、そんなに昼間で時間がない。正午に昼食にしたいならもう準備をしたほうが良いくらいだ。


「昼食、どうする?」

「先輩が作ったものなら何でも」

「一番困るなあ」


 よく母が「何でも良いが一番困る!」と言っていたことを思い出した。小学生だったあの頃はわからなかったが、今になってようやく理解できるようになりました。すまん母よ。


「じゃあ、できればお魚を頂きたいです」

「今はサバしかないけど良いかな」

「嬉しいです。お願いします」


 ゆずちゃんが助け舟を出してくれた。もしかすると魚が好きなのかもしれない。と言うか、和食が好きである可能性も否定できない……というかそんな気がしてきた。となると、和食で揃えるか。

 冷蔵庫を見てみると、そこそこある。夏休みに向けて買い出ししていたからだ。

 その中にある物を適当にとって、グリルで魚を焼きつつ調理していく。和食で、となると煮物になりがちだが、そうすると時間が足りない。照り焼きでも作るか。


「美味しい!」

「料理、お上手なんですね」

「やっぱり先輩の料理は飽きない美味しさです!」


 できた料理を食卓に並べれば、次々と褒める言葉を投げかけてくる。……自己肯定感がとてつもないほど上がる。

 特に咲ちゃん美味しそうに食べた後、お代わりまでしてくれるので特に嬉しいものだ。作った甲斐があるものだ。

 

 食べ終わってみれば、多めに作ったはずの料理は全て消えた。四人で食べると、二人とは全く感覚が違うから驚かされる。

 皆が使った皿を洗うのにも、面倒なはずなのになんだか勝手に口角が上がる。


「ねえ、和人さん」


 ただもくもくとにやけながら皿を洗っていると、突然隣から声がかかる。


「どうした?一緒にゲームとかしなくて良いのか?」


 リビングからはレースゲームで遊ぶひまりと咲ちゃんの声が聞こえる。賑やかだ。


「いえ。和人さんと話したかったので」

「……皿洗い、一旦止めたほうが良い?」

「してていいですよ。あくまで雑談ですから」


 じいっとゆずちゃんは皿洗いする俺を見ている。……なにか気になることが?


「それで、話って?」

「お皿、多いですね」

「そうだね。いつもは二人だけど、今日は四人だったし、魚の分はそれぞれ出したし、こんなもんじゃないかな」


 ちらっと表情を覗いてみると、初めて見るような物凄く優しい、幸せそうな顔をしていた。まるで自分にはないものを羨むようで、またそれを受け入れているようだ。


「……ゆずちゃん?」

「和人さん。いま、私、物凄く幸せなんです」


 唐突に、そうゆずちゃんは言葉を発した。


「そんな目をしているのに?」

「あ、すいません。これはちょっと……でも、和人さんに隠すことでもありませんか。話、聞いていただけますか?」

「もちろん」


 ゆずちゃんは俺に全幅の信頼を置いてくれているような、彼女らしくない隙だらけの可愛らしい微笑みを溢した後、近くの丸椅子を持ってきて、座った。


「実は、私はじめて友達の家に泊まったんです」

「そうだろうね」


 彼女は、高松家の人間。日本の経済界に少なからず影響を持っている家で、そう簡単にお泊り会などというものは許可されないだろうし、学校行事なども休むことになっていただろう。

 そういうことに理解があり、安全も保証されている中等部の修学旅行も、彼女とこの前話したように、友達がいなかったということは、いてもいないのと同じ様な感じだったのではないかと思う。


「それで、胸が、物凄く満たされていってるんです。私、家ではいっつも一人ですから」

「それはなんで?」

「ほら、私の部屋って、かなり奥にあったでしょう?あれは私の安全と、年頃の娘はプライベートを大切にするものだ、っていう考えからあそこなんです。せっかくの好意でしたし、異議なしでそのままあそこが私の部屋になったんですけど、奥というのは、あまり人も通らず……人のいる気配もしないんです。外に面する廊下からよく足を垂らして座っていたんですが、それでも私の部屋へつながる渡り廊下に来る人はいなくて、眼前の立派な木に留まった小鳥の鳴き声くらいしかしないんです」


 なるほど。あの高松さんが考えそうなことだ。あの人も、娘のことを考えているんだろうが、空回りしている節があるな。それにしても、全く人の音が聞こえない自分の家なんて寂しいな。


「この前、私の家に来たとき、引き止めてしまいましたね。あれも、今になって理解できたんですけど、きっと友だちが来て、いつも静かで寂しい部屋が賑やかで……寂しい思いをしたくなかったから。そんな自分勝手な理由だったんです」

「そんなの、皆思うことだろ?『楽しいな、もっと一緒にいたいな』とか、思われる方は物凄く嬉しいもんだよ。それに、咲ちゃんはわからないが俺とひまりに関しては門限なんてもんもないんだ。寂しくなったらいつでも呼んでくれても良い」


 今まで、この子はものすごい寂しさを感じていたのではないかと思う。学校にも友達はおらず、家に帰れば人の音も聞こえない自分の部屋で勉強か、人の気配を探して健気にも外廊下の縁に腰掛けていたの言うのだ。


「……そんなの、良いんでしょうか。私のわがままでお呼び出しするなんて」

「良いんだよ。それが友達、ってもんだろ」

「そんなものなんですか?」

「そんなものだよ」


 そう言うと、ゆずちゃんはくすっと笑った。初めて会ったときは完璧に見えていたその笑みは、今では本当にあどけなく、不安も、安心も、喜色も孕んだものである事に気がついてからは愛おしくてしょうがないものだ。


「もう、寂しい思いはしなくても良い。電話でも良いし、メッセージだってある。それに、人も俺だけじゃない。ひまりに咲ちゃん。二人もきっと喜んでくれるよ」

「そうです、か……」


 そういうと、ゆずちゃんはうつむいてしまう。そして小さく「ありがとうございます」というのだ。


「和人さん」

「なんだ?」


 ちょうど皿洗いが終わり、リビングから音が聞こえてくるばかりで、ゆずちゃんとの間には妙な静寂がある。


「私、昨日と今日で、はっきりわかったんです。寂しい気持ち、かまってほしいなんていうわがままな気持ち、私が素の自分を晒してもいいな、って思える人。ここにいるひまりさん、ゆずさん、そして和人さん」


 ふう、と一息付き、顔を赤くする。決意したような表情が、儚げで、また甘酸っぱい「らしさ」を感じさせる。


「和人さん、貴方には特に、私は特別な気持ちを持っています。……咲さんやひまりさんはこれ以上ないくらいの信頼、親友という言葉が陳腐に思えるほどの友情があると確信しています。でも」


 一大の決心をしたように、その顔にくっと力を入れて、俺の目を見つめてくる。


「和人さん。私は貴方が本当に欲しくなってしまいました。好きだな、なんて感情じゃありません。大好きです。愛しています」


 何度も言ってきた、「婿に来ないか」という誘い文句。あれだけでも本気である心情が漏れ出てきていたが、今回は表情を見ればわかる。きっと、今までとは比べ物にならない強烈な「想い」

 でも、俺はその感情に答えが出せなかった。何故なら……


「今は返事をしないで下さい。……この前も言いましたよね。うちの家系は好きな人は落としてきました。私も直系の高松家らしく、私の手で攻め落としてみせます。それに、和人さんにはさっき頭に浮かんだ人がいるでしょう?今はまだ駄目。確実に勝てるなと思ったら、また聞きます」


 そういったゆずちゃんはしたたかな笑みを浮かべて、リビングに向かった。

 恋する乙女は強い。その片鱗を、まざまざと見せつけられた。

 とにかく今は、この熱を持っている頬をどうにかしよう。

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