第5話 香月茜

 その夜、俺は菊婆と共に『香月酒店』という、自宅兼酒屋の、茜の家を訪れた。


「この度は、不出来な孫を許婚として受け入れて下さった香月さんに、恩を仇で返す事になってしまいまして、大変申し訳ございません…!!」

「菊婆…。」

「菊婆さん…。」


 玄関先で、憔悴した顔で出迎えてくれた、茜の親父さんとおばさんに、菊婆は、床に額を擦り付けるように土下座をした。


 初めて見る菊婆の土下座姿に目を見張っていると、ギロッと睨まれ、一喝された。


「真人っ!!お前も頭を下げんかっ!?」


「あっ。はい…!許婚の約束を果たす事が出来ず、誠に申し訳ありませんっ。」


 勢いに押されて、額に汗をかきながら、土下座しながら、俺はこの世の理不尽を感じていた。

(許婚になったのも、贄になったのも、俺の意志じゃないのに、何故、俺は土下座をさせられているんだろうっ。)


 でも、この重苦しい空気の中、そんな反論をする勇気は俺にはなかった。


「頭上げてくれ。菊婆、真人くん。」


 香月酒店の店主、香月始こうづきはじめは、辛そうに顔を歪めた。


「茜から話は聞いていたが、何かの間違いじゃないかと、信じられない気持ちでいたんだよ…。

 本当に、生き神様の贄に選ばれたのかい…?」


「は、はい…。白羽の矢が当たりました…。」


 俺は、気まずい思いで、そう告げる。


「そ、そうか…。君が茜と結婚して、この酒屋を継いでくれるのを楽しみにしていたんだがな…。残念だよ…。」

「ううっ。本当にね…。」


 肩を落とす親父さんに、泣き出すおばさん…。

「ほ、本当にすみません…。」


 茜は、俺の事を嫌って憎まれ口を叩いてきたけど、親父さんとおばさんは、許婚の俺にとても親切にしてくれていたので、二人をがっかりさせ、悲しませてしまった事に、何だかいたたまれない気持ちがした。


「まぁ、真人くんのせいじゃないんだけどな。君も、明日から隔離生活になり、大変だろう…。せめて、今日は、茜の許婚として、新たな門出を祝ってやろう。

 なっ。小夜さや…。」


「そ、そうね…。真人くん。生き神様の贄としてのお役目、立派に果たしてね?元気でいてね。」


 おばさんは、涙を拭うと、俺に優しい言葉をかけてくれた。


「ありがとう…ございます…。あの…茜は?」


「ああ!あの子ったら、さっきから塞ぎ込んじゃって、部屋から出て来ないのよ。ちょっと呼んでくるわね?」


 と言って、おばさんが茜の部屋に呼びに行くのを、俺は必死に止めた。


「ああ。無理にはいいです…。俺も申し訳なくて、顔を合わせ辛いですし…。」


「そんなのダメよ!これで最後かも…しれないのに…。いいわ!ちょっと来て…。」

「あ、あの、ちょっと、おばさん…!」


 俺はおばさんに、グイグイ引っ張られながら、二階の茜の部屋まで連れて行かれた。


「茜。真人くんが来てくれたわよっ。」


「…!!真人なんかに会いたくないっ!!帰ってもらって!!」


 ドアの外から声をかけるおばさんに、

 鼻声の茜がドア越しに怒鳴る声を聞いて、

 俺はげんなりと思った。


 うん…。茜さん。俺も同感だわ。会いたくないし、帰りたい…。


 だって、あちらさん、なんか今までで最大級に荒れてる感じだもの。

 部屋に入ったら食い殺されそう…。


 と思ったら、その倍の大きさの声量で、おばさんが怒鳴った。


「茜っ!!いつまで意地張ってるのっ!?

 明日になったら真人くん、社の奥のお屋敷へ行ってしまって、もう一生二度と会えないかもしれないのよっ?!最後ぐらい素直になったらどうなのっ?」


「うっ、うわあぁっっ…。あああぁっ…。」


 部屋の中で号泣する茜。


 おばさん、いつも穏やかで優しいのに、今日は、鬼のように怖い。茜とおばさん当たり前だけど血繋がってる親子だわと、実感した瞬間だった。


「茜。無理にでも入りますからね?」

「ううっ?や、やだっ。やめて、お母さっ…!」


 チャリッ。ガチャッ。

 おばさん、手にした鍵で、無理やり部屋のドアをこじ開けた。


 うわっ。力技だぜ、マミィ…。


 ドン引きで青褪める俺は、ベッドの上に寝転び、目を真っ赤に泣き腫らしている茜と目が合ってしまった。


「「…!!」」


「じゃ、ごゆっくりね。私は菊婆さんとお話してくるから…。」


 と言って、おばさんは、階下に降りて行ってしまった。


 え?おばさん、放置?ちょっと、嫌がる者同士を無理やり対面させておいて、ちょっとはフォローとかないの?

 俺は一人、茜の部屋に呆然と取り残された。


 当然ながら部屋の空気は最悪で、しばらく、沈黙の時間が流れる。


「「……」」


 あまりに気まずく、茜から目を逸らし、部屋の壁に貼られたアイドルのポスターや、可愛らしくピンク系の色で可愛くまとめられた部屋の様子を見るともなしに見ていた。


 茜の部屋に来るのは、小学生の時以来だけど、随分女の子らしい部屋になったものだな…。


 中学校になると、俺は既に嫌われていたから、一緒に遊ぶ事はなくなっていたし、この家に来るのも、許婚として、菊婆交えて挨拶に来るときぐらいだったから、そんな事にも気付かなかったよ。


 でも、そんな関係も、今日で終わりか…。

 そう思うと、妙にしんみりして、最後ぐらいは、茜の恨み言を聞いてやるかという気になった。


「真人…。」

「お、おう…。」


 覚悟を決めて向き合うと、茜は真剣な表情で思いがけない事を言ってきた。


「ねぇ…。生き神様の贄って今からでも違う人になってもらえないの…?」


 俺は目をパチクリした。


 社の生き神様が、白羽の矢を放つという大掛かりな仕掛けを使い、その矢が俺に当たるのを学校中の人間に見られている。かつ、今や噂で島中の人間が俺が生き神様の贄である事を知ってるであろう中、やっぱ間違い、違う人になりました〜って、いやいやいや。


「普通に考えて無理だろ?大体、茜、お前許婚解消したいから、俺がいっそ贄になればいいって言ってたじゃねーかよ。むしろ、念願かなってよかったじゃねーかよ!」


 思わず責めるように言ってしまうと、茜は眉間に皺を寄せて言い返して来た。


「あ、あんなの勢いで言っただけで、本当にそうなって欲しいわけじゃなかった…!

 私、許婚、絶対解消しないから…!!」


「許婚、解消しないからって、それじゃ、

 お前、この先どうするんだよ?!俺は社に幽閉されて、ここには二度と戻って来れないんだぞ?お前、酒屋の娘だろ?跡取りだって必要だろうし、結婚しないわけにはいかないだろ?」


「……。」


「何をムキになってるか知らないけど、許婚が贄になった場合、名誉な事とされて、許婚解消した相手がバカにされたり見下されたりする事はないし、社が仲介して優先的に他の相手を紹介してくれるって菊婆が言ってたぞ?

 ちょっと、年下になるかもしれないけど、

 まだ相手が決まってない奴で、それこそ、風切冬馬みたいなイケメンで将来性のある奴を捕まえるチャンスじゃねーかよ?」


「違うっ!他の許婚なんて欲しくないっ!!」


「んん?冬馬自身じゃないと嫌って事か…?でも、奴には鹿嶋さんがいるし…。」

「は?なんでそこに冬馬くんが出て来るのよっ?」


 間髪入れずに、問い返して来た茜に、少し躊躇いながらも俺はかねてから思っていた事を言ってやった。


「いや、その…、だってお前、風切冬馬が好きなんだろう?」


「は?あんたは一体何を言ってんの?」


 茜は怖い顔で睨み付けて、俺に告げた。


「あたしは、真人が好きなの。真人と結婚したいから、贄を他の人に代わってもらえないのかって聞いてるの。」


 アタシハ、マヒトガスキナノ。

 マヒトトケッコンシタイ…。


 一瞬、俺は虚無の瞳になり、言われた事を

 反芻してみた。


 いや、茜さん??俺からしたら、君が何を言ってるの?なんですけど…。


 いい間違えか、何かかなぁ?と思ってしばらく待ってみたが、茜は訂正する事なく、逆に焦れたように、俺の返答を急かした。


「真人、こんな可愛い女の子に熱烈に告白されてるのよ?何か言ったらどうなのよ!!」


「お、おう…?いや、あまりに思ってもみないことを言われて、驚いて…。」


 頭をさすりながら、目を白黒させて、今の状況を整理していた。


 んん?だって、茜は、俺の事を嫌ってて、

 学校でも、たまに悪態をついてくる時以外は近寄りもしないし、家に呼んだりは、もちろん、デートに誘われた事もない。

 小さい頃手を繋いだ事はあったが、思春期に入ってから身体接触など一切ない。


 その状態で、結婚したい程俺が好きだと言う…。

 俺は茜の思考回路が理解できなかった。


「思ってもみないって何よ?私達許婚でしょう?」


 相変わらずこちらの非を責める言い方の茜に俺も言い返した。


「いや、でも、お前の態度はどう見ても、俺を嫌っているようにしか見えないだろうよ!

 学校ではいつも冬馬の側に侍って、冬馬の事を褒めそやし、たまに近付いて来たと思ったら、「こんな奴が許婚で最悪!真人が冬馬くんみたいな人だったらよかったのに」俺を罵倒する言葉ばかり浴びせてきて。

 お前は、俺じゃなくて風切冬馬の事が好きなんだと思っても当然だろ?っていうか、事実そうだろ?」


「そ、そんな。違うもんっ!」


 俺の言葉に、茜は衝撃を受けたようで、怯みつつも、否定した。


「私は冬馬くんが好きなんじゃない。

 ただ、私は昔みたいにキラキラした真人に戻って欲しかったの。

 真人に、冬馬くんみたいに、どんどん進化してカッコよくなって欲しかっただけ。

 だから、冬馬くんの側で、どんな風に努力すればカッコよくなれるか勉強して、真人に教えてあげていただけだもん!!」


「はあ?なんだ、そりゃ?!」


 俺は茜の発言に目を丸くしたが、本人大真面目らしく、真剣な表情で俺を見返していた。

 大きなため息をつくと、俺は茜に諭すように言った。


「あのな…。茜に悪気はなかったのかもしれないけど、俺は、茜に自分を徹底的に否定され、プレッシャーをかけてくる言葉を何年も聞いていて、正直うんざりしていたんだ。」


「ううっ。真人…。私、そんなつもり…。ごめんなさい…。うわぁぁっ…。」


 泣き崩れる茜に、俺も茜に頭を下げた。


「いや、俺も、許婚の責任を果たしてやれなくなって、ごめんな…。

 

 でも、贄にならなかったとしても、俺は茜の期待に応えられる男にはなれなかったと思うぜ?

 許婚とか、結婚相手とか言われても、今一ピンと来ないけど、お前は、幼馴染みで友達には違いない。

 贄は嫌だけど、茜に四六時中責められなくて済む。これでお前はふさわしい相手を見つけられるだろう。

 それだけはホッとしていたんだよ…。


 俺にももうどうしようもないんだ。

 だから、もうこれ以上俺を困らせる事は言わないでくれ…。」


「あああぁぁっ…!真人っ…!うわあぁぁっ…!」


 ベッドに顔を伏せて号泣する茜に俺はどうしてやる事もできず、ただその様子を見詰める事しかできなかった。


「諦めないんだからっ…。真人を連れて行くなら、私、逆に生き神様を呪ってやる…。」


 ふと、充血した焦点の合わない目で、呪詛の言葉を吐く茜は、俺の知らない女の顔をしていた。




 *あとがき*


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 今後ともどうかよろしくお願いします。






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