神話の子
乾辰巳
プロローグ 公安部公安第一課10係
いつだっただろうか、昔に憎んだ何もない日常を取り戻したいと思うようになったのは。
俺は大学を出た後、警視庁に入り2年という短い期間で警視庁公安部公安第一課第四公安捜査第10係係長にまでなった。2年でというのは異例の大出世というやつらしく、上司にも部下にも目をつけられていて本当に厄介だ。10係は4人という少数精鋭ながら反政府的な組織、まがった思想を掲げる宗教など厄介な組織などを相手に捜査をし、毎回優秀な成績を挙げていた。そのせいで他の課からも妬みや嫉みの声が多い。官房長官のお気に入りだの「神の子」だの俺を妬んだあだ名はたった2年でついた量とは思えないほど存在する。
しかし、10係が優秀なのは私一人の力などではない。私はいつも椅子に座り指示を出しているだけで本当に優秀なのはチームのメンバーなのだ。そのなかでもひと際キレのある推理と策略、指揮力でチームを引っ張る赤間 凛。彼女はこの国で一番大きな神社の神主の娘で有名大学を出た後、親の反対を振り切り警察になった。そんな彼女は見た目すら女神級で生まれや学歴、美貌から彼女を狙っている男はかなり多いらしい。少々気は強いが、人当たりがいいのもその理由の一つだろう。しかし凛は俺のことをひどく嫌っているようだ。やたらと俺へのあたりが強い。それもそうだろう。自分でもわかる。彼女のポテンシャルならば俺よりも係長がふさわしい。彼女は生まれも能力もまさに「神の子」だ。しかしながらチームの栄光すら若くして大出世を果たした俺に妬みという形で評価が来ることを彼女はよく思っていないのだろう。最近は極左団体の勢力が増し、俺はよく会議で捜査に加われないことが多かった。そのため指揮を彼女に任せ、とある団体の捜査をさせていた。そんなある日の朝、会議が終わりオフィスに戻ると
「なにが『神の子』よ。井野係長はただ椅子に座って指示を出すだけ。捜査にもたまにしか来ない。なのに周りは係長ばっかり評価して。いい気になってんじゃないわよほんと。」
凛は独り言とは思えないほど大きな声でぼやいていた。しかし、それは珍しい話ではなかった。俺はいつもと変わらず彼女を呼び出して説教することにした。
「赤間、ちょっと来い。」
彼女はさも面倒くさそうな顔をして立ち上がる。
「なんですか、係長。」
彼女は俺を見下すようにつかつかと詰め寄る。彼女の勢いに圧倒されそうになるが、立ち上がり応戦する。
「なんですかじゃないだろ。こっちは仕事で捜査に加われないからお前に指揮を任せてるんだ。それなのにグチグチと、そんなんじゃチームの士気が下がるだろ。」
傍らで新人の飯島 雄が「またやってるよ、」と言わんばかりの顔でこちらを見ている。彼はいつも俺らが喧嘩しているのを見かけると止めようとしくれる。立ち上がり弱弱しい声で仲裁に入る。
「喧嘩はやめまsy―」
「―飯島は黙ってて」
すかさず反発してきた凛に圧倒され何も言えなくなり、雄はおどおどし始める。
「もういい。飯島、赤間、仕事に戻れ。」
雄は肩を落とし、凛はぶつぶつ文句を言いながら席に戻る。
「今日も喧嘩ですか係長(笑)。仲いいったらありゃしない。もう付き合ってるんでしょふたりともー(笑)。いいなー若いって。僕なんてねもう奥さんと喧嘩すらしてもらえないよ。」
と、所用で遅れて出勤してきた亀田 徹が茶化してきた。
「そんな訳ないじゃないですか!」
と、凛がすかさず突っ込む。
「怪しいなー(笑)。どう思う?飯島君。」
急に話を振られた雄はきょどりながら
「ど、どうなんですかねー、はは」
「どうなんですかねじゃないわよ!否定しなさいよ!」
と、またもや凛に怒られ、雄はしゅんとし始めた。
「あれ?もしかしてここも付き合ってるの?え?おじさんもうわかんないなあ。」
と、徹はにやにやしながらこっちを見てくる。
「亀田さんももうその辺にしといたほうがいいですよ。セクハラで訴えられても知らないですよ。」
「おっとそうだな。ナイス係長!」
と、徹は楽しそうな顔でようやく椅子に座りしばらくにやにやとこっちを見ていた。
そんな彼は熟練の警察官で刑事部捜査一課、警備部警護課を経て公安部に所属している。彼の警察としてのセンスは言うまでもないが場をまとめるセンスの高さは世界最高峰だろう。凛と俺が軽い言い合いになった時もいつも彼が場を和ませてくれる。彼はこのチームにとても大切な存在だ。しかし、彼の警察としての生命、いや、彼自身としての生命はもう長くないようだ。4日ほど前の朝の出来事だ。
「係長」
あのいつも楽しそうな徹が今まで見たこともないような神妙な面持ちで俺を呼んだ。
「あの、少しお話いいですか?」
これはただ事ではないなと感じ屋上で話すことにした。俺は、途中の自販機で買った缶コーヒーを手すりに置き煙草に火をつけた。ひと吸い目をふかし終えた俺に徹は重い口を開く。
「僕、警察やめなきゃいけなくなりました。」
徹の口から出た言葉が衝撃的過ぎてすぐには理解できなかった。彼は確かにベテランだがやめるにはまだ早い年齢だった。ならばなぜ。不祥事?人間関係?もしくは彼も俺が上司であることに不満を持っているのか。頭の中をあらゆる可能性がぐるぐると回る。困惑している俺を見て徹はさらに言葉を放つ。
「僕、末期のすい臓がんになったんです。最近お休みをいただいていたのも病院に通っていたんです。神がいるならもっとこの仕事を続けさせてくれと願い続けていたんですがね(笑)。」
彼のひきつる笑顔が妙に生々しくて胸が苦しかった。俺は二本目の煙草に火をつけ煙を吐いた。
「いつからだったんですか。」
俺は彼の顔を見れず遠くのビルを見ながら言葉を絞り出した。それはあまりにも冷徹だったと思う。すると彼はうつむいた顔を上げ空を見上げて大きく息を吐くようにこう言った。
「半年前です。初めは治るといわれていたんですけどね。案外進行が早くて。末期と言われたのは2か月前です。僕は信じていたんです。神を。もっとこのチームで、この仕事を続けたいそう願っていた。」
彼の瞳からは涙が零れ落ちていた。彼の震える声に俺は煙草の灰を落とさず聞き入ってしまっていた。神はいない。確かにそうだと思う。現実は時に理不尽だ。「神の子」などと言われているが、むしろ俺の運命は悪魔的だ。小さい頃から憧れた警察官になり、異例の大出世で今では上司からも部下からも疎まれる存在。神がいるなら、俺が「神の子」なら救ってくれと何度願ったことか。きっと徹も救われたいと何度も願い。神などいないという現実に絶望し癌である事実を俺に打ち明けたのだろう。俺は煙草の箱を開け残り一本の煙草をくわえた。
「神はいなくても悪魔はいるのかもしれないですね。」
俺の咄嗟に出た言葉に彼は納得したように頷きすっきりした顔をこちらに向けた。
「その悪魔のせいで『神の子』はきっとまだ生まれてないのかもしれないですね。」
徹の言葉に俺はなぜか納得し笑って最後の煙草に火をつけた。
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