第一章 わたしとストーカー

001 すばらしきあさよ

 午前四時三十分ごろ。


 青葉あおば学園都市東区モノレール駅前、喫茶『トリフィド』のガラスウィンドウに背中を預け、姿を現し始めた微かな日の光を頼りに、わたしはつまらない小説を読んでいた。ざらざらとした質感のページをめくり続ける。


 なんの感動もない。

 なんの感慨もない。

 なんの成長もない。


 わたしの生まれるよりずっと昔に書かれたその小説は、稚拙で、単調で、退屈だった。だけど、そんな空洞みたいな物語がわたしに似ているみたいで、どこか心地良い。


「そんなもの読んで面白いか?」


 真横でそんな声がする。活字を追っていた瞳をスライドさせると、覗き込む少女の姿があった。


 燃えるような赤の長髪、夏だというのに動きにくそうなダボダボのトレンチコートに身を包み、学生らしいブルーの色合いのボックスプリーツスカート。胸には赤いリボンの白シャツ。筋肉質な肉体。


 学園都市に住んでいる人間なら一度は見たことがあるであろう彼女は、わたしの親友 真宮寺しんぐうじ莉愛りあだった。


「面白いとか……面白くないとかそういうことじゃない」


 わたしの答えに、彼女は未だ疑問符を頭にのっけたままできょとんと首をかしげる。


「じゃあ好きなのか」


「別に好きじゃない、こんなバカみたいな小説」


 ため息交じりに答えると、そんなものをどうして読むのかと彼女が無言で訴えてくる。好きでもないなら読む意味なんてないじゃないか、と。

 確かにない。あるはずがないけれど。


「ただ自分が自分だってことを再認識したい。わたしが生徒会の副会長だってことを」


 りあは片手に持つエナドリを喉に流し込む。ごくり、ごくりという音が人通りの少ない周囲に響く。


 コンクリートに反響する乾いた音。

 聞きなれた音。

 聞き慣れてしまった音。


「そんなもんか」


 りあは言う。


「そんなもの」


 わたしが言う。


 わたしは生徒会副会長。このレッテルは剥がれることなく、これを自分自身として生きていく。


 わたしはチカラを持っていて、そしてそのチカラで学園都市に尽くす道を選んだ。だからわたしは此処にいて、だから『わたし』は存在しない。


 モノレールはまだ走っていない。

 駅前にはわたしたち二人の姿しかなかった。


「しっかし、今回の奴はしぶといな。光線の能力者だったよな、一年生の。ケンジの技しのいで、アズサの追跡逃れて……」


 りあは指折り数えながら今回の犠牲者を数えていた。生徒会下部組織の人間が十人、生徒会は一人がかすり傷。

 ぶつぶつ呟きながら「へぇよくやるよ」と感心して唸る彼女に、じろりと視線を向ける。ぴくり、と彼女の髪が揺れた。


「面白がるのはいい。だけど多分……下部組織の人間はサボリ気味。それに、とがみ先輩は妹さんの看病で寝不足だった……。ぜんぶ調子悪かった。期待しすぎない」


 彼女の悪い癖は相手を評価しすぎるところ。そのせいで毎回仕事が終われば、『たいしたことなかったぜ』とふてくされたように口をすぼめる。そのまま授業をサボることもある。


 りあはわたしの言葉に「ヘイヘイ」と、聞いているのか聞いていないのか非常に微妙なラインの答えを返す。それにイチイチ反応を返すのも無駄なので、わたしは大体スルーする。りあもそれを望んでいる。


 彼女の手先からエナドリの缶が離れた。

 放物線を描いて空中を飛ぶ。

 五メートル離れた自販機横のごみ箱に。


 からんころん、ころん。


 ころん。


「ナイスシュート」


 呟いてりあが笑った。ご満悦の投げ入れで、上機嫌そうに口笛を吹きだそうとして……。


 そして、その直後に彼女の目つきが変わった。


 獲物を見つけた狩人の目。

 そこに遊びや余裕はもうない。何かを聞いた耳がひくひくと動き、舌なめずりをする。わたしも退屈な本を閉じ、ガラスウィンドウから離れた。


「どこ」


 あたりに人影はない。

 隠れているのか、そういう能力なのか。


「まだ駅の中だ。多分、十秒後にはあのドアから出てくる」


 りあの血色の良い指先が、ごつごつした闘いの指先が、駅の入口ドアを示す。

 なるほど。最寄駅からモノレールの線路を無理矢理歩いてきたんだ。それなら多くの監視の目を簡単にかいくぐれる。こきこき、とわたしは自分の首を鳴らす。


「わたしがさいしょ」


「そう。いつも通りな」


 言われなくても、それが仕事を最適に終わらせる手段なのだから勿論従う。わたしは入口ドアに注目を向けた。

 なんの変哲もないガラス扉だ。微かにくすんで中が見通しづらいけど、あれだけ見えれば十分。

 大事なのはタイミングと、躊躇ためらいのなさ。


 三秒。


 入り口ドアのガラスに微かに人影がうつる。男だ。事前に聞いていた情報と相違ない、男子学生。どこにでもいる様な平凡な顔をしている。学園内ですれ違ったことがあるかもしれない。微かに見覚えがある。


 二秒。


 動く扉と、辺りを見回す姿。

 なにも感じない。これから彼に起こることを考えても、わたしはなんの感情も抱かない。


 一秒。


 男が外に出て、わたしの出番が来た。男の視線が一瞬わたしを映したタイミングで、手を胸の前に出して……。


 パンパン、と二拍手。


 おしまい。


 ぐるりと何か捻じ曲げるような、くらりとした感覚

わたしの仕事はこれでおしまい。だけれど、これが重要。滞りなくこれを行えば仕事の勝利は約束されている。

 男はわたしの動作にハッと表情をこわばらせるけれど、もう遅い。わたしのチカラからはだれも逃げられはしない。


 男はぐらりとよろめいて、ばたりと床に倒れ込む。

 ぐるぐる回る目に、小刻みに震える唇。

 唇の端から漏れ出る泡。

 浮き出る青白い血管。

 狼狽。

 戸惑い。

 憂い。


 感情が混じり合った彼は、完全に正気を失った様に、虚空の中視線を彷徨わせる。指先から最後の抵抗として光線を発射するけれどもめちゃくちゃな方向に飛んでいく。


 自販機横のゴミ箱に触れて、ゴミ箱の格子が溶け出すけど、わたしたち二人のどちらにも命中はしない。

 からんからん、と中の空き缶がこぼれ落ちて音を立てていく。


 しめた、とりあ男のもとへ一直線に駆け出した。

 わたしは、それを再び喫茶店のガラスウィンドウに身を預けて見る。鞄から缶コーヒーを取り出してプルタブを開ける。


 男は、りあの行動もわたしの行動もわからない。だって男は、わたしのチカラで幻を見せられて視界は当てにならないから。

 彼は恐怖に震えていた。肌に汗をかき、涙も流れそうに顔を歪ませる。構わずりあは近づいて、男の胸に手を当てた。そのままりあは目を閉じて、はっきりと一言。


「ぼんっ」


 声があたりに響くよりも早く聞こえるのは爆発音。その馬鹿に大きな音と共に男の体が木っ端みじんにはじけ飛んだ。


 飛び散る血しぶきをシャワーみたいに浴びて、りあはご機嫌、大喜び。今にも手を叩きながら笑ってしまいそうな様子で、手を突き出したまま佇んでいた。


 瞬きする間もなく、男にとっても突然に体は爆発した。一瞬で煙に包まれてしまう。だけど足元には生々しい臓物の乱舞と血だまりが生まれていた。

 漂う死臭が、わたしたちにとっての現実で、彼にとっての非現実。


 りあは、手についた血を顔になすりつけだす。しっかりべったり血で化粧をする。

 また何を考えているんだろう。

 わたしはコーヒーをちょびちょびと飲む。ぬるいし、苦い。かろうじて眠気覚ましにはなるけどまったく美味しくない。これを美味しそうに飲む人の気が知れない。顔をげぇっとしかめていると、りあはニヤッと笑ってわたしを見た。

 真っ赤っかな顔。


「どうだユリカ! 赤鬼みたいだろ」


 子供みたいな残酷な無邪気さ。


「くだらない冗談はやめて」


 顔色ひとつ変えずわたしは突っ込む。彼女はそれに満足したようで、とことことわたしの元に駆け寄ってきた。鞄からタオルを取り出して放り投げると、それを受け取り顔を拭き出す。

 道に残るのは、凄惨な死体だけだった。


 定期的に青葉学園都市にて行われる、生徒会役員の異能力行使による能力者間引き……通称『人間狩り』。


 それは生徒会の勝手な活動ではなく、上からの直々の指令。殺人さえも、能力者にとっては学習活動になると。


 疑問は抱かない。わたしは生徒会の人間として、異能力者代表として、規則の体現者となるべきだと思っている。


 だからわたしは規則に従う。わたしは規則に従う監視者で、『人間狩り』というシステムの重要な歯車。


 上層部のお人形。

 わたしはお人形だ。


 それが正しいんだって、知っている。

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