第3話 独壇場
店内のお客さんがみんな一通り帰ったあと、私はカウンターに向かって高校生らしく椅子に腰かけてみた。
真さんは満喫している私たちに声をかけるきっかけもなく、淡々とコップを拭き、店内に流れる知らないジャズの曲は耳に素直に入り込む。
真さんの手は大きい。
燕の手はまだ小学生みたいだけれども、真さんの手はさすが大人の男性の手らしく幅があり、包容力がある。
朝凪で部活がない水曜日に入り浸るのは真さんに会えるからだ。
燕の射貫かれた矢のような視線に気付くと燕はお決まりのようにポーズを取る。
「女子って儚げな痛々しい、美少年が好きだっつうの。一度も脂汗をかいたことありません、一度も糞尿をしたことありません、とかいう横溝正史ばりの蝋人形みたいな美少年に惚れ込むわけ。俺ら男子からしたら虚妄! 虚妄! 男子だって人の子だ。夜にはにやにやしながらエロ雑誌でもガン見しているし」
燕の独壇場はアンコールされた。
「ふん。真さんなら横溝正史の『真珠郎』と酷似しているぜ。因縁みたいに名前だって一部分かぶるし」
青い蛍のように発光する画面上で往生際が悪いまま、真珠郎、と検索すると苦笑するような内容な怪奇小説の主人公の名前だと知って、私は比喩にしては度が過ぎる、と軽く憤った。
真珠郎とは因習のある寒村で生を受け、妓楼の蔵の中で幽閉された美少年の連続殺人犯、というわけだ。
横溝正史なんて角川映画の有名なワンシーン、湖上にニュウと白い足首が伸びているシーンくらいしか、うろ覚えだったけれど、あんたはとどのつまり、男子版の耳年増なんだよ。
経験もないくせに本で仕入れた情報でそのアングラな世界を知った気になっている、小心者。
褒めているのか、貶しているのか、判断に迷う燕の毒のある発言に私は度肝を抜かれ、わざとその横溝正史の小説については触れなかった。
「それって嫌味? 男子だって同じじゃない。女子に対して過剰な憧れがある」
「例えば何だよ?」
「妙に顔は幼いのに胸だけは大きい少女のキャラクターとか、男性にとって都合のいい性格だとか。おかえりなさいませ、ご主人様! とか兎の耳でもつけているメイド喫茶の女の子とかいい例じゃない」
燕が訳知り顔で言うので私は半ば呆れながらも説明すると燕が狙い撃ちしたかのようにクスクスと笑った。
「真さんがこっち見ているぜ」
私ははっと気づいて前方に重たい置石のような顔をやった。
目の前には微妙に唇を曲げた真さんが肩をすくめていた。
「別に僕は気にしていないよ。若いね、ふたりとも。青春だ」
私は全身から瞬く間に血の気が引くのを感じた。
よりによって、何て言う会話をしたのだろう。生憎、手鏡は家に忘れている。
「わざとそんな話を振らないでよ!」
冬眠したての熊のようにそれこそ、大穴があれば、その穴に潜り込みたい。
よくある至ってノーマルを貫く男子モデルのような燕が、いとも簡単に短歌の世界では名を馳せているのが俄かには信じ難い。
こんな下品な会話を振る燕の心の内には一体どんな言葉が秘められているのだろう。
羨望は私の頬をくすぐる。
神様はギフトを平等には与えず、何を基準に選別しているかは定かじゃないけれども、これだけは言える。
燕には私にはない秘めた能力を持っている。
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