温かな食卓

はるより

本文

「ねぇ、ヴィルのパートナーってどんな人なの?」


 エイラが手元で人参の皮を剥きながら、釜戸に火をくべているヴィルに尋ねた。

 今日はクラーク夫妻と共に夕食を作ろうと約束していた日であり、テッドはモリス商店に足りない調味料の調達に向かっているところである。

 パートナー……つまり、一京のことを尋ねられたヴィルは何と表現したらよいかと頭を悩ませた。


「元は桜の帝都から来たお方で……親善大使のような役目を担っている。僕は、都ではその方の側使えを務めていたんだ」

「へぇ、異国の人なんだ!」


 エイラはヴィルの言葉を聞いて、物珍しそうに目を瞬かせた。

 無理もないだろう、観光客や商人として都を訪れる桜の帝都の人間こそ居れど、現地人と親密にしているという話はあまり聞かない。

 まだ二つの国が互いを認識してから数年……桜の帝都から霧の都に居を移すのは、一京のように何かしらの使命を背負った人間か、よほどの変わり者くらいのものだった。


「あとは……そうだな。帝都の文化の紹介として、パフォーマンスを行う事もあった。時々、噴水のある大広場に仮設舞台を立てたり」

「あっ、それはもしかしたら見たことがあるかも!実際の公演じゃなくて、会場だけだけど」


 演舞の会場には、物見客目当てに屋台が立ち並ぶこともあった。

 エイラはそれを楽しんだらしく、そこで食べたパイ包みが美味しかった、土産屋で買ったハンカチの刺繍がお気に入りだとか、機嫌良さげに話を続けている。

 ヴィルはそれを微笑ましげに聞きながら、焚き木入れに使っている木箱に再び手を入れた。


「……あ」

「どうかした?」


 思わず小さく声を漏らしたヴィルへと、エイラが不思議そうに視線を向ける。

 ヴィルは木箱の中身を彼女に見せながら言った。


「薪が切れそうだ。裏から取ってくるから、そのまま続けていてくれ」

「あらほんと?私も手伝うわ!」

「いや、でも……」

「一人でやるより、二人でやったほうが効率がいいでしょ?」


 手を洗いながらニコニコとそう言うエイラ。

 力仕事であれば自分一人で十分だとヴィルは思ったが、彼女の良心を無碍にするのも本意ではない。

 エイラに礼を言い、二人で縄で束ねられた薪が積んである家屋裏へと回った。


 ヴィルは両手に二束ずつ、エイラは両手でひと束を抱えて歩き出す。

 隣の男が軽々と薪を持ち上げる様子を見て、エイラは苦笑いを浮かべた。


「……もしかしなくても、余計なお世話だったわね?」

「そんな事はないよ、気遣いだけでも十分嬉しかった」


 エイラはヴィルの言葉を聞いて、気恥ずかしそうに肩をすくめた。

 二人が家の正面へと辿りついた時、お使いから帰ってきたらしいテッドが慌てた様子で駆け寄ってくる。


「エイラ!何をしてるんだ、危ないじゃないか!」

「心配性ね、もう怪我だってすっかり良いんだから。少しくらい運動したほうが健康的でしょ?」

「馬鹿!君は、少しは身重の体である自覚を……」


 身重。テッドの口から出たその言葉に、ヴィルは目を丸くする。

 彼の様子に気づいたらしいテッドは、ああ、と呟いた。


「すまない、手伝わせてしまって。」

「いや、こちらが伝えていなかったんだ。気にしないでくれ。」


 テッドは手に持っていた小さな紙袋と交換に、エイラから薪の束を受け取る。


「ごめんね、ヴィル。今日のご飯の時に発表するつもりだったんだけど」

「大丈夫だ。寧ろ食事時の楽しみがひとつ増えた」


 申し訳なさげなエイラにそう応えながらヴィルは玄関の扉を開くと、二人を中へと通す。

 その後、主な調理過程はエイラに一任し、ヴィルは食卓の片付けや食器の用意などを務めた。

 時折、テッドがエイラ背後で不安げに彼女を見つめていたので、ヴィルはお腹の子のことを心配しているのかと尋ねたが……返ってきたのは、エイラは火力こそが全てだと思っているから、という不穏な言葉だった。

 しかしそんな二人の心配をよそに、その後の食事の準備はつつがなく終了した。


 机の上に並んだ家庭料理はどれも美味しそうに湯気を立てている。

 決して豪華絢爛という訳ではないが、作った者の真心が感じられる温かみのある食卓だった。


「大いなる霧と大地より賜りし糧に、感謝します。」


 各々祈りの言葉を口にしてから、目の前に並んだ食事に手をつける。

 ヴィルは初めに木の椀を満たすスープを啜った。

 野菜の優しい甘味と厚切りのベーコンから出た旨み、その後を追ってくる胡椒のぴりりとした刺激が何とも食欲を刺激する。


「ん〜!美味しい!やっぱり、地産地消って最高ね」

「まぁ……少なくとも、自分たちが育てた食材を食べるというのは、都暮らしでは無かったものな」


 エイラがキッシュを頬張って満面の笑みを浮かべる。

 テッドは普段通りの仏頂面のままだったが、同じくキッシュをフォークで口に運ぶのを止めないところを見ると、いたく気に入ったようだ。


「それで、エイラ。さっきの話を聞いても?」

「あっ、そうね!」


 ヴィルがそう声をかけると、エイラはハッとしたように食器を机に置いた。


「私たち、赤ちゃんを授かったの。今三ヶ月だって」

「そうか……おめでとう、二人とも」


 ヴィルが祝福の言葉をかけると、若い夫婦は幸せそうに微笑む。


「性別は?」

「まだ分からないの。来月か、再来月くらいに検診に行った時に教えてもらえるんじゃないかしら」


 エイラがお腹を手で優しくさすりながらそう言った。

 ヴィルは空想する。目の前の友人夫婦が、小さな天使と手を繋いで歩く様を。


「私たち、賭けをしているのよ。男の子だったら私の勝ち、女の子だったらテディの勝ちってね」

「俺は同意した覚えはないんだが……何故かエイラが譲らなくて。元気に産まれてくれたら、どっちだって良いのに」

「折角なんだもの、待ってる間も楽しまなきゃ!それでね、勝った方が赤ちゃんの名付け親になれるの」


 エイラは無邪気に笑い、テッドはやれやれ、とこめかみを手で押さえた。


 両親から待ち望まれた子。

 愛の約束された赤ん坊は、きっと希望の中に産まれ落ちるのだろう……ヴィルはそんなことを考える。

 彼自身には、生みの親に関する記憶が一切ない。

 代わりに思い出せるのは、フォルクマーと過ごした幼年の日々だった。

 ハウンド家が解体された今、彼のことを父と呼ぶことはできないが……受けた恩は変わらないし、いつまでも息災であってほしいと思う。


「ねぇ、ヴィルも賭けに参加しない?」

「僕が?」

「うん。ねぇ、テディもいいでしょう?」

「まぁ、別に構わないが……」


 テッドは、ヴィルの顔を見て頷いた。

 ヴィルはどう返答しようかと迷ったが……勝ったところで、同じ性別に賭けていたもう一人に名付けを託せば良いだけだろう。

 そう考え、ヴィルは「分かった」と言った。


「男の子と女の子、どっち?」

「……そうだな」


 ヴィルは顎に手を当てて考える。

 男の子ならテッドに似た聡明な子供で、女の子ならエイラ似のお転婆な子供だろうか。

 どちらもきっと、クラーク夫妻によく似合う家族の一員となるだろう。

 だが強いて選ぶならヴィルは、より賑やかで明るくなった家族を見てみたいと思った。


「女の子にしよう」

「じゃあ、テディと同じチームね」


 ヴィルの返答を聞いたテッドはそうか、と小さく呟く。

 満更でもない表情を浮かべているところを見ると、実はテッドも心の中では女の子が産まれてくるのを望んでいるのかもしれない。


「それで、ヴィルは良い人はいないの?」

「え」


 突然振られたそんな話題に、ヴィルは面食らって食事の手を止める。

 テッドが軽く嗜めるが、エイラは興味津々といった様子でヴィルの事を見つめていた。


「ぼ、僕は……」

「だって、毎回クロエさんのお仕事について行っているじゃない。都に彼女がいて、その時に会いに行ってるんじゃないかってずっと思ってたの!」


 半分……四分の一ほどは図星だった。

 実際、演舞会が行われる時はクロエが気を遣い、それに合わせて仕入れを行ってくれている。

 それをリノと共に見に行くことは、ある意味でエイラの言っていることに当て嵌まるのかも知れないが……一京はヴィルの恋人ではないし、そもそも一方的に見ているだけで相手に認識されている訳ではない。

 そう考えると、ヴィルは自分が少し惨めにも感じられたが……想い人が五体満足でそこに居るというだけで、ある程度の安息が得られるのだから止められそうもない。


「僕は、その……恋人は居ない。都には料理をしている時に話した、パートナーの様子を見に行ってはいるけれど」

「ふうん。ヴィル、優良物件なんだから探せば相手なんていくらでも見つかりそうなのに。……もしかして、そのパートナーが意中の人だったりして」


 ぎくりとヴィルが身を凍らせたのを見て、テッドはため息をつき、妻の頭に触れるだけの手刀を繰り出す。


「こら。あまり人のプライベートを詮索するんじゃない。失礼だろうが」

「だって……」

「ヴィルも、迷惑ならそう言うんだぞ。エイラは言わなきゃ分からない奴なんだから」


 不服そうに唇を尖らせるエイラを無視し、テッドはヴィルにそう言った。

 ヴィルは頷こうとしたが……ふと、脳裏に以前リノに言われた言葉が浮かんだ。


『おいヴィル。一般市民のありがたーい事を教えてやろう』

『オレらはさ、法にさえ触れなければ、何を思っても罪にはならねぇんだよ』


 今の自分は、王宮仕えの騎士ではない。

 それならば、高嶺の花に恋をすることだってきっと……罪ではないのだろう。


「その通りだ」

「え?」

「僕は、パートナーだったその人の事が、好きなんだ」


 ヴィルは一京と離れてから、幾つも後悔した事があった。

 それは、一京が倒れたあのパブでの一件のみではない。

 自分が彼をどれほど尊敬していたか、彼の夢見る世界をどんなに待ち望んでいたのか。

 日頃の感謝から、畏敬まで……伝えておけばよかったと思う事は山のようにある。

 だから、信頼できる相手ならば……自分の中で長く燻っていた気持ちを話すのも良いかもしれないと、そう思った。


「少し長くて、暗い話になるが……それでも良ければ聞いて欲しい」


 二人は顔を見合わせた後、ヴィルへと向き直り、深く頷いた。


 *****


「そんな……悪いのは殺そうとした人なのに!」

「落ち着け、エイラ。彼が要人の護衛役だった以上、護衛対象に危害が及んだとしたら……それは彼自身の責任だ。ボランティアではなく、仕事だったんだよ。それも、陛下からの勅命で。」

「……」


 黙り込むエイラ。

 彼女は物分かりの悪い人間ではない。テッドの言葉の意味をすぐに理解したことだろう。

 それでも尚、泣き出しそうな顔の彼女はヴィルに心から同情してくれているらしい。

 その事自体は有り難く思ったが……ヴィルは「テッドの言う通りだ」と言った。


「あれは僕が油断さえしていなければ防げた事態だった。例え馴染みの場所だったとしても、不特定多数と接する場である事は間違いなかったんだから……警戒すべきだったんだ。」

「ヴィル……」


 ヴィルは目を閉じて思い浮かべる。

 きっとあの日、ウェイトレスの少女の凶行を止められていたら……今も自分は、ハウンドの騎士として一京の傍に立っていたのだろう。

 フォルクマーはきっと変わらず女王陛下と他愛もない冗談を言い合い、苦笑い顔でまたあの喫茶店に連れて行かれていたに違いない。


 壊してしまったのは、自分の世界だけじゃない。

 フォルクマーも、女王陛下も……きっとあの日常を愛していた事だろう。

 それを、自分がこの手で奪ってしまった。

 これはヴィルにとって、何度目かも分からない自責だった。


「……ねぇ、ヴィル。私は国交なんて全然分からない無知な素人だけど。ただの友人として、敢えて発言するわ。」


 エイラは椅子から立ち上がると、正面に座るヴィルに手を伸ばした。

 そしてそのまま、優しくヴィルの髪を撫でる。


「例えそれが自業自得だったとしても、ずっと抱えているのは……辛くて、悲しかったよね。」


 ヴィルはエイラの視線を受けて瞬いた。

 彼女の言葉が、すとんと何の抵抗もなく心の中に入ってくる。


「ヴィルはもう、十分傷ついたよ。そろそろ後ろを向くのはやめて、あなた自身に寄り添ってあげて欲しいな」

「……僕は」


 自分は、悲しかったのか。

 この結果は全て自分の責任であり、他者への罪悪感こそ感じても……自分が被害者面をするのはお門違いだと考えていた。

 それ自体に間違いはないのかもしれないが……大切な人達と離れて、自分の過ちを反芻しながら生きる事を、苦しく感じなかったと言えば嘘になる。


 辛かった。

 悲しかった。

 ヴィルはそんな単純な言葉をエイラに返そうとするが……鼻の奥が熱くなって、うまく声が出てこない。


 その様子を見ていたテッドはため息をつくと、ヴィルの傍に移動して肩に腕を回す。


「全く……不器用な奴だな」

「テディだって人の事言えない癖に」

「うるさい」


 エイラは先ほどとはコロッと表情を変え、そんな風にテッドを茶化して笑った。

 テッドは少々気恥ずかしそうにしながらも、目元を拭うヴィルの背中を摩ってやった。

 エイラはそんな二人の背後に回ると、彼らを精一杯広げた両手で抱きしめる。


「今はお休みしてるけど……都を離れても、私たちは同じ霧の騎士で、あなたの味方よ。何か力になれる事があったら、我慢せずに頼ってね」


 ヴィルの肌に伝わる友人たちの体温が、まるで心まで温めてくれるようだった。

 これで自分の罪が消えたわけではない。

 それでも、自分が少しだけ前を向いて歩く事を、ヴィル自身が許せる気がした。


 ……それは雪の積もった冬の日の話。

 これより彼らが迎えるのは、ただ春の芽吹きばかりではない事を、彼らは未だ知らない。

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