第13夜 私の答えは貴方と共に

 あの夜の雨は一晩中振り続けた。

 次の日も待ちぼうけて。その次は少し諦めて。

 マスターは、戻ってはこなかった。

 好きにしていいという言葉を思い出して。

 私はマスターの部屋へ行き、本を読んだ。いつか読んだ、あの本を。

 前半は古いものだったけれど。最後のほうは、新しく書かれた言葉で。

 私の探し人はすぐ近くにいたのだと……知ることができた。

 それでも、懐かしい言葉もたくさん綴られていて。

 誰もいない、私一人の事務所で、少しだけ考えた。

 あの人が戻ってこないのならば、もう、ここに留まる理由はないと。

 幸い、事務所の蓄えはあったから失敬して。

 旅支度を整えた。人のように旅行鞄に詰め込んで。

 準備をし終わったころ、事務所宛に一通の郵便が届いた。

 差出人の記載もなく、手紙が入っているわけでもなく。

 ただ封筒の中には、四葉のクローバーを閉じ込めた栞が入っていた。

 彼女もどこかで、自由にしているのだろうか。

 名残惜しいような、後ろ髪引かれる感情を抱いたけれど。

 旅の先で、すれ違うこともあるかもしれないと思って。

 私は、私の旅に集中しよう、その先に目指すものがあるのだから。 

 いってきます、と誰もいなくなった事務所へと手向けた。

 ◇

「あぁ、本当にあなたはたくましくいらっしゃる」

 旅先で見かけた金糸の姿。展望台で休憩していたときに見かけて。

 別人かと思ったけれども、近づいてきた紫の瞳は見覚えのあるもので。

 開口一番それかと、とぼやいている。

 私は知り合いであって、友人ではありませんからね。

「いえなに、五体満足で元気でいらっしゃるのかなと思いまして」

「どんどん製作者に似てきたんじゃないか?」

 あぁ、そういえば。

「義眼、入れたんですね。別人かと思いました」

 眼帯の代わりに、澄んだ蒼色の義眼がはめこまれていた。

 ぱちぱちと、わざとらしく瞬きをしている。

 人間の瞳をそのまま、硝子でコーティングしたようなリアルなもの。

 今まで眼帯で覆われていた場所が露わになるだけで、だいぶ見た目の印象が違う。

 見た目だけなら、胡乱さは鳴りを潜めて見える。整っている方だろう。

「そっちの方が、明るく見えるんじゃないですか。

 下向いてないで、上向いてた方が見栄えがよさそうです」

 これはこれで、手入れが面倒なんだと、ぶつくさいっている。

「なら、何故そんなに大事そうに?」

 虚を突かれた表情をしてから、蒼と紫の視線が、静かにこちらを見る。

「これは……たったひとつ、俺の所に残った縁だからな」

 忌々しいような、懐かしむような、慈しむような響きだった。

 彼にしかわからない、所以があるのだろう。

 それを掘り下げるのは、きっと無粋になるのだろう。

 他者の思い出を踏みにじる権利はない、誰であったとしても。

 左右の瞳の色を、やっぱり物珍しくてしげしげと眺めていると。

 随分とマシな顔つきになったものだ、と言葉が流れてくる。

「今なら、前よりはまともな答えが聞けそうじゃないか」

「顔のパーツは変わっていません。

 残念ですね、あなたに伝えるほどの義理はありません」

「いいじゃないか、減るもんじゃなかろうに」

 あいつが作ったヒトガタが、どんな夢を見るのか気になると。

「いいえ、一番最初に伝える人は、決めてあるので」

 視線をそらすと、くつくつと笑う音がする。

 なんだ、まだ追いかけているのかというものだから。

「……別にあれでなくとも、いいと思うんだがな」

 心底嫌そうな声で、眉をひそめながら。

 「それは、あなたの意見でしょう。私は、私が見聞きしたことで判断しますから」

 ふてぶてしくなった、と大げさに肩をすくめて。

「そうか。まぁ、お前が後悔しなければそれでいいんじゃないか。

 俺の何処も、痛みはしないからな」

 ……あいも変わらず、何を考えているのかわからない人だ。

「では、私はまだ移動する予定なので」

 吹き抜ける風が強くなってきた。天気が荒れるかもしれないから、早めに動こう。

 踵を返す背中に届いた一欠片の言葉。

「お前の生涯に――抱く願いがひとつでも多く、叶うよう」

 誰かに捧げるような、優しい声色だった。


 ◇

 明くる日。石畳を歩きながら次の予定を思い描いていた。

 コツコツとした自分の靴音がよく響く。

 探している人の情報を集めながらも、なるべく知らないところを巡るように。

 今歩いている道も、旅人がよく利用する街道で。

 ちらほらと、大きめの荷物を携えた人々が行き来している。

 老若男女様々だが、皆一様に明るい輝きでひたすら歩いている。

 前を行く人の、キャスター付きの荷物がごろごろと音を立てる。

 私はそんなに荷を必要としないけれど、なるほどあれは便利そうだ。

 非力でも持ち手を引いていけば、荷物と一緒に旅をしやすい。

 重さはありそうだが、私には問題にはならないだろう。

 入れる荷物はそんなにないけれど、なんだか旅をしている、という雰囲気が出る。

 つらつらと考えながら、歩き続ける。

 靴の音。荷を運ぶ音。たまに聞こえてくる人々の談笑の声。

 かすかなカチカチと、私の歯車の回る音。

 コツコツ、カチカチ、ごろごろ、ガタガタ、ガタゴトガタゴト――

 ゴロゴロゴロゴロ。

 前を行く人を見ながら。

 あまりにも荷が重いのであれば、運ぶ手伝いでもしようかと考えていたとき。

「やっぱりやっぱりー! ルナちゃんですね、久しぶりです!!!」

 背後から、車がアクセルを踏み込んだまま突っ込んできたような衝撃。

 つんのめりそうになるのを、踏みとどまって、引き剥がす。

 どうやら前の人の荷ではなく、彼女が携えている荷物の音だったようだ。

 こちらも変わらず騒がしく、元気で、よく動くこと喋ること。

「シア。前に回って確認してからにしてください、勘違いだったら事故ですよ」

 見間違えるはずないじゃないですかぁ、ところころ笑う彼女は。

 変わらず愛らしく見える。あぁ、前よりものびのびとしているような。

「ねぇねぇ、あたしからの贈り物、ちゃんと届きました? 受け取りました?」

 送り返してなんてないですよね、としつこい。

 えぇ、はい。ちゃんと本来の用途で愛用していますよと伝えた。

「よっしゃあ! あれ、花畑で見つけたんですよー! 3日間探しまくりました」

 はしゃぐ彼女の指には、変わらず幸運のシンボルがきらきらと揺れている。

 この胸元と、おそろいの幸運のしるし。

「贈ってくださって、ありがとうございます。

 今度は、私から何か差し上げないといけませんね」

「きゃー、それはそれは、楽しみですね!

 ルナちゃんからなら、なんだってウェルカムですよ。あ、これ余り物ですけど」

 よかったら、とがさごそと取り出したのは…………この地域のお菓子。

「待ってくださいシア。

 あなたも私も、食べられないでしょうになんだってそんなに――」

 次から次へと出てくる。食べ物、レトルト、民芸品にアクセサリー。

 食物は押し返しながら、雑貨はいくつか選んで受け取る。

「道すがら、人の手伝いしてるとやたらともらうんですよねー。

 今食べないなら、持って帰りなさいって」

 ……普通の少女と間違われているのではないだろうか?

 衣服も可愛らしい女性の好むものだし、肌の露出もほとんどないから。

 それこそ、人形師であればわかるが、それ以外にはそうとはとても。

 この少女を、あの男が作ったのか……と改めて意外に感じた。

 ぱたぱたと隣に並んで歩きながら、少女はまだまだ話が止まらない。

「まさか旅してるなんてビックリですよー。結構長旅でしょ」

「まだ先は長そうですね。見ていない景色も多いですし……」

「なんでそんなに荷物少ないんですか? 

 あたし何処いってもぱんぱんになりますよ。配り歩いてます」

「メンテナンスは旅の方にお願いしてますし、衣服もそんなにないですからね。

 土産物がたまってきたら、事務所に送ってます」

 いつかの思い出になるように。ユニークなものを集めて詰め込んで。

 ふわー、変わりましたねぇ、と感嘆の声が聞こえる。

 あなただって、前より楽しそうでよかったです、と伝える。

「せっかく時間ができたんだから、互いに旅を楽しみたいですねぇ。

 あっちもこっちも、気になって仕方がないんです」

「あなたなら、大陸一周だってできそうですね。

 私も、まだまだ……途中で止めるつもりもありません」

「きっと、見つかりますよ。あたしはそう祈ってます。

 もう怖いものなんて、ないでしょ?」

「嬉しい言葉ですね。あなたの旅路にも、幸運が降り注ぎますよう」

 じゃあまたね、と彼女は来たときのように走り去っていった。


 ◇

 出会っては別れ、顔なじみともすれ違いながら旅は続く。

 今は宿屋で時間を潰している。夜道を歩くのも好ましいけれど。

 何かと物騒なことが多いので。面倒事は、ごめんという判断。

 売られた喧嘩は処理するが、自ら増やしていきたくはない。

 旅を初めた時よりも、慣れてきて荷物が減った鞄。

 いくつかある冊子のうち、一つを取り出す。

 必要はないけれども、テーブルのランプを灯して雰囲気を。

 一冊は、あの人の本。

 この一冊は、私の物語。

 私は旅を始めてから、日記をつけるようになった。

 人の身ほど、色々な事は起こらない。

 一日歩きとおした。晴れたとか雨が降ったとか、それだけの日もある。 

 人の手伝いをしたとか……月がでていたとか。些細なことでも、綴り続けている。

 旅をしていて、いろいろなものをみた。人形を毛嫌いする人間。

 好意的な、人間。ときおり。動物なども近寄ってきてくれた。

 楽しそうな、しあわせそうな家族の風景。

 家族……いまいち、まだよくわからないけれど。

 この身からすれば、主がお父さん、シアが妹だろうか?

 なぜだか、そんな風に思えた。

 世界の色は。綺麗で美しいものばかりでもなくて。

 フェルシオンは、比較的治安がよかったのだと実感した。

 スラムなどよりも酷い状態の街も、あった。

 けれども、どんな場所でも。人間は生きていた。人形もまた。

 進んで手伝いをしている機械人形もいた。

 壊れかけの人形を直している人間も、いた。

 主従の関係なく……助け合う光景もあった。

 すべてが。すべてがそんな風になれたのなら。

 もう争いなど起こることはないだろうに。

 私が見たのはほんの、一欠片。世界はまだまだ未知にあふれている。

 嬉しい事悲しい事、楽しい事虚しい事。

 この廻る歯車と共に、日々は巡っていくのだろう。

 私はまだ――幕を閉じたりはしない。

 いつか、あの人に伝えるために。

 私はもう一度彼に会うために。そのために旅に出た。

 それが私の選んだ理由。

 存在理由はもう十分もらった。

 またどこかで、愛らしい少女と出会ったのならば。

 今度は彼女の服を見繕おう……陽だまりのような色がきっと似合う。

 違った色の瞳をもつあの人にまた出会ったのならば。

 のしをつけて、言葉を返していこう、それぐらいで丁度いい。

 でも一番の理由は。

 マスターに、私の答えを伝えること。

 面白おかしく、飾ることはできないけれど。

 起こったことあったこと、ありのままを。

 何も、いってもらえなくても構わない。

 笑ってもらえたのなら、すてきだろう。

 今日あったことを思い出して、ペンを動かす。

 まるで見本のような文字が綴られていくけれど。

 今ではもう気にならなくなった。

 旅をしていて、奇妙な目で見られることもある。

 それでも、別にいいと思えるようになった。

「冷たい身体のきみ……」

 この身は所詮、機械人形で。

 ガーネットの方が綺麗だと思う。

 それでも、在りたいと望むのは私で。

 誰にいわれたわけでもなく。自分自身で、導き出した答え。

 あの人の本が、月に捧ぐというのなら。

「私のは、蒼に捧ぐ……とでもなるのでしょうか」

 彼の美しい、蒼い瞳。それを思い出しながら、一人呟く。

 また、その瞳に私が映れたのなら。今度はもっと自然に微笑もう。

 いまなら。それもできる気がする。

 部屋の時計を見る。時刻は深夜。

 夜に休む必要もないけれど。

 人に道を聞いたり、たずねたり。

 それは昼間のほうがやりやすいから。

 人の時間に合わせて眠るようにしている。

 ランプを消して、手帳をしまう。

 部屋の鍵を確かめてから……ベッドへともぐりこむ。

 用意されているものだから、使うようにしている。

 また、明日。

 夜が明ければ、明日の朝がくる。

 それをいくつもいくつも繰り返して。

 この心に、歯車に記憶して、綴って。

 いつかの、遠いか近いかも分からない日に。

 私はあの人にそれを物語る。

 たくさん、たくさん世界を見たのだと。

 そうして昔の約束にも、答えよう。

 事務所にいた、平和な日々は幸せでしたと。

 あの人がいたから。彼がいたからこそ、幸福だとわかることができる……

「私の幸福は、貴方の傍に」

 なんといわれても構わない。そうして物語は続いていく……

 いつか終わりがくるまで。

 無限の可能性の中から、一筋を選んで。

 私は進んでいく。私の願いを伝えるために。

 叶うなら、幸せを私にください――

 そんな刹那を……私は夢見る。

 願わくば、それが叶えられるように。

 私は歩き続ける――


 ◇


 窓硝子から差し込む朝日が、徹夜明けの瞳にしみる。

 瞬きして眉間をもみながら、凝り固まった肩を回す。

 首がばきばきとなる。どうも独りだと癖で、根を詰めすぎてしまう。

 削り出していたパーツをデスクに置いて、深呼吸をする。

 納期にはまだ余裕があったはずだ。急がなくても私なら間に合うだろう。

 息抜きに、新作の型紙でも描いておこうか、それとも道具の整理でもするか。

 いくつか候補を思い浮かべながら、とりあえずコーヒーを入れる。

 苦味の強さに眉をしかめつつ、砂糖をいくつか追加した。

 窓際の椅子に腰掛けて、あてもなく外を眺める。

 今日はよく晴れていて、空の色もいい。

 森の緑は鮮やかだし、鳥の囀りもよく聞こえる。視界が半分なのが惜しいぐらいだ。

 あの街と違って郊外だから、自然も多いし用のある人以外は訪れないから静かだ。

 何も考えずに仕事に集中するのにはよい環境だった。

 ゆったりとした時間が流れている。

 日々街に出向いては材料を仕入れ、人を象ったパーツを作っては売り捌いている。

 時折、馴染みの客だけに完成品を販売することもある。

 幸いなことに、顧客に関してはツテがあるので困らない。

 豊かな暮らしは望まないし、食うに困らなければそれでいい。

 この人生は、もはや消化試合のようなものだから。

 身につけた技術が私を生かしてさえくれればいい。

 飲み終えたカップを流しにおいて、アトリエへ戻る。

 しばらく図面と睨み合っていたが、どうにもバランスがしっくりこない。

 描いては消し、描いては消してを繰り返す。

 髪を掻きむしりそうになったときに、来客を告げるドアベルの音が凛と聞こえた。

 うっかりしていた、今日は依頼を受ける気分ではないというのに。

 看板を営業中のままにしていた。

 居留守を使おうかと思いつつも重い腰を上げて玄関へと向かう。

 曇り硝子のはめ込まれた、ドアを開いて。

 あぁ、ごめんなさい、今日は休みなんですよと告げようとして――

 狭い視界に飛び込んできた色彩に、息を呑む。

 見覚えのある赤色の髪。少しくたびれた薄紫色のドレス。

 臆せずにこちらを見る瞳の色は……今までにない輝きを讃えて。

「やっと見つけました。お久しぶりです、アルフォンス」

 柔らかな言葉と、万感の想いのこもった声音と、心からの優しい笑顔。

 言葉など出てこない。その瞳に己が映ることは、三度はないと思っていたのに。

「……何を驚いた顔をされているんですか?

 約束したでしょう。今度は、私があなたを迎えにきただけです」

 話したい事がたくさん増えたんです。中、失礼しますね。

 許しを乞うこともなく、すたすたとアトリエへと入っていく。

 急いでクローズドにして鍵を閉めて後を追う。

 いいアトリエですね、と言いながらもちょこんと椅子に腰をおろして。

 微笑みながらこちらを見るものだから。笑みに促されるように私も座った。

 きっととてつもなく、呆けた表情をしているのだろう、今の自分は。

「変わらず、いい趣味をされてますね。落ち着く内装です」

 物珍しそうに室内を見渡す。言葉は滑らかに笑みも穏やかに。

 あぁ、これお土産ですどうぞ、と鞄から雑貨を出して、次から次へと広げていく。

「――っ、どうして」

 ようやくひねり出せた言葉は、陳腐なもので。

「野暮なことを聞かれるんですね」

 私がそうしたいからに、決まっていますでしょうと真昼の月が笑う。

「骨が折れました、こんな辺鄙な所におられるなんて思ってもなくて。

 大変だったんですよ、商人を辿りに辿って」

 ようやっと、辿り着いたんですよ、と告げられた。

 あまり、こちらを見てくださらないんですね、と不服そうに。

「その……貴女が、眩しくてですね。徹夜明けなものですから」

「以前から、眠ってくださいと言ったでしょうに。体に悪いですよ」

 コーヒーなんて飲んだら、余計に眠れないでしょうとおかしそうに。

「あぁ、まるで夢を見ている気分ですよ」

 何度瞬きをしても、目の前の色彩は滲みこそすれど、消えはしない。

 それでも現実感がなくて、目の前の輝きに手を伸ばして触れる。

 さらりと指の間を流れていくものは、間違いなく私の――

 その指を冷たいけれども、柔らかい動きでそっと掌が包み込む。

「ゆめ、ですか。私にとっては――過ごした時間こそ」

 思い返すと、夢のような日々でした。

 物騒なこともありましたけれど。

 それでもこのヒトガタには余りあるものです。

 この体は作り物で――自我(こころ)は赤色した歯車にすぎません。

 機械にだっていずれ、終わりがくるのでしょう。

 それでも。

「私は、貴方の傍に在りたいのです。

 ただひとつの答え――これが私のしあわせです」


 あなたの願いも聴かせてくださいますか、マスター。

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