日々妄想している腐女子は推理力が高いようです

高岩唯丑

01

 私とトモエは上履きから靴に履き替えて、正面玄関を出た。外は寒くなってきていて、夕暮れの赤みでなんだか寂しくなってきた木々の枝先が余計に寂しく見える気がした。秋だなと思う。これからもっと寒くなると思うと、憂鬱でならなかった。別に寒いのが苦手という訳ではないが、その気持ちを乗り越えてくるほど寒くなるのは勘弁願いたい。

「はぁ」

「ヨリコ氏、ど、どうしたの?」

 少し吃り気味に、トモエは問いかけてくる。もしかしたら、私が怒っていると感じてしまったかもしれない。この親友はそういう部分が繊細だ。私は少し微笑みながら答えた。

「なに、秋だなと思っただけさ」

 トモエが少しホッとする表情を見せる。前髪が長めで目にかかっている為、表情が読み辛い。それでも長く親友をやっていると、わかる様になってくる。それから意味ありげにトモエは微笑んで口を開いた。

「ビ、BLの、秋だね」

「そうなのだよ! トモエ氏、アンニュイな気分はBL心をくすぐる! でゅふでゅふでゅふ」

「そ、そうだね! でゅふでゅふでゅふ」

 私達は道の真ん中で立ち止まり、そんな風に笑い合う。下校人数は減っているけど、この時間でもまばらに人はいて、私達に奇異の視線を送りながら遠ざかっていく。いつもこんな調子でやっている。でもそんなの気にしていたら、立派な腐女子にはなれないのだ。

「さぁ、早く帰ってアニメを視聴しなければ」

「そ、そうだね……あっ」

 突然、トモエが突然そんな声をあげる。何かを思い出したというような表情。なんだろう。少し歩き出していた私は、トモエに向かって軽く振り返る。

「きょ、教科書……持って帰らないと」

「ん? 教科書? なんで?」

 別に置いていけばいい物だ。あんな重い物持って歩くなんて、馬鹿げている。少なくとも私は、いつもそうしている。トモエは馬鹿正直に、すべての教科書を持ち歩いているのだろうか。

「だ、だってテストあるから」

 トモエは少し不安そうに呟く。元々猫背気味で自信なさげな態度なのが、余計猫背になって自信が無くなって見えた。

 トモエとは同じクラスだから、同じタイミングで同じ事をするはずだ。私は少し記憶を手繰り寄せた。教師が喋っているシーンが浮かんでくる。そういえば。

「あぁ、なんかテストするからとか言ってたね、でも何で教科書持って帰るのさ?」

 私の問いにトモエは顔を歪ませた。何か変な事を言ってしまっただろうか。テストなんて、授業の復習のためにやるものだ。よって授業を聞いていればできる問題しか出ない。応用的な問題が出たとしても基礎さえ学んでいれば、そこから考えて解けるはず。私が分からないという顔をしていると、トモエが口を開く。

「ヨ、ヨリコ氏は無二の親友で何でもわかり合えるけど、そ、そこだけは分かり合えないみたい」

 すこし呆れた様子でトモエは体を反転させて、もと来た道に戻っていく。私はそれを追いかけた。

「私も行くよ」

「あ、ありがとう」



 私達は、自分たち一年生の教室が並ぶ廊下に差し掛かった。この時間になると廊下には誰もいない。廊下の先の非常口まで見えるけど、人がいないとなんだか寂しい感じだ。普段は生徒でごった返しているから、余計にそう思うのかもしれない。なんとなくホラーの舞台になるのが分かる気がした。かと言って化け物なんて出てくることもなく、私達は教室の前までたどり着く。

「も、もう一軍の人いないかな」

 少し足が重くなるトモエ。一軍に苦手意識があるのだ。私は少し思い返してみる。教室を出た時は、一軍の人たちが集まって喋っていた。何かを食べに行こうかとか、遊びの相談をしていたから、さすがにもう決まって移動を開始して居なくなっているだろう。

「もういないでしょ、一応中の様子を……」

 私がそう言いかけると、自分の口をすぐさま押える。それを見てトモエは不思議そうにした後、それに気づいたらしく目を見開いた。私は教室の中に対して聞き耳をたてる。何か私の中に衝撃が走る声が聞こえたのだ。

「佐藤、俺我慢できない」

「先輩、教室ですよ、こんな所で」

 そんなくぐもった声が聞こえてくる。廊下に面した窓はスリガラスで中が見えない上に閉めきられているし、ドアは両方閉まっている。そのせいでちゃんと聞こえないが、聞こえてくる声からして、男子二人。しかも。

「リリリリリアルBLカップル!」

 悲鳴にも似た声をトモエがあげる。一応抑え気味ではあったものの、それなりの音量だった。その声の途中で私はトモエの口を押えて阻止したけど、中まで聞こえてしまったかもしれない。私達は身をかがめて息をひそめる。

「バカ! せっかくのチャンス」

 私は可能な限り声を抑えてトモエを咎める。気持ちは分かるが、せっかくリアルでそんな良い物を鑑賞できる機会だ。バレてしまっては意味がない。押さえていたトモエが、首を縦に振ろうとしているのが伝わってくる。理解はしてくれたらしい。私はトモエの口を押さえていた手を離した。

「でゅふ、ご、ごめん、ハァハァ」

 声を抑えているけどトモエは興奮しているらしく、あまり抑えられていない。暴走してしまうといけないから、私はトモエを落ち着かせようとする。理想としては、リアルBLカップルに私達の存在を知られる事なく、二人の顔を確認して、今後も追いかけていきたい。理想を叶えるべく私は作戦を練っていると、突然教室の中から金属が擦れるような音が聞こえてきた。

「いかん、バレたかも」

「し、しまった、リアルBLカップルの情事を覗く機会が」

 トモエが絶望的に顔を青くして言った。気持ちは痛いほどわかる。しかも自分のせいで、チャンスを不意にしてしまったのだ。私はトモエの肩に手を置く。

「気持ちは分かる、でも今は次の作戦に移る時、リアルBLカップルの顔だけでも拝む」

 それだけでも、今後の妄想のオカズに大いに役立つ。今後の彼らについて、警戒されて拝めないだろうし、そもそもこんな形で露見したらもう学校では絶対にそういう事はしないだろう。つまりこれが最後のチャンスでもある。私はトモエを伴って、焦らず素早く教室の正面の方のドアに近寄った。慌てて何かを片付けているような音が中から聞こえる。急いで片付けている様な、そんな印象をうける。

「早く」

 私はトモエを急かして、教室のドアに手をかける。そこでもう一度金属が擦れるような音が聞こえた。私は構わずにドアを開け放つ。まず目に入ったのは黒板。私は焦らず何でもない様に装って、教室の中に入った。

「わ、忘れ物してしまったぁ」

「このうっかりさんめぇ」

 私達は二人で「HaHaHa」と、少しわざとしくなってしまった笑い声をあげる。とりあえず些細な事はもうどうでもいい。私は目を見開いてリアルBLカップルの姿を探すため教室内に視線を移した。黒板から外側の窓の方、そして教室後方の景色が順に視界に飛び込んでくる。でも、おかしい。景色しか見えていない。

「あれ?」

 間抜けな声が出てしまう。トモエも同じような声を隣であげている。一瞬起こっている事に、脳が追い付かなかった。中にはリアルBLカップルなんていなくて、教室の後方にスクールカースト最上位、東城伊織が座ってスマホをいじっているだけだったのだ。イオリの背中にかかる程度の長さの軽く茶色に染めた髪が、肩からさらりと落ちる。顔をこちらにあげたらしい。

「と、東城伊織……さん」

 トモエが、必要以上に身構えて声をあげる。無意識にやっているのかもしれないが、トモエが私に体を寄せてきた。少し戸惑いつつも私は代表する様に、イオリへ問いかける事にする。

「イオリ氏、この教室に他の誰かがいなかっただろうか?」

「……誰もいなかったけど、ずっと私だけ」

 イオリはポツリとそれだけ言って、組んでいた足を外した。キレイな足が伸びるスカートの中が見えそうになる。どれだけの努力をして、そのキレイな足を保っているのか分からないが、そんな足を見せられたらスカートの中がどうなっているのか気になるのは、私だけではないはずだ。いかん。ついつい凝視してしまった。

 私が見入ってしまっているのに気付いたのか分からないが、イオリは冷たい視線をこちらに送りながら立ち上がった。それから、シワが寄ってしまったスカートを撫でる様にして直す。姿勢を元に戻すと、少し高めの身長のおかげでやっぱりイオリは一軍だなと思わされる。少し気崩した制服のおかげか、どこぞのモデルが教室で撮影をしているかのような錯覚をしてしまいそうだ。制服の首元から伸びる白のふわりとしたオシャレなタートルネックが、モデル感を高めているらしかった。先生に注意されそうなものだが、イオリだから許されているのだろう。誰も注意はしない。

 私が見入っているのを、いつもの事の様に気にする風もなく、イオリは後ろのドアから出て行ってしまった。

「はぁ」

 トモエの気の抜けたような声が聞こえる。少し体が触れているだけだが、力が抜けたのが分かった。苦手意識は相当な物らしい。さすがに殴りかかってくる訳でもないし、いじめを受けている訳でもない。実害はないはずだ。

「そんなに緊張しなくても、イジメとかしてくる訳じゃないわけだし」

 私の言葉にトモエは、力無く首を横に振る。

「い……いつも冷たい視線送ってくるし、か、陰口とか言われてる気がする」

 考えすぎでは、とか言いかけて私は口をつむぐ。確かに陰口を言われているかもしれない。私達は教室で普通にBL談義を繰り広げている。一応抑えているつもりだが、それでも周りから見れば気持ち悪いオタクだろう。でも好きな物を好きと言って何が悪い。私は自己完結しながら「それより」と言葉を続ける。

「リアルBLカップルが消えてしまった」

「そ、そうだ、何で東城氏しか居なかったの、た、確かに声が聞こえていたのに」

 トモエが悔しそうにする。せっかく滅多にお目にかかれないリアルBLカップルなのに、見逃した。そんな悔しさだろうか。私もまったく同意である。はっきり言って、見たかった。本当に見たかった。現実で遭遇したのはこれが初めてかもしれない。しかもこの学校にリアルBLカップルが存在していたとは。せめて二人の顔だけでも見たかった。

 私は諦めきれずに、外側の窓に近づく。この校舎は新校舎でベランダは無い。旧校舎の方でふざけた生徒がベランダから転落したとかで、新校舎はベランダを無くしたらしい。それはともかく、窓はすべて施錠されている。ここは最上階の四階だからまずないと思うが、一応、窓を開けて下を見てみる。誰もいない。上や左右も見てみるけど誰もいない。ここから逃げた訳でもない。

 次に掃除道具入れを開けてみる。金属が擦れるような音がして、ドアが開いた。途中で聞こえてきた音はこれらしい。でも中には誰も隠れていなかった。どっちにしても、サイズ的に二人隠れるのは難しそうだ。私は一つだけしまい忘れて床に放置されていたチリトリを、掃除道具入れに戻しながらドアを閉めた。

 それから教室正面の教壇も確認する。一応人が隠れられない事もない。でも足元が丸見えになるから、すぐわかるはずだ。当然誰も隠れていない。

「ほ、本当にどこへ消えてしまったの……リアルBLカップル消失事件……ッ!」

「消失、か」

 煙のように消えた、とまでは言えない。脱出する方法はなくはない。でも、違和感がついて回る物だ。私は教室を見回してみる。他に何か見落としている事はあるだろうか。掃除道具入れぐらいしか、身を隠せる場所はない。

「はっ! そうだ!」

 私は弾けるように声をあげる。極めて重要な事を失念していた。なぜこんなにも大事な事を忘れていたのか。私が突然声をあげたのに驚いたトモエが、こちらをじっと見つめて問いかけてくる。

「ヨリコ氏、な、何かわかったの?!」

「早く帰ってアニメの視聴を! 全年齢という憎き鎖のせいで、彼らは私達の頭の中でしか結ばれないのだ!」

「た、確かに! リアルBLカップルも大事だけど、お、推しカプを支援するのも大事ですな!」

 トモエは急いで忘れ物を、カバンに突っ込む。それを見て私は教室を出て、トモエと共に足早に教室を離れた。とりあえずリアルBLカップルについては保留だ。見えないリアルより、目の前の妄想。花より団子。使い方が正しいかどうかわからないが、そういう事だ。

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