第3話 回帰

「……ハッ!?」




 真っ暗な世界からカインの意識が浮上する。


 何があったのか思い出し、慌てて自分の体を触って状態を確認する。




「無事、だ」




 大蛇に飲み込まれた後、自分の体が溶かされていくのをたしかに感じていた。しかし、肌に焼けたような痕などなく、見慣れた体があった。


 自分の体を確認すると周囲を見渡して現在の状況を確認する。近くに大蛇がいたなら再び襲われてしまうことを危惧していたが、今いる場所を確認して杞憂だったと判断する。




 現在地は最初に目覚めた広場。


 近くにある女神像に向かって尋ねる。




「どういうことですか!?」


『その様子だと2回目のようね』




 以前と同じようにブランディアの幻影が銅像から浮かび上がる。




「2回目?」




 意味の分からないカインが首を傾げる。




『諸々の説明は受けているはずね』




 虚空を見つめて何かを考え込むブランディア。


 自身の中で告げるべき事を整理するとカインの方を見る。




『貴方は加護を授かったことで「使徒」となったわ』




 使徒。


 神の加護を授かった者。神に忠実な代行者となる者もいれば、己の思うままに神の力を行使する者もいる。




『私の使徒となった者が授かった加護の力を最も効率的に理解する為にも実際に体験してもらったはずよ』


「『月の女神の加護』の力は何なんですか。危険な魔物のいるダンジョンからの脱出を要求されるぐらいだから、強い戦闘力を与えてくれるものだとばかり思っていました」




 多くの使徒が戦いの場で活躍しているのをカインも噂で聞いたことがあった。


 説明を聞けずに進むよう促されてしまったため、詳細を聞くことができなかったが説明しなかったのだから一般的な加護だろうと判断していた。しかし、大蛇を前に何の力も発揮してくれなかった。




『当り前よ。戦闘には役立つ力だけど、貴方の力を強くするものではないわ。直前に起こった事は紛れもなく現実よ』


「あ……」




 大蛇に飲み込まれ、体が溶かされるのを思い出した。


 ケルベロスに噛み付かれた時以上の痛みと恐怖だったため、夢だと思い込むようにしてしまったが、はっきりと『痛み』と『恐怖』を覚えていることから現実だと受け入れられた。


 ならば、説明できないことがある。




「どうして俺は今も生きているんですか?」




 たしかに死んだ記憶がある。


 生きている状況で言ったところで頭がおかしくなったと思われてしまいそうな言葉だったが、間違いなく現実に起きた出来事だ。


 そもそもケルベロスに襲われた後で生きているのもおかしい。




『使徒になった貴方は肉体を完全に再生され、この場所で再生されたわ』




 カインが目覚めた広場は、ダンジョンの中でもブランディアの力が最も強い場所だった。


 スタート地点としてダンジョン内では相応しい場所だった。




『そこで記録セーブがされたの』


「セーブ?」


『私の使徒はセーブした時の記録からやり直すことができるの。貴方以外の全ての時が巻き戻った状態からね』




 時が戻った。


 それならば大蛇に負わされた傷がなくなっているのも納得できる。




「女神様はやり直しされないのですか?」




 先ほどから会話をしていて疑問に思ったこと。


 ブランディアはカインの身に何が起こったのか予想して話しており、大蛇に喰われた時も隣にいたというのに全く記憶していないように話していた。


 それに最初も知らない状況を把握するようにしていた。




『ええ、記憶を保持することができるのは使徒だけよ』




 加護を与えた女神であっても巻き戻しを回避することはできない。




『だから私自身の認識では今が初めての会話だし、貴方の様子から初めて回帰したのだと判断しただけよ』




 最初から説明しないまま死なせるつもりだった。


 実際に体験したことで言葉だけで説明されるよりも加護の能力をはっきりと把握することができた。


 死亡すると記録した時点まで回帰することができる。


 微妙に異なるが、不死と呼んでも過言ではない力に震えた。




「記録はいつできますか?」


『私の試練――クエストが開始された時と完了した時に自動で記録されるわ』




 記録するタイミングは使徒でも選べない。




「この力で何度もやり直して、俺に迷宮から脱出しろと言うんですね」




 ブランディアが頷く。


 戦闘力を与えることはできないが、驚異的な力を与えることはできる。




『それじゃあ何があったのか説明しなさい』


「脱出しようと、あの道を進みました」




 どの入口を選んだのか記憶を頼りに同じ穴まで向かう。


 穴の手前まで来たところで大蛇に飲み込まれた時の事を思い出して恐怖に足が竦んでしまう。


 その様子を見てブランディアがカインの肩に手を置く。


 幻影でしかないため手を置かれた感触はない。それでも、誰かが傍にいる感触が伝わってきて自然と心が落ち着いた。




『この奥に大蛇はいるわ。けど、この広間にいる限り私の加護が働いているから安全よ』




 カインが目覚めた広場はブランディアの影響があって魔物が近付くことができないようになっている。ダンジョンにあった安全地帯と同じだ。


 この穴より先の道へ進めば加護が働かなくなるため、いつ魔物に襲われてもおかしくない。




『でも、最初にアタリを引いたのは運がいいわね』


「運がいい? 俺は大蛇に飲み込まれたんですよ!」


『アタリというのはそういう意味ではないわ。この道は出口へ続いているのよ』




 広場の外周には15個の道へ続く入口があった。


 ブランディアの説明によれば、15個の道の内で5個が出口へと続いていた。偶然にもカインが適当に選んだ道は、危険性はともかくダンジョンからの脱出を叶えられる道ではあった。


 残りの10個は壁に行き着いてしまうか、迷路のような道を迷った末に元の場所へ戻って来てしまうようになっていた。




「どうして、そのような構造になっているんですか?」


『それを私の口から教えることはできないわ』




 何かしら神のルールに抵触してしまうらしく口を噤んでしまった。




「ちなみに、さっきと同じようにこの道を進んだらどうなりますか?」


『もちろん同じ結果になるだけよ。説明に費やす時間が短くなったから、さっきよりも早い時間に来ているのでしょうけど、それでも魔物が待ち受けていることに変わりないわ』




 大蛇は何も知らずに通り掛かるのを待ち受けており、警戒していたところでカインの実力では成す術もなく食べられてしまう。


 同じ行動をしていては運命を変えられない。




「じゃあ、隣の道を進んでみることにします」


『そんな安直に……』




 カインが選んだのは隣にあった入口。




「どうせ虱潰しに探索するつもりだったんです。どの道が出口へ続いているのか尋ねたら教えてくれるんですか?」


『いいえ、それをするつもりはないわ。あくまでも神は力を授けるだけで、使徒を思い通りに動かすことはしないわ。何を果たすのかは、使徒の自主性に任せることにしているの』




 試練は与えるものの、試練に対してどうするのかは使徒次第。


 そういった方針であるため途中の出来事に対してアドバイスするつもりはない。聞かれた質問に対して最低限の解答を与えるぐらいしかしない。




「ま、少なくともさっきの大蛇と同じ魔物に遭遇するわけじゃないから安心できますよ」


『そううまくいけばいいけど……』




 ブランディアの声は隣にいるためよく聞こえていた。


 しかし、唐突に声が聞こえなくなる。




「あ、れ……」




 自分の口から声を発しているはず。


 けれども言葉を発しているのか、耳に届いていないだけなのか判断することもできなくなる。


 違和感を下半身の方から覚え、視線を下の方へ向けてみる。感覚が乏しくなるのは頭部そのものにも及んでいるらしく、頭を下へ向けるのも難しい。




「ぁ……」




 視線を下げて瞳に映ったのは、完全に石化した下腹部。それから徐々に石化する部分が広がる自分の体。石化した部分は自分の意思で動かすことができず、石化していない部分も動かすことに強い抵抗を感じた。




 石化。


 状態異常の一種で、生物の体を石のように固くしてしまう。




「なん、で……」




 どうにか最期の力を振り絞って正面を見る。


 すると、離れた場所から自分へ金色の光を振り撒く瞳を向けている人間サイズのトカゲがいることに気付いた。




 両者の目が合う。


 次の瞬間、カインの意識が完全に閉ざされた。




『それほど簡単ではないのよ』




 石化していた状態でもはっきりと聞こえてきたブランディアの言葉だけが頭の中に強く残った。




『次こそ頑張りなさい』






 ☆ ☆ ☆






「なんでだよ!?」


『ひゃ!!』




 思わず叫びながら立ち上がってしまい、事情を全く理解できていないブランディアが驚く。


 今の彼女はカインが回帰したことを知らず、まだ1回目だと思い込んでいた。




『……どうやら説明の必要はないみたいね』




 ただし、それもカインの反応を見て改めた。


 起き上がった時の反応が回帰について知っていた時のものだからだ。




「ああ、すいません」




 ようやくカインも隣にいるブランディアに気付いた。




「何があったのか教えるので知恵を貸してください」




 2本目の道を進んだ時に何が起こったのか説明する。




『石化の魔眼を受けたのなら、相手はバジリスクでしょうね』




 バジリスク。


 蜥蜴の姿をした魔物で、眼から相手を石化させる光を放つことができる。光を受けた場所にもよるが、体の中心に受けたのならカインの体を十数秒ほどで完全に石化させてしまうことができる。


 石化した者は死亡した訳ではない。肉体が停止しただけで、適切な処置を施して石化の解除に成功すれば肉体は機能を再び取り戻す。


 それでも加護によって、カインの体は死亡したと見做された。




「あの、世界が徐々に真っ暗になっていく光景……あれを思い出して体が震えだしてくる……」




 無意識のうちに両腕を押さえていた。


 痛みを感じることもなく、ゆっくりと死が訪れる。ケルベロスに襲われた時ほどの苦しみはなかったが、その時以上の恐怖があった。




『では、止めますか?』


「え……」


『全てを諦め、死を受け入れれば苦しむことはないわ。せっかく見つけられた使徒だけど、条件を満たす者は貴方だけでは……』


「冗談言わないでください」




 ブランディアの腕を掴むようにカインが手を伸ばす。もっともカインの目に見えているのは幻影であるため実際に腕を掴むことはできない。


 無意識のうちに体の震えが止まっている。




「こんなところで立ち止まるはずないでしょ」




 たしかに怖かったし、挫けそうにもなった。


 けれども、石化させられたぐらいで完全に挫けてしまうようなら最初から神の出す難題に挑戦などしていない。




「それに俺が諦めないと思ったから使徒に選んだんでしょう?」


『ええ、その通りよ』




 ブランディアの使徒に与えられる力は、あくまでもやり直す力だけ。


 途中で諦める人間では使徒失格だ。




『それじゃあ、ちょっとしたアドバイスぐらいはさせてもらいましょうか』




 バジリスクは非常に危険な魔物だが、石化攻撃を無力化する道具が存在しない訳ではない。冒険者の中にはバジリスクのように特殊な攻撃を持つ相手との戦いを想定して、特別な力が付与された道具――魔法道具を装備している者がいる。


 それに特殊攻撃が脅威なだけで、バジリスクの戦闘能力は高くない。


 準備さえしていれば恐れる必要のない相手。




「そんな道具は持っていませんよ」




 カインは簡単な魔法道具すら所持していなかった。


 石化攻撃を防ぐ術はない。




『だったら無理に戦う必要はないわ』




 バジリスクとの戦闘は避け、見つからないよう通り過ぎる。




「……無茶を言わないでください。あんな隠れる場所のない道でやり過ごせるわけがないでしょう」




 バジリスクと遭遇した場所は大きな岩が一つはあったが、隠れながら進む為に利用できる障害物はない。


 少しでも見られた時点で終わり……いや、やり直すことができるため『終わり』ではないものの先へ進むことができなくなってしまう。




『でも、前に見たことのある冒険者はやっていたわよ』


「……マジですか」




 それは探知能力に優れたスキルを持つ斥候が気付かれないよう接近し、音もなく洞窟を通り抜けた時の事だった。


 残念ながらカインに同じことはできない。




「無理です。俺にそんなことはできません」




 ちょっと頑張ったぐらいで習得できるようなら、こんな場所におらず、どこかのパーティで正式に迎え入れてもらうことができたはずだ。


 結局、何のスキルも得られなかったせいで荷物をしていた。




「今できることで乗り切りましょう」


『今できること?』


「確認ですけど、俺からどれくらい離れることができるんですか?」


『50メートルぐらいなら平気よ。ただし、それ以上離れてしまうと強制的に貴方の隣まで戻されてしまうわ』




 加護を与えた場合、使徒の近くで見守る必要がある、というルールが存在する。


 ブランディアも基本的に順守するつもりでいるためカインの近くから離れるつもりがなかった。




『まさか……』


「ここには15個もの入口があります。可能な範囲でいいので何があるのか見て来てもらえますか?」




 何が待ち構えているのか知らなかったため、無防備に石化の魔眼を受けることとなってしまった。


 少なくとも同じ失敗を繰り返さないようにしなければならない。

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