第2話 月の女神
ケルベロスに腕を食われたショックで気絶していたカインがゆっくりと目を開けていく。
『ようやく目覚めたわね』
聞こえてきたのは、気絶する直前に聞こえた女性と思しき声。
あやふやだった意識が徐々に覚醒していく。
「ここは……?」
洞窟内の広大な空間。
ゴツゴツした岩壁が遠くに見えることからかなりの広さがあることが分かる。
『体は大丈夫?』
「だ、誰だ?」
声の主を必死に探すものの近くには誰もいない。そもそも聞こえてくる声は耳に届いているというよりも、頭に響いているような不思議な感覚があった。
明らかに普通ではない。
現状を少しでも把握するべく必死に記憶を辿っていく。
「たしかケルベロスが現れて……うっ、腕が!」
気絶する直前に途切れそうな意識の中で見た自分の腕がどうなっていたのか思い出して、現在の状態を確認する。
そこには見慣れた腕が無傷な状態であった。
「あれ?」
夢だったのか。
そんな風に思ってしまうものの頭の中にある痛烈な記憶が夢ではない、と告げている。
なによりも……
『夢ではないわ』
頭の中に聞こえてくる声が現実だと肯定する。
『あの時、何があったのか覚えているかしら?』
「ああ。絶対に助からないから、せめて一矢報いようと思って持っていたナイフを口の中に突き刺したんだ」
相手の素性が分からないというのに尋ねられた事に対して何気なく答えてしまうカイン。自然と信用できる思いがあった。
ケルベロスの体は防御力の高い毛に覆われていて刃物が簡単に通らない。だが、毛に守られていない体内ならカインの弱い力でも傷付けるぐらいはできる。
致命傷にはならなかったものの、カインにとってはそれが限界だった。
「そこで俺は死んだはずじゃなかったのか?」
倒れたカインなどケルベロスにとって餌でしかない。
周囲の魔力を吸収して生きている魔物にとって人間を食う必要はない。人間は酒肴品のようなもので、食べることで快楽を味わうことができるし、場合によっては魔物の強さの糧となることもある。
カインを食べたところで強くはならないが、放置する理由もないはずだ。
『その先に何があったのかは覚えていないのね』
「それは……」
声が聞こえてきて、必死に手を伸ばしたことは覚えていた。
だが、それが今もこうしていられる理由に結びつかない。
「いい加減に姿を見せてくれませんか? せめてお礼を言いたいです」
状況を考慮して声の主が助けてくれた、としか思えなかった。
『貴方の前にいるわよ』
「え……」
カインが今いるのは広大な空間。
暗いせいで奥の方がどうなっているのか見ることはできないが、それでも広間の中央に銅像が建っている以外に何もないのは朧気ながら理解できた。
自然とカインの視線が銅像へ向く。
『そこよ』
吸い寄せられるように銅像を見ていると、銅像から今までに見たこともないほどの美女が浮かび出てくる。
柔和な雰囲気の女性。腰まで伸ばした蒼い髪、透き通るような白い肌、放漫な体がこの世の物とは思えない青と白のドレスを押し上げている。
銅像と同じ姿をした女性。ただし、色のない銅像と違って生気のある表情をしているため自然と視線が吸い寄せられてしまう。
神秘的な女性。
サファイアのように美しい瞳と見つめ合っていると、そんな感想が自然と浮かび上がっていた。
「女神……」
『あら、よく分かったわね』
口から零れてしまった女性への感想だったが、カインの言葉を女性は肯定した。
『私は「月の女神ブランディア」よ』
「月の女神……」
名前ぐらいはカインも聞いたことがあった。
この世界には複数の神がいる。祀られている神にもよるが、あまり民を抑圧することはせず、基本的には緩い感じだ。
月の女神ブランディアは、太陽神と同様に主神クラスの力を持っている。だが、信仰している人は少ない。
それ故にどういった神なのか広く知られていない。
その理由は……
「たしか加護を受けた人が少ない神なんですよね」
加護。
神から授けられた力で、スキル以上の力を発揮することができる。そのため加護を授かった者は教会から丁重な扱いを受けて迎え入れられる。
加護を授かる基準は不明。神の中には熱心に信仰する者に加護を与える者もいれば、容姿を気に入ったから与える神もいる。
そんな神の中でも『月の女神ブランディア』から加護を授かった者は歴史上に置いて数えられる程度しかいない。
『私の加護を授かるには厳しい条件があるから、簡単には与えられないの』
「条件?」
『レベルが1であり、スキルを何も持たないこと。私の加護を与える人間に不純物があってはならないの』
「その程度の条件なら他にも該当する人はいるはずです」
カインはスキルを持たず、魔物をどうにか倒してもレベルが上がらなかった。
また、ベテランの冒険者から剣術の教えを受けたことがあったが、どれだけ訓練しても多少の技能が身に付いてもスキルが得られることはなかった。
先輩冒険者や冒険者ギルドの職員から言われたのは、「才能がない」という非情な宣告だった。
ブランディアの言う条件なら子供でも満たすことができる。
『もう一つが重要なのよ。月の女神の力が封じられた聖遺物に近付くこと』
「聖遺物?」
神が人間を憂いて遺したと言われる力の宿った武器や装備の総称が『聖遺物』。
そんな貴重な代物に触れた記憶はカインにない。
『ここよ』
「ここ……」
ブランディアが地面を指差す。この広間、というわけではなくダンジョン全体を示していた。
『ダンジョンには神の力が宿っているわ。だから入った全員が聖遺物に触れた、と言えるんだけどレベル1でダンジョンに挑む馬鹿は滅多にいないわ』
カインも冒険者ギルドに何年も通っているから自分以外にレベル1で挑む人間がいないことを知っている。
見たことがあるのは、雇ったベテランの冒険者や専属の騎士に守られながら魔物を倒す貴族の子供ぐらいだ。最初は怯えていた子供だったが、レベルが上がってカインの姿を見つけると馬鹿にしていたため覚えていた。
『貴方は必要な条件を満たし、勇気を見せてくれたわ』
レベル1でケルベロスを前にすれば諦めるしかない。
だが、カインも一矢報いようと刃を見せた。それは物理的なだけでなく、カインの精神的な刃も見せていた。
ブランディアも条件を満たしたものの意地のない者に加護を与える気にはなれなかった。
「それは……」
『もちろん倒そうなんて思っていなかったのは知っているわ』
それでも生きようと足掻いたカインの事をブランディアは気に入ってしまった。
気に入った者がいれば信徒でなくとも加護を与えることがある。神の気まぐれとして知られる出来事だった。
『まあ、そういうわけよ。とにかく貴方は加護を授かったのよ』
「は、はあ」
『何よ、その反応は!』
「どうにも自覚がないものなので」
ステータスを確認してみる。
空中に投映された半透明な板には、カインに関する情報が記載されていた。
==========
【名 前】カイン
【年 齢】15
【レベル】1
【職 業】なし
【体 力】1
【筋 力】1
【速 度】1
【知 力】1
【スキル】月の女神の加護
==========
『本当に酷いステータスね』
神からも呆れられてしまった。
ステータスも神から与えられた力で、身体能力に応じた力が加えられる。だからこそ人間よりも強い魔物を狩ることができる。
はっきり言えば、カインのステータスでダンジョンに挑むのは自殺以外のなにものでもなく、これまで生き残ってこられたのは運がいいだけである。
「けど、女神さまが待っていたのはそういう人間でしょう?」
最後に見た時にはなかった――スキル。以前は『なし』と表記されていたのを覚えている。
それだけでカインには笑みが自然と浮かんでいた。
「それで、加護を授かった俺は何をすればいいんですか?」
加護は授かるだけで強力な力を行使できるようになる。
その力を使用して功績を残し、加護を授けてくれた神の名を広めている。
自分勝手な目的に利用している者もいるが、加護を授けた神から罰せられることはないため、善行をしなければならないという強制力はない。
『貴方には7つの試練を課すことにするわ』
「試練?」
『ええ』
ブランディアの人差し指がカインの額に触れる。
その美しい指に見惚れていると、ブランディアの言う『試練』の内容が頭の中に流れていくのをカインは感じた。
①ダンジョン脱出
⑦女神ブランディア解放
「ええと、7つあるはずなのに①と⑦しかないんですけど……」
『試練の内容は、来るべき時に教えることにするわ』
今は直面しているダンジョンからの脱出と女神の救出しか教えることができない。
「俺はどうするべきなんです?」
『貴方に選択肢があるとでも?』
「拒否した時はどうなるんですか?」
『加護が失われ、あるべき姿へと世界は戻るわ』
加護が失われる。現在地がどこなのか分からなかったが、ブランディアの言葉からダンジョン内だというのは理解できた。特別な力もなしに脱出するのは不可能だ。
そんなことは認められなかった。
死んでしまうことよりも、自分を利用して生き残った人間がいることの方が許せなかった。
「試練は受けます。その代わり条件があります」
『条件……そのようなものを提示できる立場だとでも?』
「その言葉が気に入らないなら、試練の途中で俺の要望も叶えさせるだけでいい」
『内容によるわ』
そこまで難しい条件を言うつもりはなかった。
「あいつらに罰を与えさせてほしい。たしかに荷物持ちで役に立たなかった。それでも仲間から囮にされて気分がいいはずない」
神の加護を得た者が復習を行う。
加護を与えた神として反対されるものだとばかり思っていたカインだったが、ブランディアの考えは予想外だった。
『ええ、それぐらいなら構わないわ』
「いいんですか?」
『私にとって重要なのは、試練の完遂よ。その過程で何をしようと干渉するつもりはないわ』
試練の最中は、試練を最優先にしなければならない。
しかし、試練に関りのない事においてはカインの自由にさせてくれる。
「で、加護を得た俺は何ができるようになったんですか?」
『それは進んで実際に体験してみるのが一番だと思うわ』
「あの……」
『なにかしら?』
「出口がどこにあるのか教えてくれないんですか?」
ブランディアは肩を竦めるだけでカインの質問には答えない。
この場所の暗闇にもようやく慣れてきた。
広場には15個の穴が存在していた。女神が出口へ進むべきだと言うのだから、どれかが出口に続いているのは間違いない。しかし、どれが出口に続いているのか全く手掛かりがない状況では判別することができない。
仕方なく虱潰しに探すことにする。
『あら、そちらは……』
とりあえず、すぐ近くにあった穴へと足を進めることにしたところ、ブランディアが反応を示した。
「何か?」
『いえ、一つ目で出口に繋がる道を選べたことに感心しているだけよ』
どこか含みのある言い方。それでも嘘は言っていないように感じ、正解を選べてよかったと喜んでいると……
「うわ……」
胴体が人間よりも大きな蛇の魔物が体を丸めて眠っていた。
閉じていたはずの目が開き、正面から目が合ったことでカインの接近に気付いた大蛇が体を持ち上げ、地面を滑るようにしてカインへ突進する。
「が……ッ!」
吹き飛ばされたカインが洞窟の天井に背を打ち付け、受け身も取れないまま地面へと落下する。
倒れたところで意識を失いそうになるが、どうにか気を強く持って意識を保とうとする。しかし、天井と地面に体を打ち付けた時の衝撃で体の至る骨が折れて立ち上がる力もなくなってしまっていた。
もう立ち上がることもできない。
「こんな、所で、また終わりなのか……」
倒れたカインへ大蛇の魔物が近付き、巨大な口を開ける。
次の瞬間、大蛇に飲み込まれてカインの体は消化された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます