付録3 錬金術から科学への変遷(補足)

 【付録の取扱いについて】

 付録では本編で扱いきれなかった理論や考え方について解説していきます。本編を読む上で必須な知識ではないので読み飛ばし推奨とさせて頂きます。つまり、作者の自己満足のための文字列です。悪しからず悪しからず。


 この付録では本編と異なり、時系列順に錬金術の遷移を追っていく。また、本編での歴史は一部史実とは異なっているため、本編と重複する事項が多々あることや、記述内容に相違があることを許してほしい。


 1. 錬金術新興以前


 錬金術が新興する以前、時代は古代ギリシャに遡り、哲学フィロソフィアの中に″自然哲学″という学術体系が存在した。この時代にはすでに、アナクシマンドロスによって第一原料アルケーの存在が唱えられている。この第一原質があらゆる諸事物の根源であると説いている。この第一原質がそのような元素なのかという点について、タレース(紀元前624年頃 - 紀元前546年頃)は「水」、アナクシメネス(紀元前585年 - 紀元前525年)は「空気」、クセノパネス(紀元前6世紀頃)は「土」、ヘラクレイトス( 紀元前540年頃 - 紀元前480年頃)は「火」、そしてパルメニデス(紀元前520年頃-紀元前450年頃)は両者の折衷で「火・土」であると主張し、議論されていた。これらの元素を統合した形で、所謂″四元素″に体系化したのがエンペドクレス(紀元前490年頃 – 紀元前430年頃)である。さらに、プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は『ティマイオス』の中で、これらの元素はさらなる上位元素の複合体であり、分解または相互転化すると考えた。この考えを基に、アリストテレス(前384年 - 前322年)が、上位元素を〝熱〟、〝冷〟、〝乾〟、〝湿〟であるとした。例えば、「火は熱と乾」の複合体であり、〝熱〟を〝冷〟に変換することにより「気は冷と乾」に転化出来ると提唱した。


 2. 錬金術の興り


 錬金術の興りは2世紀のエジプトと言われている。この時代にエメラルドタブレットがヘルメス・トリスメギストスによってもたらされた。このヘルメスの正体については諸説あり、ギリシャ・オリンポス12神のヘルメースである説や、バビロンやエジプトの実在した科学者あるいは医学者という見方もある。何れにせよ、この時代にAlchemy錬金術として体系化され、「ヘルメス文書」として残された。その中でも〝錬金術の12の奥義〟として、賢者の石の錬成法を具体的に記したのが、エメラルド・タブレットである。エメラルド・タブレットは、読んで字のごとく、エメラルドの板に刻まれた文書である。実物は現存していないが、アラビア語での複製が存在し、その内容は現在にまで残されている。以下はそのアイザック・ニュートン訳。


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 これは真実にして嘘偽りなく、確実にして最も真正である。下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくであり、それは唯一のものの奇蹟を果たすためである。万象は一者の観照によって一者に由って起こり来たれるのであるから、万象は一つのものから適応によって生じたのである。太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である。全世界におけるあらゆる完成の父はここにある。それが地に転じるならば、その力は円満となる。地を火から、微細なものを粗大なものから、非常なる勤勉さで丁寧に分離するがよい。それは地から天に昇り、ふたたび地へと降って、上位のものと下位のものの力を受けとる。この方法によってそなたは全世界の栄光を得、それによって一切の無明はそなたから去るであろう。その力はすべての力を凌ぐ。それはあらゆる精妙なものにも勝り、あらゆる堅固なものをも穿つからである。かくて世界は創造された。これに由って来たるところの驚くべき適応、その方法はここにある通りである。ゆえにわたしは全世界の哲学の三部を具するをもってヘルメス・トリスメギストスと称される。太陽の作業についてわたしの語ったことは完遂し畢る。


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 ヘルメス文書に始まり、エジプトでは、〝ホルスが昼夜を行き来する=転生を繰り返す〟という思想に端を発し、人間の輪廻転生延いては物質の循環を意識し始めた。その証左に、人体を防腐処理して保存し魂の帰還を待つという、ミイラ文化が存在した。また、ナイル川氾濫の恩恵によって水耕栽培が可能になっていたエジプト文明では、ナイル川氾濫の周期が生活に直結するため、周期性という観点が重要視され、その期間での物質の循環が直感的に理解出来ていたと思われる。

 ここで注意書きだが、ナイル川の氾濫によってエジプト文明が崩壊した例はない。どうやら、メル達の世界特有の事象らしい。


 3. 錬金術の分岐


 エジプトで深耕された錬金術であるが、その知識と知恵は国を跨いで伝播した。ひとつは所謂錬金術としてヨーロッパへ、ふたつめは錬丹術として中国へ、3つめは仏教思想の一部としてインドへ伝わっていた。同じ源泉を共有する学術体系であったが、それぞれの特徴を色濃くしながら成熟していった。


 〇金の錬成(物質の完成)


 錬金術という名では最も有名な学術体系と言えよう。術の完成基準は〝黄金の錬成〟である。一般的イメージでは、一攫千金を狙った研究の様に思われるが、そのような思想の錬金術師は〝鞴吹き〟ふいごふきと蔑称された。本来の目的は、〝金属を完成させることによって万物を完成させる手法を見通す〟ことであった。しかし、研究には先立つものが必要なのも事実。黄金の価値を餌に、貴族から融資を受けていた錬金術師は少なくない。

 錬金術の深耕に伴って、物質の対する理解が大幅に進んだ。例えば、染色(水銀を用いたアマルガム法等)、冶金(金属の物性調査に基づく金属加工技術の発展等)および薬学(人体の完成を目指した投薬的知見等)へ大きな影響を与えた。さらに時代が進むと、原子の発見、元素の発見、つまりは化合物という概念の創出によって、現在の化学分野での常識的な知識の基盤が出来上がった。しかし、それらの発見が黄金の錬成が困難であることを示すというのは皮肉である。


 〇不老不死(人体の完成)


 術の完成基準は〝不老不死〟である。仙術という神秘も錬丹術という区分から外れるが、錬丹術に端を発していると考えられる。錬丹術では三原質の理論が重要視された。三原質とは、〝水銀〟、〝硫黄〟、〝えん〟を差し、全ての物質はこの3つの組み合わせで生じるとされていた。現在の化学では、この理論が誤りであることが理解できるが、単位物質が存在する点については〝陽子〟、〝電子〟、〝中性子〟の存在との照応が際立つ。さらに、〝相反する水銀と硫黄を塩が結合させる〟という構造も、〝相反する陽子と電子を中性子が結合させる〟ことと照応する。ここで、水銀は〝人体〟、硫黄は〝魂〟、塩は〝精神〟と照応する物質であり、これに目を付けた錬丹術師は水銀の化合物または単体を服用することで延命を図ったとされている。かの始皇帝も、水銀を服用し、後に水銀中毒で没している。


 〇解脱(魂の完成)


 術の完成基準は″解脱″である。六道輪廻思想に基づき、生きることは修行であり、魂を完成させることで輪廻から解き放たれ仏となる。仏とは佛とも書き、これは゛人に非ざる〝という意味合いがある。つまり、人間(輪廻の中では様々な生物の形をとっているが)であるうちは輪廻から解き放たれないことを意味する。これを悟りと呼び、修験者の目標となっている。この輪廻・循環思想は、一度遠のいた錬金術に還元される。

 仏教の前身であるジャイナ教では、三宝に重きを置き、それぞれ、〝正しい行い〟、〝正しい信仰〟、〝正しい知識〟である。これらも、〝人体〟、〝魂〟、〝精神〟と照応している。さらに、宇宙には物質宇宙(非霊宇宙)と意識宇宙(霊宇宙)が存在しているとしており、人体と魂の関係に類似している。


 4. 現在にも残る錬金術の成果


 言わずもがなであるが、錬金術という形で成されていた研究が現代科学に与えた影響は大変大きい。寧ろ、現代科学の基礎は錬金術であるとも、それまで神秘であった科学現象を理解する対象として捉え始めた特異点とも表現できる。原子・元素の発見、遷移金属への理解、薬学の深耕またはアイザック・ニュートンによる重力の発見。近代科学は錬金術なくして存在しない。


 以上

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