第1章第9節 十二人の暗殺者

 メル達はドイツに向かっていた。それは、赫耀からの連絡を受けたから。


『メルかー? ……ホントに聞こえてんのか……。知り合いの練丹術師の解析だと、件の構成員はドイツ辺りから来た可能性が高いらしい。それ以上絞り込むのは難しいってよ。』


 この報告を受け捜索範囲をドイツに絞る。しかし、一行はある問題に直面していた。小人憑きに関する問題はまだ先の話。直面していた問題はもっと即物的なこと。


「小太りおじさんに貰ったお小遣い、どこ行った……。」


 路銀である。


「最近、エンゲル係数の桁が跳ね上がりまして。」

「桁が変わってたまるか……。」


 原因は2人。ベルとアダマスである。


「ほ、ほらっ! ナックさんの分も食べなきゃだし!」

「医者に食べ過ぎを指摘された妊婦の言い分みたいだな……。」


 アダマスは第一次性徴期。


「さいきん、ほねがのびるの。」

「伸びるようになったな……。縮んだりもするけど……。」


 このままでは、この研究室は財政破綻を起こしてしまう。解決策はひとつ。労働だ。


「小太りおやじめ。こうなることを見越してたな。先に言え!」

「こうしてても、カロリーを浪費すれどお金にはなりません。ギルドに行きますよ。」


 このような経緯から、ここロシア西部の街で仕事探しに勤しんでいた。幸いなことに難易度の低い、誂え向きな依頼が混み合っていた。


「逃げた猫探し……子守り……。」

「武道の稽古に……蜂の巣の駆除……。」


 各位、時間対報酬額が高い方からこなしていくことにした。


「この街の依頼を全部こなせば、ドイツまでは確実に行ける。だが達成に時間を掛ければ掛ける程報酬がカロリーに消えていく。この意味が解るな?」


 各々首を縦に振る。


「期限は3日、いいな!」


 研究室各員、作戦に乗り出した。アダマスは子守りに、ベルは稽古に、ウルは蜂の巣駆除に。メルは……。


「臨時ホールスタッフ大大大募集。です。」


 飲食店への向かった。



「え、えっと……あなたがシッター?」

「うん。あだますだよ。」


 ぬいぐるみが喋りだしたことへの驚きの峠を越えて尚、子守りとして遣わされたのが、そのぬいぐるみ。


「そ、そうですか。……本当に?」


 目の前のぬいぐるみは首を縦に振る。


「ままにおせわしてもらってたから、どうすればいいかわかるよ!」

「そ、そうですか。……本当に?」



 ベルは武術のお稽古。


「え、えっと……お姉さんが先生?」

「はい! ベルと申します!」


 細い腕に細い身体。ドレス姿に……可愛らしい。あまりにも武芸の先生のイメージとは掛け離れた容姿。


「そ、そうですか。……本当に?」


 目の前の少女は朗らかに微笑み掛ける。


「こう見えても私、強いんですよ! 本で読みましたから!」

「そ、そうですか……本当に?」



 ウルは蜂の巣駆除。


「ああ、貴方が蜂の巣を駆除して……。」


 訪れた青年の姿に違和感を覚える。特に何も携行していない。まさか、素手で蜂の巣を駆除するのか?


「はい。ギルドから依頼を受けまして。蜂の巣とはどこですか?」

「ええ、それなら彼方ですが……。お荷物とかはお忘れに?」


 青年は質問の意味と意図を計りかね眉間に皺を寄せ首を傾けた。


「いえ……忘れ物とかは特に……。」

「そ、そうですか……本当に?」



 メルは大衆居酒屋。


「おお! 君が臨時のスタッフか! 早速これに着替えてホールに入ってくれ!」

「本当に早速だな。これは制服か?」

「そうだ! あっちに更衣室あるから!」


 更衣室で手渡された制服を拡げる。シルエットはベルが着てるようなドレスに似ている。それよりもスカートのボリュームがある様な。そしてフリルがとても多い。


「これでいいのか……本当に?」



 アダマスはとても良いシッターだった。加えて、とても良い友達であり、とても良い兄弟であり、相棒だった。


「アダマス君! また明日ね!」

「うん! あしたはもっと大きいおしろつくろーね!」


 アダマスは泥々になりながら帰路に着く。骨組織の生成能力を発現させてから実施可能な作業が格段に増えた。知識はすでに書籍から吸収していたが、手先の技術が追い付いていなかった問題を解決した。料理は難なくこなし、掃除洗濯も見よう見まねで行った。


「アダマス君すごいんだよ! 料理とか掃除とか、でもね、僕も手伝ったんだよ!」


 その姿は彼の目には逞しく、また眩しく見えたのか、家事の重要さと労働強度を理解する助けとなった。


「今度、ママの手伝いもするね!」


 子供が成長する瞬間を垣間見た、そう感じて涙する依頼主。


 ベルは、一風変わっていたが、とても良い指導者だった。


「身体はただ力を入れて動かすんじゃなくて、屈曲・伸展、内転・外転、内旋・外旋、回内・回外って動かし方があって……紙に書くね!」


 ベルの教育方針は、まず座学による理想フォームの理解から。


「突きを出すときは、腕だけじゃなくて後ろの足の伸展と腰の内転、肩の外旋を意識して、巧く連動させて……。」


 解説しつつ人体図を書き記しているその横顔は麗しく、見惚れてしまう。意中の女性に振られた切っ掛けで一念発起して受けた武術の稽古。


「付き合えないかな……。」

「え? なんですか?」


 心の声が漏洩する。直ぐ様取り繕う。


「いえ! なんでもないです!」

「そうですか? じゃあ続きを……。」


 不純なベクトルであるが、彼のやる気は最高潮であった。


 ウルは蜂の巣駆除をそつなくこなす。


「さ。駆除終わりましたよ。」


 金属錬成を使って展性に富んだ細かい網状の防護帽を作成した。巣に程よく近付き同じ素材の網で巣を囲み、中の蜂ごと一網打尽にした。元来、繊細で丁寧さが必要な作業が得意である。方法が解っていればウルに苦戦する要素はない。


「それでは、次の巣をお願いします。」

「え? 次の?」

「はい。」

「何ヵ所あるんです?」

「数えてなかったのですが……30程でしょうか。」


 しかし、どうやら苦戦しそうだ。


 各々1日の労働を終えウルとベルとアダマスは、メルが働く居酒屋で夕飯に預かることにした。


「お師大丈夫だったかな……?」

「危険な作業ではないし大丈夫じゃないかな? 喧嘩とかしなければ。」

「まさにですが……。」


 件の居酒屋の前に到着した。何と無しに戸を開けた。


「お、お帰りなさいませ御主人さ……。」


 入るや否や、メイドの制服には似ているが、作業性よりも外観を優先した様な制服に身を包んだメルが出迎えた。表情は硬いというより諦観の色を滲ませている。


「お師……。」


 ウルが左手で顔を覆う。


「メルちゃん可愛い! メイドさんなの?」

「ままーおなかすいたー。」


 目を輝かせて衣装に目を移すベルとお腹が空いたアダマス。


「……空いてるとこに座れ野郎共ー。」


 0Kの様にメルの顔から一瞬で感情が失われた。左奥の4人掛けの卓に腰かける。料理は存外に美味しい。さらに加えて隠されない味が足される。


「もぇもぇきゅーぬ。」


 メルが早口で抑揚の無い声で詠唱する。両手で心臓の形をを象りながら、料理へと何かを照射した。


「おいしくなった気がする!」


 ベルは大満足でそう言ったが、メルの視線は冷たい。


「プラシーボ効果みたいなもんだろ。特に何の意味もない儀式的なもんさ。」


 シフトを終えたメルが食卓に合流した。


「よく怒りませんでしたね。それは偉いです。」


 ウルが顔を縦に振りながら讃えた。


「すごく可愛かったよ♪マーサも似た制服だったけど、もっとふわふわで可愛い! 毎日あの服なの?」

「そうだけど……まず店のシステムに違和感ないのか……?」


 この店は、客が主人あるいは令嬢となり、屋敷に帰ってくる、という設定になっているらしい。つまり客は自宅でメイドの世話のもと寛ぐという訳だ。


「極東のメイド服の一種らしい。伝統的な型よりかなり見た目重視だ。」

「私、朝とお昼もここで食べるね!」

「もう好きにしてくれ……。」


 そこに、メルを出迎えた、あの支配人が飛んできた。


「おお! 噂に違わぬ! お嬢さんお名前は!?」


 支配人はベルの方に手で示しながら質問した。


「わ、私ですか!? ベルですけど。」

「ベルさん! 名前まで可愛らしい! どうでしょう、この店で働きませぬか!? 報酬は弾みます故!!」


 自分の時との落差に苛つきを感じながらも頭の中の計算機を弾く。


「良いだろう。」

「メ、メルちゃん!?」

「但し、条件がある。」


 メルが悪い顔をし始めた。支配人も唯ならぬ雰囲気に構える。


「ほう。何なりと。」

「賄いを付けろ。腹一杯の。」

「お二人分で宜しいので?」

「構わん。」


 支配人は二人の体格を確認した。身長が小さく華奢な少女と、腕も身体の線も細い少女の2人。いくら多く見積もっても3人前。多く見積もってもだ。


「いいでしょう!」

「よし! 契約成立! 破棄は許さんからなぁー。」


 メルは支配人に向けて人差し指をくるくる回しながら、悪い顔で念を押した。ここでの会計を巧みに隠しながら。


「私、お稽古も付けなきゃなんだけど……。」


 こうして1日目が終わった。日払いであったメル、ベルとアダマスは報酬を受け取り収入に計上した。ベルの臨時スタッフを合わせれば計画通りならば路銀に事足りる。しかし、計画の中に不確定要素がひとつ。


「脱走猫の捜索。必ず見付かるとも確証が無かったから後回しにしてしまっていたが報酬額は魅力的だ。」


 受けた依頼内容が記された紙を1枚ずつ確認していく。


「さらに飼い猫が野生で生き残るのは難しいのが心配だ。自然の摂理や脅威に疎くなってるはずだ。そこで。」


 テーブルの上に拡げた依頼書から顔を上げる。


「本当は1日目早々に終わりそうだったウルに探して貰おう。1日空けられるか?」

「忝ない。蜂の巣なら半分は駆除しました。明日1日は猫殿を探しましょう。」

「ぼくもあしたお休みだよー。」

「よし、じゃあ2人で頼む。そんで、オレとベルはメイド居酒屋な。」


 こうして2日目の方針は決まった。


 そして2日目。メルとベルはメイド服を纏いホールへと出た。


「なんか恥ずかしいよぉー……。」

「ヒトん時はあんだけ絶賛してたのに。」

「それはメルちゃんに似合ってたっていうか……。」


 そこに支配人が飛んでくる。


「いえいえ、とてもお似合いですぞ! (本当は正規雇用したいところでしたが)あと2日宜しくですぞ!」

「あはぁ……はいぃ……。」


 そこに外から青年が飛び込んでくる。


「ベル先生!」

「あれ!? お稽古は午後から……。」

「先生が働いてると聞き……いえ、たまたま通り掛かったので、たまたま。」

「まだ開店してねーけどな。」


 開店前から盛況への期待値が上がっていく。


「ベルよ。ヒトの人生狂わせんなよ。」

「それ、どういう意味かな!?!?」



 一方、脱走猫捜索隊は2手に別れて捜索を行っていた。


「黒のこれくらいの猫らしいのですがご存知ありませんか?」


 ウルは目撃情報が無いか聞き込みをしていた。


「ねこのきもち。ねこのきもち。」


 アダマスは猫の心理を読み、猫が住み着きそうな場所を探していた。


「今時、黒猫飼う奴なんていたのか。気味悪いからさっさと捕まえてくれ。」


 ウルの聞き込みはそんな返答ばかり。元来、黒猫と烏という動物は魔女の使い魔の代表として有名である。大人災の折りには、これらを飼っているだけで魔女と断じられ火刑に処された例が多い。また、そうなる前に飼い猫を殺してしまう例も同じくらい多い。

 つまりは、その人災を経て黒猫を飼うというのは物好きのすること、とのレッテルが貼られている。


「逆に言えば、かなり目立つと思ったのですが。人里にはもういないのかな? それとも……もうすでに?」


 後味の悪い結末も視野にいれながら聞き込みを続ける。


「あ、そこのねこさん。くろいねこさん見なかった? これくらいの。」


 アダマスは猫への聞き込みを始めた。勿論、共通言語を持たないが、なんのなく雰囲気でボディランゲージを交えながら話し掛ける。


「ニ"ッ!?!?」


 猫に似た何かが話し掛けて来たことにより、驚きを隠さないながらも同胞かも知れないので無下には出来ず話を聞いてくれる野良猫。しかし、話を聴いても解らない。


「ねこことばをべんきょうしておけばよかった。こんどベルに教わろう。」


 アダマスは足を使った捜査に切り替えた。


 その頃メイド居酒屋では、近年稀に見る盛況振りを見せていた。そもそも、客の多い居酒屋だったのだが、臨時スタッフという触れ込みに加え、器量良しとの噂が広がったらしい。勿論、器量の中には朗らかな雰囲気も含まれている。


「こりゃあボーナスもんだな。なぁ支配人よ。」


 守銭奴の顔になるメル。


「永久就職になりませんか、マネージャー殿。」


 いつの間にかマネージャーと化すメル。


「そこは譲れないな。貴重な戦力だっていう前に、大事な仲間なんでね。」


 ウルとアダマスは合流していた。ウルの聞き込みは無駄骨に終わった。しかし、それで解ることもある。


「人気の無いところを探せばいいですかね。」

「ぼくも人がいないとこさがしたけどな。」

「そうですか。どの辺を探したか地図に起こせますか?」


 アダマスは周辺地図に印を付けていく。


「ふむ。僕が気を付けるように言った蜂の巣がある場所以外はおおよそ探していますね。となると、蜂の巣の近くを探さざるを得ないですね。」

「さされないようにしないとね。」

「そうですね。下に対刺用防護着を着ますね。アダマスは毒耐性はどうなのでしょう?」


 アダマスは物欲しそうにウルを見上げた。


「わかんない。ぼくにもきせて。」

「分かりました。」


 ウルは笑顔でアダマス用の防護服を錬成し、アダマスに着せてあげた。

 探索箇所は12箇所。その場の蜂の巣を駆除しながら黒猫を探すことにした。


「お、いましたね、スズメバチ。」

「どうやってすを見つけるの?」

「案内して貰います。」


 ウルは回遊していたスズメバチを1匹捕獲し、軽金属の糸を括り付けた。そのハチを放って尾行する。しばらく尾行を続けるとハチは藪の中へと消えた。


「ここですね。」

「おおー。」

「巣を煙で燻すので少し離れて。」


 ウルは燃えやすそうな木の枝を拾い巣の風上に集めた。それに錬金術で着火した。


「おおー。」

「僕も多少なら火を使えるんです。えっへん。」


 しばらく煙に晒すと、巣の中にはハチがほぼいなくなった。その隙に巣の詳しい位置を特定し、金属性の網を覆い被せた。


「はい、これでお仕舞い。」

「おおー。」

「生き残りが帰ってくる前に退散しましょう。黒猫も探さないと。」

「うん!」


 蜂の巣の駆除は順調に進んだ。対して、黒猫の捜索には何の進捗も無かった。


「そもそも、猫をあまり見ませんね。」

「あだますもふたりしか見てない。」

「まだ無事だといいのですが……。」


 蜂の巣は存在が判明しているものの中で最後の1つとなった。未だ黒猫の影は無い。


「さて。蜂の巣駆除完了、っと。」

「あとはねこさんだね。」


 ウルはふと、飼い主の情報を聞いていないことに気付いた。


「依頼主には時間の都合ということで会えていなかったですね。食の好みとか好きな環境を聞いていれば何か違ったでしょうかね。」


 それどころか、猫の名前、依頼主の名前すら知らない。何故、違和感を持たなかったのか。


「そう、黒猫。魔女狩りがちらついて違和感に気付きませんでした。」


 嫌な予感がする。いや、予感というより1つの仮説。


「アダマス。戻りましょう。黒猫なんて存在しないかも知れない。」

「そんざいしない? しゅれでぃんがー?」


 ウルとアダマスが顔を合わせて認識の擦り合わせをしようとした時、ウルの左脇腹に鈍痛が走った。


「うぐっ……!」


 横隔膜を押し上げられ声にならない叫びを上げる。痛みに耐えながら、短剣を錬成し背後に向けて振り抜いた。


「あれ? 刺さらなかったな。」


 短剣は空を切り、痛みも相まって後ろ向きに倒れそうになる。


「だ、誰ですか……?」


 未だ輪郭がはっきりしない敵に対し、消え入りそうな声で問い質した。


「訊かれてもなぁ。」


 軽薄な声と話し方、虚無な気配。黒い髪に黒い瞳。瞳は底に空いた穴の様な、穴の底から何かが覗いているかの様な不気味さが滲んでいる。


「そうか。ハチに刺されないようにね。失敗したな。正直に首とかにすれば良かった。それに、ぬいぐるみ? 1日目なら君もいないはずだったのに。」


 どうやら、始めからウルが暗殺対象だったらしい。


「残念でしたね。初手で決められなくて。対面戦闘はお得意ですか?」


 綿密に計画された奇襲を画策するということは、それ以外の戦闘は不得手である可能性が高い。


「へへへ。得意だったらこんなに苦労しないんですけどねぇ。」


 彼の言葉が事実かどうかは天秤に掛けるまでも無く信用に値しない。しかし、その言葉は本当らしい。


「なのでね。貰った玩具を使います。」


 彼は懐からブローチを取り出した。良く見ると薔薇の装飾。


「薔薇!? ローゼンクロイツか!?」

「いえいえ。雇われですよ。信じちゃくれないでしょうけどね。」


 男の広角が歪むほど上がった。


「さて、皆さん。生きて帰さないで下さい。」


 そう言った直後、巨大な体躯の小人憑きが4体現れた。彼の言葉に呼応した様に。


「小人憑きの使役? そんなことが……?」


 彼は何も答えず、昼下がりのまだ暗くもない茂みのなかに溶ける様に消えていった。


「アダマス! 戦闘態勢です!」

「ぎょい!」


 小人憑きは4体。胴体周りが4 mはあろうかと思われる。それに比例して四肢も太く逞しい。頭の形状から、それぞれ、牛、馬、虎、鹿の特徴が散見出来る。


〝TRANSIMULATION〟錬成起動


 ウルのバンクルに嵌められた輝石が光を放つと、バンクルから2頭の鉄槌が錬成された。ウルは鉄槌を腕や体幹を軸に回転させ、頭を加速させた。そして、その速度のまま、目前の小人憑きに叩きつけた。


「この手応えは……?」


 小人憑きは衝撃で後退するも、傷ひとつ負っていない。


「金属の展性によるものではない。とても衝撃吸収に優れている物質。ゲルの1種でしょうか。」


 ゲルとは、液体を分散媒として、それに不溶な分散質を高分散させた混合物の中で固体の性質が強いモノを指す。外力による変形によってエントロピーがする特異な物質で、エントロピー増大を駆動力に形を復元しようとする。その際、外力を熱に変換し放出する。分散媒と分散質の組み合わせによっては弾丸すら受け止め得る衝撃吸収性能がある。


「アダマス! 出来るだけ鋭利な骨を撃ち込んで下さい。」

「えいり?」

「尖ってるやつです!」


 アダマスは両手の人差し指を小人憑きに向けた。


「ほねてっぽう!」


 ライフルの弾丸の様に先端が鋭利な骨が破裂音と共に飛び出した。しかし、小人憑きに着弾すると呆気なく落下し裂傷には至らなかった。


「あれ? だったら……。」

「アダマス待ちなさ……。」


 アダマスは制止されるより前に小人憑きに接近し手先から鋭利な骨を突きだし小人憑きに突き立てた。しかし、この攻撃も効果が薄い。


「あれれ。」


 アダマスが自分の骨を見つめていると、小人憑きが両手を振り上げアダマスの頭上に振り下ろそうとした。


「アダマス……!」


 ウルはバンクルから盾を錬成し、アダマスと小人憑きの間に入り、これを受け止めた。押し潰そうと押し付けられる重量にウルが悲鳴をあげる。


「アダマス……増援を……呼んで下さい。」


 散り散りになりそうな声。


「でも……!」

「大丈夫ですよ……!」


 ウルは引き吊った笑顔を見せた。


「……うん。わかった。」


 アダマスは小人憑きの間を縫って戦線から離脱した。


「頼みましたよ。」



 小人憑きの攻撃は一方的であった。表面の厚く硬い皮膚と2層目のゲル状の衝撃吸収能に阻まれ、ウルの攻撃は無効化される。


「しかし、街に逃げ込むことは出来ない。なんとかここで押し留める。」


 ウルは振り下ろしを極力受けずに回避する。


「仕留めるとしたら皮膚の薄い箇所。でも関節部分でさえ槍が通らない。さらに皮膚が薄い箇所……。」


 存在するかも解らないモノを、小人憑きの猛攻の中で探す。そこで、小人憑きの1体が振り上げた腕を見上げた時に、その顔が目に入る。


「口が小さい。小人憑きはヒトを感染させるために口が大きい特徴があった。しかし、この個体達はその特徴が薄い。」


 観察結果から仮説が立つ。期待通り。または、戦闘用個体であり、感染させる能力を犠牲にしている、つまり、


「ギャンブルは苦手なんだけどな。」


 ウルは周辺の木を蹴り、小人憑きの背後に飛び乗った。そして、長い槍を錬成し小人憑きの顎から左足に向けて突き刺した。今までとは異なり槍は小人憑きに難なく埋まっていく。


〝TRANSIMULATION〟錬成起動


 ウルはさらに錬成を重ね、槍の側面から無数の槍を無作為の方向に突きだした。小人憑きの皮膚が中から押し上げられ、所々隆起した。声もなく脱力し前向きに倒れる小人憑き。


「当たりでしたね。」


 しかし、槍を引き抜く間も無く、小人憑きに薙ぎ払われる。軽々と吹き飛ばされるウル。肩が脱臼した所感がある。


「あーあ。また金属の在庫が減っちゃいましたよ。」


 手放してしまった槍に大した未練も無いにも関わらず呟いた。3体の小人憑きに囲まれる。同時に腕を振り上げる小人憑き達。脱出を諦め目を閉じた。すると、耳に轟音が飛び込んできた。


「いっ!?」


 油断した耳には大きすぎる音に驚きながら目を開けると、後方に大きく吹き飛んでいる個体、口から黒い煙が立ち上る個体、顔にアダマスが貼り付いた個体が視界に入った。


「間に合ったっぽいかな?」


 雷銀弩を構えたメルが傍らに立っている。


「ウルさん大丈夫ですか!? 肩がなんか変になってません……?」


 拳を握って此方を振り返るベル。


「よんできたよー。」


 振り払われ紙のように飛んでいくアダマス。


「はぁ、助かりました……。」


 我ながら情けない声が出た。


「おいおい。まだ敵性体は健在だぞ? 具合が悪いなら見学していなさい。さてと。」


 メルは周囲を見回した。暫くの間沈黙が流れた後、唐突に影の様なものが視界を横切った。メルは雷銀弩を脇腹辺りで構え、ベルと影の間を雷銀弾で遮った。その影は例の暗殺者。


「ちっ。ズルの奴か。」

「歴とした錬金術だ。お前の気配の方がよっぽど、どうかしてる。」


 男の口角が最初よりもさらに歪に吊り上げる。


「これは分が悪そうですね。帰ります。」

「ただで帰すと思うか!?」


 そう言うと、メルは雷銀弾を投射した。しかし、小人憑きが盾となり防いだ。


「さて皆さん。帰りますよ。」


 男が薔薇のブローチにそう語り掛けると小人憑き達が地面や周りの木々を薙ぎ払い視界を遮っていく。


「小賢しい!」


 メルが空気の渦を生じさせて視界を清浄に戻すも、敵影は認められなかった。


「逃げる算段も折り込み済みって訳か。」


 メルが溜め息まじりに呟きながら、雷銀弩をホルスターに仕舞った。


 街に戻りウルの手当てを行った後、猫探しの依頼主についてギルドに問い質しに向かった。


「そんな、窓口員の私に言われましても……」

「じゃあ他に何か情報ないのか?」

「ええ。ここに届いていたのはそれだけです……。」


 記載事項が不足していたところを鑑みるに、恐らく非正規に紛れ混まされた嘘の依頼だったようだ。迷い猫は存在しない。それは良いことだ。


兎に烏にもとにもかあにも、猫捜索の報酬は充てに出来なくなった。しかし、ベルのメイドボーナスがあるから、何とかなるだろ。」

「私、お稽古しに行くね!」

「おー。支配人には説明しとく。」


 ベルは信じられない速度で駆けていく。


「何者だったんでしょう。」


 痛む肩を支えながら、神妙な雰囲気でウルが切り出す。


「本人が言った通り、ローゼン・クロイツの日雇い殺し屋だったんだろ。それより小人憑きを使役してたのは驚愕だ。」

「ええ。これが生得的なのか、あるいは習得的なのか、考え方が大きく異なりますね。」

「それに、そんな精巧な設計が可能ってことだろ。今後、どんな小人憑きが現れるか。末恐ろしい。」


 メルが顎に手を当て考えに耽る。


「考えることばかり増えて、手懸かりが手に入らない……。」


 ウルとアダマスはクレイオスに、メルはメイド居酒屋に戻っていった。

 ベルは稽古に間に合った。今度は実践。棒を立て藁を巻いたものを仮想敵として拳を入れていく。


「勉強した通りに打ってみて下さい! 重要なのはイメージです。自分が理想通りの動きが出来ているのを思い浮かべて!」

「はい!」


 男は、ベルと恋仲になっている自分を想像した。


「いいですよ! もう少し肩の内旋を意識してみて!」

「はい!」


 稽古を経て強くなった自分を見て、ベルが自分に憧れを持つ未来を想像した。


「すごいやる気ですね! あれ? なんか鼻血出てますよ!?」

「はい!」


 稽古は今日が最終日。明日には此処を発ってしまうと聞いている。


「ストップストップ! ……き、聞いてますか!?」

「はい!」


 明日、この女性に恋を告げよう。


「……!? 倒れちゃった!? お医者様呼ばないと!」


 そして、この街での最終日。路銀の確保は目処が付いた。ウルは休養として、アダマスはシッター、メルとベルはメイドとして働いていた。

 その前に、支配人からの懇願があった。


「ま、賄いの件ですが……か、勘弁して頂けませんでしょうか……!?」


 前日の夜に、ベルが賄いと称して、その日の売り上げの半分を平らげた。原価的には赤字だ。


「やっぱりお腹いっぱいはよメルちゃん。いや、よ?」

「ふん。契約は契約だ。破棄は認めん。」


 守銭奴が帰ってくる。


「そこを、な、なんと、か……。」


 支配人の呂律がいよいよ回らなくなる。


「なんてな。さすがにやり過ぎた。脅かしてごめんな。賄いはそうだな。定価の7割とかにならんか?」

「それでいいんで……?」

「そんだけ引いてくれたら助かる。嫌なら定価でも構わんよ。」


 支配人の顔に赤色が戻ってくる。


「なら、5割にしましょう。これで7割ずつの譲歩ということで。」

「中々粋じゃないか。乗った!」


 商談も纏まった。そこに決戦に挑む男が駆け込んでくる。


「ベルさんいますか……?」


 肩で息をしながらベルを探す。


「はぁい。あら、いらっしゃいませ!」


 眩しい笑顔。これは自分にだけ向けられた笑顔、かもしれない。


「あ、あの。この後、すすす、少しお話したいのですが、お時間ありまむか……?」

「(お話? お稽古の復習かな? )うん! いいですよ!」


 この反応、イケる!


「こんにちはー。」


 そこに優男が現れる。そこの少女と同じ様な銀の髪。目が隠れる程長い前髪。


「ウルさん! もう動いて良いんですか!?」

「肩が外れただけでしたので。」


 ベルがその優男に向ける眼差しを垣間見て、男は悟ってしまう。


「なんだ、あんな顔もするんですね。」


 男の傍らにメルが近づき、こう言った。


「お前に奴は手に余る。人生壊されなくて良かった、そう思うんだな。」


 それを聞いて泣き崩れる男。


「あれ!? なんで泣いてるんですか!? 昨日から様子が……お、お医者様呼んだ方がいいかな!?」


 男は決意した。これからも武術頑張ろうと。


 さて、3日の労働で予定よりも多めの路銀を捻出出来た。単にベルによる予定外の収入によるものだ。


「ベル。また頼むぞ。」


 いつになく真剣な顔のメル。


「い、いやぁ……もう恥ずかしいかなぁ……。」


 ベルは乗り気では無いようだ。


「食費。」

「やります!!」


 気持ちで腹は膨れない。


「さぁ、行きますよ。そもそも急いでたんですから。」

「そうでしたそうでした。」


 一行はドイツに向かう。

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