二人でみた星空

チョンマー

第一夜

 布団にくるまりながら、スマホの時間表示を見た。深夜二時まで、あと五、四、三、二、一……。

 数字が一瞬のうちに変化し、深夜二時を示した。


 布団から飛び出して、枕元に置いていた財布をジャージのポケットに入れる。


 母親は寝入っているので、よほど大きな物音でも出さない限り気づかない。服は着替えず、そのままの格好でゆっくりと家の扉を開けて外に出た。夏の夜だし、人もあまりいないだろうから、いつもこうしている。


 真夜中の町は、街灯とアパートから漏れ出る光が頼りだ。とは言え、かなり頼りにできる明るさではあるけれども。


 目的地の途中でコンビニに寄り、飲み物を二つ買う。今日会う予定のお相手はオレンジジュースが好み。お相手のためにペットボトルのジュースを手に取り、僕は紙パックのコーヒー牛乳を選んだ。


「ポイントカードはお持ちですか?」

 という店員に財布からポイントカードを差し出す。毎回こうして買い物をするからポイントはかなり溜まっているはずだ。今度使ってみようか。

 袋に二つ詰めてもらい、お金を支払って、お釣りを受け取る。レシートは断った。


 コンビニを出て、目的地へと歩き出す。急ぐ気持ちの表れなのか、踏み出す足は早足になり、駆け足へと変わっていった。


 目的地というのは、町の中にある小さい山。頂上まで登るのに十分もかからない。ここの辺りに住む小学生はよくここを遊び場として利用している。無論、僕も小学生のころそうだった。


 夜の山はさすがに暗い。街灯も遠いので、記憶とスマホの明かりを頼りに登っていく。まあ、慣れたものだ。

 少し汗をかいたぐらいで頂上へたどり着いたところに、声がかかる。鳥が歌うように優しく、綺麗な声。


「あら、待ってたよ小池君。オレンジジュースはちゃんとあるのよね?」

「もちろんだよ、晴菜」

 そこには、暗くてよく見えないが、確かに声の主がいた。


「それじゃあ、今日も話をしようか。この星空でも眺めながら」

「そうだね」


 草原に二人寝転んで、空を見上げた。そこには、淡い光に包まれた星々が今日も僕たちを照らしているようだった。


 今日も、朝が来るまで二人で語り合う。

 毎週土曜のこれは、もう二ヶ月は続いていた。



 スマホのホームボタンを押すと、時間は二時二十分だった。大体この頃に、彼はやってくる。

 草を踏み分ける物音で、私は後ろを向いた。ほら、やって来た。


「あら、待ってたよ小池君。オレンジジュースはちゃんとあるのよね?」

「もちろんだよ、晴菜」

 いつものジャージに、コンビニの袋。それが、彼がここにやってくるときの姿だった。


 顔が見えないから、彼じゃなくて別人の可能性だってあったかも。まあ、こんな真夜中にこの山を登ってくる人なんてそうはいないだろうから、多分大丈夫。


「それじゃあ、今日もお話をしようか。この星空でも眺めながら」

「そうだね」

 私が寝転がった隣に、彼も寝転がった。


「今日ね、学校で嫌なことがあってさ、ホント勘弁して欲しかった」

「何があったの」

「いやさ、現社の授業でだいぶ前に小テストがあってさ、しかも突発的に、何の予告もなしにだよ」

「ほうほう」

「もちろんクラスのほとんどがまともに点数取れなくて、それで、先生が怒って再試をやるって言ったのよ。今度はしっかり復習しとけーとか何とか言って。それが一か月前。今日、また急に再試受けさせられた」

「あーあーなるほど。そんで、結果は?」

「もちろん皆、ぼっろぼろ。その結果を受けて先生ガチギレしちゃって、授業丸ごと説教だったよ……」

「うわぁ、お疲れさん」

「ひどくない! 一ヶ月も空いていたら皆、もう忘れたのかなとか考えるでしょ、ふつー!」


 少ししゃべりすぎて、口の中がからからになったので、オレンジジュースを口に含む。飲んでいる最中にさっきの話のことを思い出して、ちょっといらいらが戻って来た。


「ねえ、そっちの学校はどう? むかつく先生とかいる?」

「僕のところには……そうだな、正論ばっかりで、確かに正しいけどむかつく、みたいな先生はいるな」

「ああ、分かる! 言い返せないのがむかつくよね。悪いのはこっちなんだけどさ」


 声を荒げすぎ……だなんて、言った後で考える。人気のあまりない夜だと、咎めてくる相手がいなくて、自然とこうなってしまう。


「それじゃあさ、今日は互いの学校の先生たちの愚痴り合いとかしよう。私なんか、他にもいっぱいネタがあるんだから」

「うん、乗った。僕にも色々先生への愚痴はいっぱいあるし」


 今日も話が弾み、夜も更けていく……。

 きらきらと輝く星の集まりが、私たちを照らしていた。



「そろそろ、朝になるな」

 先生についての愚痴り合いや、友達とのやり取り、そうしたものを二人で話しているうちにもう二時間は経過していた。


「……そうね、帰らないとね」

 彼女はすくっと起き上がり、そのまま歩を進めていく。

 僕が登ってきた方とは反対方向、山を挟んで、向かい側が彼女の住む町だ。


「それじゃ、また来週」

「また来週」

 僕もコーヒー牛乳の紙パックをビニール袋に入れて、帰路に就く。それほど帰りたいというわけではないけれど、寝床はあそこにしかないから、仕方がない。


 道中、コンビニでごみを捨ててから、家に帰った。もちろん、母親は寝ていて、家の中は真っ暗だ。寝つきがいいのは本当に助かる。これまで一度も気づかれたことはないのだから。


 ――父さんが亡くなってすぐじゃ、こんなこと、あり得なかっただろうな。

 父さんが亡くなってもう十年だ。さすがに、母親が毎晩涙を流すようなことはなくなった。一時期は本当に荒れていたから、夜遊びがばれたらどうなるか、想像に難くない。


 ――まあ、全部僕が悪いんだけど……さ。

 ふと、記憶がよみがえる。

 十年たった今でもはっきりと思い出せる。

 父さんは、交通事故で亡くなった。その時事件にあったのは父さんだけで、僕ら二人は家にいた。父さんが死んだ報せを受けて、二人で嘆き悲しんだ。一生分の涙を流すぐらいに泣いた。だけど、それだけですまなかった。


 母親は、父さんを失った悲しみ、怒りを全て僕にぶつけたのだ。それは、暴言であったり、暴力であったり……様々だった。

 今では、そうした様々が僕にぶつけられてはいない。とはいえ、母親は、実の息子に対して行った仕打ちに申し訳なさを感じているのか、それとも、今でも僕に対してそうした負の感情が残っているのか……僕と一切関わりを持とうとしなくなった。僕も、関わろうとしなくなった。


 僕の家に、もう、居場所なんてないのだ。


 もはや、寝るための場所でしかないと思っていたので、ほんの気まぐれで夜遊びに外に出かけたら、出会ったのが彼女だった。


 ただ、家に居たくないだけで、気まぐれで近づいたら、話しかけられて、いつの間にか話が弾んでいて、気が付けば、毎週のように会っていた。


 学校の友人とは少し違う感じのこの関係が、僕は好きだった。他の人間が寝静まっている真夜中という空間を共有しているという、連帯感、みたいなものに近い気がする。


 ――さすがに、もう寝ようかな。

 少し、目は冴えているものの、起きてきた母親と対面は避けておきたい。母親には僕が寝入っている間に仕事に行ってもらわないと。


 もう、ぬくもりの消えていた自分のベッドにもぐり込み、目を閉じた。



 朝、強くなってきた日差しで目を覚ます。

 私は布団から起き上がり、シーツと布団をベランダに干した。


 リビングに移動すると、そこには閑静な空間が広がっていた。それも当然だろう。何せ、私の親はここ数週間家に帰ってきていないのだから。


 十年前、私はこの家に引っ越してきた。

 理由は、両親の仕事の変化。

 今までとは大きく変化し、仕事が忙しくなりそうだということで、仕事場になるだけ近い場所に引っ越してきたのだそう。


 しかし、仕事量の多さは、通勤時間を減らすだけでは足りなくなったようで、今では仕事場に泊まり込みをするレベルだ。それが、両親二人とも。家には私一人が取り残されることが多くなった。


 それをふまえて、私の母親がとったのは、私が一人でも暮らしていけるように、私に家事を教え込むことだった。「あんたがしっかりできる様にならないと、私がお仕事できないの!」が口癖だった。


 家族の団らんみたいなものは、そこにはない。父親は休日も家に帰ってくることなんてほとんどなかった。ましてや、家にいたとしても私に構ってくれることはない。私が、母親から家事を教わるのをただ見ているだけ。


 家事ができるようになると、もう二人が家に帰ってくることはめったになくなった。

 たとえ、家に帰って来たとしても、寝るか、家でも仕事をするか。私のことはそっちのけである。


 家には、もう、私の居場所がなかった。


 朝も、昼も、夜も、家では一人。だったら、外に出た方がまだましかと、外に出てただ気晴らしに、山の中を歩いていたら、私に近づいてくる人がいた。彼だった。


 きっかけは、ただ家に一人でいたくなかっただけだったのに、いつしか、彼と出会い、話し、また会う約束をして、今日にまで至っている。


 私は彼との、この夜のやり取りは存外悪くないと思っている。

彼には、どこか親近感を感じている。それが何なのか、よく分からないのだけれど。


「もうすぐ、夏休み、か……」

 私たち学生は夏休み、だけど、大人たちにはそんなものもない。というか、あの人たちはお盆休みすらあるのかも怪しい。


 夏休みの学生は、そこそこに忙しい。バイトをする子もいれば、部活に勤しむ子もいる。中には予備校に通う子もいた。そうしたことをやっていない私は、途端に暇が増えてしまう。友人たちの暇を見つけて、遊びの約束を取り付けるのも難しい。


「夏休みが憂鬱な学生って、私ぐらいじゃないかなぁ。はぁ……」

 ため息は、一人の家ではよく響いた。

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