産休の申請

そうざ

Apply for Maternity Leave

「失礼します!」

 大柄な局員がノックと同時につかつかと入室して来たので、ぼんやりと窓下そうかを眺めていた局長は小柄な体躯を縮めて身構えた。

「〔産休〕の申請に参りました!」

「あぁ……」

 やっぱりそれか、と局長は思った。嫌な予感が当たってしまった。

「希望期間は、明後日みょうごにちから参箇月間――」

「実はね」

 局長が言葉を遮るように言った。

「今月、我が局の〔産休〕申請者は君で百人目なんだ」

「遅れを取りました!」

「既に全員、受理したが――」

 ここで突然、局員がの体勢になったので、局長は思わず身を震わせた。

「労務総動員法要綱第3条九号! 生産局の全局員は等しく〔産休〕申請の権利を有す!」

 釈迦に説法でしかない局員の暗唱を、局長は何とか押し留めた。確かに好きな時期に好きな期間だけ自由に〔産休〕を取得出来る制度はあるが、流石に一割もの局員が一斉に現場を離れるとなれば、今期の目標生産数の達成は絶望的だ。大戦の長期化は必至と目される今日こんにちに於いて、それは何としても避けなければならない。

「時局は切迫の一途を辿っている」

「承知しております!」

「となれば、生産増強は急務だ」

「承知しております!」

「君ねぇ、解ってるんなら――」

わたくしは数え拾陸じゅうろくの年に入局して以来、勤続弐拾にじゅう年、非力ながらも生産に邁進し、今日こんにち迄、一度たりとも〔産休〕を申請せず、滅私奉公を旨に努めて参りました!」

「それは、実に局員の鑑である」

しかながら、全局員が生まれ乍らに保有する所の権利を行使せぬは、御上おかみに依る無比の御慈悲いつくしみないがしろにするも同然と解するに至りました!」

 局長は目眩と既視感とを同時に覚えた。今月に入って九十九回、申請希望者と同じやり取りをしているのだ。

 御上おかみを盾に主張されては、ぐうの音も出ない。それとも、崇拝教育の確実な浸透と解釈すれば、寧ろ良い傾向と見るべきか。独裁と民主との均衡は極めて難しい課題だ。

「……受理する」

「有り難う御座います!」

「念の為、言っておくが……くれぐれも生産品プロダクトを持ち帰らぬように」

「は?」

「近頃、不心得者が多くてな」

 由々しき事に、局員に因る窃盗事件が後を絶たない。勤労奉仕を旨とすればする程、生産品プロダクトに或る種の愛着が湧いてしまうらしい。

「一日も早い現場復帰を切に願う!」

「はっ! 今後とも不退転の決意で臨みます!」

 局員は、自ら手掛けた生産品を胸にいだきながら、きびきびと回れ右をして退室した。

 局長は再び窓際に立ち、雄大な生産牧場プロダクティヴ・ファームを眼下にした。千人からなる局員達が同時多発的に新たな生産品プロダクトを産み出して行く。

 その片隅で、いまがた退出したばかりの局員が生産品を製造ラインに送り出そうとしていた。

 しかし、中々手放そうとしない。見兼ねた他の局員が代わりに生産品をベルトコンベアに載せた。

 そこに、滔々とうとうと〔産休〕を申請した女の姿はなかった。

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