36 再会、そして皇太子たちの物思い
「よい……しょ、っと」
重い鉄蓋をゆっくり持ち上げ、ノアは上半身を地上に出した。
ここは街外れ、ラデウム住民の憩いの場になっている広大な花畑を有する公園。その公園の雑木林を抜けたところから神殿の丘への階段が始まる。
ノアが身を乘りだしたのは、まさにその階段の脇だった。
白い階段は丘の傾斜に沿って上まで続く。神殿に礼拝に来る人々は『信仰の階段』を呼んだ。
ここを踏みしめてのんびりと昇る人もいれば、階段や途中の踊り場にある魔法円から魔法で上まで運んでもらう人もいる。
階段を昇っていたノアはふと振り向いた。大地を軽やかに蹴る獣の足音が近付いてくる。
「アル! レオ!」
月明りの下を駆けてくる二頭の美しい獣。白銀と黄金の毛並みが夜闇を走り、あっという間にノアのところまでやってきた。
*
ノアが白亜の階段の途中で大きく手を振っている。
(よかった……!)
ちぎれんばかりに手を振る小さなシルエットに、アルはこれまで感じたことのない安堵と温かな気持ちに満たされた。
瞬間、アルの脳裏に先刻のことが思い浮かぶ。
(さっきは危なかった)
ノアだと思っていたものが魔物だと気付いて、とっさに変身したのだ。
魔物は
(しかし……)
もしもあれが本物のノアだったら、自分は同じことをしなかったと言えるだろうか。
(し、しないさ。だってする理由がない)
身分上、女人にたぶらかされて傾国の王にならないよう、欲望をコントロールする術は身に付けているし、夜伽の相手は望めばいつでもいる。衝動的にああいうことをする理由はどこにもない。
(僕はノアのことを……いや、そんなことはない。国のためにお飾りの妃にする聖女だよ? ちがうっていうのか?)
手を振るノアを目指し、アルは自問自答を繰り返していた。
*
ノアの姿を見た瞬間、軽い怒りが沸いてくる。
(心配かけやがって)
しかし、大きく手をふる華奢な姿に、これまでにない安堵と愛おしさが溢れてきたことにレオは動揺した。
(俺としたことが)
何かがおかしい――あの時、ずっと頭の片隅で思っていたのに抗えなかったのは、相手が魔物だったからだ。
生気を吸い取られかけて
(……だが)
もしもあれが本物のノアだったら、自分は同じことをしなかったと言えるだろうか。
(……する理由がないだろう)
身分上、女人に操られる王にならないよう、その手の教育は受けているし、現在でも夜伽を希望する侍女は後を絶たない。そういう欲望はコントロールできるしその自信もある。
(それとも俺は、ノアに何か特別な感情でも……いや、そんなことない。あるはずない。利用しようと思っている聖女だぞ?)
そのはずなのに、確かな否定ができない自分にレオは戸惑った。
*
『『ノア! 無事だったか』』
「うわーんよかったよう、やっと会えた!」
はたから見れば「少女に食らいつく巨大な二頭の狼の図」だ。
しかし本人たちは心から再会を喜んでいた。
喜んでいたのも束の間、ノアは姿勢を正して二人に頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
二頭はきょとんとしている。
『ノア?』
『なんだ、どうした』
「あたしがアンナのことで腹を立てたりしたから……大人げなかったわ。ほんとに、ごめんなさい」
『大人げないのはしょうがない。おまえは、俺たちより年下だろう』
(いや、実は永遠の23歳だけどね)
と心の中で苦笑するが、今はそういうことにしておいてもらおう。
『それより、ノア追われていたよね? まだ街にいるものだと思っていたけど……どうやってあの包囲網をくぐったの?』
『それは俺も聞きたいな』
自分と同じ背丈ほどもある二頭の狼に、ノアはドヤ顔で胸を張った。
「ふっふーん、
『地下水路?』
『そうか、オルビオンの地下水路のことは聞いたことがある。オルビオンの地下には、地上の道と変わらないほど整った上水道が通っているってね』
『それで、街の中心からここまで見つからずに来れたのか』
「そういうこと。
『なるほどな……で、その竪琴はなんだ』
二頭のしっぽが嬉しそうに揺れる。
それを見て、ノアは胸がきゅんとした。
(アルもレオも、竪琴の音にあんなに癒されていたもんね……)
昨夜のことを思い出してつい弾いてやりたくなる。
「弾いてあげたいけど……見つかっちゃうわ。それに実はあたし、アルとレオが来る前に一人で大神殿に忍びこんで、魔法の竪琴を持ち出そうと思ってたのよ」
『ええ?!』
『無茶な。何か良い策でもあったのか』
「いや、その……行ってから考えようかなあ、って」
『ノア……』
『聖女のくせにいい加減だな』
二頭に呆れられ、ノアは慌てて付け足す。
「っていうか、もちろん、あとでアルとレオに助けを求めるつもりだったよ! 神殿の丘に来たのだって、アルとレオに連絡するためにエルメスを呼ぼうと思って来たんだから。昼間、街で鳥笛使ったらちょっと……ちょっとだけたいへんなことになったからさ」
いやいやちょっとだけじゃないだろう――人買い商人の大乱闘を目にしていたアルとレオは即座にそう思ったが、そのツッコみは今は心にしまっておくことにした。
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