18 そして夜は更けていった。


「どういうことですかっ」


 樫の木のテントの外側で、トレスは白狼に詰め寄った。


「いきなりいなくなったと思ったら聖女と……モームの皇太子もいるなんて! ていうかこれは僥倖ぎょうこうといえばいいのか、危地きちと言うべきなのか」

「竪琴なんだよ」

「はい?」

「最初に、竪琴の音が聞こえたんだ」

「はあ」

「この身に巣くう呪いの痛みを和らげるため、僕はあらゆる薬と竪琴の音色を試してきただろう?」

「はい、それはもう」

「けれど、どれもあまり効果はなかった。竪琴の音色は薬よりは効果があるということがわかったくらいだ。けれど、ノアの弾く竪琴の音色は違った」

「そういえば……」


 そこでトレスはふと気付く。狼男になると――特に満月の晩は――身体中の痛みで苦しむあるじが、今は平然としている。


「もしかして、聖女の竪琴の音色が作用したのですか?」

「そのようなんだ。遠くから聴こえた時点で、普通の竪琴の音色とは全然違った。近付くにつれて、はっきりとわかった。ノアの奏でる竪琴の音色は、飛躍的に僕の痛みに作用する。まるでこの身体から呪いを取り除いてくれているみたいに」

「そうでございましたか……。だから、聖女の提案に乘られたのですね?」

「い、いや、それは実は……」


 アルフレッドはノアが白い伝書フクロウを呼んだ展開を話した。


「なんという! 聖女ともあろう御方が脅迫ですか?!」


 アルフレッドは顔をひきつらせた。ほんとうに。あの白い伝書フクロウを肩に乗せてにんまりしたノアは、聖女というより悪魔だった。


「まあそういうわけで聖女の提案に乘った形にはなっているが、もちろん我らの利も考えてのことだ」

「さすがアルフレッド様」

「呪いを解く方法を探しだす、なんて御伽噺おとぎばなしみたいな展開を信じているわけじゃない。でも、聖女の竪琴は確実に僕の痛みを癒してくれるし、どうせ聖女を連れて帰る予定だったのだから行動を共にした方がいい。邪魔者に横取りされないためにも」


 翡翠玉のような目が動く。樫の木のテントの中では聖女が爆睡している。その向こう側、樫の木が編んだ枝を透かして、大きな黒狼とその黒狼に何やら熱心にささやいている巨漢が見えた。


「聖女は追放された身だ。どうせそう長くオルビオンにはとどまれない。タイミングを見計らってモームのすきを突き、聖女をブランデンへ連れて帰ろう」

御意ぎょい



「どういうことでございますかっ」


 樫の木のテントの外側で、マルコスは黒狼に詰め寄った。


「突然、行ってしまわれたと思ったら聖女と……ブランデンの皇太子もいるなどと! これは幸運なのか、修羅場なのか、判じかねますぞ」

「竪琴だ」

「は?」

「風に乗って、竪琴の音色が聞こえた。それをたどったら、聖女にたどり着いた」

「なるほど、竪琴の音色はレオナルド様の呪いの痛みに効きますからな」

「それが、ただ効くのではない。普通の竪琴とはレベルが違う。痛みが完全に消えるのだ」

「そういえば」


 マルコスは気付く。いつもなら、のたうち回るほどの痛みに苦しむ満月の晩に、こんなに皇太子が穏やかだったことはない。


「なるほど。だから聖女が呪いを解く方法を探すという提案に、賛同されたのですな」

「いや、それがだな……」


 レオナルドは苦々しい表情で――狼なのでそんなに表情に違いはないのだが――ノアが白い伝書フクロウを呼んだ時のことを話した。


「なっ、なんですと?! 聖女ともあろう御方が、レオナルド様を脅すなど言語道断!!」

「まあ落ち着けマルコス。そう悪い話でもあるまい。呪いを解く方法を探すなどというメルヘンな話を信じてはいないが、聖女の竪琴が俺の痛みに効くことは間違いないし、どうせ連れて帰るのだ。一緒にいた方がいい。同じことを考えているやからに持っていかれないためにも」


 紫水晶のような目が、ちら、と動く。聖女がいびきをかいて馬に寄り添って寝ている向こう側、白狼と文官風の優男がなにやらひそひそと話している。


「どうせ聖女は追放の身だ。そう長くはオルビオンにいられないだろう。機会をみて、とっとと聖女を連れてモームに帰るぞ」

「ははぁっ」


 こうして、ノアが涎を垂らして爆睡している両側で、狼主従しゅじゅうは今後の算段を考えていたのだった。





 次の日。


「ん……」

 気が付くと、ノアは地面に転がっていた。マロンは水を飲みに行ったのだろう。


「なんか、あったかいわ……」


 寝ぼけた頭で周囲を見る。


 ノアの傍で焚火たきびが赤々と燃えている。

 そしてその傍に、二人の青年が無言で座っていた。


(だ、誰?!)


 二人は揃って、控えめに言って超絶美形だった。


(この世界ってみんな外人風でイケメンだけど、この人たち格がちがうわ!!)


 金髪の青年は繊細に整った顔の造りで、白いシャツがよく似合っている。黒髪の青年は、長めの髪を一つにまとめ、精悍な稜線の顔と褐色の肌色に黒いチュニックが映えている。


(……もしかして)

 ノアは布団代わりにしていたローブを引き寄せ、おそるおそる口を開いた。


「お、おはよう。アル、レオ」


 二人が一斉に顔を上げる。


(やっぱりーっ)


 ノアを見つめる金髪青年の翡翠玉の双眸。黒髪青年の紫水晶の双眸。

 それらは間違いなく、昨夜の白狼と黒狼のものだ。


「おはよう、ノア。お茶はどう?」

「聖女のくせに起きるのが遅いな。早く朝食を摂れ」


 次々と言われてノアは面食らう。


「す、すみません」


 思わず謝ってもぞもぞと焚火の前に座れば、右から湯気の上がったカップが、左から火で温めたパンが差し出される。


「あ、ども」


 狼、もとい皇太子たちに差し出されたものを素直に受け取り、口に入れる。

「美味しーい」

 旅用の金属カップのお茶は香り高く、パンはチーズが解けて香ばしく焼けている。

 ひとしきり食べたあと。そういえば、とノアはふと二人を見た。


「どうしてアルとレオは、慌ててトレスさんとマルコスさんを呼んだの?」

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