第43話



『冬真!助けてくれ!苦しい!』



悲痛な声に冬真はスマートフォンの通話を終えると光に捕らわれたトミーの方を向く。


そこには足だけに絡んでいた手が膝上まで上がってきて、トミーは必死にあらがっている。



『もう術が発動しています。僕にはどうすることも出来ません』



それだけ言うと再度朱音の側に来てしゃがみ、既に拘束は解けたのに倒れたままの朱音の上身体を起こして床に座らせると手を差し伸べる。



「痛みますか?」



やっと日本語で声をかけられたのに朱音は呆然と冬真を見上げ、冬真はそんな朱音を見て少し目を伏せると立ち上がり、再度トミーの前に来た。


トミーは涙を流しながらただ目の前の冬真を見ている。



『君は娘を裏切ったのか』



娘は幼い頃から冬真に想いを寄せていた。


日本の文化が好き、日本が好きだと言っていたのは、冬真との繋がりを持つための娘の健気な行為。


一族の中でも美しい容姿、ずば抜けた才能、男女問わず冬真に夢中になる者は多く、その中で彼の側にいられる関係を保つために娘は日本のことを尋ね、彼も穏やかに答える二人のその姿は微笑ましかった。


いつか娘の思いが実って大切な一人娘の結婚式に立ち会えたなら、自分が年老いて死ぬときに若くして亡くなった妻に胸を張って天国に会いに行ける。


だが娘は好きな男が関わる国で殺され彼の冷たい表情を見たとき、あぁ娘を愛していたのだ、きっと彼はお前の無念を晴らしてくれると信じていた。


なのに。


なのに目の前の美しい男は何もせず自分を見ている。


この青い瞳のように冷たく感情が無いからこんなにも美しくいられるのだ、なんて恐ろしいことなのかとトミーは唇を噛んだ。



「冬真さん」



朱音の声に冬真はゆっくり視線だけを向け、



「トミーさんを助ける方法は」



訴えるようなその顔に、冬真は首を振る。



「ありません。悪魔を召喚するための材料になっています。


既に契約が結ばれた以上こちらは何も出来ませんが、ここに悪魔が出てくることは無いので安全です。


しかし魔術師が契約途中で逃げたのですから、その悪魔がこの後どう行動するか興味はありますね」



朱音は冷たく古びた木の床にしゃがみ込んだまま冬真を見上げる。


こんな状況でも魔術師としての興味が勝っている、その事に朱音は怯えた。


顔を動かせば少し先の円柱形の中で、トミーが項垂れ涙を流している。


朱音は無意識にパンツのポケットに手を入れ、じゃらっとした鎖と冷たい石に指が触れた。


朱音はそれを取り出し見つめる。


ラブラドライトはまるで冬真の瞳のごとく青い光を放って、朱音はそれを握りしめると痛む足首を我慢して立ち上がった。


それに気が付いた冬真が朱音を見たが、朱音は冬真を少し見た後トミーの前に来る。


膝上まで来ていた多くの手が太ももまで絡みつき、既にトミーは立つことも出来ずひたすら涙を流しながら側に来た朱音を見上げた。



「アカネ・・・・・・」



その声は弱く、もう全てを諦めているようだった。


朱音は突然拳を振り上げると、その円柱の光の柱にぶつけた。


ガン!という大きな鈍い音がして、冬真は一瞬反応が遅くなる。



「やめなさい!」



冬真が朱音の背後から再度振り上げた手を掴むと、朱音は冬真を睨んだ。


思わず怯んで手の力が抜けると、朱音はその手をぱしりと叩いて再度振り上げ柱からガン!という音が響く。


何度も繰り返していると、朱音の手から血が滴り、柱を伝って落ちていく。


トミーはただそれを見上げていた。


冬真が朱音の身体ごと後ろに引き寄せ、振り上げた手首を強く掴む。


手にはラブラドライトのネックレスが握られ、朱音の手に刺さったラブラドライトの破片から流れる血が、冬真の手に落ちた。



「無駄なことです。もうやめなさい」



我が侭を言う子供をなだめるように冬真は言ったが朱音の瞳は強く、冬真はそんな朱音の手をゆっくりと開放する。



「これ、ジェムなんですよね?お守りなんですよね?


ならトミーさんへのお守りにだってなるはずです」



「それはあなたのお守りです。彼のものでは無い」



「だったら大丈夫です」



冬真は朱音が確信したように言った意味がわからない。



再度柱に向き合い、一心に拳を、いやラブラドライトを叩きつけた。


その度に光の柱に朱音の血が流れ、時々ラブラドライトの破片なのか、キラキラしたものが空中に舞い散る。


冬真はただその小さな背中を見ていた。


彼女が何のためにそんな行為をしているのかわからない。


彼を助けようとしているのはわかる。


わかるが血が出るほど意味の無い行為をしていることが理解できなかった。


突然、ピシッとその壁にヒビが入り、冬真は目を見開く。


何も出来ないはずの柱にヒビが細く広がり朱音がそれに気が付かないまま再度叩きつけた瞬間まるでガラスが四散するかのように消え、するりと魔方陣の中に倒れ込んだ。


トミーを掴んでいた無数の手が新たな獲物がきたとばかりにトミーの横に倒れ込んだ朱音の手と足を掴みはじめ、手が身体を掴むたび身体に痛みが走る。


トミーは隣に倒れ込んだ朱音を見て我に返り、必死に朱音を起き上がらせようとするが足を無数の手に掴まれたまま動けない。


その様子が目の前で起きているのに冬真は動けずにいた。


何の知識も能力も無く空気を読んで踏み込んでくることをしなかった朱音が、自分に反抗してこんな行動を取ったことが信じられない。


この子はこんな子だったのだろうか。



「ぐぅっ」



激痛に朱音が思わず声を上げると冬真の横を黒いものが勢いよく横切り、朱音の身体を掴む無数の手に大きな口を開けて噛みついた。


朱音の目の前に現れた黒い大型犬はあのインカローズの時に助けてくれた犬。


その犬がまた現れた事に驚くと、今度は朱音の足を掴む手に青い石のついた小さなナイフが刺さり焼けるような音を立てて消えた。



「朱音さん!目を閉じて!」



冬真の声に朱音はすぐさまぎゅっと目を閉じる。


ルーン文字を刻んだ宝石の埋め込まれた魔術武器が弱まった魔方陣に沿って投げつけると、魔方陣の中で無数に湧いていた手が青い火に包まれ燃え上がる。


トミーは燃え上がった手から朱音をかばうように倒れ、朱音は渦の中にいるような強いめまいを起こしその場に倒れた。


二人の下にあった魔方陣の描かれた羊皮紙が燃えながら空中に消え、床にはトミーと手を血まみれにした朱音が苦しそうな表情で目を閉じ倒れている。



「朱音さんを助けるよう命じた覚えはありませんよ」



朱音の側に座る黒い犬にそう言うが、犬はじっと朱音を見たままで冬真はため息をついて朱音の側に行く。



「・・・・・・何故こんな無茶なことを」



膝をつき、冬真は小さな声で呼びかけるが朱音の目は開かない。


朱音の顔は青白く、冬真は自分のポケットから白いハンカチを取り出すと朱音の手に丁寧に巻き付ける。


後ろから勢いよくドアの開く大きな音がしてそちらを冬真が向けば、健人が目を見開き立っていた。



「朱音さんを例の病院へ運んで下さい。


僕はまだやらなければならない事があるので」



「朱音は大丈夫なのか?」



「えぇ。ただ手の怪我が酷いようなのでそちらの方が気になります」



健人は赤く染まったハンカチの巻かれている朱音の手を見て奥歯を噛みしめると、そっと朱音を抱き上げる。



「そのじーさんは?」



朱音を抱きかかえている健人が聞くと、冬真は首を振る。



「彼はまだ自由には出来ません。


だから早く朱音さんをここから運び出して下さい」



「・・・・・・わかった」



健人はそういうと足早に部屋を出て、外から車のエンジン音が遠ざかった。



「ありがとうございます」



そう呼びかけると、ドアの後ろから年老いた女が出てきた。


70にも80歳にも見えそうで顔には深い皺が刻まれた小柄な老婆だが、その目は強い光を宿している。



「まぁ一応最低限の目的は達成できたからね。


あの娘については目をつむってやるさ」



そう言ってやれやれと古びた椅子をひきずって座った。



「しかし監視していた割にあっさり逃げられましたが」



冷たい青い目が年老いた女を鋭く見れば、女はふぅと息を吐く。



「こちらだって気取られないようにするのに大変だったのさ。


中華街の男と今回のは同一だろうね。


正式名称は不明だが薔薇十字団という事を匂わせて少人数で動いている可能性が大きいようだ。


本部と連絡して再度洗い出しを始めるが、あの魔術師はあれだけの怪我をしたんだ、当分地下に潜ってしまうだろうし面倒だよ」



「そちらはお任せします」



「冬真」



魔術武器を床から抜いていた冬真に老婆が声をかける。



「お前さんの見立ては当たってしまいそうかい?」



「出来れば外れて欲しいのですが」



その質問に自嘲なのかわからない笑みを冬真は浮かべる。


意識を失っているトミーの身体を壁にもたれかからせて、その膝にコートをかけている冬真を老婆はただ眺めていたがやがて声をかけた。



「あの娘が何故あんな行動をしたのか、そしてお前の使い魔が何故命令に背いたのか未だ疑問に思っているんだろう?」



「えぇ、特にアレクが僕の命令を無視したことは問題ですね」



そう言うと、少し離れた場所で黒いスーツ姿の使い魔が片膝をつき冬真に向かい頭を下げたままなのを視線の端に捉える。



「いや、無視してはいないさ」



一瞬嫌そうな顔をした青い瞳の青年を見て老婆は目を細めた。



「あの娘もお前の使い魔も根っこは同じさ。


それがわからないなんて若いというか人としてやはり欠けているというのか。


魔術師としても人としても勉強が足りないね」



よっこらせ、と椅子から降りた老婆が最後は笑う。



「さて、後片付けだ。


お前さんは宝石魔術師としてしばらく残業だよ」


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