第40話


第五章 偽りのラピス・ラズリ




インカローズの事件があった翌日、リビングで冬真は朱音と健人に事件について今現在わかっている事を伝えた。


占い師の女はどこかの魔術師に操られていたがその魔術師を取り逃がしたこと、例のインカローズは多くの場合魔除けなどに使う為のジェムではなく、とある魔術儀式のインカローズで、その儀式に使える若い女を捜すためパワーストーンと称して広めていたのではないかと、何の儀式に使われるのかには触れず冬真はあくまで自分の考えだと言いながら話した。


健人はソファーの背にもたれかかったまま腕を組んで聞いているだけで、朱音は怒られることを覚悟で自分の身に起きたことを、そして一緒にいた女子高生達の事を必死に話したが、冬真はそれを聞いて怒ることも注意することも無くむしろ朱音に危険な目に遭わせたことを謝罪し、そんな冬真を前に昨日から興奮していた朱音の気持ちが一気に申し訳なさに変わる。


行方不明になった学生達を心配した朱音に、彼女たちを探すのは警察の仕事だからと冬真は言ったが、もうおそらく家族の元に戻ることの無いだろうという真実に近い推測をあえて口にはしなかった。




*********




朱音は、冬真がしばらくすればその後どうなったのか話してくれるかもしれない、何か自分に聞いてくれるかもしれないと期待していたが、冬真が一切この話題に触れなくなったことで朱音から問いかけることなど出来ず、むしろ実は呆れられていてここを出て行くよう言われないためには何も聞いてはいけないのだと朱音は気持ちを切り替え、十二月を迎えていた。


そんな十二月も慌ただしく過ぎて年末年始を各自別に過ごすことになり、冬真は二十三日からイギリスの親族の家に行き戻るのは年明け、朱音も年末年始を実家に戻って過ごすことにした。


健人は実家が同じ神奈川ということと、締め切りの関係で大晦日に実家に行き元旦には戻るというスケジュールで、洋館で全員が再会したのは年が明けて数日後だった。


先に帰国していた冬真は朱音が洋館に戻ってくると土産を渡したいと言って仕事部屋に呼び出し、朱音は緊張しつつ笑顔の冬真とテーブル越しに向かい合う。



「アンティーク店で見つけたのですが、朱音さんに似合いそうだと思いまして」



そう言って四角い箱を渡され開けることを促された朱音がそのしっかりとした蓋を開けると、花のようなデザインの全てラピスラズリで出来た可愛らしいブローチが入っていた。


シルバー台の真ん中に少し大きめの丸いラピスラズリがあり、その周りを花びらのように少し小さめのラピスラズリが囲んでいる。


濃紺色の石の中には金の粉がキラキラと舞っているようで、どの石も味わい深い。


じっと持ったまま微動だにせず見ている朱音に冬真は戸惑ったように声をかけると、ハッとしたように朱音は顔を上げた。



「これ、私がもらっても良いんですか?」



「もちろん。朱音さんに似合うと思って買ってきたのですから」



「嬉しいです!アンティークの宝石をあのラブラドライトの他にも貰うなんて!」



「ところであのラブラドライトのネックレス、常に持ち歩いてますか?」



「え?いえ、部屋に置いてます」



以前は側に感じたくて持ち歩いていたのだが、朱音はインカローズを割ってしまったことが気になって大切なラブラドライトのネックレスは部屋に置いておくことにした。



「これからは出来るだけ身につけるか、せめて持ち歩いて下さい」



プレゼントをもらい大喜びだった朱音は、突然硬い表情でラブラドライトのネックレスのことを言われて、何かまた怖い事が起きているのか不安に思いながら冬真を見る。



「インカローズでの事件を朱音さんが気にしていたのに何も話さなかったのには理由があります。


それは僕達魔術師としての領分になるためお話し出来ませんでした」



朱音は手にしていたブローチの入った箱を机に置き、頷く。



「あの時裏で関わっていた魔術師がまた動き出しているという情報を得て僕達もずっと動いているのですが、朱音さんもあの占い師と関わってしまった以上身を守るためにあのラブラドライトを持っていて欲しいのです」



「もしかしてあのラブラドライトはジェムだったんですか?」



「えぇ。なので預かっていた時に僕が本来の持ち主、朱音さんを守るためのジェムとなるよう調整しました。


そして今回差し上げたラピスラズリのブローチも可能であればつけておいて下さい。


今の時期ならコートとかにはつけられると思いますので」



「このブローチもジェムなんですか?!」



アンティークの宝石にはジェムが多いのだろうかと朱音は驚く。



「それはジェムではありません。


ただラピスラズリはかなり古くから装飾品として、そしてお守りとしても使われてきました。


ラピスラズリ自体がとても良い品だったから買ったのですが、そういう意味を持っている宝石に目が行ったのは何かの縁かもしれません。ですからお守り代わりにつけていて欲しいのです」



なんだか冬真が色々と心配してお守りを沢山持たせてくれている気がして朱音は口元が緩む。


この紺色の石なら、今よく着ている紺色のコートよりもう一つあるベージュ系のコートが合いそうだ。




「あの、ラピスラズリの所々にある金色のはもしかして金が混ざっているんですか?」



「いえ、それは金では無く、パイライトという鉱物です。


この本体の濃紺とこの金色がまるで夜空に浮かぶ星々と同じような美しさを感じるのが魅力でもあり、そのバランスが良いものが良い石とされています。


ラピスラズリは宝石と言うよりパワーストーンの方が今は人気がありますので、ラピスラズリと称してただの白い石を青く着色しているものを本物と称して売っているところもあるので気をつけて下さい。


ちなみにラピスラズリは絵具の材料にもなっていてウルトラマリンと呼ばれていますが、その美しい青色に魅せられ描かれた有名な絵画も数多くあります。


金よりも高価なその絵具を使うのは、絵画自体に宝石を埋め込んであるようなものかもしれません」



興味深く頷きながら朱音は聞いていたが、ついさっき聞こうとして忘れていたことをやっと思い出した。



「急にそんなことを言うなんて、何か危ない事が起きているんですか?


冬真さんは大丈夫ですか?」



「心配させてしまってすみません。まだ何も起きていませんし僕も大丈夫です。


ただ僕が少々忙しくなりそうなのと、やはり朱音さんが心配なので。


知らない人に簡単についていっては駄目ですよ?」



子供を心配するように言う冬真に、朱音は口を尖らせる。



「子供じゃ無いんですから大丈夫ですよ」



「飲み会の時、男性から簡単に誘い出されていたようですが」



にっこりと言われ、朱音はすっかり忘れていたことを指摘され目が泳ぐ。



「朱音さんのその人を疑わないところは魅力の一つだと思いますが、人を疑うという事だって時には必要です。


覚えていますか?僕が以前、実は酷い男なのだと言ったことを」



冬真が唐突にそんなことを言いはじめイギリス館からの帰り道言われたことを思い出したが、でも、と朱音は声を出したのに冬真はその先を言わせないように首を振る。



「人というものは表面をいくらでも偽ることが出来ます。


おそらく健人が僕に注意するように言ったでしょう?


健人はむやみに嘘をつくような人間ではありません。


そういう正直な人間の意見を、朱音さんはしっかり受け止めるようにして下さい」



そう言うと冬真は顔を奥にある窓の方に向け、朱音は冬真が急に何を言い出しているのかわからなかった。


飲み会の時の事を注意していたはずが冬真自身の話になって朱音は戸惑いつつも、こんなに優しくしてくれるのに何故冬真は自分を遠ざけたいのか、朱音はその冬真の言葉を聞いて落ち込むよりも不思議と頭も心も冷静になってきた。



「冬真さん、何だか変です」



朱音のしっかりとした声に、冬真が窓の外を見ていた顔を朱音の方に向けた。



「冬真さんは私に沢山のことをしてくれて、それは全て本当のことです。


健人さんは表面だけ見る人じゃないですし、冬真さんが好きだから一緒にいるんだと思うんです。


私は迷惑かけてばかりで何もお役に立ててませんが、冬真さんが楽しそうに宝石の話しをするのを聞くのが好きですし、初めて魔術師としての冬真さんを見たときもその、格好いいなって思って。


私は、冬真さんの表面だけを見てるつもりなんて無いです。


冬真さんは優しい人です」



冬真は朱音が目をそらさずしっかりとした声と表情で自分を見ていることに驚いていた。


朱音は自分の意思を持つようで、脆くて弱い、と思っていたのに。



「冬真さん、以前私に素直に行動した方が良いって言ってくれましたよね?


私はまだこの洋館で皆さんと一緒に過ごしたいんです。


だから、突き放さないで下さい」



その朱音の言葉とは裏腹に、気弱な雰囲気などみじんも無い。


突き放すなと言いながら、朱音から冬真の手をしっかりと握っているようにすら思えるほど強い意志。


冬真は、何故さっきあのような事を言ってしまったのか自分でもわからないが、朱音の芯の強さを垣間見た気がして不思議と安心していた。


冬真は少しして笑みを浮かべる。



「朱音さんが変な人に騙されるのではと心配だったのですが、その様子だと大丈夫そうですね。


えぇそうです、朱音さんはもっと自分を大切にすべきです。


とりあえず、お守りはしっかり持つこと、遅い時間に帰るときは気をつけること、知らない人にはついていかない、良いですね?」



「はい・・・・・・」



冬真は子供に言い聞かせるように指を一つずつ増やしながら笑顔で念押しする。


さっきのおかしな言葉は単に自分へのお説教の延長で話したことだとわかり、朱音は叱られた生徒のようにしゅんとしながら答えた。



その日の夕方、キッチンに入った冬真はアレクがドライフルーツがふんだんに入ったパウンドケーキと朱音の好きな紅茶を用意しているのを見て笑う。



「落ち込んでいる朱音さんにですか?アレクは随分と朱音さんに甘くなりましたね」



アレクは準備していた手を止めてすぐ近くに来た主人に顔を上げれば、冬真は笑っているようでその取り巻く雰囲気が変わっている。



「構いませんよ、今はね」



そう言うと、ミネラルウォーターのペットボトルを一本冷蔵庫から取ってキッチンを出て行き、アレクはその背中を無言で見ていた。



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