【二章】あなたが傍にいる

 いつもと変わらない日常は今日もやってくる。変わった事と言えば凛に恋人ができた事だろうか。とは言っても正式な恋人ではなく、問題が解決するまでの仮初の関係。それでも凛は三田が恋人になってくれた事が嬉しい。


「上手く行ったんだな~?」

「楓昨日から怖い!」


 スマホを見ながらにやける凛を見つけて、楓は登校して早々に凛の席へやって来る。凛のスマホの画面には三田の連絡先があって、それを楓に見られまいと凛はスマホの画面を落としてスカートのポケットに仕舞った。


「それにしても凛のタイプって初めて知ったわ。なんか分かる気もするけど」

「え~だってカッコいいもん」

「分かってるだろうけどファンは多いぞ?」


 登校するだけで黄色い声が上がる程の人気者だ。それなりに覚悟して付き合わねばならないだろう。とはいえまだ付き合っているとは楓にも他のクラスメイトにも知られてはいない。そもそも付き合っている訳ではないし、クラスメイトから友達に昇格しただけだ。


「……?」


 スマホが振動し画面を見ると三田からLINEが来ていた。凛の席より少し離れた左斜め前にある三田の席には本人が座っているのだが、内緒話の様に連絡をして来ている。


『今日はバイトあるの?』

『あるよ』

『何時まで?』

『二十時まで!』

『そっか、部活終わったら寄るね』

『ありがとう! バイト先は駅ビル内のカフェだよ』


 凛は楓と会話をしながら気付かれない様に、コソコソと返信をしていればホームルーム前のチャイムが鳴る。楓が自分の席に戻ると、いつもの様に授業が始まる。バイトが楽しみになってしまうのは久々で、でも男性客が来るだろうという不安もあって、落ち着きがないまま一日が過ぎていった。


 

 *

 

 

 日常は急には変わらない。だから今日も変わらずにあの男性客がやって来た訳である。凛の勤務が終わる時間を予想していつも夜にやって来るのだが、もうすぐ二十時になり、凛も定時を迎える。このまま去ってくれなければ終わってから待ち伏せされる可能性が高く、凛は愛想笑いしながら動揺していた。


「もうすぐ終わるでしょ? ご飯でも行こうよ」


 なんて男性客は今日もしつこく、愛想笑いも疲れてくるし、気持ちも沈んできてしまう。先輩やバイト仲間が変わって対応していても、今日の男性はしつこさの度合いがいつもの倍以上だ。しかし店側から対応できる事にも限りがあり、諦めて帰ってくれるのを待っているのだが。


「どこに行きたい? 何が好き? ねえ――」

「こんばんは」


 次の客が凛からコーヒーを受け取ると、男性に声を掛け始めた。凛は言葉を失って声の主を見つめる。


「あ? 誰?」

「貴方こそ、僕の彼女に何か御用ですか?」

「……んだよ、彼氏いんのか」


 いつも優しい笑みを浮かべる三田の笑顔は何処か恐怖を感じる程で、だけど男性客と凛の間に入り、凛に背を向けているので凛から三田の表情は伺えない。機嫌悪そうに男性客は去って行った。


「大丈夫だった? 遅くなってごめんね」

「う、ううん、全然気づかなかった……!」


 そういつもの笑顔で振り向いた三田の全身を眺める凛に、三田は気付いた様に微笑んだ。


「兄貴のズボン借りて来たんだ」

「お兄さんの! すごい似合ってる!」


 いつも女子制服を着ている三田のパンツスタイルが新鮮で、凛は思わず見惚れてしまう。まるで本当に彼氏の様に思えてしまう程に格好いい。


「あ、邪魔しちゃうから席で待ってるね。終わったら一緒に帰ろう?」

「うん! ありがとう!」


 そう言って三田は席を探し始めた。開いている席でカウンターが見える位置に座ると鞄から本を取り出して読み始める。凛は安心して残りの時間を過ごす事が出来た。


 そうして数十分経って、バイトの制服から学校の制服に着替えると、席で本を読んでいる三田の元に向かう。


「お待たせ!」

「帰ろうか。北川さん家はどの辺?」

「あ、私はここからだと学校方面のバスなんだ」

「僕も同じバスだから近くまで送るよ」


 カフェのあるビルを出て駅前のバス停へ歩いて行く。夏になるにつれ日がのびているとはいえ、この時間になれば辺りは真っ暗だ。


「え、いや、だいじょうぶだよ! 自分の所で降りていいよ!」

「遠慮しないで。頼ってくれると嬉しいんだ」


 バス停に着き二人でバスを待つ。街頭に照らされる三田は優しく微笑んでいて、その言葉が本音だと捉えることができた。


「それにさっきの男の人、結構やばそうな雰囲気だったし、しばらくは一緒に帰ろう? 部活終わったら寄るからさ。この時間にはなっちゃうけど……」

「う、確かに不安はある……。でも、ほんとうにいいの?」

「北川さんの力になれるなら僕は嬉しいよ」


 嬉しそうに言うものだから、凛も嬉しくなってしまい、照れ隠しの様に少しだけ視線を外して頷いた。


「北川さんって本当に可愛いね」

「へ!? べ、別にそんな事ないよ……」


 驚いて視線を合わせると、どこか緊張したような三田の視線と交わった。どうしてそんな風に優しくしてくれるのか、凛はじっと見つめてしまう。


「北川さん……」

「え……?」

「バス来たから乗ろうか?」

「あ! はい! 乗ります乗ります!」


 バス停に止まったバスは凛と三田が乗るのを待っていて、三田の言葉で慌てて乗車する凛の後を三田は追いかける。震えながら笑いを堪える三田の様子は慌てる凛に気付かれる事は無かった。

 そしてバスに乗り十数分。凛の家の前まで歩いて来て凛が玄関前に立って三田に向き合った。


「ほんとうにありがとう! 少しの間迷惑をかけてしまうけど、嫌になったら言ってね!」

「とんでもないよ。北川さんも何かあったら相談してくれると嬉しいな。それじゃあ、おやすみ」

「うん! おやすみなさい!」


 凛が家の扉を開けて鍵を閉めるまで、三田は家の前から動かなかった。家の中から賑やかな声が聞こえて来て、三田は自分の家へ帰る為に歩き出す。空を見上げて、嬉しそうに微笑んだ。

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