僕の彼氏と私の彼女
響城藍
第一話「恋人始めました」
【一章】私と僕の関係
春も終わりそうで夏の暑さが覗いて来るそんな時期になっても、いつもと変わらない日常は今日もやって来るのである。
「北川ちゃん今日は何時に終わるの?」
凛はチェーン店のカフェでアルバイトをしている。接客業をしていると変わった客は珍しくなく、今日も常連の三十代であろう男性にコーヒーを渡すと声を掛けられた。いつもの事で愛想笑いや誤魔化して対応しても中々にしぶとい男性は、凛が次の客に期間限定ラテを渡した後も堂々とカウンターに居座り続けていた。最初に会った頃は控えめに声を掛けて来た男性だったが次第に積極的になって行き現在に至る。どうやってもデートでもしたいのだろうが、デートをした所で問題は山ほどある。
そもそも北川凛は男である。小さい頃から女として育てられたため、女性らしい見た目に女性物の服を着るが、男性とデートをした所で悲しい思いをするのは相手なのだ。それ以前に十歳以上も歳の離れた人と付き合う気などなく、当然の様に誘いを断っているのが現状。しかし諦めの悪い男性はまだカウンターに居座り続けている。
「北川さん、補充お願い」
「あ、はい!」
そんないつもの光景に手を差し伸べてくれたのは正社員で働く先輩だ。彼女が凛と入れ替わりにカウンターに来ると男性は舌打ちをして店から離れて行った。それでも一度不快になった凛の胸の中は靄が掛った様に渦巻きながら、定時まで働き続ける。
定時になって先輩に慰められながら、男性客の対応を検討すると考慮してくれたが、それでもきっと変わらずにあの男性はやってくるだろう。どうにか手を打たなければずっと付き纏われてしまう。帰り道にも気を遣うこの生活は長くは続けられない。
(やっぱり恋人を見つけるしかないのかな~?)
とは言っても、彼女が出来たとして守ってくれるほど強い彼女がいるだろうか?それより彼女の方に目を付けてしまったら?なんて可能性も考えて悩みは増えるばかり。それでも恋人がいないよりはいる方が武器になるかもしれない。
(うん、やっぱり、恋人見つけよう!)
そう決意した凛の目は不安よりも希望の方が勝っている様にも見えて、いつもより軽い足取りで帰路に着いた。
*
翌朝。煩い程の目覚ましを止めるべく、布団の中から這い出てきて弱々しく目覚ましを止める。ぼやっとしながら起き上がり眠そうに欠伸をしながら部屋を出る。洗面所で顔を洗い、リビングに行くと母が朝食を用意してくれていた。
「おはようママ」
「おはよう、凛。相変わらず眠そうだわ~」
凛は朝が得意ではない。苦手という程ではなく、目覚ましが鳴れば起きられる位ではあるが、意識がはっきりするまでの時間が長い。ぼんやりとテレビを見ながら出されたスクランブルエッグとロールパンをゆっくり食べていく。次第に頭は覚醒していき、朝食を食べ終えると、鼻歌を歌いながら洗面所で髪を結い、自室に戻り制服に着替えて身支度を整える。ちなみに制服は女子制服だ。校則が厳しくないのもあり教師にも黙認されているのが現状ではある。最終確認の為に鏡を見て「今日も私はかわいい!」と気分よく鞄を持って玄関へ向かう。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい~」
玄関を出て振り向く事なく少し駆ける様に歩き出す。バス停までは徒歩三分。そこから駅方面へのバスに乗り十分程で学校の最寄りのバス停に着く。降りて二分歩けば、同じバスに乗っていた学生や徒歩で来た学生が学校の門を潜り、それぞれのクラスへ向かう。二年二組の教室に入ると、凛は自分の席へ向かう。
「おはよ、凛」
「おはよう、楓!」
「あれ? 髪型変えた?」
「ふふふ……今日はリボンなのだ!」
そう言って二つに結った髪を揺らした。いつもは色付きのゴムで結っている事が多いが、今日はリボンが付いたゴムで結っていた。その事に気付いた女友達に嬉しそうに笑みを見せた。
凛は見た目や性格がほぼ女性な事もあり、女友達の方が多い。友人曰く「凛は女よりも女っぽい」らしい。
(今日は恋人候補をみつけるの!)
自分の席に座り、楓と話しながらちらちら教室内を見渡してみる。いつもの教室。特に変わった事はない。だからそう簡単に恋人が見つかる訳でもないのだろうが、それでも凛の瞳は輝いていた。
「きゃああああ」「おはようございます」「今日も素敵です」
他愛もない話をしていると、教室の前の方から黄色い声が聞こえた。どうせいつもの事だろうと思いそちらを見ると、やはりいつもの様にクラスメイトが登校して来てそこに女子が群がっていた。
(三田さん、今日もカッコいいなぁ)
背が高く顔も整っている
「うむ……悪くないかも……」
恋人候補その一を心に刻んでおき、他にも候補がいないか探すのが今日のメインテーマ。授業なんてサボってしまいたい位の重要ミッション。あと何人候補が見つかるのか、凛の目は益々輝いて行く。
*
「結局候補は一人だけか……」
昼食を食べ終え、トイレの前で楓と別れる。当然だが凛は男子トイレに入る。手を洗って溜息を吐きながら廊下に出た。楓を待っている間に廊下を見渡してもやはり恋人に相応しいのは三田しかいなかった。
「お待たせ」
「ねえ楓の彼氏ってどんな人なの?」
「何? 急にどした?」
「別に……ただ気になっただけだもん」
不安そうな凛の表情を見て楓は凛の心境を察する。凛だって恋をしたい気持ちになったのだ、と。
「ちょっと強引だし素直じゃないけど、優しいのよね」
「うんうん」
「凛は? どんな人と付き合いたいの?」
「う、だからちょっとした好奇心! 私の事はいいから楓の恋バナ聞きたいな!」
教室へ向かいながらお互いに恥ずかしそうに話す。凛と楓とは一年生の頃から仲が良いが恋バナをするのは初めてかもしれない。単に凛が恋に興味がなかったし、楓はそうだと思って話題にしていなかっただけだ。
次第にこそばゆくなって逃げる様に教室に入ろうと凛はドアに手を掛けた。
「ひゃ!」
「あ……ごめん、大丈夫?」
ドアを開ける筈が中にいた人物がドアを開けて廊下に出て来た。軽くぶつかって凛は後ろによろけたが、腰を支えられて倒れる事はなかった。
「三田さん!? あ、だだだいじょうぶ!!」
「本当に? ぶつかってごめんね」
唯一の恋人候補、三田との接点はない。クラスメイトの位置付けで話したことも殆どない現状。だからこれはチャンスなのかもしれないと、凛は動揺しながら三田を見つめた。
「あ、あの! 今ちょっとイイデスカ!!」
「え?」
「み、三田さんと、お、お話したいなって!」
目が回りそうな位に緊張して、自分が何を言っているのか凛自身も解っていない。ただ、この機会を逃したらもっと緊張して声を掛けねばならないのだ。三田は普段から独特な雰囲気で話しかけるのに勇気がいる人物だ。それに三田に心を奪われている女子達の守備を潜り抜ける事が何より難しい。なら今しかないのである。
「今はごめん。呼ばれているから……」
「あ……ソウデスヨネ」
教室から出てきたというからには何か用があったのだろうと察するべきだった。昼休みももうすぐ終わる中でゆっくり話が出来るかと言われると肯定し辛い。
「放課後なら開いてるから、どうかな?」
「エッ!」
「あ、でも北川さんいつもすぐ帰ってる印象あるから用事あるかな?」
「今日は無いデス!」
「良かった。じゃあ放課後にまた」
そう手を振って教室を後にする三田。その後ろ姿に見とれてぼぅっとしてしまう凛。恋人候補と約束が出来た事にただただ心が満たされる。
「ふ~~~~ん?」
「え!? 楓サン!? 怖い怖い!!」
「ちょっと詳しく聞かせてもらおうかな~?」
「え? え?」
楓は凛の手を引っ張って席へと向かっていく。昼休みも残り少ないとはいえ事情聴取をするには十分だ。先程の恋バナの続き、そして凛にとって地獄の様な時間が始まった。
*
それから授業の合間に凛の席にやって来た興味津々な楓へ誤魔化しつつ、放課後になったら楓は凛に「頑張って」と一言告げて部活へ向かって行った。凛はバイトをするために帰宅部だ。自分の席で帰り支度をしながらどうやって三田に話しかけようかなんて考えていれば、目の前に歩いてきた三田に目を丸くした。
「お待たせ。僕部活あるからあまり長くは話せないけど良い?」
「全然だいじょうぶ!!」
「じゃあ前の席借りちゃうね」
そう言って鞄を机に乗せると凛の前の席に腰かけた。話しやすい様に凛の方を向き、微笑む三田に凛は目が離せない。
「それで、話したい事って何かな?」
「あ……、えっと……その、別に話したい事があったわけではないと言うか……その……ただお話するキッカケが欲しかっただけっていうか……そ、その……ごめんなさい」
「ふふ、僕も北川さんと話してみたかったから丁度良かった」
「ふえ!?」
思ってもいない三田からの言葉に、凛は動揺する。クラス中の女子の心を奪う程の人物が、ただの平凡なクラスメイトである凛に興味があるとは思ってなかったからだ。そもそも凛も以前から視線で追う位には三田に興味があった。だがそれはあくまでクラスメイトとして気になる程度で、でもだから恋人候補に出来たのかもしれない。
「昼休みはぶつかってごめんね。北川さん軽くて吃驚しちゃった」
「ひゃあ!? ゼンゼン、軽くはないデス!!」
「ふふ、北川さんって思ってた以上に可愛いね」
推しを前にしたオタクの様に、語彙力が無くなっている凛が可笑しくてクスクスと笑い声を漏らす三田。そんな三田の反応に穴があったら入りたいとはこの事だと凛は実感していた。
「そういえば北川さんいつもすぐ帰ってるみたいだけど、部活入ってないの?」
「あ、バイト結構入れてて、それで部活には入ってないの」
「そっか、すごいな」
「でも今はあんまりバイト先行きたくないなって……その、なんて言うか……」
不安そうな表情に変わってしまった凛に、三田は優しく微笑みかけた。その笑みを見て凛はこの人なら助けてくれるという期待が持てて、だから話してしまっていいのかと思った。
「その、お客さんでしつこくデートに誘ってくる人がいるんだけど、ほぼ毎日来るから困ってて、それでその、助けてくれる恋人を探していて……それで、その……フリでいいので少しだけ三田さんに恋人になって欲しいなって……」
ほぼ初対面の相手にする交渉にしては大きすぎる案件だとは自覚している。だけれども、クラスメイトの中で唯一頼れると思ったのが三田で、初めて話すのに今も優しく微笑んでくれている。なのに返事を聞くのが怖い。まるで本当に告白している様な錯覚になってしまう。
「僕でよければ良いよ」
「……ほんとう?」
「うん。迷惑だなんて思わなくて良いよ。クラスメイトだし、全然頼ってくれると僕は嬉しいよ」
「ありがとう……! えへへ、三田さんって優しいね」
凛は嬉しそうに笑うと、三田は少し驚いた表情を見せた。凛が不思議に思っていると三田は席を立って鞄を持った。
「そろそろ部活に行かなきゃ。あ、明日連絡先教えてくれる?」
「うん、もちろん!」
「じゃあまた明日」
「うん、また明日!」
三田は凛に背を向けて、教室の前の扉から出て行った。三田のその姿を凛はずっと見つめていた。勇気を持って話しかけて良かったと、嬉しそうに微笑んだ。卒業するまで話す事はないと思っていた相手と話せて、恋人の振りまでしてくれるなんて、嬉しいに決まっているのだ。このまま無事に問題が解決するかもしれないという安心感が芽生え始めて来た。きっと大丈夫だろう。そう思わせてくれる三田との関係が始まった。
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