第5話


 初日の授業は何も問題無く終えることが出来た。

 16歳までの義務教育は履修済みであり、元々地頭が良かったレギアスは二年間のブランクがあっても授業について行けた。

 全ての授業が終わり放課後になった教室で、レギアスは二年ぶりの授業に少し疲れていた。


「ん~……ふぅ……! ちょっと疲れたわ」

「今日は座学しか無かったからな。実習は楽しいぜ」


 授業の合間にも会話を重ね、すっかり仲良くなった二人は教室で駄弁りながら帰り支度を始める。

 するとそこへ、一人の女子生徒が近寄り話しかけた。

 白銀の長い髪を靡かせ、蒼い瞳でレギアスを見つめる彼女は、正しく絶世の美少女だった。


「おい」


 随分と高圧的な物言いだった。纏う雰囲気も随分と剣呑なものだ。


「えっと……?」

「これは姫様、どうなさったんで?」

「姫? あ……」


 オルガが姫様と呼び、彼女が【第二王女】だと察する。

 なら、彼女はベールの妹なのか。

 レギアスはまじまじと彼女の顔を見つめてしまし、それを嫌に思ったのか彼女は顔を顰める。


「……お前、付いて来い」

「え?」

「さっさと来い」


 彼女はレギアスの返答を待たずに教室から出て行った。

 オルガを見ると、早く行けと手を振る。

 クラスメイト達も、何だ何だとレギアスへと注目する。

 居たたまれなくなったのか、レギアスは教材を鞄に押し込み、急いで彼女の後を追いかけた。

 ユラユラ、サラサラと揺れる白銀の髪を前に、ベールに昔聞いた話を思い出す。

 確か歳が2つ離れた妹がいて、母によく似た可愛い子だと聞いた事がある。


 名前は、確か――第二王女アナト・フォン・マスティアだったはずだ。


「……えっと、アナト……様? 殿下? あ~、何処へ行くので?」

「うるさい。黙ってろ」

「えぇ……」


 どうしてか、彼女はレギアスに敵意を抱いているようだ。

 何処かで無礼を働いてしまったかと今日の記憶を思い返すが、何の心当たりも無い。

 そもそも、さっき初めてアナトと顔を合わせたのだ。幼少期に少し話を聞いただけで、接点も何も無い。完全に一方的な敵意を抱かれている。

 王女の怒りを買ってしまった事に焦りを覚えるが、心当たりも無く、話しかけても黙ってろと言われる現状ではどうしようもない。

 大人しく黙って廊下を歩いていると、目的の場所に到着したのか、扉の前で立ち止まる。

 扉の上部には【生徒会室】と表記されていた。

 アナトは扉をスライドさせて開き、中へと入った。


「姉さん、連れてきた」


 ドクンッ――。


 心臓が跳ね上がった。

 アナトが【姉さん】と呼ぶ人物は一人しかいない。


 居るのか、この中に――。


「あら、ありがとう、アナト」


 年月的に声変わりはしている筈だが、少し低くなっている程度で昔とあまり変わらない声だ。

 だが低くなっているからか、妙に色気のある声に聞こえる。

 アナトが開けたままの扉の向こうに、見覚えのある黒紫が見えた。

 レギアスはゆっくりと扉を潜り、彼女の顔が確りと見える距離まで近付く。

 長い黒紫の髪をポニーテールに結い、18歳にしては随分と大人びて色香を放つ端整な顔立ち、妹のアナトは切れ目に近いが此方はタレ目に近く、青紫の瞳が彼女の美しさを際立たせている。


 彼女だ――約束を交わした彼女が、目の前にいる。


「ぁ――」


 色々と話したい事があったはずだ。

 今まで元気だったか、とか。

 お前が居なくなってからこんな事があったんだ、とか。

 そっちはどんな生活を送ってきたんだ、とか。

 約束を果たすのが遅くなった、とか。


 それら全てが、レギアスの頭の中から吹き飛んでしまった。

 只々、彼女の姿に見惚れてしまった。

 そして、自然と涙が頬を伝う。


「あれ……?」


 再会できた喜びからか、止めどなく涙が流れ出る。

 不覚を取った。ベールと再会する時は格好悪い姿は見せないと誓っていたのに。

 レギアスはまさか邂逅早々、泣き顔を見せてしまうとは思ってもみなかった。

 ゴシゴシと涙を袖で拭うが、袖が濡れるばかりで涙は乾かない。


「わ、悪い……! こんなつもりじゃっ――ぐおっ!?」


 レギアスは胸部に強烈な衝撃を受ける。後ろに大きくバランスを崩しそうになるが、飛んできた【人物】を抱き止めてすんでの所で耐え抜く。

 レギアスの胸に飛び込んできたのはベールで、ベールはレギアスを抱き締めて顔をレギアスの胸に沈めた。


「べ、ベール……!?」

「……会いたかった」

「ぁ……おれも……俺も会いたかった」

「8年も待ってたのよ」

「悪い……その……身分とか、町の事情とかを言い訳にしちまった」

「ばか……そんなの私は気にしないわよ」


 ベールはレギアスに抱き着いたまま顔を上げる。

 鼻先と鼻先が触れそうになる距離にベールの顔があり、レギアスはその美しい顔に頬を紅くさせて目を逸らす。それが可笑しいのか、ベールはくすりと笑みを見せる。


「ゴホンッ、ンンッ!」

「っ!?」

「あら……」


 二人だけの空間に、白銀が割り込んだ。

 アナトはレギアスをギロリと睨み、力尽くでベールから引き剥がした。

 正確に言うなら、ベールをレギアスから引き剥がした、だが。

 ベールをレギアスから距離を取らせ、レギアスから守るようにして背中に隠す。

 だが悲しきかな、ベールの身長は女性にしては長身で、アナトの頭上から顔がひょっこりと出てしまっている。


「あー……何で俺こんなに嫌われてんの?」

「貴様!? 誰に向かって口を利いてる!?」

「こーら、アナト。ダメよ、そんなに威嚇しちゃ」

「姉さん! だってコイツは!」

「ごめんなさい、レギアス。この子、ドラゴンに対してその……」

「あ、ああ……そっか。そりゃ、知ってるよな……」


 彼女達は王女である。レギアスの事情を知らされていたとしても何ら不思議ではない。

 だがアナトは兎も角、ベールの様子から見るに、レギアスの事は普通に受け入れてくれているようだった。それがレギアスはとても嬉しく感じていた。

 だがアナトはそうもいかない様だ。ベールの言葉通りなら、彼女はレギアスをドラゴンとして見ており、人類の敵だという認識であるようだ。


「何度も貴方の事を教えてるのだけど、その……」

「受け入れられる訳がないだろ! ドラゴンは私達の敵で、お母様の仇だ!」

「仇……」


 彼女達の母、アーシェ・フォン・マスティアは王妃でありながら最強の竜騎士としても名を馳せていた。

 レギアスが生まれる前、人類とドラゴンの戦いは今よりも激しかった。騎士団の全盛期に最も近いとも言われ、頻繁にドラゴンの討伐へと赴いていた。当時のドラゴン討伐数は二桁にも上った。

 だが8年前の戦いで、アーシェ王妃は戦死した。それを最後に人類の猛攻は止まった。ドラゴンも数を大きく減らしたのが痛手なのか、デーマンに暴れさせる以外沈黙している。


「アナト、お母様は確かにドラゴンと戦って戦死したわ。でも戦った相手はレギアスじゃないの。彼とドラゴンは別なのよ」

「いいや同じだ! ドラゴンに例外等いるものか……!」


 アナトはそう告げると、部屋に用意されている席に座った。

 ベールの妹でもあるし、クラスメイトでもある。仲良くしたいと思うが、それはかなり難しいようだ。

 ベールは肩を竦め、自分の席に戻る。そのデスクには【生徒会長】と書かれたプレートが置かれていた。


「……生徒会長なのか?」

「ええ、そうよ」

「会長って、上級生がなるものじゃないのか?」

「この学校は特別なの。何せ代々王族が通う学校だから、生徒会長も王族が務めるのが伝統になってるの」

「成る程……? 良いのか? それで?」

「良いんじゃないかしら? だって誰もやりたがらないし。生徒会長って言っても、基本的には教師と生徒の間を取り持つ雑用だから。成績に何ら影響も出ないし」


 それで良いのか生徒会長、と言いたいレギアスだった。

 しかし幼い頃もベールは率先的にリーダーシップを発揮していた。王としての潜在的能力というかカリスマ性が彼女にはある。ベールが雑用と言えど、生徒会長になるのは必然だと言うべきかもしれない。

 ベールはレギアスをいつまでも立たせておくのはいけないと、来客用のソファーに座らせた。


「さて、本当はもっと再会を喜びたいんだけど、ちょっと忙しいの。申し訳ないけど、さっそく本題に入らせてもらうわ」


 てっきり会う為に此処へ連れてきたのだと思っていたレギアスは少しだけ驚く。

 それから素早く本題を進めようとする姿勢が、父親とそっくりなのだなと微笑ましくなる。


「この学校では、生徒は何処かのクラブや機関に所属しなければならないの。でも貴方は特別な事情があるから、おいそれと所属させるわけにはいかないの。それは理解できるわよね?」

「まぁな。何かの拍子でドラゴンの事が漏れちまったり、それで危険に巻き込むわけにはいかないしな」

「そこで、貴方には生徒会に入ってもらうわ。事情を知る私達なら気にすることは無いし、もし力が暴走しかけても、お父様からその対処法を教わってるわ」

「……え? 良いのか? その……」


 ベールからの思ってもみない誘いに、レギアスは喜んでいた。ずっと会いたかった彼女と再会できただけでも喜ばしいのに、同じ生徒会に入れるということは、これからも一緒にいられる時間が増えると言うことだからだ。

 だが1つだけ懸念事項が存在する。それはレギアスの視線の先にいる彼女の事だ。

 アナトは腕を組んだ状態で静かにレギアスを怒りの眼で睨み付けている。

 彼女もきっと生徒会の一員のはずだ。となれば必然的にアナトとも一緒に過ごす時間が増えるだろう。

 ドラゴンを強く憎んでいる様子を見せる彼女が、レギアスの生徒会入りを認めているとは、到底思えない。

 案の定、アナトはベールに抗議を申し出た。


「姉さん、私は反対だ。コイツを側に置くのは危険過ぎる」

「アナト、これはもう何度も話し合って決めた事よ。お父様も賛成しているわ」

「だがコイツはドラゴンだ。いくら姉さんの知り合いだからって、安全という保証は無い」

「いいえ、レギアスは大丈夫よ」


 アナトの言い分に、ベールは強く言い切った。

 彼女の言葉や表情には一切の迷いは無かった。

 アナトも、そうはっきりと言われてしまい少しだけたじろいでしまう。

 だが、だからと言って「はい、そうですか」とはいかない。

 アナトはキッとレギアスを睨み付けてから、ベールに食ってかかる。


「どうして断言出来るんだ? コイツが安全だと」

「レギアスを信頼してるから」


 ベールは堂々と言い切った。

 アナトは目を丸くした。

 レギアスは顔がニヤけた。


「そ、そんな理由で!?」

「それにお父様の封印で魔力を抑制されてるのよ。ドラゴンの力に呑まれることはないわ。自らそう望まない限りはね。でもレギアスがそんな事を望む筈が無いもの。だから大丈夫よ」

「け、けど!」

「加えて最初に言ったけど、レギアスを側に置いておいた方が有事の際には対応し易いの」

「……そう言って、本当の理由は違うんだろ?」


 ベールの表情が固まった。何か拙い事を指摘されたような顔になり、口元が若干引き攣る。

 気のせいか、変な汗が流れているように見える。


「それらしい言い分を述べてるけど、結局は姉さんはコイツを側に――」

「なっ、何の事かしら!? 他に理由なんて無くってよ!?」


 アナトの言葉を掻き消すように、ベールは大声を出した。

 顔もどうしてか赤くなっている。とても慌てているようで、目がグルグルと動き回っている。

 暑いのだろうか、パタパタと手で顔を扇ぐベールは、かなり動揺しているようだ。

 アナトはキィッとレギアスを睨み付け、恨みがましく唸り声を上げて威嚇する。

 レギアスはこの状況を冷静に観察し、1つの仮説を立てた。

 ベールが掻き消したアナトの発言を、レギアスは確りと耳に捉えていた。


 ベールが自分を側に置いておきたい――。


 それは言葉通りそのままの意味として捉えた。

 そしてベールの反応だ。彼女の反応は以前にワグナ町で弟分であるダンが、妹分であるエリファの話題を出された際にする反応とよく似ている。

 それは即ち羞恥心だ。羞恥心から本心を隠す反応である。

 つまり、アナトの言葉を裏付けるものである。


「っ~~!?」


 であるならば、少なからずベールはレギアスの側に居たいと思っていると言うことだ。

 レギアスはそう考えた瞬間、顔がカァーっと熱くなるのを感じた。

 レギアスは鈍感ではない。少なくとも、弟分の恋心を理解してやれる程度には。

 ベールのそれがそうじゃないとしても、そう思われていると思うだけでレギアスの鼓動は激しくなる。

 二人して顔を赤くする様にアナトは苛々した態度を見せる。

 面白くない、非常に面白くない。

 ダァンッ、とデスクを叩いて2人を正気に戻させる。


「巫山戯るなよ、ドラゴン……! お母様だけじゃなく、姉さんまで私から奪う気か……!?」

「ちょっ、何を言い出すのよ!?」

「姉さんは黙っててくれ!」

「は、はぃ……」


 クワッと見開いた怒りの眼で睨まれ、ベールはしゅんとしてしまう。


「私はこのままお前を認めるつもりは無い。姉さんの側に居たいのなら、私を負かしてからにしろ!」

「あ、アナト!? 何言ってるの!?」

「良いだろう! その喧嘩買ってやる!」

「レギアスも!?」


 レギアスとアナトはバチバチと火花散らすように視線を交わす。

 これはとんでもない事になってしまったと、ベールは2人の側であわあわと慌てふためく。

 最初はレギアスを生徒会に参入させる話だったのに、いつの間にかベールを取り合う構図が出来てしまった。


「お前なんか姉さんに相応しくない!」

「お前だって姉に迷惑掛けてんじゃねぇ!」

「何をぅ!?」

「あぁん!?」

『――表に出ろ!』


 こうして戦いの火蓋は切って落とされた。


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