三日月の竜騎士

八魔刀

第一章 入学編

プロローグ

 マスティア王国の王女、アナトは母が大好きだった。

 自分と同じ白銀の髪が美しく、女神のように優しく強い人だった。

 母の膝に座り、絵本を読んでもらうことが好きだった。 

 読んでもらう絵本は決まって一人の騎士の英雄譚だ。

 その騎士は王国に伝わる伝説の竜騎士。災いの象徴であるドラゴンから幾度も人類を救ってきた希代の英雄。彼の英雄譚は絵本から難しい小説まで数多く存在する。中でもアナトは竜騎士がドラゴンに攫われたお姫様を助け出す、一番有名な絵本を気に入っていた。

 毎晩毎晩、眠りに着く前に母にせがんで読んでもらう。それがアナトにとって幸せな時間だった。母は嫌がることなく、寧ろ嬉しそうにアナトを膝に乗せて読み聞かせていた。


「おかーさま」

「なぁに?」


 アナトは母の顔を覗き込み、気になっている事を訊く。


「おかーさまも、りゅうきしさまなんだよね?」

「そうよ」

「おかーさまも、どらごんをみたことがあるの?」


 母は困ったような笑顔を浮かべる。アナトを抱き締め、優しく頭を撫でる。アナトは母の手に心地よさを感じ、目を細める。


「ドラゴンかー……そうね、会ったことがあるわよ」

「ほんと!? どんなだった!?」


 アナトは興奮気味に母へと迫る。

 母はアナトを宥め、膝上に座り直させる。


「私が出会ったドラゴンは、悪いドラゴンじゃなかったわ。とても、良いドラゴンよ」

「いいどらごん?」

「そう。いつかアナトも出会う日が来るわ」

「ほんとう?」

「ええ。それまでに、立派な王女様になりましょうね」

「うん!」


 アナトは元気に頷いた。

 母と過ごした幸せの時間。この時間が何時までも続けばいい、続いて欲しいとアナトは願う。

 しかし、その願いが叶うことはなかった。

 アナトが8歳の時、王国にいる12人の竜騎士総出でドラゴンの討伐に赴く事になった。

 王妃であるアナトの母、アーシェも竜騎士の一人として出撃する。

 アナトは騎士甲冑を身に纏う母の下に駆け付けた。


「お母様!」

「アナト? どうしたの? 見送ってくれるのかな?」


 アナトはアーシェの脚に抱き着き、顔を埋めた。抱き締めるアナトの肩が震えていることに気が付いたアーシェは、アナトをそっと抱き締める。


「アーシェ、そろそろ――ん? どうした?」


 黒紫の髪と威厳ある髭を生やした男が歩み寄ってきた。

 彼こそがマスティアの国王、イル・フォン・マスティア、アナトの父だ。

 国王でありながら騎士王としても実力を有している歴代最強の王。

 イルはアーシェの腕の中にアナトがいることに気が付く。


「アナト、どうしたんだ?」

「お父様……お母様を守って」

「勿論だとも。父さんが母さんをちゃんと守るさ」

「お母さんもお父さんを守るから。すぐに帰ってくるわよ」

「約束だよ? 帰ったら一緒にお姉様のところに行きたい」

「ああ、約束だ」

「愛してるわ、アナト」


 アーシェはアナトをもう一度抱き締め、アナトを城に残る騎士達に預けた。

 イルの号令の下、騎士団は出撃した。人類の存亡を脅かすドラゴンを討伐する為に、危険な外界へと姿を消した。

 アナトは両親が無事に帰ってくるように毎日祈った。

 そして、一ヶ月経って雨が降る日、騎士団は王都に帰還した。

 アナトは帰還した騎士団の様を見て息を呑んだ。

 騎士達は皆ボロボロで、王都から出た時よりもその数は大幅に減っていた。

 何より、彼らが纏う雰囲気が重い。勝利の凱旋とは到底言えなかった。

 アナトは両親の姿を探す。城から飛び出し、服が汚れる事も構わず両親を探して走り回る。

 そしてアナトが目にしたモノは、右腕を失い窶れた顔をした父の姿だった。

 イルはアナトの姿を見ると、泣きそうな顔になり、ユラユラとアナトへと近付く。

 アナトの前で膝を着き、残っている左腕でアナトを抱き締めた。

 父は肩を震わせて泣いていた。


「お父様……? お母様は……?」

「アナト……すまない……すまない……!」

「お母様はどこ? それにお父様、お怪我を……」

「アーシェは……母さんは……!」


 アーシェは帰って来なかった。イルを守り、命を落とした。

 大好きだった母を失ったアナトは嘆き、母を殺したドラゴンに激しい憎しみを抱いた。

 自らの手で母を殺したドラゴンを葬る事を亡き母に誓い、アナトは死に物狂いで鍛えた。

 騎士王と竜騎士の間に生まれ、その力を受け継ぐアナトの力は凄まじかった。強大な魔力に加え、天性的な戦いの素質を備えていた。

 アナトが16歳になる頃には幼い時の面影は無くなり、母によく似た騎士見習いへと成長した。纏う雰囲気もまるで剣のようになり、アナトは更なる力を求め、王国の騎士を輩出する機関、イングヴァルト王立騎士学校へと入学する。




 マスティア王国の第一王女であるベールは、僅か8歳にして王女と言う立場の重さを理解していた。いずれは自身が国を、民を支える存在になるのだと自覚し、国王である父の公務に付いて回っていた。宰相や大臣達からも政治の話を聴き、学び、子供ながら考えた草案を提示したりもしていた。

 イルからも次代を担う王族として期待されており、公務で王都から出る時もベールを連れて学ばせていた。

 しかし同時にイルは、ベールの事を心配もしていた。ベールはまだ8歳であり、多感な時期でもある。子供らしい事を経験させなければいけないと思っているのだが、ベールがそれを否定するのだ。

 己は王族であり、民を守り導く役目を担っている者。

 ならばその為の知識や力を今こそ身に付けなければいけない。

 ベールのその強迫概念染みた考えに、イルは頭を悩ませ続けていた。

 ある日、イルは公務と称してベールをとある田舎町へと連れて行った。

 そこは嘗てイルが若い騎士だった頃に、デーマンと呼ぶ魔物を封じた遺跡が存在する場所。

 この町はその遺跡を監視、守護する者達が住む。

 イルは遺跡の封印の様子を確かめに訪れたのだ。

 その町の長はイルの嘗ての仲間であり、友であった。

 ベールはイルと町長のやり取りを眺めていると、視界に子供達が映った。

 歳は同じぐらいだろうか、男の子が三人、ベールを見ていた。

 ベールは公務のほうに集中しようと、その子達から視線を外した。

 だがいつの間にか、一人の男の子がベールの前にやって来ていた。


「ねぇ」

「……はい」


 ベールは面倒だと思いながらもその子に返事をする。


「きみ、名前は?」

「……尋ねる時は先ずは自分からと、教わらなかったのですか?」


 ベールは6歳にしては流暢に言葉を話す。


「……? おれ、レギアス・ファルディア」

「……ベール・フォン・マスティア。マスティア王国の第一王女です」

「お姫様!?」


 レギアスと名乗った男の子は興奮したように驚く。

 思えば、同じ年頃の子供と接するのは妹を除いて初めてだとベールは思う。

 城には子供は居ないし、学校には行かずに城で教師を付けてもらっている。

 折角なので顔を見てみようと、そこで初めてレギアスの顔を見る。

 綺麗な黒髪と、深紫の瞳が印象的だった。

 レギアスはニカッと笑い、ベールの手を掴んだ。


「お姫様! 俺達と一緒に遊ばない!?」

「なっ!? 無礼な! 気安くレディの手を触らないで!」


 ベールはレギアスから手を振り払い、レギアスから後退る。

 レギアスの失礼な態度に怒ってはいるのだが、無礼を働かれた事より、初めて他人に、それも男の子に手を繋がれた事に驚いているようだ。

 レギアスは首を傾げ、それでも自分が悪いことをしたのだと察し、素直に謝る。


「ごめんね、お姫様。俺達、同い年の女の子って初めてでよく分からないんだ」

「……町に女の子はいないのですか?」

「いるけど、まだ赤ん坊だよ。ねぇ、だから遊ばない? 女の子の友達も欲しかったんだ!」

「友達って……」


 ベールはレギアスの考えが理解出来なかった。

 いや、女の子の友達が欲しいと言うのは分かる。しかしだからといって王女を友達呼ばわりするなんて考えられないと。

 そう言えば、衛兵達は何をやっているのか。王女に見知らぬ子供が近寄り無礼を働いているというのに、誰も介入してこない。

 ベールは側に控えている騎士達に目をやる。騎士達はベールを見てはいるが、それだけであった。それどころか、ベールがどんな風に対応するのか見守っているようだ。

 イルへと視線を移すと、町長と話ながらチラリと様子を窺っていた。

 これは何かを試されているのだと、ベールは考えた。

 此処で自分がどのように振る舞うのか、試されているのだと。

 ベールは上品に咳払いをしてレギアスに返答しようとした、その時だった。


「行こっ!」

「え、きゃっ!?」


 レギアスは再びベールの手を掴み、引っ張るようにして後ろに控えていた男の子達の下へと連れて行った。

 ベールは出鼻を挫かれ、レギアスに引っ張られるまま遊びに連れて行かれる。


「ジャック! レン! お姫様を連れてきたぞ!」

「お姫様!? すげぇ!」

「本物!?」

「新しい友達の歓迎だ! 派手に行くぞぉ!」

『おおー!』

「ちょっとぉ!?」


 ベールはレギアス達に連れられ、町中を練り歩くことになった。

 最初は困惑し、無礼な行為にぷんぷんと怒っていたが、次第に順応していき、王女として保ってきた体裁を崩し、年相応の態度を出すようになった。

 イルはベールの楽しそうな様子を見て、此処へ連れてきたことが間違いではなかったと確信する。娘がやっと子供らしい遊びを覚えたことに安堵し、ベールを暫くの間この町に置くことを決める。

 ベールに子供としての時間を過ごして欲しいという考えと、外の世界を知ってもらう機会にしてほしいという考えだった。

 イルの思惑通り、ベールはレギアス達と楽しい時間を過ごし、本人ですらも気付かなかった精神的ストレスも解消することが出来た。

 しかし、その時間も終わりを迎えることになる。

 ベールが10歳を迎えたある日、母アーシェの訃報が届いた。




 夢を見ている。

 赤ん坊が母親に抱かれ、あやされている。

 側には父親が立っており、母親と赤子を見守っていた。

 二人の表情はよく見えない。だが雰囲気から察するに、とても幸せな時を過ごしているのだろう。子供を愛し、互いを愛し、多くの者が理想として見る愛の空間だった。

 だがやがて父親は母と子を残して離れていく。姿が消え、残された母は子を大事に抱える。

 母は子を連れ、彷徨った。自然の驚異から身を挺して赤子を守り、赤子を愛し続けた。

 だが母は赤子を守るのに疲れたのか、赤子を別の誰かに渡し姿を消した。

 その夢を見ていた者は、消えていく母に手を伸ばし、そこで目を覚ました。


「――はっ!?」


 青年はベッドから飛び起きた。漆黒に近い黒髪は汗でギトギトになり、シーツも汗でぐっしょりと濡れていた。

 またあの夢かと髪の毛をかき上げ、ベッドから降りる。汗で濡れたシーツを洗濯機に突っ込み、シャワーで汗を流してからトレーニングウェアに着替える。もう一度汗を流すことになるが、嫌な汗をかいたままよりは良いだろう。

 まだ日が昇り始めたばかりの町中を軽く走り始める。早朝の空気は少し冷たく、それでいて清々しい気分になる。

 ふと、町から少し離れた場所にある森が目に入る。

 幼少期はそこが遊び場だった。幼馴染みのジャックとレンは勿論のこと、年下の弟分と妹分であるダンとエリファを連れて森を駆け回った。

 森には川もあり、川遊びでびしょびしょになっていた。また野生の獣も生息しており、よく狩りをしてはその場でバーベキューを敢行していた。


「……アイツ、元気にしてっかな?」


 そしてもう一つ、【ある物】を見て突然の別れになってしまった幼馴染みを思い出した。

 黒紫色の髪をした少女で、名前はベール。ひょんな事から知り合いになった王国のお姫様である。

 8年前、ベールの母親、つまり王妃が亡くなった。とある事情でこの町で過ごしていたベールは、その訃報を聞いて王都へと帰ってしまい、それきりとなってしまった。

 また会おうと約束はしたが、よくよく考えてみれば一般庶民と王女様が気軽に会えるはずもない。離ればなれになってからは連絡の一つも取ったことがない。


「ま、便りが無いのは元気の証拠ってな。それにしても、今年も満開だな」


 レギアスの視線の先には、見事な桜が咲いていた。

 今年も春がやって来た。







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