42話 日常
俺たちはそれぞれのやるべきことをやった。
魔王はいるかもしれないし、いないかもしれなかった。
俺たちのしていることには意味なんかないのかもしれなかった。
でも、それでよかった。
たぶんこのぐらいがちょうどいいのだ。
大山鳴動してネズミ一匹みたいな、騒ぐだけ騒いで、世界の危機に巻き込まれそうにだけなって、けっきょくなにもなく平穏に終わっていく。そういう人生を俺は望むようになっていた。
「君は英雄の器ではないな」
修行をつけてくれている元辺境伯からの評価は、言葉だけを抜き出すと、けっこう、さんざんなものだった。
「大望なく、夢もない。ただ日々をまどろんだように過ごすことを望んでいるのだろう。歳が三十にもなれば、そういうものが、普通なのかもしれない。君は村民としてしごくまっとうで、英雄としてはたいへんにつまらない人物だ」
いかめしい顔つきをした老人にそう言われると、自分の人生をまるごと否定されているような気がして、不安にもなる。
けれど、老人はひとしきり言葉を並べたあとに、深くうなずき、こう述べるのだ。
「それでいい」
大望なく、夢もなく、つまらない人物でいい。
英雄の器でない、そういう人物でいい、とそう述べるのだ。
「君は、『誇り』のなんたるかを理解しているのだろうな」
「……『誇り』ですか?」
「地面を見て、胸に手を当ててみなさい。誇りは、そこにある。誇りは、前にはないのだ。遠くにも、ないのだ。今、君が立っている地面。胸に手を触れて浮かぶあらゆること。心安らかな時に思い浮かぶ『今、持っているもの』を大事にすることこそが、誇りだ」
「……」
「君がもし、英雄になることに躍起になるような人物であれば、私は剣を教えなかっただろう。……下手に功名心が強くて、半端に力があると、大怪我をすることになる。周囲まで巻き込んでの、大怪我だ」
そう述べる時、元辺境伯は脇腹のあたりに手を添えた。
きっとそこには『大怪我』のあとがあるのだろうなと、なんとなくわかった。
「次の訓練は孫も同席させよう」
「ええと……」
「アレクシスだ。君が村に帰った時には、護衛についたという話を聞いたが」
アレクシスはスルーズ殿下の乳母の息子で、たしかに俺がいったん村に帰った時には同行した『おしゃべりな騎士』だった。たしか年齢は十七、八ぐらいか。
七十超えの元辺境伯の孫が十七、八というのは、この世界では『歳の離れた』と表現するに足る年齢差だ。そのせいか、一瞬浮かばなかった。
「私も、私の息子も、結婚が遅くてね」元辺境伯は俺の疑問を読み取ったようだった。「あれが嫁をもらったのは、ちょうど、君ぐらいの歳だったよ」
「しかし」結婚関係の話題に触れるのはうまくないな、と社会人的直感が働いたので、話題を探す。「……アレクシス様と私とでは、その、ともに訓練を受けるのに、少し不都合が生じる実力差があるように思われるのですが」
「そうだな。君とアレクシスがもしも剣で打ち合えば、百度やって百度アレクシスが勝つだろうし、そもそも君は十度も剣を振れないだろう」
「はい」
「一度でいい。アレクシスを打ち負かしてみなさい」
「……はい!?」
まさかの無茶振りだった。
ステータス閲覧のできるキリコに言われるまでもなく、王侯貴族と平民とのあいだにははなはだしい実力差がある。
それは本当にどうしようもない差なのだ。速度で言うなら人とレーシングバイクぐらいの差があり、力で言うなら人とダンプカーぐらいの差がある。
「しかし、君には秘策がある」
「いや、それは」
それは……あるんだけども。
なんで一言も言ってないのに見抜かれてるのかがぜんぜんわからない。
たしかに俺には秘策と呼べるものがあるのだった。
それは俺の腕力ではとうてい振れない剣で戦うための作戦で、もしも実際に魔王と戦う羽目になった時、最低限、魔王に一撃を与えうる方策だ。
だけれど、それはあらゆる事情から秘密にしてある。
元辺境伯を俺はこの短期間でたいそう尊敬するようになっていた。この人の指導なら厳しくても耐え切ってみせようと思うぐらいには傾倒もしていた。
だが、それでも秘密にしていることはあって、俺の秘策はその『秘密にしていること』がモロにかかわるのだ。
だから一言も言ってないし、におわせてもいない。
「君の鍛錬を見ていれば、なにかを隠しているのはわかる。君は『勇者と呼ぶにふさわしいだけの剣術を修得する』という遠大なるものではなく、もっと近くの、現実的な努力で手がとどく目標を独自に設定しているのだろう?」
秘策を実行するためには、やっぱりある程度の筋力が必要だ。
少なくとも、一度ぐらいは剣を十全に振る力。あと、逃げ足。
だから筋力トレーニングには熱が入っていたのは認めるのだが、そんなのただ見てるだけでわかるものなのか。
「漫然と言われたことだけをしている者と、独自の思いつきを試すために力をつけようとしている者とでは、身の入れ方がまったく違う。……君の秘策がアレクシスを相手に実を結ぶかはわからんが、あれをおどろかすことぐらいはできるものと期待している」
元辺境伯はしばし悩むように押し黙ってから、
「我らはやはり尚武の一族でな。実力を示さぬ者へ力をあずけることはしない。アレクシスは顔立ちがおだやかなので騙される者も多いが、あれも、我が一族に恥じぬ実力主義者だ。……王女殿下の下命とはいえ、あれを仲間に引き入れるには、力を示さねばならんだろうな」
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