13話 ムチワチニという老婆
俺がムチワチニという幼女のような老女を頼ったのには、この人がもっとも『むかしばなし』に詳しいという信頼があったからだ。
なにせ七十歳である。
ドライアドという種族は、少なくとも見た目は老いない。老いないどころか、人間の俺からすると、まず『大人にさえならない』。
寿命自体は『平均して人間より二十年ぐらい長く生きる』という感じで、この世界の人間の平均寿命が六十歳ぐらいであることを思えば、そこまで長命とも言いがたい。
ともあれ俺の知り合いで一番年上であることには変わりがないので、古い話や巷説を聞くならこの人だろうと見立てたわけである。
そうして酒をたかられているわけである。
「昔はねぇ、ギルドで突っ立ってるだけで哀れんだ冒険者たちがほどこしをくれたんだけどね。最近はドライアドっていう種族について知ってる連中も増えてさあ。こんな
ムチワチニは物乞いという手段で六十年暮らしている物乞いのベテランなのであった。
たしかに幼い見た目の少女がボロい身なりで立っていたら、多少なりとも施したくなるのが人情なので、それを利用して暮らしている七十代のばあさんを発見した俺としては、もうなんにも信じらんねぇなこの世界って感じだ。
「それにしてもアンタ、えーと」
「カイトだよ。ほら、一時期、あんたともパーティ組んだことあるだろ。……っていうか俺が誰かもわからずについてきたの!?︎」
「だって酒くれるって言うから」
七十歳の無敵感がすごい。
そんなわけでドライアドという人種がすっかり浸透した王都酒場では、さっきからエールをカパカパあおっている見た目幼女がいても、誰もなんにも言わないのであった。
むしろこの店でムチワチニが呑んだくれることは少なくないのか、俺たちが何かを言う前に店員は酒を持ってきたし、ムチワチニの杯が空になるたび勝手におかわりが運ばれてくる。
そのさいに店員が俺をちらりと見るのは、俺の支払い能力を表情で確認しているのだ。……つまりムチワチニに支払い能力がなく、俺が財布役であることを見抜かれているわけなのである。
「それでさ、まだ酒を飲みたいなら俺の話を聞いて、答えてくれよ」
「おうさ。なんでも聞きなよ! けどねえ、一杯ぐらい飲めば、口ももうちょっとなめらかになると思うんだよ。あんたのことも、思い出すかもしれない」
「その手には乗らないぐらいには、あんたのことを知ってる」
「……ふぅむ」
ムチワチニは杯を置くと、置かれていたパンでテーブルを掃除した。
パンを床に落とせばどこからか犬がよってきて、ハグハグと咀嚼音を立てながらいろんな汁が染み込んだパンを食べる。
その音と酒場の喧騒は不思議と同じぐらいの音に聞こえた。犬の咀嚼音は、やけに耳につく。
ムチワチニはだらしない笑顔に、どこか寂しげな色を浮かべた。
「アタシを見るとイヤな思い出まで頭によぎるんじゃないかい? だから最近、避けられてたのかと思ってたけど」
「俺のこと覚えてたんじゃねーか。……いやまあ、冒険者やめて細工師になっただけだよ。避けてたんじゃない。王都から離れただけだ。……あいさつもなかったのは、すまなかったと思ってる」
「ああ、いい、いい。あいさつなんか、贅沢品だ。人は言葉も交わせず死んでいくもんさ。生きて、こうして再会して、酒まで一緒に飲めるのは、とんでもない幸運なんだよ。普通、ありえないぐらいのね」
幸運に、とムチワチニは空の木製コップを掲げた。
コップを合わせると、カコン、という音がした。
「死んじまったやつの思い出話でもしに来たかい?」
「子育てが忙しくってね。思い出にひたる余裕もないまま歳月が過ぎていった。そうして余裕ができたころには、もう、恩人の死ぐらいは乗り越えてたよ。いつの間にかね。……今日はあんたに、『むかしばなし』を聞きに来たんだ」
「どいつの恥ずかしい思い出が聞きたいんだい? 今や英雄面で貴族様とも関わりがあるあいつの駆け出し冒険者だったころの情けない姿とか?」
「そいつが誰かさえわかんねーよ。……『勇者と魔王の話』を聞きたいんだ」
「なんでまた」
「俺、勇者になったんだ」
ムチワチニは吹き出した。
「勇者!? はあ、勇者! あんたが! あんたが!?」
「声がでかいよ。まあ誰が聞いても戯言にしか思わないだろうけどさ。いちおう、情報をもらう立場として誠実に事実を言った」
「ああ、思い出した。完全に思い出した。アンタはそういうヤツだったねえ! ……ってことは『魔王』が出るのかい? あの、なんか、やたらとすごいっていう……いや、一回出たらしいんだけどね、アタシが生きてるうちにもさ」
「……まあそこは俺もまだよくわかってないよ。とにかく予習っていうか、少しでも情報がほしくってさ」
さすがに『いないものをでっちあげるため』とは告白しなかった。
俺が勇者に選ばれた話はたぶん、放っておいてもそのうち出回る。
なにせ勇者選定は公的事業であり、どうにもその発表は大々的に行われる気配があるのだ。
対して『本当は魔王なんかいない』は、俺とキリコと、あとは娘のエイミーだけの秘密である。
ましてムチワチニばあさんは物乞いと情報で食ってるのだから、この人に漏らすとどこまで広がるかわかったもんじゃない。
「まあ酒代ぶんは話すけどね。こんな誰でも聞いたことあるような話をわざわざ聞きに来るとは、ひょっとしてアタシに会うための口実なんじゃあないだろうね?」
「そう思ってくれてもいいよ。わざわざ酒をおごらなくても話してくれる人はいくらでもいそうだってわかってて、それでもあんたを頼ったんだから」
「嬉しいねえ」
ムチワチニが視線をどこかに向けると、新しい酒が運ばれてくる。
彼女はそれをうまそうにあおって、
「じゃあ、アタシの知ることを明かそう。『むかしばなし』でいいんだよね?」
「? ああ、それでいいけど」
「って言っても誰でも知ってるんだから、格好つかないけどねえ。そうだねえ、まずは概要から話そうか」
ムチワチニはそうして『勇者と魔王の話』を語り始める。
それは、聖女に見出された勇者が、仲間を得て、魔王からの様々な難題を解決し、そして……
「勇者はその身と引き換えに、魔王を封じた。そうして今の平和がある……っていうのが、一般的な話の概要だね」
「『その身と引き換えに』?」
俺が聞き返すと、ムチワチニは「本当に知らないんだねえ」と笑ってから、
「だから、最後に勇者は死ぬんだよ。勇者伝説はたいていどれも、そうして結ばれてるんだ」
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