3話 「キリコ」と「あなた」

 その後あまりにも立板に水という調子で『勇者になるとこんないいことがある』というのを説明されたのだが、起き抜けを奇襲されたせいで詳しくは覚えていない。

 ただしやたらと金銭面での援助が強調されていたことだけは覚えている。


 その奇襲は見事なものだった。

 必要な説明を電撃的に済ませたと思うと、いかにも偉そうな神官たちがいっせいに聖句を唱えはじめ、毒島ぶすじまは片膝をつき純真な聖女そのものという声で述べるのだ。


「聖女として、わたくしはあなたを『勇者』と認定いたします。さあ、みなの見ている前で、宣誓を」


 さすがにここらへんになると頭も働き始めてきて、『これは受け入れたらまずいやつだ』という警鐘が頭の中で鳴り響く。

 いっぽうで、頭が動いてしまったせいで、この情況で聖女からの申し出を断れない社会的事情にまで想像が及んでしまう。


 宗教がガッツリ政治とからんでいるこの世界において、宗教勢力の偉い人からの申し出を断るのは、かなり勇気がいることだ。

 毒島と二人きりなら『やだよ』で済んだのだが、あきらかに偉そうな神官たちが今も『早く承諾しろ』という目で俺を見ながら聖句を唱え続けている。


 聖女としてあなたを勇者と認定しました、という言葉の背景には、これが宗教的威信をかけた打診であることが充分にうかがえる。

 断れば宗教家のみなさんのプライドを傷つけるのはわかりきっていた。


 そして『みなの見ている前で』というあたりも常套じょうとう手段的というか、いったん持ち帰っての検討を綺麗に封じていて、俺に『受け入れる』以外の選択肢を許してはくれなかった。


 どう考えても詰みの状況の中、毒島が、聖女衣装の大きく開いたたもと・・・の中から、一枚の短冊を懐から取り出した。


 それには日本語でこんなことが書かれている。


『私を助けて』


「わかりました。『勇者』、拝命します」


 聖句が止まり、神官たちがペンみたいな杖を天井に向けて立てる。

 すると杖の先からは色とりどりの光がとびだし、それらは尾を引きながらくるくると俺のまわりを動き、天井に溶けるように消えた。


「ではのちほど、準備を整えてからお迎えにあがります」


 聖女と神官たちは、袖口を合わせるように腕を重ねて、腰を折ってお辞儀をした。

 古代中国を思わせる衣装と礼だ。


 こうして俺は正式に勇者になってしまった。



 勇者になるとどういった立場になるのか俺はさっぱり理解していなかったが、ともかくいったん、馬車で村に帰ってもいいらしい。


 ただし一人で帰ることはできなくなってしまった。


 俺と同じ馬車室には、毒島ぶすじまも乗り込んでいたのだ。


「はあ、儀礼っていうのは本当に面倒くさいわ」


 なんて言う彼女の服装は、高校の制服になっていた。

「動きやすいから」という理由で着てきたらしい、真っ黒いブレザーに赤いネクタイ。深い緑と黄色がチェック模様を描き出しているプリーツスカート。学校指定の黒いハイソックスに、ローファー。

 ……あまりの懐かしさに、胸が締め付けられるような気持ちになる。

 毒島と最初に会った時には感じなかった切なさというのか、郷愁の念というのか、そういうものが、思わず目頭を熱くさせる。


「どうしたの、目をうるませて? 制服姿の女子高生がそんなにありがたい?」


「聞き方!」


「まあ気持ちはわからなくもないけれどね。……あなたの制服姿も見たいけど、さすがにもう、きついのかしら」


「心情的にもきついけど、サイズもきついんだよな」


「あなた、大きくなったものね」


 許せない、と毒島は小さくつぶやく。


 それから、毒島は何度か深呼吸をして、


「……よし。いい? これから私が言うことを、一言一句漏らさず聞いて。聞き返したり、首をかしげたりしてはいけないわ」


「お、おう」


「私、この世界では『キリコ』って呼ばれているの。だからあなたも、キリコと呼んでかまわなくてよ」


「おう。それで?」


「……」


「えっ、あっ、なんかごめん……改まった言い方するから、なにか大事な話があるのかと思って……い、今ので終わり? お前の言いたかったの、『名前で呼んでいい』ってだけのこと?」


「今後、私の前で隙を見せてみなさい。あなたの髪型をかわいい三つ編みにしてやるから」


「ごめんって」


「許せない。……まあ、そういうことだから。はい、この話題はおしまい。そちらの話を聞いてあげる」


「勇者の件だけどさ、俺、魔王を倒しに行ったりするのはごめんだぞ」


「心配ないわ。いないものは倒せないから」


「じゃあ、なんで俺を勇者にしたんだ? 別に、神様のお告げで『カイトを勇者にせよ』とか降りてきたわけじゃないんだろ?」


「一緒にいるための適当な理由がそれしかなかったのよ」


 毒島はなぜか、屈辱に打ち震えるように唇を噛んで、


「……あなたは村人。私は聖女。立場の差がありすぎて、二人で行動するためには、あなたを勇者に仕立て上げるしかなかったの」


「あー、なるほど。『元の世界に帰る方法』を探すのに、『元の世界』を知ってる俺と話しやすければ都合がいいもんな」


「まあ、その目的についてはもう……」


「え? どういうことだ?」


「……なんでもない。なんでもありません。これ以上突っ込んだ質問をしてみなさい。あなたの髪を三つ編みにしたうえにかわいいリボンまでつけてやるんだから」


「お前は俺をどうしたいんだ」


「……本当に動じなくなったわね、あなた」


「……ああ、なるほど」


 昔は毒島……キリコがなにかを言うたびに、いちいち面白い反応をしてしまっていた記憶がある。

 キレがあったというか、いじりがいがあったというか、そういう感じの、反応だ。


 しかしもう俺もいいおっさんなので、落ち着いてしまっていて、リアクションが薄くなってしまっている。

 キリコはそれが不満なのだろう。


「悪い。いやほんと、まだ『老化した』なんて言いたくない年齢なんだけど、高校生から見たらたしかにもう、年老いたおっさんなんだよな、俺」


「……十年以上も何をしてたの? 元の世界に帰る方法は探さなかったの?」


「最初のころはいちおう、探した。両親を残してきてたし、あと、スマホゲーのログボもあったし……」


「戻りたい理由が『両親』と『ログボ』なの!?」


「両親は大事だろ」


「大事だけれども! それと並ぶのが『ログボ』!?」


「それはなんか言葉のあやだよ。……まあとにかく、できる範囲で『元の世界に戻る方法』を求めてはみたけれど……見つからなかったし、あきらめた」


「どうして、あきらめてしまったの?」


「どうしてっていうか、見つからないもんだから普通に……いや、無理でしょ。そもそも俺がこっちの世界に来た理由も不明なんだよ。学校帰りにコンビニ寄ってさ、出たら異世界だったんだもの。カバンの中身と菓子パンしか持ってなかったんだよ俺。生きてくうちに『まあいいか』って……」


「順応性の高さが完璧にアダになってるじゃない……!」


「この世界もいいもんだよ?」


「そうじゃなくって! 友達のこととか……わ、私のこととか思い出さなかったの!?」


 さすがに、その質問に素直に答えるには、俺もまだまだ、若かった。


 たいていのことは老成して摩耗した精神でぼんやりと応答できるけれど、本人を目の前に『思い出さない日はなかったよ』と言えるほどの度胸はない。


 しかも『思い出さない日はなかったよ』のあとに『二年ぐらいは』と付け加えることになってしまうので、そんなこと言えばガチでキレられそうだなというのは、俺でもわかった。


「ごめんって。……ところでそっちは、どうなんだ? 一年間神殿にいたんだろ? 神殿で召喚されたなら、神殿が送還してくれたりはしないんだ?」


「それが可能なら、方法を調べようなんていう必要はなかったんだけれどね。……もしくは、送還方法はあっても、私には伏せられているだけなのかも。そういう狙いもあって、聖女としての役割を一つ一つ潰していっているところ」


「潰していく……」


「用事がなくなれば元の世界に帰してくれるかもしれないでしょう? ただ、用事がなくなった聖女を丁重に扱い続けてくれると思うほど、私はまだこの世界の人類を信用してないの。だから様子を見つつ、役割をこなしているところね」


「疑心暗鬼の化身だもんな……」


「慎重だと言ってちょうだい。……ところで確認なんだけど、あなたはもう、元の世界に帰る意思はないの?」


「うーん……行き来が可能なら……実家に顔ぐらい出すかなって感じ。ただこっちでの生活もあるからな……いや、リアルな話さ、三十がらみの異世界帰りの男に、あっちの世界での居場所なんかある?」


「……そのあたりは私も心配してて、大学受験までには元の世界に帰りたいところだったわ」


 口ぶりから、あきらめているのがうかがえた。

 まあ時間自体はたっぷりあると思うんだけど、具体的にすべきことが全然わからない状態なので、さもありなんといったところだ。


「……なあ、キリコさ、こっちで暮らしたほうがよくない?」


「許せない」


「なんで!?」


「あなたはどうしてそう、『以前からこうでしたね』みたいに名前とか呼んで……ああもう! ごめんなさいね! 情緒が不安定で! あなたは十年を過ごしてるかもしれないけれど、私は一年ぐらいしか過ごしてないの! 小娘でごめんね!」


「多感な時期だもんな。いいよ。好きなだけ情緒不安定でいてくれ」


「一回ぐらい本気で殴ってもいいかしら!」


「うーん、難しいなあ……」


 キリコと話してて思うのは、『若い娘さんは難しいなあ』というどうしようもない年齢の隔たりだった。

 同時に、今は懐いてくれている娘も、キリコみたいに難しい時期がそのうち来るのだろうかという不安。


 キリコはしかし自分でメンタルコントロールができる女子高生だ。

 あるいは外面を取り繕うのが得意なだけかもしれないが、ともかく、深呼吸五回ほどで、もとの冷静でどこか人を見下したような態度を取り戻した。


「……とにかく、とにかくよ。もとの世界に戻る方法は、探します。それと並行して、神殿に捨てられてもこっちの世界で暮らしていけるような方策を考えます」


「じゃあウチに住む?」


「やっぱりあなたは一度痛い目に遭わせるわ。なんていうか社会的に」


「おじさんがJKを拾うのはまあまずいかもしれないけど、ほら、俺たちの今の年齢差だったら、ギリギリ養女ということでお前を受け入れることも……」


「どうしたの? いつ、そんなに私を怒らせるのに長けた術を身につけたの?」


「なにかまずかった?」


「宿題にしてあげるから死ぬほど悩みなさい」


「わけがわからないよ」


「あなたは、ないの? 私と再会した感動とか、異世界で元の世界の知り合いと巡り合えた奇跡への感謝とか、郷愁とか、抱きつきたいほどの喜びとか!」


「そっちはあるの?」


「ありますけどなにか!?」 


「え、じゃあ、来る?」


 腕を広げる。


 キリコは三秒ぐらい固まって、二秒ぐらい唇を噛んでうつむき、俺のほうを見ないまま、消え入りそうな声でつぶやいた。


「本当に許せない」

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