時間差勇者

稲荷竜

一章 異世界生活十三年目

1話 十年越しの/一年と三ヶ月ぶりの再会

「気まずい……」


 王都の神殿には『勇者候補』が集められていて、どうやら俺もその一人だった。


 今いる聖堂の構造のせいか、予想以上に響いてしまった声をごまかすため、視線をあげる。


 高い天井を見上げればそこには色彩豊かな宗教画がある。


『勇者降臨伝説』の一幕を稀代の芸術家が描いたものだ。


 勇者に洗礼を与え、聖剣を清める聖女の姿が描かれている。


 たいして興味のない絵をしばらくじっと見つめたあと、視線を下げた。


 円状に並べられた七つの椅子にはそれぞれ勇者候補が座っている。


 現在、うち一人が奥の部屋に呼び出されて聖女から質疑応答を受けているので、埋まっているのは、俺の座っている椅子もふくめ、六つだ。


 そして座っている俺以外の全員が、十代の若者だった。


 奥の部屋に呼びされているやつも、たしか十三、四歳だったはずだ。


 ここに居並ぶ男女比一対二の集団で、三十歳を超えているのは俺だけだ。


 気まずいったらない。


 そもそも三十歳超えて勇者候補というのはかなり恥ずかしいものだ。


 王都の神殿に呼び出された時には、村の連中から「よっ、勇者さま!」「勇者さまお土産よろしくな!」とからかわれたものだ。


 この世界は、平和なのだった。


 モンスターはまったくいないわけでもないが、魔王はおらず、世界をおびやかす危機もない。


 勇者なんか選んだってしょうがないと思うのだけれど……

 聖女っていうのは神様の声を聞いて、その声を実行する人らしいからな。

 聞こえちゃったもんはしょうがないだろう。


 ああ、ただただ憂鬱だ。

 早く村に帰って、娘に会いたい。


 それとも、俺がこの世界に来た直後なら、もっと喜べたのだろうか?


 高校生のころ、学校帰りに異世界転移する羽目になってから、もう十年以上が経つ。


 今思えば、当時の俺は異世界転移というものに夢とか希望とかを抱いていたように感じる。

 その時の自分だったら、『勇者候補』なんてのに選ばれたらテンション爆上がりだったんだろうけれど……


 今はなあ。

 生活もあるしなあ。


 嫁はいなくとも娘はいるし、今から魔物討伐の旅に出るほど生活に不満もないし……

 そもそもチートがなあ。ないわけじゃないんだけど、そういう派手な活躍できそうな感じかって言われると……


「次! テハイサ村の細工師、カイト!」


 奥の部屋から出てきた神官が、いかつい顔で高らかに俺の名を呼ぶ。


 いっしょに出てきた『勇者候補』の様子を見るに、どうやら聖女さまとの面談で『お祈り』されたようだ。


 俺は緊張し、集まった若者たちの視線にへらりと笑って応じると、神官のもとへと歩み出た。


 神官はいっさい表情を変えずに俺を見上げると、背を向けて歩き出す。


 黙ってそれについていき、扉をくぐると、薄暗い、細長い通路に出た。


「まっすぐ進むと、聖女さまのおわす真聖堂にたどり着く。そこで聖女さまの質問に、いっさいの隠し事なく答えるのだ。くれぐれも失礼のなきよう」


 失礼を働くつもりはぜんぜんないが、ことさら『失礼のなきよう』とか言われると、妙に緊張してしまう。

 悪いことしてないのにおまわりさんの姿を見るとビクッとしたり、万引きするつもりもないのに『万引きは犯罪です』の張り紙を見てみょうに後ろめたい気持ちになったりする、あの感じだ。


 ぎこちなく細い廊下を歩み、その先にあるドアを開けた。


 あっ、やべっ、ノックすべきだったよな……


 わけがわからなくなってきた……これで機嫌をそこねられなきゃいいんだが……

 この世界の最大宗教の聖女さまだし、失礼を働いたら冤罪えんざいとか被せられて不当に投獄されたりしないかな……?


「お入りください」


 ドアを開けていつまでも考え込んでいたからだろう。

 中にいる聖女さまから声がかかった。


 覚悟を決めて部屋に足を踏み入れる。


 そこは椅子を二脚とテーブルが一脚置かれただけでいっぱいになってしまうような、狭い部屋だった。


 さっさと席に着こうと思って、一歩踏み出し、そして……


 俺はまた、足を止めてしまった。


「……ぶ、毒島ぶすじま?」


 つい、口から漏れた名前は、クラスメイトのものだった。


 もう十何年か前になる。

 俺がこの世界に来る前に、高校で同じクラスに毒島霧子きりこという女子がいた。


 毒島霧子という女子について俺がまず思い出すことはといえば、そいつがいかにもな『物静かな文学少女』を気取って、いつでもクラスの窓際の席で、小難しそうなタイトルのハードカバーを、人に見せつけるように読んでいたことだ。


 どことなく人とのあいだに壁を作っているようなやつだった。

 その近寄り難さは、大和撫子とでも言うのがしっくりくるような、いかにも古風で、十二単じゅうにひとえでも着せればよく似合うだろう非現実的な美人さのせいでもあっただろう。


 男連中からの評判は上々だった。

 女連中のほうはよく知らないが、なんていうか、毒島自身の性格が強すぎて、いじめみたいなことはなかったように見えた。


 俺はあるきっかけから、毒島のかぶっていた文学少女という外面の下にあるものを見せつけられる羽目になってしまって、しばらくこいつと友達というのか、誘拐犯と被害者というのか、そんなような関係性だったことがある。


 だが、ここは異世界だ。


 あまりにもクラスメイトに似ていたからついおどろいてしまったけれど、黒髪黒目の人種もここらの地域には普通にいる。

 まして俺が転移してから十年以上が経っているのだから、たとえ毒島もこの世界にいたって、高校生のころのままの見た目なんていうことはないだろう。


 そう思っていたのに。


「ああ、やっぱり」


 聖女は笑う。

 ニタリ、と邪悪に、不敵に、聖女らしからぬ笑みを浮かべて、


武東むとう快斗かいとくん、あなたが失踪してからだから、一年と三ヶ月ぶりかしら? ちょっと老けた?」


 背後で、バタン、とドアの閉じた音がした。

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