第15話 「自分探し」と内観とは?
仲間のゆうから、
ちまたでは、「自分探し」をする人がいるらしいときいた。
この「自分探し」
皆はどんな事を想像するだろう。
・本当の自分は?
何がしたいのか?
どんな事を感じているのか?
自分っていったい?
とか、いろんな解釈するんだろうな。
自分を掘り下げ見つめる。
これって大事な事で、案外簡単そうで実は難しいらしい。
人それぞれ捉え方はあれども、
自分が本当に何がしたいのか?
と考えれば、それにそった答えを探そうとするわけだ。
大体の人が今生きている今生で如何に幸せに暮らせるか。
これに多分行き着くのではないかと。
ただ、俺は、ちょっとそこからは、離れて別の角度から考えてしまう。
自分を見つめる、掘り下げだす。
ここには、「内観」と言うものがあるわけだ。
この内観は、「自分自身を知る」となり、「自分自身丸ごと知る」となる。
自分自身を丸ごと?
これにそった答えを探す。
というもの。
どうだ?みんなは、自分自身をどれだけ知っているだろうか?
人間だしな、良いところ、
悪いところあるわけだ。
それが人間だと俺は勝手に考える。
人間ばかりじゃない、俺も同じなわけだ。
さてさて、それでだ、
ここに注目してほしい部分が実は俺の考えの中にあるんだが。
それが、「闇の心」
さぁ、一気に、ただの短所なんてものじゃないって感じがするだろ?
「闇」だ。。。つまり「邪の心」
こんなもん、犯罪者くらいだ持っているのは。
なんて考える人もいるかもしれない。
だかな、皆あるもんだ。
誰にだってある、この「闇の心」、「邪の心」。。
いや、自分自身にそんなもんない!なんて、言っても、、
有るんだよな、、それが。。
なんせ、「陰」と「陽」から成り立つ
世界に皆はいるわけだ。
全てにおいて、「闇」と「光」がある限り、自分自身にも、この闇と光が存在する。
俺はこれを二元の世界と呼んでいる。
皆が、知る三次元の世界とは解釈は違うんだが。
その話は、次回にでも。
話は戻り、その「闇の心」を見つける事ができれば、それを抑制し、
正そうとする働きが皆の内側にはある。
それが、「光の心」だ。
そして、その「邪の心」をどれだけ探し出せるか。
ここで勘違いしたいでくれ、
自分の悪い部分が、全てこの
「邪の心」ではないと言う事だ。
だから、「自分を許してやる」
と言う事もできる。
ただ、「許してはいけない」
それに値するのが、「邪の心」であり、「闇の心」となる。
いつもの俺なら、きっと、
「例えば・・・」と切り出し、
話を進めるところだが、
これについては、俺はしない。
なぜなら、それをするのは、自分自身だからであり、また、その基準すらも、各々の価値観となるわけだ。
自分自身でどれだけ、気が付き、
「許す」「許さない」の判断を己に課す。
ここにこそ、自分の向上となるわけだから。
ただな、間違ってはいけない。
「許してはいけない」
これを
自分自身が「許してしまう」
これをすれば、自ずと、自分自身は、歪み、汚れ、我欲にまみれていく。
逆に「許さなければならない」
これもある。
これを間違わなければ
自分自身を苦しめていた事から開放され、解き放たれる事で楽になれる。
だから、間違わないでほしい。。。
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