第5話 自分の本質は何にでも現れるお話
作者「あれ? 最近、自分の事を
「私」じゃなく、「俺」って言ってるんだね。」
作者のユリナからの素朴な投げかけから確かに初めは「私」だった。
最近はかなり素のままの自分で書いているのがわかる。
こちらの作品もまだ5話だと言うのにな。
まぁ、素の自分のままの方が書きやすいわけだが。
読者の皆様には、ご勘弁を。
さて、今回のお題
「自分の本質が現れる」と言うお話。
実は、ちょっと前から、「言霊」について書こうかなって考えていたんだが。
多分聞いた事があるんじゃないかなと。ちまたでは、スピリチュアルみたいなお話をされる人などからもよく聞かれている。
「言霊」つまり、話す言葉には話し手からの想い等が宿ると言うものだ。
日本語は特にだが。
日本は昔から、何にでも宿るとされ、それが、平たく言えば「八百万の神」となるわけだが。
さて。
これから、俺が話す事はそんな「言霊」にも通じていくお話。
誰だって、日によれば気分のいい日。
悪い日。また、楽しい、嬉しい、とか
いろいろとあるだろう。
だが、その人の本質があるって事わかるだろうか。
本質とは、自分がどんな人間かと言えば解りやすいかもな。
明るい性格、気難しい、優しい、
怒りんぼとか。沢山出てくるのではないだろうか。
そんな自分の本質は何にでも現れる。
例えば、
心が綺麗な人、子供達は無邪気だ。
そんな人が、何か文章を書いたり、手紙や、今、俺が書いているこんな手書きでもない文章すらにも出るもんだ。
文章にというより、文面全体にと言うわけだが。
又、子供達が保育園や、学校などで演奏する楽器の音や、お絵描きの絵ですら、その綺麗さや純粋無垢などが現れる。
子供達の場合。大人が演奏する技術よりは乏しいだろう。だが、奏でる音は綺麗なものだと感じる。
ただ、大人にやらされたり、嫌だったりならば、別だが。
また、顔の表情などからも。特に目には出やすいのではないだろうか。
「話す」という作業にしても、
「同じ事を言われても、この人から言われても嫌味がないが、こちらの人が言うと、とても嫌な感じがする。」
と言う印象を受けるのも、その話し手の本質が出るからなのではないか。
ただ、これらを感じる、又は感じ取れるかは、自分次第ではなかろうか。。
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