第2章 赤毛の魔女と三匹の番犬

 ある日の午後。一人の女性が、悠々と大通りを歩いていた。


 黒の長袖のワンピースに、地面に付きそうなほど長い黒のマントに身を包み、頭にはつばの広い、黒色のとんがり帽子をかぶっている。帽子の先には赤と緑と金の石が付いた飾りがぶら下がっていた。帽子を深くかぶっているせいで顔は見えないが、帽子から覗く真っ赤な髪の毛を一つにくくり、編み込んで垂らしている。


 女性は鼻唄交じりに大通りを歩いている。横を通り抜けていく人々は、その異様な姿をした女性にぶつからないように歩いていくが、女性の姿に疑問を抱いていない様子だった。まるで、そこに女性がいることはわかっているが、その姿が見えていない、という様子で。


「……そろそろ、時間ね」


 女性が鼻唄をやめて、ぽつりとつぶやく。女性が立ち止まり、その瞬間、女性の姿がふっと消え失せた。


 人々はそのことに気が付かない。そこに女性がいたことさえ、その記憶にはとどまらなかった。


    ◇


 鬱蒼とした森の中。森の中で一か所だけ開けた、日光の当たる場所に、一軒だけみずぼらしい小屋が立っている。ツタに覆われ、緑色に染まった小屋の前で、ディティが汗を流しながら、ファビュラスベートの世話をしていた。


 脱いだ小汚いコートを近くの木に引っ掛け、下に来ていた白いブラウスの袖をまくったディティは、額に浮かんだ汗をぬぐいながら息をついた。


「まだ時間かかるなぁ……もうちょっとじっとしててね」


 鑿と金槌を持ったディティは、目の前のファビュラスベートに笑いかける。ディティの前で大きな亀のようなファビュラスベートが大人しくしていた。甲羅の上に山のように生成された、白く濁ったクリスタルのせいで、ファビュラスベートは身動きが取れなくなっているようだ。


「災難だったねぇ。本来なら自分で岩かなんかで削ぎ落せるのに、足を怪我しちゃ、それもできないもんね。重かったよね。もうちょっと待っててね」


 優しく声をかけながら、甲羅の上のクリスタルを鑿と金槌で削ぎ落していくディティの様子を横目に見て、ファビュラスベートは甲羅の中に首を引っこめた。甲羅からはみ出た一足には包帯が巻かれており、少しだけ赤い血が滲んでいる。


 ふと、ファビュラスベートが何かに気が付いた様子で首を出し、後ろを見た。ディティが手を止め、ファビュラスベートが見ている方向を見る。


Bonjourボンジュール、ディティ。久しぶりぃ」


 森の中から魔女のような恰好をした女性が現れた。


「相変わらず、こんな小汚い小屋に住んでるのね。マライアの身体に悪いんじゃない?」


「君も相変わらずの減らず口だね。ソフィア・アスティカベルお嬢様」


 ソフィア・アスティカベルと呼ばれた女性が帽子を脱ぐ。帽子で隠れていた美しい赤毛と、金色の勝気な瞳が、日光を浴びて輝いた。


「やめてよ。減らず口はそっちも変わらないでしょ? ソフィーとお呼び」


「やぁ、ソフィー。久しぶりだね」


 ソフィーが肩にかかった長い編み込みの髪を払い、怒ったように手を腰にあてて、ディティのことを睨みつけた。ディティが肩をすくめる。


「久しぶりだね、じゃないのよ。本当ならこの前のサバトで顔を合わせるはずだったのに、あんた来ないんだもん。おかげさまでこっちが出向くはめになって、大迷惑! いいかげん、魔法使い嫌い治しなさいよ。こっちが迷惑だわ」


「嫌いなわけじゃないよ。ただ、マライアを置いていけないからさ。許して?」


「相変わらず、胡散臭い笑顔! それも治した方がいいわ。いつまでマライアに怖いって言われたこと気にしてんのよ。女々しい男!」


「……生まれつき目つきが悪いものでね。ソフィーだって、小さい頃はぴいぴい泣いてたくせに」


「もう慣れた。それより、その子は?」


 ソフィーがファビュラスベートを指さした。


結晶背負いクリスタルザシオン。石を食べるファビュラスベートなんだけど、体内で栄養を取り出したのちに、無駄なものを甲羅にクリスタルとして出すから、岩とかで削ぎ落とさないと重くなって動けなくなっちゃうんだ。この子は足を怪我しちゃったみたいで動けなくなってたから、今、慎重に削ぎ落してたところ」


「あらら、可哀そうに」


 ソフィーがクリスタルザシオンに近づいて、甲羅から出た頭を優しく撫でた。クリスタルザシオンは安心したように目を瞑る。


「私が治してあげる」


 ソフィーがクリスタルザシオンの包帯に向かって手をかざすと、ソフィーの手が光った。しばらくすると、ソフィーは「よし」と言って手を離し、クリスタルザシオンの包帯を外す。クリスタルザシオンの足は完治していた。それと同時にディティが甲羅の大きな結晶を取り除き、クリスタルザシオンは嬉しそうに森の中に戻っていった。


「助かるよ。便利だねぇ」


「あんたもこれぐらいできるようにしなさいよ。不便でしょ」


「いやぁ、ファビュラスベート以外の魔法はからきしダメだなぁ」


「不器用め」


「なんとでも。それより、急にどうしたの? なにか用?」


「あぁ、そうだった。えっとね、家のことよ。最近、うちの三匹がそわそわしててね」


「三匹? え、まさか……」


 その瞬間、ソフィーの後ろから大きな何かが飛び出して、ディティに飛びついた。


「うわああっ‼」


 ディティが悲鳴を上げながら押し倒される。ディティに飛びついたのは、大きな狼のようなファビュラスベートで、三又の頭を持ち、足は六本、頭はそれぞれ黒と灰と白の毛並みにわかれている。


 ファビュラスベートは嬉しそうに大きな尻尾をディティの足に巻きつけながら、無邪気な大きな犬のように、ディティの頭に噛みついている。ディティは必死に引きはがそうとしているが、押さえつけられてもがくばかりだった。ソフィーはそれを見ながら、ケタケタと笑う。


「……!」


「え? なんてぇ?」


「死ぬっ……‼」


「あぁ、はいはい。ロイ、ロト、ロキ、Assisアシィ!」


 ソフィーの声に反応して、ファビュラスベートがディティから離れ、お座りをした。ボロボロになったディティは起き上がり、髪を撫でつけ、涎まみれになった顔を拭う。


 右からロイ、ロト、ロキと呼ばれたファビュラスベートは、それぞれ、ロイは灰色の毛並みに三つの緑の目を持ち、ロトは、黒の毛並みに二本の角と赤い目、ロキは白の毛並みに四つの耳と金色の目を持っていた。


「ソフィー……頼むから、ここに三匹を連れてこないでよ……」


「あら、どうして? うちの可愛い番犬を連れてきちゃ、ダメだっていうの? こんなにあんたに懐いてるのに」


「そうじゃなくて……ロイ、ロト、ロキが強すぎて、他の子たちがびっくりするんだって。あと、僕もボロボロになるから……裁判の番犬たちシヴァン・ド・ギャルドは神話にも出てくるような、力の強いファビュラスベートなんだからさぁ……」


「ちがーう。うちの子は、三匹の番犬トロア・シヴァン・ド・ギャルド。私の優秀な護衛」


 ディティが三匹に近づいて、それぞれの頭を撫でた。三匹は嬉しそうに尻尾を振ると、ロイががぶりと、ディティの腕に噛みついた。


「……この噛み癖は治した方がいいよ……」


「噛むのはディティだけよ。好きすぎて噛んじゃうみたい」


「治してよ……!」


 ディティが腕を引き抜き、涎まみれになった腕を見て、ため息をついた。


「それで? 家のことって?」


「シヴァン・ド・ギャルドの大審判が近いのよ。罪人の品定め。ほら、うちは神話にもとづいて、シヴァン・ド・ギャルドを信仰しているでしょ? 家紋にしているぐらい。本当は現当主の妹が管理するはずだったんだけど、体調を崩したらしくてね。私に頼ってきたんだけど、私、ファビュラスベートに関する知識なんて全くないわけ。だから、こうしてあんたに手伝ってもらおうと思ったの」


「大審判……」


「あら? まさか忘れたのぉ?」


「まさか」


 ディティが余裕そうな顔で笑う。ソフィーがむっとした顔をした。


裁判の番犬たちシヴァン・ド・ギャルドの大審判。地獄の門ラ・ポルト・ドゥ・ロンフェールの前の渓谷にすむシヴァン・ド・ギャルドが、一年に一度、人間の世界に来て、罪人を選び、地獄に連れて行く儀式のこと。魔法使いの中でも名家とされるアスティカベル家が、代々、その管理と手伝いをしているけど、今回はフィアナさんが家出した姉の代わりに、家のこととか、その他もろもろの重労働を一身に引き受けたせいで体調を崩したため、僕のところにも連絡がきました。フィアナさんから『おい、くそ姉! こんな時ぐらいちゃんと働け!』と伝言を預かっております」


「……なによ、連絡、いってたんじゃない」


「フィアナさんは仕事が早いね!」


「うるさい。ちゃんと仕事するから、内容、教えなさいよ」


「どこまで説明すればいい?」


「全部」


「わぁ。ほんとに何も知らないんだねぇ」


 ソフィーがギロリとディティを睨む。ディティは肩をすくめて、説明を始めた。


「シヴァン・ド・ギャルドは黒、白、灰、の毛並みを持つファビュラスベートたち。毛の色ごとに群れに分かれて行動する。黒の群れは二本の角を持つ、赤い目をした個体の集まり。灰の群れは三つ目に緑の目を持つ個体の集まり。白の群れは四つの耳に金の目をした個体の集まり。黒は悪しき罪人を角で貫き、血で赤く染め、灰は罪人であるかを見極め、白は更生した罪人の懺悔を聞くと言われている」


「それは知ってる。私がやるべきことを聞いてるの」


「全部って言ったじゃん」


「早く」


「はいはい」


 ディティは困ったように笑い、説明を再開する。


「僕たちがやるべきことは、シヴァン・ド・ギャルドが人間の世界にくることで、認識の壁が崩れるのを防ぐこと。大審判の時は境界が曖昧になるからね。門からシヴァン・ド・ギャルド以外のファビュラスベートが出てきてしまうことを防がないといけない」


「それだけ?」


「うん」


「なんだ! 簡単じゃない」


 ソフィーがけろりと言った。ディティが面食らったような顔をする。


「そんなこと言えるの、ソフィーぐらいなんだって。世界の境界に干渉できるのは、アスティカベル家みたいに魔力が強い魔法使いだけだよ。僕だって一苦労なんだから」


「あら、そう? まぁ、いいわ。それぐらいなら簡単だし。ところで、マライアは? 久しぶりに会いたいの」


「え? マライアならそこに……」


 ディティが小屋の前に置かれたベンチの方を向く。そこにマライアの姿はなく、ディティの顔から血の気が引いた。


    ◇


 マライアは、小屋の近くの湖の上で、ファビュラスベートの背中の上にうつぶせに寝転び、紫色のファントムパラディの太陽を見つめていた。


 マライアを背中に乗せているファビュラスベートは、大きな蛙のような姿をしていて、湖の上に浮かんでいた。その身体は水でできていて、オタマジャクシのような尻尾が生えている。体内にはぽっかりと空洞が開いていた。


 マライアは朱色の半そでのワンピースの下に白いブラウスを着ていて、履いていた編み上げブーツは、湖の畔に脱ぎ捨てていて裸足だった。美しい金色の髪を無造作におろし、カールした髪はファビュラスベートの水でできた身体の中で揺らめいている。


 口の中で飴を転がしながら、マライアは身体が濡れるのも気にせず、ぼうっと紫色の太陽を見つめて、ふうと息をついた。


 その瞬間、じっとして動かなかったファビュラスベートが不意に動き、ズプンとマライアの身体がファビュラスベートの身体の中に沈んだ。マライアが驚いたような顔をしたが、身体はそのまま飲み込まれ、ファビュラスベートの体内にあった空洞に収まる。


 問題なく息ができることを確認して、マライアは目を閉じた。ファビュラスベートが動き出し、マライアを体内に入れたまま、湖の中に進んでいこうとする。


「ああああ‼ マライア‼」


 聞こえた悲鳴に近い叫び声に、マライアが目を開けた。駆け付けたディティが慌てふためいている。


「マライアが‼ マライアが、ポルトロに食われてるぅ‼」


「落ち着きなさい、馬鹿。あれは人を食べるようなファビュラスベートじゃないでしょ」


 追いついてきたソフィーが呆れたように言う。ポルトロと呼ばれたファビュラスベートはディティの声に気が付き、湖の畔へと進んで、湖から出てきた。ディティが駆け寄り、ポルトロの身体に手を突っ込むと、マライアを引っ張り出した。


「あぁ、マライア、ビシャビシャじゃないか……髪もほどいちゃって……」


 マライアは心底面倒くさそうな顔をする。ポルトロは何事もなかったかのように、穏やかな顔のまま、湖の中へと戻っていった。


「久しぶり、マライア。調子はどう?」


 ディティの後ろから顔を出したソフィーに、マライアの瞳が心なしか輝き、マライアがディティの手を振り払ってソフィーに近づいた。ソフィーは愛おし気にマライアの頭を撫でる。


「ん~! 相変わらず可愛いわねぇ! 過保護な男は嫌になるでしょ? 女はちょっとぐらいやんちゃなのがいいのよ! ねぇ、マライア。私のところに来ない?」


「行きません! マライアは僕と一緒にいるの! あと、さすがに家出するほどやんちゃなのは、愛嬌ですまされないと思うよ」


「うるさいわね。ねぇ、マライア」


 マライアは大人しくソフィーに頭を撫でられ、ディティがそれを阻止するようにマライアを抱き寄せた。マライアがふうと息をつく。


「ほら、早く準備しないと大審判に間に合わなくなるよ」


「あんたもでしょ。言われなくてもわかってるわよ」


 にらみ合う二人を見て、マライアは先ほどよりも少し大きく、ため息をついた。


    ◇


 フランス、パリの上空で、三人は眼下に広がる街並みを眺めている。ソフィーはロイ、ロト、ロキの身体に座ったまま、宙に浮いていた。ディティはマライアを落とさないように、しっかりとその腰を抱き寄せている。髪を結びなおされたマライアは、ふわふわとカールした髪をそのままおろし、綺麗に三つ編みのハーフアップにされていた。


「……まさか、広範囲魔法陣を一人で描くなんて……」


 ディティが眼下に広がる街に描かれた、大きな魔法陣を見つめて呟いた。ソフィーは得意げに笑う。


「前代未聞だよ」


「いいじゃない。この方が安定させられるわ。ただ、明日は肩が凝りそうだけど」


「それぐらいで済むのがすごいよ……」


 ディティが小さくため息をついた。


「シヴァン・ド・ギャルドが開く扉は三つ。白と灰と黒のそれぞれの群れが、それぞれに扉を開いて、人間の世界にやってくる。そして、世界中の人々を品定めする。フランス、パリは世界の境界線があるから、扉が開きやすいし、不安定になりやすい」


「……ねぇ、連れていかれた罪人は、いったいどうなるの?」


 ソフィーの問いかけに、ディティは不適な笑みを浮かべた。


「さぁ? シヴァン・ド・ギャルドは神の使いともされるファビュラスベートだからね。それは僕たちの知ることじゃないよ。まぁ、罪人は白の群れに懺悔を聞き届けられるまで、日の目を見ることはない……かも?」


「ふうん」


 ソフィーがロイ、ロト、ロキの頭を撫で、たいして興味がなさそうに言った。


「さて、そろそろかな」


「えぇ……なんだか嫌な予感がする」


「え?」


「嫌だわ。私の勘は当たるのに」


 ソフィーがそう呟いた瞬間、空に二つの太陽が現れた。一つは人間世界の黄色の太陽。もう一つは、ファントムパラディの紫色の太陽。紫色の太陽は徐々に黄色の太陽に近づいていき、その光を遮るように、黄色の太陽を隠した。世界に紫色の光りが溢れる。街を歩く人々は、その異変に気が付かない。


「お出ましだ」


 街の北、南、そして中央に、黒、白、灰、の大きな門が現れた。その門が重々しい音を立てながら開き、中から、シヴァン・ド・ギャルドが出てきて、鋭い眼光を人々に向け、空高く舞い上がると、それぞれの群れの中からバラバラに飛び出していき、世界各地に飛んでいく。


 ソフィーは集中して、目を閉じて何かの呪文を呟いていた。自分が出る幕ではないと悟ったディティは、不思議な光景を興味深々で眺めているマライアを、愛おしそうに見つめる。詠唱を終えたソフィーが目を開けると、描かれた魔法陣が光り、半開きだった門が閉じた。


「これでいいでしょう」


「さすが。一家総出で行われるはずのことを一人でやってのけるねぇ。やっぱり、家出しないほうがよかったんじゃない?」


「やめてよ。あんな堅苦しい家にずっといたら、身体が腐っちゃう」


 ソフィーが不適な笑みを浮かべた。


「女は自由であるから、美しいの」


「わぁ。暴論」


「うるさい」


 ふと、ソフィーが何かに気が付いた様子で街を見た。ディティも気が付き、あたりを見回す。


「やだ。当たっちゃった」


「もー! ソフィーが変なこと言うから!」


「ねぇ。私、門の方行くから、こっち頼める?」


「了解」


 ソフィーとディティの視界に映ったのは、黒色の門に近づいていく、黒いローブを着た者たち。異様な姿をしているにも関わらず、人々はその者たちに見向きもしない。数人が、頭上にいる三人に気が付き、こちらに向かって飛んできた。


 三人はあっという間に黒いローブを着た者たちに囲まれる。それでも、ソフィーとディティは不適な笑みを崩さない。


「やだ、なあに? 神聖な儀式の途中よ。後にしてくれる?」


「……今すぐ、範囲魔法陣を消せ」


「あら、どうして?」


「邪魔だからだ。我らの計画において、障壁となる」


「友好的じゃないなぁ」


「アドミニストレータとアスティカベル家長女殿。こちらとしても手荒な真似はしたくない」


「嫌よ。交渉決裂」


 ソフィーが言った瞬間、黒いローブを着た者たちは呪文を唱え始め、三人に向かって手をかざした。手から黒い波動のようなものが出現し、三人を取り囲んだ魔法使いたちは敵意を向けて魔法を放とうとしている。ソフィーがにやりと笑った。


Onyvaオニヴァ‼」


 ソフィーの掛け声とともに、ロイ、ロト、ロキが動き出し、魔法使いたちを蹴散らした。ソフィーは三匹にまたがって、ディティに向かって笑いかける。


「じゃ、あと、よろしく!」


「はーい」


 ソフィーと三匹が門に近づいていく集団に向かって飛んで行った。残されたディティとマライアは、こちらに向かって来る魔法使いたちを見つめる。


「マライア。離れないでね、危ないから」


 マライアが小さく頷き、ディティはにっこりと笑うと、マライアの身体をコートで包んだ。ディティは向かってきた魔法使いたちに敵意むき出しの笑顔を浮かべた。


「何を考えていらっしゃるのかは存じあげませんが、神聖な儀式の邪魔は許しません」


 ディティが本を取り出し、本がひとりでにページを開き始めた。


「アドミニストレータの権限として、ファントムパラディおよび、汝の干渉を許可する」


 本が光り輝き、ページを開いた。ページには魔法陣が浮かび上がっており、青白い光りがディティの紺色の瞳を反射した。


快晴の覇者ベル・タン・シャンピオン


 ディティが名前を言った直後、本のページから、大きな羽が四つ生えた、手足のない、空色の蛇のような姿をしたファビュラスベートが飛び出した。額からも小さな羽が二つ生え、瞳は太陽の色のような金色をしている。


 シャンピオンは上空へと舞い上がると、大きな羽を羽ばたかせ、突風を巻き起こして、向かってきていた魔法使いたちを吹き飛ばした。突風は魔法使いたちを追跡して身体を吹き飛ばし、悲鳴を上げる魔法使いたちを遠く彼方へと吹き飛ばしていく。


 シャンピオンはその様子を見て、楽しそうにカラカラと笑うと、ディティに近づいて行って、頬ずりをした。マライアがコートの中から顔を出し、シャンピオンと目が合って、シャンピオンがマライアに顔を近づける。


「さて、あっちはどうかな?」


 シャンピオンがマライアにも頬ずりをして、カラカラと笑った。


    ◇


 ソフィーを乗せた三匹は、門に近づいていく魔法使いたちを追いかけ、あっという間に追いつくと、道を塞ぐように、魔法使いたちの前に舞い降りた。魔法使いたちがぎょっとして立ち止まる。


Bonjourボンジュール、皆々様。あの門に何の用?」


 三匹の背中から降りたソフィーが魔法使いたちに微笑む。魔法使いたちは悔しそうに歯を食いしばった。


「まさか、門を開けようなんて、思っていないわよねぇ?」


「……邪魔をするな」


 魔法使いの一人が言って、ソフィーが余裕そうな笑みを浮かべながら首を傾げる。


「同胞よ。おかしいとは思わないか?」


「何を?」


「なぜ、我々が狭間の者として、存在せねばならないのか、と」


 ソフィーがきょとんとした顔をする。魔法使いは言葉を続けた。


「もともとあった世界が二つに隔てられた。それはいいのだ。だが、なぜ、この世界は人間のものになった? なぜ、我ら、力の強い者は、狭間などという場所に追いやられなければならないのだ? おかしいだろう。我々は、人間よりも優れているのに、なぜ死角に住まわねばならない。この世界は、魔法使いのためにあるべきなのだ」


 きょとんとしていたソフィーが、ふき出したように笑いだした。魔法使いたちがいぶかし気な顔をする。


「あっはっはっは‼ あー、おかしい‼ おっかしい‼」


「……なぜ、笑う」


「は~あ。そうね。ふふっ。魔法使いのため、ねぇ。ふふふ。馬鹿らしいこと!」


 ソフィーが不敵に笑う。三匹は大人しく、ソフィーのそばで座っていた。


「古臭いのよ、その考え」


 言い切ったソフィーに、魔法使いたちが歯ぎしりをした。敵意を察知した三匹が、魔法使いたちに牙を向き、低い声でうなり声をあげる。


「強いからこそ、強い者が管理しなければならない。安定させ、壁を保たねばならない。そんなこともわからないの?」


「……不公平だ」


「子供ねぇ。駄々をこねるのはおやめなさい。それにね、私、人間が作り上げたこの世界、結構気に入ってるの」


「この、醜い世界が?」


「えぇ。あなたたちが言うほど醜くないわ。綺麗なものも溢れている。だから、それを汚そうなんて、許さないわ」


 魔法使いがソフィーに向かって手をかざし、魔法を放とうとする。その瞬間、三匹が動き出し、魔法使いたちを蹴散らした。六本の足で魔法使いたちを蹴り飛ばし、牙を向きながら威嚇して、じゃれるように頭突きをする。その様子を眺めながら、ソフィーは余裕の笑みを浮かべていた。


「狭間の世界にいる不安定な存在。その方が自由でいいじゃない? 私は自由が好き。自由だからこそ、女は美しいの」


 魔法使いたちを蹴散らした三匹は、嬉しそうに振り返り、尻尾を振りながらソフィーに向かっていって、撫でてくれというように頭を突き出す。ソフィーはそれに応え、三匹の頭を優しく撫でた。


 その時、ソフィーの後ろから、一人だけ残っていた魔法使いがソフィーに向かって魔法を放とうとしていた。ソフィーが気が付き、振り返る。三匹が大きな声で吠え、ソフィーを守ろうと飛び出す。


 その瞬間、魔法使いに何かが噛みついた。三匹が動きを止め、ソフィーが「あら」と気の抜けた声を出す。魔法使いに噛みついたのは、黒い毛並みのシヴァン・ド・ギャルドだった。


「そうよね。あなたたちの儀式の邪魔をしたんだもの。悪い人たち。二つの世界を脅かそうとした、悪しき罪人」


 シヴァン・ド・ギャルドの黒の群れがやって来て、ロイ、ロト、ロキに蹴散らされ、地面に倒れていた魔法使いたちをくわえて引きずって行く。もがく魔法使いたちの抵抗をものともせず、シヴァン・ド・ギャルドは門にたどり着き、魔法使いたちは門の中へと飲み込まれていった。


Au revoirオゥ・ホゥヴァア、皆々様。地獄の底からのお返事、お待ちしておりますわ!」


 声高らかに響いたソフィーの声は、門に飲み込まれていく魔法使いたちの悲鳴に掻き消されていく。魔法使いたちを全員、門に放り込んだシヴァン・ド・ギャルドは、ソフィーを一瞥すると、また空に向かって飛んでいき、それぞれの方向に飛んでいった。


「いやー、大審判の日を狙うなんて、まぬけだなぁ」


 聞こえた声にソフィーが上を見上げる。空からシャンピオンの背に乗ったディティとマライアが降りてきて、ディティがソフィーに手を振った。着地したシャンピオンの背中から降りて、ディティは門を見つめる。


「シヴァン・ド・ギャルドの逆鱗に触れるのになぁ」


「本当よね。それに、あんな三流がいくら集まったって、私の魔法陣を破壊なんてできるわけがないのに。この世界を魔法使いのものに、なんて、ガキ臭いこと考えるわ」


 ソフィーが嘲笑を浮かべる。シャンピオンは相変わらずマライアに頬ずりをして、嬉しそうにしていた。ディティがやれやれと肩をすくめる。


「世界を二つに隔てたのは、お互いのためだってどうしてわからないんだろう。だから、サバトに行きたくないんだよ。最近、ああいう志向の人、増えてるし、悪態つかれても困っちゃう」


「アドミニストレーターは気苦労の多いこと」


「本当にね」


「私は好きよ。この隔てられた世界。平和で」


「へぇ。今は田舎の村で医者やってるんだっけ?」


「もどきね。薬を作ったりしているだけ。私はね、その村の人間が、笑っているのが好きなの。だからね、頑張ってもらわないと困るわ、アドミニストレーターさん」


「善処します……」


 ディティが困ったように笑った。その時、どこからともなく狼の遠吠えが聞こえ、世界各地に散らばっていたシヴァン・ド・ギャルドが、パリの上空に集まってきた。黒と白と灰に分かれ、集まったシヴァン・ド・ギャルドは、それぞれの色の門に向かっていき、門が音を立てて開く。


「終わりかな」


 ディティが呟いた時、黒の群れが三人の近くに降りてきた。赤い瞳を光らせ、角を光らせるシヴァン・ド・ギャルドは、三人の横を通り過ぎて、開いた門の中に帰っていく。


 大人しくその様子を眺めていたロイ、ロト、ロキに、群れの中でひときわ大きいシヴァン・ド・ギャルドが近づいた。お互いに、数秒、見つめ合う。


「ごめんなさい。この子たちは私の護衛。連れて行かせられない」


 ソフィーが三匹の頭を撫で、三匹は目を細めて嬉しそうに尻尾を振った。その様子を見て、シヴァン・ド・ギャルドは目を逸らすと、門の中へと消えていく。


 シヴァン・ド・ギャルドが人間の世界からいなくなり、三つの門はゆっくりと音を立てて閉まった。そして、三つの門は世界に透けて、その姿を消した。


「……わからないわね。ああいう神聖なファビュラスベートっていうのは、何を考えているか」


「まぁ、シヴァン・ド・ギャルドは僕もわかっていないことの方が多いファビュラスベートだからね。この儀式もいったいなんのためにやっているのかわからない。世界が一つだった時の影響なのかな。人と、ファビュラスベートの関りっていうのは」


「難しいことは嫌いよ」


 ソフィーが言い放ち、ディティが肩をすくめる。シャンピオンに頬ずりをされていたマライアがソフィーのもとに駆け寄っていった。


「あら、マライア。そうね、おいしいケーキでも食べて帰りましょ」


 マライアが嬉しそうに頷く。ディティが本を開いて、シャンピオンがページの中に戻っていき、ディティは羨ましそうな声を出した。


「僕の分は~?」


「ない。ねぇ? マライア」


 マライアがソフィーと手を繋ぐ。ディティが慌てて駆け寄って、開いていた方のマライアの手を握った。マライアは嬉しそうに笑いながら、二人に連れられて歩いていく。


 パリの街並みに、ソフィーの鼻唄が響いた。


    ◇


 ポルトロ『水の運び屋』

 身体がすべて水で形成された、蛙とサンショウウオを混ぜたようなファビュラスベート。額に角が二本生えている。体内に大きな空気袋を持っており、生物を体内に入れて水中を運ぶことができる。他の生物にも友好的なため、水中の運び屋として重宝されている。


 ベル・タン・シャンピオン『快晴の覇者』

 空色の蛇のような体に、天使のような四枚の大きな翼を持つファビュラスベート。額にも小さな翼が二つ生えており、金色の美しい瞳を持つ。晴れの日にしか活動せず、雲の上に住まうとされている。時折目を覚ましては、雲を大きな翼で吹き飛ばし、空を晴れさせ、大空を飛び回る。悪戯好きで無邪気な性格をしているものが多い。


 シヴァン・ド・ギャルド『裁判の番犬たち』

 神話にも登場する、大きな狼のような姿のファビュラスベート。黒、灰、白の毛並みを持つ個体でそれぞれ群れに分かれる。黒の群れは二本の角を持つ、赤い目をした個体の集まり。灰の群れは三つ目に緑の瞳を持つ個体の集まり。白の群れは四つの耳に金の目をした個体の集まり。言い伝えが多数あり『黒は悪しき罪人を角で貫き赤く染め、灰は罪人であるかを見極め、白は更生した罪人の懺悔を聞く』と言われている。年に一度行われる『大審判』といわれる儀式では、罪人の品定めが行われると言われるが、その実態はあまりわかっていない。


    ◇


 補足 ディティエール・ヴァン・レモンド

 

 トロア・シヴァン・ド・ギャルド『三匹の番犬たち』

 三つの頭を持ち、六本脚で大きな尻尾を持つシヴァン・ド・ギャルドの変異体。推測するに、シヴァン・ド・ギャルドの三つ子が融合して生まれてきたものだと思われる。右から灰色の毛並みに三つ目、黒色の毛並みに二本の角、白色の毛並みに四つの耳を持っている。とても強力な力を持つが、どの群れにも所属できず、彷徨っていたところをソフィア・アスティカベルに拾われた。

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