第10話 俺が魔王になってやる

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 気持ちを取り戻した俺は、一度深く深呼吸をしてから、再び過去へ思いを馳せた。


「魔王による宣戦布告がなされた日からしばらくして、まだ騎士見習いだったリシャールの目の前に、聖剣が現れたんだ。リシャール曰く、聖剣の声が聞こえたらしいが、俺には全然聞こえなくてな。でも目の前で出したり消したり出来た上、その切れ味は鎧をまるでバターのように斬るほどの凄まじさだった。だが一方で聖剣は人を選ぶようでな。一度だけリシャールが俺に渡してくれたが、どうしても抜けなかった」


「……抜いた状態で握るとどうなるの?」


「スラムにいた馬鹿の一人が、不用心にも抜身のまま壁に立て掛けてあったそれを盗もうとして、握り込んだことがあった。リシャールは盗られても簡単に呼び出せるからって雑に扱ってたんだが、それが良くなかった。抜身の聖剣をもろに握ったその男は、全身から炎を吹き出し、一瞬で灰になった。その日からリシャールは、聖剣を肌身はなさず持ち歩くようになった」


 そして今、ロックがその剣を抱いているのだ。


 彼はアスカロンを渡されてから一度も抜剣していない。リシャールはロックになら抜けると信じていたようだが、果たして本当に抜けるのだろうか。…………いずれにせよ、彼が立ち直らないことには剣が抜けたとしても意味は無いだろうな。


「魔王討伐の旅は過酷だった。最初何百人といた戦士たちが次々と倒れ、魔王城にたどり着く頃には数十人しか残っていなかった。王国騎士の練度は高く、単身で魔族と渡り合える俺でも平均的と言えるほどだったのに。それでも敵の数を考えれば、かなり多く生き残った方かもしれない。リシャールを先頭に小隊長殿が並び、俺は常に小隊長殿の左手側を歩いていた。小隊長殿曰く、俺は小隊長殿の左腕らしい」


「……右腕じゃないの?」


 その怪訝な顔はきっとあの頃の俺と似てるんだろうなと思うと、ちょっとだけ胸が温かくなった。


「盾は左腕で持つものだから、だそうだ。魔族を殺すことに執着する以上に、魔族の攻撃から必死に部隊を守ろうとする俺は、剣よりも盾にふさわしいと言われた」


 もう魔族によって大事な家族を、唯一の父親おやじさんを失うわけにはいかない。その気持ちが俺をただの復讐鬼ではなく、部隊を守る盾として働かせたんだ。そして恐らくだが、小隊長殿の願いも込められていたのだろう。


『トリスタン』


『なんでありますか?』


『死ぬなよ』


 旅の中、俺にわざわざ『生き延びろよ』ではなく、『死ぬなよ』と言った理由が今なら分かる。あの頃の俺はそれでもやはり荒んでて、魔族相手になると徹底的に殺し尽くしていた。


 もしシビルが生まれたのがもっと早ければ、死体の山の中にシビルか、俺の死体が混じっていただろう。生に執着しながらも同時に死ぬ理由を魔族に求めていた俺の矛盾した気持ちに、小隊長殿は気付いていたんだ。だから剣として折れるまで戦うより、小隊長殿を守る盾であることを意識させたかったんだろう。


「魔王城に着いてすぐ、魔王の声が全員の頭の中に響いた。誘われているとわかったが、罠であっても行くしかなかった。そしておそらく謁見の間と思われる中に、リシャールと小隊長殿、戦闘技術に優れた騎士と冒険者が中に入り、俺を含めた数名は謁見の間の扉の前で待機してた。万が一にも退路が断たれないようにするための保険として配置されていたんだ。もちろん俺としては不本意で抗議したけど、この危険な魔王城で退路の確保はある意味大役ではあったから、それを任されて嬉しくもあった」


 魔王をこの手で殺せなかったことは悔しかったが、それをシビルに言っても仕方ない。シビルにとっては血のつながった実の父親でもあるのだ。


「中から轟音や断末魔が響き、しばらくしてリシャールと小隊長殿、そして数を大きく減らした戦士たちが出てきた。魔王が倒され、やつの魔力で構成された城が崩落を始めたんだ。そして俺は避難中に大穴に落ちて……その先の大部屋で、お前に出会った」


「……!」


 息を呑む音が聞こえた気がした。


 ここからはシビルが覚えていないだろう、赤ん坊だった頃の話だ。


「お前は瓦礫の中に埋まってたんだ。乳児用のベッドが屋根になってくれたのかもしれないな。泣き声を頼りにお前を掘り出した俺は……最初お前を殺そうとしたんだ」


「……私が魔族だから、だね」


 そう呟くシビルの顔は曇っていたが、どこか納得した顔だった。


 俺は腰のナイフを抜き取った。あの日シビルの首を切れなかったナイフは、今では草や魔獣の肉を切るのに使われていて、経過した年月により刃が短くなってきている。


「ああ。だが出来なかった。まだ赤ん坊のお前は、俺を見てニッコリと笑ったんだ。まるで、父親に出会ったかのように。首に向かうナイフをまるでおもちゃみたいに触ろうとするのをみて、何故か慌ててナイフを遠ざけてしまった。お前の笑顔にまだ幼かったニコラの顔と……未だ見ぬ娘、シビルの影を見たような気がしたんだ」


 シビルの目が驚愕で見開かれた。


「シビル……娘って……もしかして私の名前は!?」


「ああ……死んだニコラの妹……生まれる前に殺された娘に付けるはずの名前が、シビルだったんだ。あの日名付けられなかった俺の娘の名前を、お前にあげたんだよ、シビル」


 大きく見開かれた赤い瞳が、様々な感情の波で揺れ動くのが見えた。あまりの衝撃に感情を整理できないのか、溢れる涙を必死に拭いながらも止める方法がわからないらしい。


「魔王は死に、魔王城に残る魔族はお前だけだったと思う。お前を殺して部隊に戻れば、救国の英雄の一人として讃えられたかもしれない。いや、そんなことしなくても放っておけばその内死んでいただろうから、それでも良かった。でも、復讐も満足に遂げられない自分が情けなくて泣いてた俺の涙を、まだ赤ん坊だったお前は両手で全部拭ってくれたんだ。そんなのを見たら、もう目の前の赤ん坊を放っておくことなんて出来なかった」


 ペロペロと流れる涙を拭った両手を舐める姿に、その後何度救われたことか。


「だから、もう一度父親をやってみようと思ったんだ。きっとお前をそこで見殺しにしたら、俺は今度こそ妻と子供達の元へ向かおうとしただろう。魔王の娘だろうと、魔族だろうと関係なく、目の前の赤ん坊を育ててみせようと思った。……そして、騎士団から黙って抜けた俺は、お前を抱いてこの村まで歩いてきたんだ。おむつもなかったから俺の服を巻きつけて、汚れたら取り替えて体を拭いた。離乳食には少し早い気がしたが、パンをなるべく柔らかくふやかして与えていたんだ。この小屋に着いた時、よく病気にならずに生き延びてくれたとほっとしたよ」


 シビルは何を思うのか、首を横に振ってただ泣いている。ちゃんと聞いているのかはわからなかったが、構わず話を続けることにした。もう俺は話すのを躊躇う必要もない。


 俺にとってそれからの生活は、幸せなものだったから。


「そこからは、大変だったけど幸せな日々だったよ。牛を捕まえたり、間違って牛の糞をにぎって泣くお前をあやしたり、一緒に釣りをしたり、狩りをしたり……肉の作り方を教えたり。リシャールとロックに出会ったりな。色々あったが、とても楽しかった。そこから先はお前も覚えているだろう」


 どこかの国ではスローライフという物が流行っているらしいが、俺と娘の生活もまさにそれだったのかもしれない。スローと言えるほどまったりしたものでは無かったけども。


 突然、シビルが横からドンと全身でぶつかってきた。いきなりだったから体を支えきれなくて、シビルが俺に覆いかぶさったまま抱きつく形になった。ナイフが音を立てて、岩の上に落ちた。


「ごめんなさい……!パパ、ごめんなさい……っ!パパのこと疑ったりして……本当に、ごめんなさい……っ!!」


 リシャールが死んだ時と同じくらい色濃く後悔を乗せた涙は、ついに話し終わっても止まることなく、俺の服を濡らしていった。


 そんなに泣いたらきっと頭が痛くなるに違いないなどと、場違いな心配をしてつい頭を優しく撫でてしまった。右手に当たる角の感触が、シビルらしいと思えて頬が緩んだ。


「わかってたのにっ!パパがそんな人じゃないって、わかってたのにっ!パパが私のこと、愛してくれてることなんて、私が一番わかってたことなのに……っ!どうしても確かめたかったの……っ!確かめないと、怖くて、動けなかったの……っ!!」


「シビル……聞いてもいいかい?オウルベアに襲われたあの時、お前に何があったんだ?」


 シビルは体と声を震わせながら、ゆっくりと話し始めた。


「声が……したの……」


「声?」


「あの熊の血を浴びた時からずっと……知らない男の人の声がしてたの……パパを殺せ……父の仇を、勇者を殺せ……勇者の息子を殺せって……!」


「何……!?それは、まさか……!?」


 魔王が魔王城で俺達にやったのと、同じ!?


「後ろから襲ってきた熊から、リシャールさんが命懸けで守ってくれて……わ、私も魔法で援護したけど、あの熊はすごく強くて……!その間もずっと頭の中で誰かが笑ってたの……弱い魔法だ……角の魔力を活かせてない……パパの教えが悪いって……!そんなこと無いって魔力を込めようとしたら、リシャールさんが熊の頭を突いて倒したの……お腹に爪を受けたまま。すぐに止血しようとしたの!だけど、止血してる間も誰かが笑うのッ!!ひどい手当だ、そんな治癒では助からない、誰がそんな粗末な手当を教えたんだってッ!!お前が勇者を死なせるんだって、パパが来てくれてからもずっと!!ずっとッ!!」


 恐怖を思い出したのか、あの日のようにガタガタと震える娘が不憫で、それをわかってやれなかった自分が情けなかった。震えが止まるように強く強く抱きしめたが、大人の力でも止められないくらい、シビルは震え続けていた。極寒の吹雪の中にいるかのように、その肌は冷え切っている。


「だんだん声は小さくなっていって、家についてすぐに声はしなくなったの。でも、その声は最後に呟いたの。お前は父と慕う男に騙されてる。あいつはお前を親元から攫った罪人だ。殺せ。殺して本当の父親の元に帰ってこいって……すごく、最後だけ優しい声で……!わ、私を心配してる声に聞こえて……っ!!私、もう、怖くて……わかんなくなって……っ!!だからッ!!」


「わかった、もういい。…………よく一人で耐えたな。よく頑張った。もう一人で我慢しなくていいんだ。これからはパパが、ずっとそばについてるから」


 震えが小さくなったシビルは顔を上げた。だが、その目は虚ろに濁ったまま、引きつった笑みを浮かべている。


「パパ……私、魔族だよ……。あんなひどいやつの娘なんだよ……。なんで私、パパと血が繋がってないんだろう……。こんな角なんて、魔王の魔力なんて、いらなかった。パパがいてくれたら……それでよかったのに……」


 シビルは体を起こすと、ナイフを俺の手に握らせて……自分の首に当てた。


「パパ……私、パパにだったら、殺されてもいいよ。魔王が復活した後も私と一緒にいたら、きっとパパは世界の敵になっちゃうよ。そんなのは嫌……!パパ以外の人に憎まれて殺されるのも嫌っ……!お願い、パパ。パパの手で、この生活を終わらせ――」


「バカを言うんじゃないッ!!」


 俺はナイフを強引に投げ捨て、シビルの頭を割るんじゃないかというくらい強く胸に押し当てた。


「言ったじゃないか!俺はお前が魔族だろうが、魔王の娘だろうが関係ないんだ!!お前はシビル・フォーレだ!!トリスタン・フォーレが育てた愛娘だ!!」


「で、でも、それじゃパパが……っ!!」


「それがどうしたッ!!お前のためなら世界の敵になってやるッ!!お前を世界になんてくれてやるものかッ!!お前は俺の娘だッ!!」




「パパぁ……っ!パパぁー!!うあああああ…………!!!」




 月のない夜で本当に良かった。


 こんなに泣いてる娘の姿なんて、月にだって見せたくない。


 そんなのを見ていいのは星になったリシャールと…………今は俺だけで、十分だ。


 夜はまだ長い。


 シビルが泣き止むまでの間、俺は満天の星空を見上げ、泣き声と波音を聞きながら亡き友を悼んだ。




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