第8話 遺児
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廃村跡へ三人で駆けつけると、そこには巨大なオウルベアの死骸と、腹から大量の血を流して倒れるリシャール、そしてリシャールの腹に手を押し付けて懸命に治癒魔法を掛け続けるシビルがいた。
「パパ!お願い早く手伝って!血が、血が全然止まらないの!こんなにいっぱい治癒魔法を掛けてるのに効かないの!!」
シビルは半狂乱の様相で、持てる魔力の全てを治癒に回している。だが、その治癒の力が傷に届いている様子はない。それでも俺が教えた圧迫止血法もがむしゃらに実行して、少しでも出血を抑えようと躍起になっている。
「止まって!止まってよッ!!なんで止まってくれないの!?」
「ありがとう……もう……いいよ……これは……魔王の力だ……解呪しないと……血は……」
「なんだって!?」
「トリスタン……魔王が復活する……じきに……魔獣達が凶暴化するぞ……」
「リシャールさん無理しないで!!気をしっかり持って!!そんなことは私がパパに話すから!!」
シビルの青白い手が、勇者の血で染まっていく。血の勢いが止まらない。俺は自分が来ていた服も傷口に当てこみ、小隊長殿がシビルの代わりに大きな手で止血を試みる。シビルも治癒魔法に集中し、角に込められた魔力も全てリシャールにぶつけていた。
だが、止まらない。リシャールの命が流れ出ていく。まるで、生きるのを拒否しているかのように。
「僕のせいだ……!僕がシビルを突き飛ばして上に被さったから……シビルは魔法をすぐに使えなかったんだ……!僕が、僕があんなことをしなければ……!僕のせいで……っ!!」
「だからシビルちゃんを……助けられたんじゃないか……」
ハッとして顔を向けたロックの目には、こちらも青白い顔をしたリシャールが笑っていた。
満足そうに、ロックの事を愛おしそうに目を細め、笑っていた。
それは息子を見る目であり、戦友を見る目であり、宝物を見る目だった。
「魔王すら倒した勇者から……女の子を護ろうとしたんだぞ……?とても勇敢だ……流石は勇者の……僕の息子……。ほこら……しいよ……」
「嫌だ……!!お父さん死なないで!!いい子にする!!もうシビルと喧嘩だってしないから!!お願いだよ!!」
「ロック……頼みがある……お前にしか……」
「た、頼み……!?」
リシャールの出血が穏やかになってきた。
止血が上手くいったからではない。流れ出るだけの血が、もう残っていないからだ。
小隊長殿は止血を続けながらも、首を横に振った。俺にもわかる。もう、助からない。
シビルの目から涙が落ちる。たくさんの涙がとめどなく流れ出ていく。だが、その涙は血を洗い流す役には立たなかった。
突如リシャールの左手が光り、一本の剣が現れた。こ、これは、まさか!?
「せ……聖剣アスカロン!?」
「まだ呼べたが……勇者の力がない僕は……抜けない……お前に……託す……!!」
どこにそんな力が残っていたんだろう。
膝を立てて見守っていたロックの頭を自分へ引き寄せ、聖剣を押し付けた。
そんな力を出せるだけの血なんてもう残ってないはずなのに、その一瞬だけは全盛期の勇者そのものだった。
「頼む……!僕の代わりに……!僕の親友と、彼の娘を護ってやってくれ!!お前にしか頼めないんだ、ロック・ジュベール!!勇者としての全てを、お前に託させてくれッ!!」
「……ッ!!」
言い切った彼に再び、くっきりと死相が浮かんだ。
血は、もう止まっていた。彼はもう一度だけ微笑むと、目を閉じ――。
「…………レア…………ご…………め…………」
「…………お父さん?」
リシャールの心臓が、止まった。
リシャールの墓は、丘の中でも一番高い、海を一望できる場所に建てた。
あいつは海が好きだった。いつか息子と一緒に一日中泳ぎたいと語っていた。
いつか水着が手に入ったら、俺たち四人で海水浴をしたいと笑っていた。
シビルとロックは、家の中で塞ぎこんでいる。……無理もない。
シビルはこれまで無詠唱魔法を俺以上に使いこなし、俺が詠唱しなければ発動できない魔法も無詠唱で発動できた。だからこれまで魔獣に苦戦したことは殆ど無かったし、万が一俺やロックが怪我をしても得意の治癒魔法で回復することができた。
俺譲りの応急手当と、自分の治癒魔力があれば、どんな人でも助けられると胸を張っていた。その自信が今日、身近な人の死という形で打ち砕かれていた。
ロックは……。
「……小隊長殿。ロックの様子はどうですか」
「まだ塞ぎ込んでいる。飯もろくに食わず、聖剣を抱いたまま暗い部屋の中で蹲っている」
父親の死。母親も魔獣によって食い殺されたと聞いた。彼の中で魔獣に対する憎悪が渦巻き、そのまま暴走してもおかしくなかった。
だが、幸いと言っていいのかはわからないが、庭にいるイビルバッファロー達に無意味に斬りかかる真似はしないでくれた。魔獣ではあるが、生活を共にしてきた仲間達だ。父親から託された聖剣で仲間に斬りかかる真似だけはしてほしくなかった。
「小隊長殿は王都に戻る必要がありますね」
「ああ。具体的な話は不明だが、勇者様が死の間際に魔王の復活を予言されたのだ。無視は出来ない。すぐに国王を交えての対策会議が必要になるだろう」
「ですが、肝心なロックがあれでは……」
「聖剣を抜ける人間が一人とは限らない。もしロック以外に使い手が現れた場合は、形見であろうと聖剣を譲ってもらうつもりだ」
小隊長殿は非情とも言える可能性を口にした。それが本意ではないことは、強く引き結んだ口の端が雄弁に物語っている。
だが父親から託された唯一の剣……それを少年から奪い取ってまで、この世界を護る価値があるのだろうか。俺には、正直わからない。
もしも人から奪い取ったもので勝ち得た勝利に、大きな価値が生まれるというのなら、世の中は何でもありになってしまうだろう。魔王がそんな世界を滅ぼそうと考えたとして、それを悪と断じられるほど、恥を知らずに生きてこれたわけでもなかった。
「……ひとまずロックの事はいい。それより、お前の娘だろう。あれは普通の落ち込みようではない。何かあったのではないか?」
「…………」
「……娘の側にいてやれ。俺はロックの様子を見てくる」
確かに目の前で人が死んだことで塞ぎ込むのは、子供としては普通の反応だろう。だがシビルはそれを俺にぶつけるでもなく、ただ塞ぎ込み、俺も含めて周囲の人間との接触を完全に拒否しているように見えた。
シビルはどちらかと言えば、不安や恐怖を素直に打ち明けるタイプだ。一人で抱え込んでいる今の姿は、明らかに今までとは違うものだった。
「何があったんだ、シビル。俺がいない間に、一体何が……」
夕暮れに差し掛かる頃、家に引きこもるシビルに声をかけようとしたのだが、そのシビルが急に家を飛び出していった。丘を一気に下り、海岸方向へと走っていく。靴も履かず、着の身着のまま走り出した彼女の目には、輝きが無かった。
輝きが無い赤い瞳は、紛れもなく血の色をしていた。
「シビル!!待て!!」
今のシビルには、何をするのかわからない危うさがある。放っておく訳にはいかない。
一体どれほど長い時間走ったのだろう。シビルはついに海岸まで来ると、足を止めた。
ふと見上げれば空は暗くなり、星がチラチラと見えだしていた。
海に沈み切るのを惜しむように、太陽が一筋の光を放ち続けている。間もなく夜が訪れるだろう。
「はぁ……はぁ……シビル……」
「パパ……」
振り向いてこちらを向いたシビルの目には、やはり輝きは無い。だが、その双眸からは絶え間なく涙が流れ続けている。唯一その涙だけが、わずかな陽の光に反射して、光り輝いていた。
「お願いパパ。正直に教えて。全部知りたいの。パパの事も、私の事も」
「シビル?」
「パパ……!私、今すごく怖いの……!今までのことが全部、嘘だったんじゃないかって……!もう何も知らないままなのは、嫌なの……!!」
自らを抱くように腕を身体に回す。まるで、自分が自分であることを確かめるように。
目の前の男から自分を守るように。
「ねえパパ。私、パパにさらわれた子なの?」
波打つ音よりも娘の声が、俺の鼓膜と心臓を叩いた。
太陽は海に溶け、月の無い夜に染まり始めていた。
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