第29話 おれは竜に会わないといけない

 下船する姿が見えたのか、石敷きの広場に降り立つと、すぐにヌンとミラが駆け寄ってきた。でも二人は互いにどちらが先に声をかけるかでまごついている。


「竜は」


 おれはいって咳をした。焦りからなのか、のどの奥で言葉が絡まる。


「竜はまだあの崖にいる? おれ、行かなくちゃ」

「聞いたのか」


 情けなく眉を下げるヌン。横にいるミラが、ちらとその顔を見て呆れたように視線を上向ける。


「だから今朝いったろ? すぐ教えてあげるべきだって。これじゃあ、わたしたちが隠してたみたいだ」


 みたいだ、じゃなくて隠してたんだろ、と思ったが怒鳴り合いたいわけじゃない。


「イシュチェルが供物になったんだろ?」


 周りを気にして、おれは少し声を抑えた。


「食われたから雨が止んだのかな」

「物騒だね、この子は」

「娘を連れていくと、竜は目を開いたそうだ。それからどうなったかは知らんが」


 ヌンは言葉を濁した。それはいつのことかと聞けば、昨夜の話だという。


「じゃあ、やっぱりイシュチェルは食われたのか」

「どうしても食わせたいみたいだね」

「ケセド、おれたちはその後を知らんのだよ、嘘じゃない。本当だ」


 だったら今どうなっているのか確かめに行かなくちゃ。


「おれ、見てくる」


 すぐさま崖に向かおうとして、ヌンに腕を捕まれる。


「待て。行ってどうするつもりだ」

「だから見てくるだけ。気になるから」


 振り払おうともがいたが、分厚いヌンの手はびくともしなかった。


「ヌン。止めるなら何しにここに来たんだよ」


 良心の呵責かなんかで、二人そろっておれに知らせに来たのだと思ったのに。でもヌンは気まずそうに眼をそらして何もいわない。ミラが嘆息交じりに打ち明けた。


「飛んじまえばあのお嬢ちゃんときっぱり縁を切ったんだろうと思ってね。でも下りてくるもんだから」


「なんだよ、じゃあ、また乗せるつもりか」


 この二人はおれがちゃんと飛び立つか見張ってたってことか? まったく話にならない。少しは期待させてくれよ。


「ケセド。おれはお前がすべきなのは竜を見に行くことじゃなく、飛行船に戻ることだと思うぞ」


 腕をつかむ手が重くなければ、おれはヌンを殴っていた、いや殴り飛ばしたくて腹が立った。でもふっと息を吐いて気持ちをなだめた。暴れまわってもこの手は決して離れないだろうから。


「あのお嬢ちゃんによほど未練があるんだね」

「はあ?」


 ミラの憎たらしい顔で笑った。


「一度は洞窟に戻ったんじゃないのかい? 供物の話を聞いてさ。でも、アオサギ亭にいたのはお前ひとりだったから。お嬢ちゃんは一緒に来なかったんだろう? だから喧嘩別れしてきたんだと思ったんだよ」


「ミラの言うとおりだ」


 ヌンがここぞとばかりに追従する。


「あの子は洞窟を離れなかったんだ、そうだろ? 竜のところへ連れ出した時も、あの娘が抵抗したとは聞いてない。大人しかったそうだ。だからお前は」


 飛行船へ押しやってくるヌン。あっさり体が動いてしまう力のなさが悔しかった。


「こっちに進むと決めた。そうだろ?」


 さっきまではそうだったよ。でも魅力的に映っていた飛行船は、もうおれのものじゃなくなったんだ。


「供物の子がいた」


 ヌンとミラが目配せしている。もちろん二人は知っていたはずだ。集落を出た子を厨房にあっせんするのが流行りなのかも。


「アボン。あの子、あんまりめそめそしてるから、おれがけじめをつけてきてやろうと思って」


「何をするつもりなんだ」


 捕まえるヌンの手が強くなった。警戒しているらしい。でもミラはちょっと面白そうにしている。もしかしたらこの人は本気でおれを止めようとはしてないのかもしれない。


「あの子、自分の代わりにイシュチェルが供物になったと思ってるんだ。今年の水神祭で供物に出されるのは自分のはずだったからって」


「ああ、なるほどね」とミラ。


「でも祭り当日、竜姫の供物になったのはおれだろ? あの子じゃなくて。だから」


 は、と息をつく。


「竜の前に出ていかなきゃならない子がいるなら、それは、おれだと思うんだよね」


 ケセド、とヌンは落胆した声を出す。でもミラはふふっと笑っていた。


「それで本物の供物くんは何をするつもりなんだい」

「ミラ、やめろ。いいか、ケセド。あの娘だって本物の供物だ。『竜姫』なんだから。本来の言い伝えはあの子を示しているんだぞ」


「じゃあ、供物は二人だね」


 おれは不機嫌にいう。ミラは吹き出し、ヌンが横目でにらんでいた。


「とにかく、おれはもう一度竜に会うよ。このまま飛行船に乗って、『はい、さよなら』じゃあ、あとできっと後悔するから」


 雨が降った理由も。雨がやんだ理由も。何の根拠もないことばかりだけど。


 供物だったアボンが手のひらに乗せた瑠璃色のガラス瓶の欠片を見て思い出したんだ。暗闇の掘立小屋のやぐら。その中に手を入れてソーダ水の瓶を置いた、あの月夜を。


 それはおれの独りよがりな善意であり、謝罪であり、感謝であり。そしてかすむほどわずかな勇気がさせた行為だった。


 おれはずっとわかっていたんだ。供物なんてくだらない。竜なんていない。こんな集落から出て行きたい。


 それでもそんな思いを封じ込めるほうを選んできた。愛情が欲しくて。歯向かえば拳が跳んでくるだけだから。


 でも、今、おれは戦わないといけない。


 あんな風習も何もかも全部。竜がこの森にいたから。そいつが実在するなら、おれは行く。怒りを糧にして、竜に会う。


「だからヌン、邪魔しないでくれ」


 ヌンはゆっくり手を放した。


「そんなに竜を見に行きたいならおれも行こう」

「わたしも行くよ」

「来なくていい」


 即答で突っぱねると、ヌンがなだめるように肩を叩いてきた。


「そうはいかない。無茶するようなら止めるつもりだ」

「無茶って? 竜に食われるとか?」


 と、ヌンの顔を見て言葉を変えた。あまりにも悲しそうにするから。


「イシュチェルは万が一食われても仕方ないようなこといってた。そんな覚悟があるらしい」


「たいした子だね」


「でもおれは嫌だよ。だから助けに行く。だけどさ、どうしても食われるっていうんなら、見届けてやりたいんだ」


「食われるのを?」


 ぎょっとするヌンに、「そうだ」とうなずく。


「それから」


 おれは目を細めて感じ悪くいった。


「あっちにセラプトもいる。あいつ、おれよりイシュチェルを選んだんだ。だからもし、あいつらが竜に食われるんなら、その瞬間、おれが正しかったんだって後悔すると思うんだよね。その顔を見るまでここから離れることなんてできない、腹立つから」


 ヌンとミラは顔を見合わせている。


「わたしの子は性格が悪いらしい」

 ミラがつぶやくので。

「親に捨てられたらそうなる」

 おれは低い声で返した。

「いうね」


 ミラは笑い、ヌンは困ったようにひたいに手をやってうめいた。


 それから「来なくていい」というのに、二人はおれから離れず、結局三人で竜が現れた崖まで移動した。


 そこは相変わらず人だかりができていた。でも竜が近くにいるにしては騒がしすぎる。何かあったんだ。駆け出し、咎める声も無視して前にいる人たちを押しのけた。


 そして見た光景に、息が止まる。嘘だ。みぞおちを殴られた気分だった。


「ケセド」


 追いついたヌンは、ひざに手をやって呼吸を整えたあと前方に目をやった。


「おい。竜はどうなったんだ。いないじゃないか」

「飛んでったんだよ」


 ヌンが上げた声に、そばにいた白髪交じりの男が反応した。彼は空に向けて指を差す。


「女の子をくわえてね。驚いたよ。竜神さんは目を開けてしばらくはそのままだったんだけど、急に動きだしてね。あっという間だったなあ」


 愕然として頭が働かなかった。感情がなくなっていた。怒りも悲しみもない。ただただ目の前の光景と男の言葉の意味が理解できなくて、世界が端からぽろぽろ崩れ落ちていくようだった。


「ケセド」


 後ろから抱き寄せてきた腕はほっそりしていた。ミラの腕だった。


「遅かった。いないじゃんか、竜」


 ぐっと腕が強く抱きしめてくる。泣くかも。そう思ってまばたきした、その時だ。


 あいつが目に入った。


 土砂に混じる岩をよじ登り、転がるように落下しては、また上へと移動している。


「セラプト」


 ミラの腕を外して踏み出した。土砂は柔らかく、ずぶりと足を飲み込んでいく。


「セラプト。おい、セラプト」


 上を目指していたヘビが動きを止めた。振り返る仕草で均衡を崩したらしく、岩から転がり落ちる。


 むくりと頭をあげたヘビはおれを見上げて、シャアと鳴いた。威嚇じゃない。その目は哀しみに満ちている。

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