第24話 厨房も竜の話題で持ち切りだ

 この雨量では飛行船の運行は中止らしい。天気さえよければおれの初飛行の日になったのに。でもそんなことより、厨房ではやっぱりあの話で持ち切りだった。


「まさかなー」

「見た?」

「遠くからね」


 料理長の怒鳴り声が飛んでも、声が潜まるだけで会話は止まらない。閉ざされたククスでならまだしも、ここは異邦人だって暮らす開かれた街、ノムアだ。森の水神祭ですら廃れ始めているこの街にとって、竜は空想上の生き物。誰もがそう信じていただろう。それが。


「竜って存在したんだなあ」


 大地が揺れ、崖崩れが起き、竜が姿を現した。それから降り続く雨。土砂降りだ。地面をえぐるように天から刺さる。皆、祭事を楽しむようにちょっとだけ日常から逸脱しているだけのフリをしているが、実際は高揚と不安の入り混じった異様な雰囲気だった。


 運航は中止になったが、船内のレストランは営業するらしく、下準備の仕事はもりだくさんだった。ただこんな雨で出かけてくる客がいるのか定かでなく、竜のこともあり気もそぞろだ。威勢がいいのは料理長だけで、それすらから元気に見える。



 おれはひたすら赤芋の皮を剥き続けていた。丁寧な仕事ぶりだと褒められて嬉しかったのは最初だけ。もうちょっと雑にしとけばよかった。これでは手を抜いたらすぐわかってしまう。痛くなってきた背中を伸ばし、こわばる指先を振ってほぐす。


 厄介な作業を任されたと泣き言がくちをついて出そうだが、それでも隣で玉ねぎを刻んで目が開けられなくなっている彼よりましだろう。


 彼はおれより少しばかり前に入ったという少年で十代半ばくらいに見えた。たしか名前はアボン。黒髪に黒目。森の集落の特徴を備えているが、それにしては肌が白く華奢で、会話も苦手なのかたどたどしかった。


「変わる?」


 さっきから手が止まり、目をぎゅっと閉じているので声をかけた。でもアボンは目を閉じたまま、ふるふると横に首を振る。


 でも脇にこんもり積んであった赤芋も終わりが見えてきていたので、おれは何個か玉ねぎを自分のほうに持ってくると皮を剥いて細かく刻んだ。うん、苦行だな。すぐさま目が痛くなり涙が出てくる。


 アボンが小声で何かいった。


「ん? ああ、べつに」

 ありがとう、といったんだよな?

「ケセド。余裕だな」


 肩を叩かれ振り返ると、どっさり芋が入った籠が視界を占領する。


「まだあったんですね」

「あるよ。芋はね、なんにでも使うから」


 笑顔の先輩にこちらも笑顔を返す。肩を回して集中しなおすと、新たな芋に刃を当て、薄く皮を削った。と、聞こえてきたささやき声に手を止める。


「——本当に? 供物なんて」

「でも伝説では竜姫を……」

「何の話ですか」


 包丁を持ったまま話しかけたので二人はぎょっとしていた。彼女たちはマユリさんとレジさんだった気がする。集落にいたねえさんたちを思い起こす明るく気さくな二人だ。


 鍋のスープをかき混ぜていたマユリさんは、料理長のほうへ視線をやりながらこっそり教えてくれた。


「あなた竜姫、知ってる? 洞窟に住んでいる女の子がいるんだけど、その子を供物に出そうって話があるらしくって」


「バカげてるわ」


 人参を荒っぽく刻みながらレジさんが小声で吐き捨てる。


「それで何が変わるのよ。竜が人の味を覚えたらどうするのさ。街を襲うようになるよ」


「竜は知性があると聞くけどね」

「伝説でしょ。わたしは見てないけど巨大なヘビだっていうじゃない」

「寝ているうちに始末したらいいのに——ちょっと、ケセド。強盗みたいに突っ立ってないでよ。刃物は人に向けるもんじゃありませんよ」


「料理長はよくやってるけどね」

「確かに。でもケセドはだめ」


 おれは慌てて包丁を抱える。


「すみません、びっくりして」

「横暴な話だものね。ノムアにも考えの古い人がいるから。困ったもんよ」

「でも実際に竜が現れたんだ」


 横から乗り出してきたのは、鶏肉を焼いていたガイスさんだ。彼は竜にすっかり魅了されているらしく、何度料理長に怒鳴られても、大きな声で「すげーすげー」連呼していた人でもある。


「竜だぜ、竜。捕らえて見世物にしたら、一儲けだ」

「じゃあ、あんたが縄で縛りに行ったら?」

「おれは料理人だからな。狩りは専門職に任せるよ」


 声が大きかったのだろう。怒鳴る料理長に、びくりと全員、肩が跳ねる。


「貴様ら、全員、一発ずつお玉で殴ってやろうか」

「料理長、肉が焼けましたけど、客は来ますかねえ」

「そうですよ、この雨じゃあ誰も来ませんって」

「ますます激しく降ってますよぉ」

「これって竜の怒りですかぁ?」


「お前ら、バカいってねぇで手を動かせ——おいっ、今、脱走した奴は誰だ!」

「新入りですね」

「ケセドです」

「あの野郎!!」


 おれは包丁を持ったままだったのに気づき、階段の手前にあった窓枠に置いた。外に出た瞬間、肩が抜けるかと思うほどの雨脚に足がたたらを踏む。


「供物なんて。ありえないだろ」


 走りながら何度か転んだ。人にぶつかったし、物も倒した。竜が出た崖に着くと人だかりはまだあった。それを横目に、茂みに入り、昨日岸につけた木船を探す。雨に流されたのか思っていた場所になく焦ったが無事見つけ、飛び乗った。


 泳いでいるのと変わらないくらいびしょ濡れだ。櫂を漕ぐ手がもどかしくて、途中からは川に飛び込んだ。岩場に着いたとき、あたりは静かで人の姿はなかった。この光景に安堵していいのか、それともすでに遅かったのか。細く狭い洞窟を抜けて向こう側に行く。


「イシュチェル、セラプト」


 ぱちぱちと火がはぜる音がした。洞窟内にいるのはイシュチェルとセラプトだけだ。


「つけた」


 どや顔のイシュチェルは火打石を握っている。火のそばではげっそり顔のセラプトが長く伸びていた。


「ハム」

「……あ、ごめん。何も買ってきてない」


 期待に満ちていた顔があんなにも一瞬にして失望に変わるとは。イシュチェルは、もうお前には用がないといわんばかりに背を向け、火打石を投げると、そばにあった枝をバキリと折り火にくべる。


「それより。誰も来なかったか? いや、と、とにかく」


 おれはがくがくと震えていた。足が思うように動かず、焦りで思考も定まらない。麻袋を拾うと、街で買ってきたばかりの品々を急いで詰めていく。ひとつがすぐいっぱいになり、二つ目に手を伸ばすと取るより先にイシュチェルが抱え込んでしまった。


「急ごう。逃げなくちゃ」


 訝るイシュチェル。おれは火を踏んで消した。ひゅっ、とセラプトが息を飲んでいる。


「お前もバテてる場合じゃないぞ、竜が」

 振り返り、背中を殴ってきたイシュチェルの腕をつかむ。

「竜が、出たんだ」


 説明するのも、もどかしかった。彼女の腕をつかんだまま、きょとんとしているセラプトを開いているほうの手で拾いあげると彼女に押しつけた。


「森に逃げて、いや、街のほうがいい。髪を隠せば……ああもう、どうしたら」


 イシュチェルを引っ張って洞窟の奥に引き返す。イシュチェルがわめく。


「放せ」

「わかった」


 おれは手を放したが、イシュチェルを前に押した。彼女はにらんできたが、軽い体重ではおれに抵抗できず、渋々、進んでいく。


「急いで」

「やだ」

「やだ、じゃなくて。急げったら」

「やだー、やだー」


 向こう側に抜けたと同時に顔面をぶん殴られたが、気になどしていられなかった。川に目を凝らす。激しく降る雨にかすんでいたが、誰かがこちらに向かってきている様子はなかった。


「乗って」


 と船を探そうとして途中で乗り捨てていたのを思い出した。


「おれってバカだ」

「そうだ。おまえはバカだ」

「イシュチェル、泳げるか?」

 肩をつかんで見つめた。

「泳げるよな。泳げなくても浮けば引いていくから」


「やめろ、わたしに触るな」

「来いって」

「やめろ。放せ」


 暴れる彼女を力ずくで水面に落とそうとした。でも手首に走った鋭い痛みに手を離す。セラプトだ。がぶりと容赦なくかみついている。

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