広報部出身の悪役令嬢ですが、無表情な王子が「君を手放したくない」と言い出しました／宮之みやこ

第一章 『ラキ花』の世界に転生しました／第二章 シナリオ……通り？

　その日、そよそよと一面のラベンダーが美しく揺れる薄（うす）紫（むらさき）の丘（おか）で、コーデリアはお昼ごはんの入ったバスケットを持って立ち尽（つ）くしていた。

　少し先には、麗しのアイザックともうひとり。さらさらのミルクティーカラーの髪（かみ）を揺らし、平民らしきエプロンのついたワンピースを着た美しい少女が、ラベンダーの花束をアイザックに手（て）渡（わた）している。

（あ、これ見たことある。『アイザック王子～幼少期ｖｅｒ～』のイベントで、実はヒロインとヒーローは小さい頃に出会っていました！　ってやつだ……）

　今日はコーデリアの完治を記念して、アイザックから散歩に行こうと誘（さそ）われていたのだ。

　るんるんでついてきた結果が、まさかアイザックと聖女の出会いイベントだったなんて。

（と言うかコーデリア、実はイベント中その場にいたんだね!?　かわいそうすぎる……）

　原作のコーデリアの気持ちを考えていると、思わず涙（なみだ）が出そうになる。

（しかも聖女、どう見ても〝ひな〟だよね!?）

　コーデリアは目をくわっと見開いて、少女の顔を穴が開くほど見つめた。

　おかしい。ゲームの中でもエルリーナは美人だったが、これほどまでに〝ひな〟の顔ではなかったはずだ。元々美人だったため、聖女になっても全然違（い）和（わ）感（かん）はないが、それにしたってまんますぎる！　とコーデリアは心の中で毒づいた。

「ひなって呼んで。あなたが元気なさそうだから、気になっちゃったの」

（えっ!?　自分でひなって言っていない!?　まさか、これからもひなの名前で通す気!?）

　やっぱりそうだったことに驚（おどろ）き、それ以上にひなの我が道の行きっぷりに度（ど）肝（ぎも）を抜（ぬ）かれる。エルリーナという名前は丸無視だ。戸（こ）籍（せき）はどうする気なのかという疑問ですら、今の彼女の前では霞（かす）んでしまいそうだ。

　とは言え、それを突（つ）っ込みに行く勇気はない。

　前世ではさんざん迷（めい）惑（わく）をかけられてきたし、なにより今のひなは聖女。ヒロインとヒーローの間に割り込もうなんて恐（おそ）ろしいことを、考えられるわけもなかった。

　コーデリアは息を殺して草むらにしゃがみ込んだ。幼少期エピソードには悪役令嬢が出てこなかったから、もしかしたら原作のコーデリアもこうして隠（かく）れていたのかもしれない。

　それを考えると、不（ふ）憫（びん）すぎて涙が出るどころか号（ごう）泣（きゆう）してしまいそうだ。

　一方のひなは、このまま〝過去イベント〟を進めるつもりなのだろう。何やら積極的にアイザックに話しかけている。

（それにしても……よりによって、ひなが聖女かぁ……）

　──実は、うっすらとそんな気はしていた。

　もともと加奈はひなに巻き込まれて階段から落ちたのだし、女（め）神（がみ）も「あなたたち」と言っていた。だから状（じよう）況（きよう）的に、一番可能性が高いのがひなだったのだ。それでもなるべく考えないようにしていた。なぜなら……。

（ひなも、アイザック様推（お）しなんだよね……）

　思い出して、コーデリアの気持ちが沈（しず）む。

（女神様は、努力すれば報（むく）われる世界にしてあげると言っていたけれど……こればっかりは無理だよ……）

　幼少の頃（ころ）から植え付けられたひなに対する圧（あつ）倒（とう）的劣（れつ）等（とう）感（かん）。好きだった人は皆（みな）もれなくひなのことを好きになり、あげくの果てに加奈は〝おかん〟呼ばわりだ。

　恋（れん）愛（あい）では、同じ世界に立つことすらおこがましいと思い知らされた。

　なのに、年（ねん）齢（れい）イコール彼氏なしで死んだ加奈のライバルがひなだなんて。

　たとえ今の外見がどれだけ美しくても、心が完全に負けていた。

（アイザック様の愛を、よりによって聖女でヒロインのひなと競（きそ）うとか、絶対に無理……）

　絶望したコーデリアが膝（ひざ）に顔をうずめたその時だった。

「あれ？　あなただれ？」

　その声にハッとして顔を上げると、幼いひながこちらを見下ろしている。

（やばい、見つかった……！）

　コーデリアはどきりとした。この世界で記憶を取り戻（もど）してから、初めてふたりが出会ったのだ。自分がすぐにひなだと気づいたように、ひなも加奈だと気付くかもしれない。

　けれどそんな心配とは裏腹に、ひながそのことに気付いた気配はなかった。代わりに、コーデリアを見てくすりと笑う。

「あなた……実はここにいたんだね？」

　含（ふく）みを持たせた言葉から、コーデリアが悪役令嬢だというのは知っているらしい。

「ねえ……今言ってもわかんないかもしれないけど、次に会った時、ひなに嫌（いや）がらせするのはやめてね？　それってすごく無（む）駄（だ）なことだから」

（そんなこと、しないよ……）

　本当はそう言い返したかったけれど、そんな気力はなかった。黙（だま）ってうつむくコーデリアを見て、ひなが満足したようににっこりと笑う。

「それじゃ、またね」

　そう言うと、ひなはアイザックにとびきりの笑（え）顔（がお）を振（ふ）りまいてから、気が済んだようにすたすたと歩いていった。

　──この瞬（しゆん）間（かん）、加奈は悟（さと）っていた。

　コーデリアとアイザックの薔薇色ハッピーエンドが消え去ったことを。

　やがてひなの姿が見えなくなったのを確認して、コーデリアはのろのろとアイザックのもとへ行った。彼は子どもとは思えないほど紳（しん）士（し）的にエスコートしてくれ、そのひと時だけ、コーデリアは世（せ）知（ち）辛（がら）い現実を忘れられた。

「……まだ、体調が良くない？」

　知らずため息が漏（も）れていたのだろう。アイザックが探（さぐ）るように顔を覗（のぞ）き込んでくる。コーデリアはあわてて手を振ってみせた。

「いえっ！　大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）です！　その、目の前のお花があまりにも綺（き）麗（れい）だから」

「そう。よかった」

　アイザックは、コーデリアの幼女らしからぬ喋（しやべ）り方にも気づいていない。その純真さがまぶしくて、コーデリアは気がつけば彼に語りかけていた。

「……アイザック様は、きっとそのうち素（す）敵（てき）な人と恋（こい）に落ちるんですよね」

「恋に……？　どうして？」

「そういう、運命だからですよ」

「うんめい……。むずかしい単語だ。次までに勉強してくる」

　生（き）真（ま）面（じ）目（め）に答えるアイザックが可愛（かわい）くて、コーデリアはふっと笑って彼の頭に手を伸（の）ばした。小さな手が、小さな頭をぽんぽんと撫（な）でる。

「アイザック様。どうか違（ちが）う女性を好きになっても、私のことは忘れないでくださいね」

「なぜそんなことを言う？　僕は他（ほか）の人を好きになんてならない。君と結（けつ）婚（こん）するんだよ」

　少しだけムッとしたように唇（くちびる）を尖（とが）らせる姿もまた、とてつもなく可愛い。

（もうこの顔が見られただけで、いや、しばらく見られるだけでよしとしよう）

　コーデリアが婚約破（は）棄（き）される十七歳までは、まだ時間がある。だったら、それまでの間だけでも、この愛（いと）しい王子といられる時間を大事にしよう。

（落ち込んでいたって未来が変わるわけじゃないし、よく考えたら十年間も間近で推し活できるなんて最高じゃない？　こうなったら開き直って、アイザック様が私のことを忘れられなくなるぐらい、たくさん思い出を作らなきゃ！）

　それがコーデリアの考えた、〝期間限定薔（ば）薇（ら）色（いろ）ハッピーライフ〟の始まりだった。

　　　　●　●　●

　そうして〝限りある時間を大切に〟というモットーのもと、コーデリアは着々とアイザックと思い出を作っていった。

　原作のコーデリアは彼に「いつも怒（おこ）っているようで、私と一（いつ）緒（しよ）にいるのが嫌みたいだった」と言わしめていたが、前世の記（き）憶（おく）を取り戻した今はそうではない。

　今まで「恋愛は自分には無関係のこと」と抑（おさ）え込んでいた反動なのか、それとも元々が重い性格なのか、期間限定という免（めん）罪（ざい）符（ふ）を得たコーデリアは、たがが外れたようにアイザックに尽（つ）くした。

　多分こういうところが〝おかん〟と呼ばれる原因なのだろうと思いながら、それはもう全力で尽くした。

「殿（でん）下（か）！　また新しいお茶を持ってきましたわ。酸（す）っぱいのは苦手だとおっしゃっていましたから、今日は甘いのです！」

　十五歳になったコーデリアは、隙（すき）あらば彼の勉強部屋に押しかけては、疲（ひ）労（ろう）回復効果のある甘味や飲み物を押し付けていた。

　ちなみに、あの後ばあやから「公（こう）爵（しやく）令（れい）嬢（じよう）としてあるまじき言（こと）葉（ば）遣（づか）いは何なのです!?　ただちに直しますよ！」とみっちり叩（たた）き込まれたおかげで、すっかりお嬢様言葉が板についていた。また〝アイザック様〟ではなく、〝アイザック殿下〟とも呼ぶようになった。……ばあや怖（こわ）い。

　それからお土産（みやげ）を持っていく際に、ちょっとした情報を持っていくこともあった。

「ドレス商から聞いたのですが、今王都でモスリン製のネグリジェがとても流行（はや）っているらしいですわ。着（き）心地（ごこち）が軽（かろ）やかでよく眠（ねむ）れると、男女問わず人気なのだそうです」

『流行には敏（びん）感（かん）であれ』

　これは前世の新人時代に、徹（てつ）底（てい）的に叩き込まれたことだった。流行に限らず、社会のあらゆる変化を敏感に感知し、経営に与（あた）える影（えい）響（きよう）や危険性をいち早く知らせる。

　それも、広報の仕事のひとつだ。

　もちろん今のコーデリアは、働くどころかまごうことなき令嬢であるのだが、もはや体に染（し）み込んだ職業病のようなもの。気づけば自然と流行を追うようになり、そしてとある理由から、それをアイザックに知らせるのが習慣となっていた。

「そうか。なら、父上にも贈（おく）って差し上げよう。モスリンの輸入量も増えそうだね」

　表情を変えず、カリカリと書き物を続けながらアイザックが答える。その横顔は少年特有の儚（はかな）さをたたえて絵画のように美しく、コーデリアはほうと見とれた。

　──幼い頃に、王（おう）妃（ひ）である母を亡（な）くしている彼は、唯（ゆい）一（いつ）の肉親である国王をとても大事にしている。しかし親子そろって無表情であるため、はたから見ていてもどかしい程（ほど）コミュニケーションがうまく取れていなかった。それに気づいてから、コーデリアは贈り物候補になりそうなネタを仕入れては、アイザックに伝えるのが趣（しゆ）味（み）になっていた。

「あっちなみにお礼はお構いなく。どうしてもというならぜひお菓（か）子（し）でお願いしますわ！」

　思い出して、急いで付け足す。放（ほう）っておくと、アイザックからお礼と称（しよう）して、ドレスやら宝石やらが次々と贈られてきてしまうからだ。その点、食べ物なら消費に困らない上、一緒に食べましょうと誘（さそ）い出せて非常に都合がよかった。

「そうか。……ではまた探しておく」

　言いながら、アイザックの表情が少しだけ和（やわ）らぐ。こう見えて彼自身が一番甘いもの好きだということを、コーデリアは知っていた。

　そうやって何かとネタを仕入れてはアイザックに献（けん）上（じよう）し、それをきっかけに彼が国王に贈り物をする。そんなことを繰（く）り返していたら、ある日国王から直々に呼び出された。

（さすがに、殿下の部屋に詰（つ）め掛（か）けすぎだと怒られるかしら……!?）

　ドキドキしながら訪問したコーデリアを待っていたのは、穏（おだ）やかな顔をした国王だ。

「こうして改めて話をするのは久しぶりだな、コーデリア」

「陛下におかれましては、ご機（き）嫌（げん）麗（うるわ）しゅうございます」

　さっと公爵令嬢にふさわしい磨（みが）き抜（ぬ）かれたお辞儀（カーテシー）を披（ひ）露（ろう）すると、アイザックによく似たまなざしの国王が微笑（ほほえ）む。

「未来の娘（むすめ）よ、そんなに堅（かた）苦（くる）しい挨（あい）拶（さつ）はしなくてよい。今日君を呼んだのは、お礼を言いたかったからだ」

「お礼……ですか？」

　思い当たることがなくてきょとんとするコーデリアに、国王は続ける。

「聞いたのだが、息子（むすこ）が私に贈ってくれるプレゼントは、ほとんど君が一緒に選んでくれているのだろう？」

　それを聞いてコーデリアは「ああ」と自分が呼び出された理由に思い当たった。

「選んだと言うほどのことではありませんわ。ほんの少し、助言しただけですから」

「それでもかまわない。……私は長らく息子とどう接していいかわからなかったが、贈り物をきっかけに、少しだけ話す機会が増えた。あの子もいつの間にか、ずいぶんと大きくなっていたのだな。最近は、私などよりよほど政治経済に通じているようだ」

　そう言って笑った国王の瞳（ひとみ）は優（やさ）しかった。心の底から、アイザックとの交流を喜んでいるのがわかる笑（え）みに、コーデリアも微笑む。

「アイザック殿下は素（す）晴（ば）らしい方ですもの。将来王となるのが本当に楽しみですわ」

　その言葉に、国王の優しい瞳が今度はコーデリアに向けられる。

「それもこれも全部、君のおかげだと私は思っているよ。アイザックに君のようなレディがいてくれてよかった。これからもどうか息子を末永く頼（たの）む」

「もちろんですわ！」

（と言っても私は、二年後にお役ごめんになってしまうのだけれど……それまで精（せい）一（いつ）杯（ぱい）、殿下をサポートするつもりよ！）

　謁（えつ）見（けん）の間から退出し、コーデリアがるんるんで廊（ろう）下（か）を歩いていると、ちょうど目の前からアイザックが歩いてくるところだった。気付いた彼がこちらを見る。

「父上と話をしていたと聞いたけれど、その顔だといい話だったのかな」

「ええ！　陛下に褒（ほ）められてしまいましたの。……ところで殿下は、何かお悩（なや）みですか？」

　コーデリアの指（し）摘（てき）に、アイザックがかすかに目を見開いた。

　──彼は、はたから見るといつも通りの無表情だったが、その中にわずかな違いがあることをコーデリアは見（み）抜（ぬ）いていた。伊達（だて）に長年、推（お）しをただ見ていたわけではない。

「……さすがだね。昔から君にだけは、どうしても見抜かれてしまう」

「ふふ、光栄ですわ。それよりも差し出がましいですが、お話を聞かせていただいても？」

　コーデリアの言葉に、アイザックはしばし考えてからうなずいた。

「……では、私の部屋に行こう」

　たどり着いた部屋で、彼はお茶を飲みながら口を開いた。

「私は王子の務めとして、最近王立騎（き）士（し）学校に通い始めたのだが……」

（もちろん知っておりますとも！　殿下の大事な情報ですもの）

　という言葉は出さず、コーデリアは淑（しゆく）女（じよ）らしく返事をする。

「ええ、噂（うわさ）は聞いておりますわ」

　王立騎士学校は、この国でも由（ゆい）緒（しよ）正（ただ）しい、そして文武両道のエリートだけが入れる学校だ。ほかの騎士学校と違い、必（ひつ）須（す）条件として魔（ま）法（ほう）の才能が求められるのも特（とく）徴（ちよう）。その代わり、卒業後はエリートコースが約束されているのだ。

（私も男だったら、闇（やみ）魔法を手に乗り込んでいたんだけれど……）

　コーデリアは考えた。

　この世界では、魔法は属性によって個性が違（ちが）う。

　圧（あつ）倒（とう）的な攻（こう）撃（げき）力を誇（ほこ）る火魔法に、治（ち）癒（ゆ）がメインとなる水魔法。それから生活面でも何かと便利な風魔法に、農耕で大（だい）活（かつ）躍（やく）する土魔法。

　これら四元素の魔法が使える人間は、人口のおよそ二割から三割ぐらいの確率で生まれていた。さらに遺伝する確率も高いため、魔法継（けい）承（しよう）目的の婚（こん）姻（いん）も数多く行われている。その代表格が貴族たちだ。

　そして魔法を使える人間の中からさらに低確率で──数字で言うなら天文学的数字以下の確率だとかなんとかで──ごくごくまれに、聖魔法使いと闇魔法使いも生まれた。

　聖魔法は奇（き）跡（せき）とも呼べる治癒魔法が使え、水魔法では治（ち）療（りよう）不可能な病気や、失った身体（からだ）の一部ですら再生できるのだという。そのため聖魔法を使える者は発見され次（し）第（だい）、国が保護という名の下に囲い込んでしまうのが通例だ。

　対して闇魔法はと言えば。

（実は破（は）壊（かい）以外、何もできないのよね……）

　ふぅ、とコーデリアはアイザックに気付かれないようため息をついた。

　闇魔法は純然たる攻撃魔法で、できることと言えばひたすら物を破壊することだけ。

　その威（い）力（りよく）は他属性の追随を許さないほど圧倒的で、仮にここでコーデリアが林（りん）檎（ご）大ほどの闇魔法を発動させた場合、周囲百メートルが消し飛ぶことになるだろう。

　当然、ものすごく危険かつ凶（きよう）悪（あく）な魔法だった。

　そして過去には、その圧倒的な力をもって国の乗っ取りや世界征（せい）服（ふく）を企（たくら）んで「魔王」扱（あつか）いされた闇魔法使いもいた。そのせいで一時期は、闇魔法使いというだけで危険人物扱いされ、迫（はく）害（がい）を受けていたこともある。

　だが結局、迫害すればするほど闇魔法使いは追い詰められ、最後には闇落ちして悪（あ）しき方向に進んでしまう。そのため、近年は価値観の見直しを試みている最中だった。

（私がアイザック様の婚約者に選ばれたのも、公（こう）爵（しやく）令（れい）嬢（じよう）だからというよりは、闇魔法使いだったからなのよね。危険な闇魔法使いは自国に囲い込んでしまおう、ということね）

　当然、未来の王妃が闇魔法使いだということを快く思っていない人も中にはいる。将来的にコーデリアが婚約破（は）棄（き）されたら、きっとそういう人たちは喜ぶのだろう。

（っていけない、殿（でん）下（か）が話している最中だったわ）

　コーデリアはあわててアイザックを見た。と言っても彼は彼で考え事をしているらしく、黙（だま）ったきり口を開かない。

「殿下？」

　声をかけると、顔を曇（くも）らせたアイザックがようやく口を開いた。

「騎士学校で……どうも他の学生から手加減されている気がする。私が水魔法使いだからとは言え、全力でぶつかってこようとしないのだ。本気を出さないことには、学校に行っている意味がないというのに」

　アイザックは、四元素の中で最も攻撃力に劣（おと）る水魔法使いだった。治癒が主なため仕方ないのかもしれないが、その弱さは属性的に得意であるはずの火魔法にも負けるほど。

「大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）だから全力で来てくれ、と言っても彼らは困ったように笑うばかり。……王族としての威（い）厳（げん）が足りないのだろうか」

「それは……」

（多分、原因はあれよね……）

　その〝原因〟に、コーデリアは心当たりがあった。

　ジャン＝ジャガッド・バルバストル。ヒーローのひとりであり、コーデリアの幼なじみでもあるジャンが、以前こんなことを言っていたのだ。

『あんなほそっこい王子サマに、俺たちの相手が務まるかよ』と。

　それを聞いたコーデリアはすかさず、細さはたいして変わらないわよ！　と突（つ）っ込んだのだが、ジャンに言わせると見た目の話ではないらしい。

　幼年期から騎士学校でビシバシしごかれてきたジャンたちと違って、アイザックはずっと王宮で独自のカリキュラム、つまり帝（てい）王（おう）教育を受けてきた。それでいて家臣たちが「アイザック殿下はすばらしい才能の持ち主」ともてはやすため、エリートだと自負するジャンたちにとってはおもしろくなかったのだ。

　その上アイザックの表情の乏（とぼ）しさが「すかしている」と反感を買う一因にもなっていた。

（でもアイザック様って……本当はものすごい魔法の才能の持ち主なのよね）

　ほとんど知られていないが、実はアイザックも努力の鬼（おに）。寝（ね）る間も惜（お）しんで修（しゆ）行（ぎよう）を続け、その結果とんでもない魔法使いになっていることを、コーデリアだけは知っていた。

（ジャンはそれを知らないから、見くびっているんだわ）

『たとえ王子だろうと、自分より弱いヤツ』

　口には出さなくても、ジャンがそう思っているのは丸わかりだった。

（なら……。殿下は強いってことを、わからせてやればいいんじゃないかしら？）

　コーデリアは顎（あご）に手を当てて、じっくりと考え始めた。

（そのためにはまず、ジャンが殿下と全力で戦いたくなるようにしなければ。……あら。これってちょっと、広報にも似ているわね？）

　コーデリアが前世で広報として働いていた時代。商品にしろ会社にしろ、すべてにおいて、まずはその存在を知ってもらわないことには始まらなかった。

『こんな便利な商品がある』はもちろん、『この会社はこんなことをしている』というのを知らせるのも広報の仕事だ。

　前世でよく見た〝社名を連呼するＣＭ〟などがいい例で、会社の認（にん）知（ち）度が上がることで仕事を受けやすくなったり、話題になって社員のモチベーションがアップしたり、また人事採用のしやすさなどにもつながる。

（ＣＭ自体は宣伝部が打つけれど、取材を受けた場合に対応するのが広報なのよね。そう考えると……今の私がまず始めるべきことは、殿下の〝広報〟かもしれない）

　広報先はもちろんメディア──ではなく、社交界。そしてジャンのいる騎士学校界（かい）隈（わい）だ。

（ふふ、せっかくやるなら、徹（てつ）底（てい）的にやってこそよね！）

　企みを胸に、コーデリアはアイザックに問いかけた。

「殿下。ジャンと本気で戦って、勝つ見込みはありますか？」

　コーデリアが真（ま）面（じ）目（め）に言っていることに、彼も気付いたのだろう。表情が真（しん）剣（けん）になる。

「もちろんだ。自（じ）慢（まん）ではないが、私は彼にも負けないと自負している」

　その答えにコーデリアはにっこりと微笑（ほほえ）んだ。

「なら、私にいい案がありますわ！　あのジャガイモ……じゃなかった、彼らに殿下の実力を見せつけてやりましょう！」

　コーデリアは鼻息荒（あら）く、拳（こぶし）を掲（かか）げて言った。

　後日。コーデリアは満面の笑（え）みで、ジャンの家を訪（おとず）れていた。

「ジャン＝ジャガイモはいらっしゃいますの!?」

　叫（さけ）べば、ドドドドという足音とともに、速（そつ）攻（こう）ジャンが現れる。

「おい、なんだよその品種みたいな名前！　俺の名前はそんなんじゃないぞ!?」

「あら。あなたにはその名前がお似合いですわ。だってあなた、いえ、あなたたち、アイザック殿下を見くびってわざと手を抜（ぬ）いているじゃない」

　剣の天才であり伯（はく）爵（しやく）家嫡（ちやく）男（なん）であるジャンは、令嬢たちからの人気が高い。確か前世の人気投票でもかなりの順位にいたはずだ。だがどんなに他（ほか）から人気でも、コーデリアにとってアイザック以外の男性は全員ジャガイモにしか見えなかった。むしろアイザックを悪く言う分、作物として優（ゆう）秀（しゆう）なジャガイモよりよっぽど地位は低い。

　アイザックの名前に、ジャンがピクリと反応する。それから思い切り嫌（いや）そうな顔をした。

「……あら、その反応、どうやらもう噂（うわさ）は聞いているようですわね？」

　尋（たず）ねれば案の定、ジャンがイライラしたように言った。

「まったく、一体どこからあんな噂が出ているんだ？　よりによって俺たちがあの王子サマに勝てないなんて、そんなことがありえるかよ？」

　──『騎（き）士（し）学校では、誰（だれ）もアイザック殿下に勝てないらしい』。それが巷（ちまた）で広がっている噂だった。

　もちろん、そこにはコーデリアが一枚かんでいる。

　と言っても、今回コーデリアが行ったのは〝事実を言い広めただけ〟。

　この世界のメディアならぬ令嬢たちを茶会に招き、アイザックがいかに強いかということをとうとうと語る。それから実際に、とにかく派手で強そうに見える魔（ま）法（ほう）をアイザックに披（ひ）露（ろう）してもらい、最後にこう事実を付け加えたのだ。

『アイザック殿下は、いまだ騎士学校で負け知らずらしいですわ』

　と。それに対してアイザックは当然、

『そういうわけではない。手加減されているだけだ』

　とこれまた事実を言うのだが、先ほどものすごく強そうな魔法を見てしまった令（れい）嬢（じよう）たちにとってみれば、それは謙（けん）遜（そん）にしか聞こえないだろう。

『美（び）貌（ぼう）の王太子にド派手な魔法』。楽しいものが大好きな令嬢たちが、あちこちで自分が見たものを吹（ふい）聴（ちよう）して回った結果出来上がったのが、今の噂というわけだった。

（この広まり方。もしこの世界にＳＮＳがあったら、〝トレンド〟に載（の）っていましたわね）

　発表した情報がＳＮＳで話題になってトレンドに載る。それは広報・宣伝として大成功ということに他ならない。

「それよりも、いいんですの？　このままだとあなたたち、アイザック殿（でん）下（か）より弱いということになりますわよね？」

　コーデリアはわざと〝弱い〟を強調して言った。

（ふっふっふ。こういう煽（あお）り方って前世では炎（えん）上（じよう）リスクがあるから控（ひか）えていたけれど、異世界はいいわね。なんてったって治外法権だもの！）

「いいわけがないだろう！」

　ジャンが吠（ほ）えると、その言葉を待っていましたとばかりにコーデリアが身を乗り出す。

「そう言うと思いましたわ！　なら、練習試合を行いますわよね!?」

「は!?　なんでそんなめんどくさいこと……」

「あら、まさか逃（に）げる気？　ならあの噂は事実ってことになってしまいますわねえ……」

　その言葉に、何か気づいたらしいジャンがバッとコーデリアを見る。

「さてはお前……はめやがったな!?」

「さて、何のことかしら？　手を抜いていたのは私ではなくってよ」

「くっ……。わかったよ、練習試合、やってやろうじゃないか！」

　こうしてコーデリアは、まんまとジャンを搦（から）めとることに成功したのだった。