終わらない遊戯
黒木メイ
前編
その日はいろんな意味で疲れていた。
だからだろう。
乱雑にパンプスを脱ぎ、玄関
「おかえりなさい」
予期していなかった声かけにビクリと身体が反応する。
ゆっくりと顔を上げるとそこには久しぶりに見る
『彼』と言っても別に付き合っている『彼氏』というわけではない。
彼、
美香個人としては、連絡先を交換する程ではないが、タイミングがあえば一緒にゲームをする友人だと認識している。
それにしても、誰かに出迎えてもらうなんていつぶりだろうか。
「た、ただいま」
なんとなく気恥ずかしくなって目を逸らした。
そそくさと脱いだばかりのパンプスを揃えて、足早にリビングへと向かう。
柊真もその後に続いた。
リビングには誰もいなかった。
てっきり弟がいるものだと思っていた美香は首を捻る。
「美香さん」
「何?」
美香が振り向くと柊真はいつの間にかキッチンに移動していた。
「何か食べますか? 残り物と簡単なものでよければ用意できますが」
————至れり尽くせりすぎ!?
思わず心の中で叫んだ美香は雑念を振り払うように頭を振って答えた。
「今日は接待で食べてきたから大丈夫!」
本当は『接待の後にあったもろもろのせいで疲れてお腹が空いていない』のだがそれを柊真に伝えるつもりはない。
第一に、美香にはもっと気になることがあった。
「
『美香の弟、拓は家に招いた友人を放って一体何をしているのか』
美香の一番の関心はそれだ。
しかし、柊真は拓の名前を聞いた途端に口を閉ざし、目を逸らした。
その態度にピンときた美香はすぐさまリビングを出る。
柊真が慌てて追いかけてきたが、美香はシッと指をたてて黙らせた。
階段下で耳を澄ませると二階から女性の嬌声が聞こえてくる。
おそらく
美香は柊真の背中を押してリビングへUターンした。
しっかりとリビングの扉を閉めてから深く息を吐く。
柊真の身体がビクリと揺れた。
――――いやいや、君は何も悪くない。わかっているから安心したまえ。
美香が柊真の肩を叩いて笑顔を向けると、柊真はホッとしたようにぎこちない笑みを浮かべた。
それにしても、と美香は拓への怒りを募らせる。
今までも同じようなことが何度かあった。
その度に美香は「友達を放って何をしているのか」と拓を叱ってきたのだが、拓は全く反省する様子がない。
むしろ、「これは柊真を思ってのことだ」と言い張っている。
――――確かに半分はそうかもしれないけど、半分は自分が見たいだけでしょ。
美香はそう思わずにはいられなかった。
ちらりと柊真を
相変わらずスタイル抜群で、顔が良い。
社会人と大学生という歳の差があるとはいえ、肌なんかは自分よりもきめが細かいように見える。
美香の口から思わず溜息が漏れた。
柊真が首を傾げ、美香はなんでもないと首を横に振る。
柊真は異常なくらい女性にモテる。
身長は180cmを超え、黒髪サラサラで目はパッチリしている。やや童顔気味だが、そこがイイ――――というのは拓調べだ。
しかも、文武両道で美香が知る限りは性格もいい。まさに非の打ち所がない人だ。モテないわけが無い。
しかし、柊真には一つだけ弱点(?)があった。
柊真にとっての天敵————それは『女性』だ。
幼少期から誘拐、監禁未遂、貞操の危機と女性トラブルが絶えないせいで柊真は女性が大の苦手になっていた。特に自分に恋愛感情を持つ相手に対しては嫌悪感すら抱いている。
ただ、家族や幼児、高齢者相手には柊真も警戒しない。
そして、不思議なことにその例外の中に美香も含まれていた。
――――『友人の姉』というフィルターと私の女子力が底辺だからだろうな。
と美香は思っている。
とにもかくにも、『柊真の女嫌い』は柊真を知る人達の中では有名な話だった。
もちろん、柊真の友人である拓が知らないわけがない。
それにもかかわらず拓は自分に彼女が出来たことをきっかけに「柊真にも彼女がいる良さをしってほしい」と言い出した。
さすがに生身の女性と無理やりくっつけようとはしないが、何故か
まあ、結局いつも拓が一人で見るという結果になっているのだが。
美香は所在無げに立っている柊真を見て思案する。
今日はさっさとシャワーを浴びて寝ようと思っていたが、このまま柊真を放っておくのもしのびない。
なにより、美香は柊真に会ったら
美香は柊真を手招きして呼び寄せると、あるものを見せた。
「コレ、興味ある?」
美香の手にあるのは先日発売されたばかりの謎解きアドベンチャーゲーム。
好きな会社が出しているゲームということもあり碌に内容を見ずに買ってしまったのだが、このゲーム実は協力ゲーの上に基本プレイ時間が十時間を超える大作だった。
ゲーム好きな友人は他にもいるが、皆長時間プレイをする程ではない。
しかし、柊真は違う。美香と同じくらいのゲーム好きなのだ。
案の定、柊真は「します!」と即答した。
思惑通りのってきた柊真に、美香は満足そうに頷く。
それでは、早速ゲームをしよう――――として美香は我に返った。
「ごめん。シャワーだけ浴びてきていい?」
今から長時間プレイすることを考えると先にお風呂に入っておきたい。
何より、美香のなけなしの女子力が悲鳴をあげていた。
一応美香も女である。異性(しかも美青年)の隣に汗と埃まみれの姿で座るのは避けたい。
柊真はハッとした表情を浮かべると何度も頷いた。
「もちろんです! 俺が用意しておくんでゆっくり入ってきてください!」
その頬はほんのり赤い。美香はいたたまれなくなって足早に風呂場へと向かった。
浴室で一人になると先程まではすっかり忘れていた
美香は慌てて思考を切り替えた。
――――そういえば、柊真くんと仲良くなったきっかけもゲームだったな。
確かあの時も私はリビングでオープンワールドのゲームをしていた。
美香は自他ともに認めるゲーマーだ。プレイスキルも経験もそれなりにあると自負している。
だから、オープンワールドのゲームで開始早々行き詰ってしまうとは思っていなかった。
謎解き要素が多いゲームだとは聞いていたが、味付け程度で難易度が高いとは思っていなかったのだ。
絶対これだ!と思った答えは違った。いくら考えても他の答えがみつからない。
思わず唸り声を上げた時、美香の背後から声が聞こえた。
「カラーコード……ですかね」
美香が勢いよく振り向くと同時に後ろにいた柊真が後退る。
興奮状態の美香はかまわずに柊真に詰め寄った。
「それだ! ありがとう柊真くん!」
気圧された柊真がおずおずと頷く。
未だ興奮状態の美香はそのままの勢いで柊真をゲームへと誘った。
「ねぇ、今暇? もし、時間あるならこれ一緒にしない?」
今になって思えばまるでナンパの常套句のような言葉だが美香にはその気は一切なかった。
それは柊真にも伝わったのだろう。柊真は一瞬逡巡した後美香の誘いに頷いた。
二人は初めてとは思えないほど息のあったプレイでクリアまで一気に駆け抜けた。
そして、このことがきっかけで二人は顔を合わせればゲームの話をするようになり、いつしか一緒にゲームをする仲にまでなった。
美香はシャワーを止めると浴室から出た。
まるでタイムアタックをしているかのように手早く着替えスキンケアを終わらせると、足早にリビングへと戻る。
リビングでは柊真が準備万端の状態で待っていた。
――――他のゲームをしていてもよかったのに。
とは思ったが、律儀な彼らしいとも思い苦笑する。
美香は柊真の右隣に腰を下ろした。いつもの定位置だ。
「おまたせー」
「いえ……髪の毛乾かさないんですか?」
柊真の指摘に美香の肩がギクリと揺れる。
美香の髪はロングだ。つまり、乾かすのに時間がかかる。
面倒くさがりの美香の選択肢は自然乾燥一択だった。
美香が無言でいると柊真が立ち上がった。
この家に何があるかをほぼ把握している柊真はドライヤーの位置も把握している。
戻ってきた手にはドライヤーが握られていた。
項垂れる美香の髪を柊真が乾かす。
これではどちらが年上かわからない。
せめて今からでも自分で乾かすと言い出したいところだが、こうなった柊真には何を言っても無駄なのは経験済みだ。
諦めて目を閉じているとしばらくしてドライヤーの音が止った。
美香は閉じていた目を開き、後ろにいる柊真を見上げた。
「ありがとう」
「いえ……あの」
柊真が何かを言おうとした時、リビングの扉が開いた。
「あ、やっぱりここにいた」
どことなくすっきりした顔の拓が現れた。
「た~く~」
美香の険しい顔を見て、拓が顔をひきつらせる。
「ふ、二人とも今からゲームするんだろ? 柊真、俺先に寝るからな! 姉ちゃんもほら早く始めないと時間がもったいねえぞ!」
拓は早口で捲し立てるとリビングから出て行った。
「逃げたな」
美香が憎々し気にリビングの扉を睨みつける。柊真はその隣で苦笑していた。
柊真に見られていることに気付いた美香はわざとらしく咳をして話題を変える。
「ちなみに、私はクリア耐久するつもりなんだけど柊真くんはどう?」
美香が挑戦的な視線を向けると、柊真はにやりと笑い返した。
「いいですね」
その心意気やよし!と美香はゲームを開始させた。
序盤はサクサク進んでいく。この調子でどんどん進めていこうと張り切っていると柊真が不意に質問をした。
「そういえばいいんですか? ……彼氏さん」
美香の指が止まる。
柊真が疑問を持つのもごもっともだ。美香に彼氏ができてからはこうして柊真とゲームすることはなくなっていたのだから。
「別れた」
美香は簡潔に答えると再び指を動かし始めた。
けれど、今度は柊真の指が止まる。
仕方がないと美香はコントローラーを置き、柊真を見た。
「どうしてですか?」
目が合った瞬間ストレートな質問が飛んできて思わず苦笑する。
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