失愛者  作:奴

ある町で、ある狂人が自死した。異臭騒ぎで隣人が警察を呼び、すでに彼らからすれば最悪の事態が想定できているだけに、警察はかえって落ち着いたそぶりで突入した。


そのときの部屋のようすについてはどこから伝播したのか町中の噂になり、みな口々に真偽不明のあれこれを言いあい、放言した。当時は実に諸説紛々で、実際のところなどまるでわかりはしなかったのだが、このごろになると真実はただ一つに確定していて、今ではだれもが、求められてもいないのに我先にと説明したがるのだった。ある人は人生訓へ話をずらして一席ぶち、説教の時間かのごとく厳粛で敬虔な表情をこわばらせて自身の哲学を垂れる。ある人は、そういう人のご高説をわざとらしくぶち破って、何も難しいことはない、事件は事件であり、自死は自死だと超然とする。


当の狂人は、単純に首をかき切って血を噴き死んでいたのだが、その血しぶきは立つ白波のごとく壁一面に渡っていた。体はもう腐りかげんで、蠅までたかっていた。狭いなかに家具を敷きつめた部屋で、狂人はうまいこと床に伸びていた。


しかしただ狂人の自死というだけなら、いちいち取り上げる必要もないかもしれない。今どきもはや珍しくもない(そしてそれはこの国全体の痼疾でもある)。ただ、狂人は死にぎわ、その孤独な部屋で遺書を置いていった、それが民衆の興味を引いて、噂をこさえさせるのだった。というのも、その家宅に二つある部屋のうち、食卓と寝台が並ぶほうの部屋の壁という壁、余すところなく遺書の紙面に使われているのだった。つまりが狂人は壁に文章を書きつけてから死んだのである。これを見たのは警察ばかりのはずで、当然公表されない事実のはずだったが、今ではたしかな話として知れ渡っている(有名な浮浪者の某が規制線の張られた家宅に忍びこんで実際にその目で見たという噂もあるが、本人はさっぱり否定している)。


さて、その遺書の文面は以下に記す。これも全文明らかになっており、歴史学者のしごとのように、不分明なところまで類推でどうにかつなぎあわせられ、およそ筋の通るようにできあがっている。というのはつまり、狂人らしく、書いているそばから発作的に暴れてしまい、古いソースをぶちまけるとか、あとは黒いインクでぐちゃぐちゃに塗りつぶすとかしているのだ。またそれこそ首を切ったさいの血もかかっているわけだし、とにかくあちこちが虫食いなのだ。くわえて、もとより狂った人間の書く文章だから、無関係な字句がさしはさまれ、前後のつながりはめちゃくちゃで、およそ文字列以上の何かになっていない箇所もあった。さまざまな問題を抱えた遺書なわけだから、まず解読に二週間かかったということである。この二週間という数もどこから出てきたかわからないし、誰が言いはじめたかも判明していない。噂の根っこなどつかみようもない。だからしてもはやそういったことを話しても意味はないだろう。問題は狂人の遺書のほうだ。目下、体裁が整えられ、どうにか読めるようにはなっているのが、次のとおりのものである。ただしそれもほんの整合的な文構成になった一部分だけである。










生活のなかに人間を失うと、ぼくはまったく空虚になった。食事には何の楽しみも感じられなくなった。空腹の感覚をかき消すためだけの摂食が、どれほど人を突き動かせるのだろうか。ぼくは大半を布団の上で過ごした。目覚めたときにはすでに日が高く昇っていて、それを窓越しに眺めていると、日はだんだん雲のあいだを抜けながら没していく。空はもの寂しい淡い青色で、それが空気にまで染みている。ぼくは起き上がる気力を持たない。つねに心に嵩を増す、漠とした悲しみは冷たい。ぼくは何を思うにも悲哀を伴わないではいられなかった。


ぼくは病的だ……ぼくは時間の底に押しこめられ、半分朽ちかかった体でその流れを見送っている。小川の縁にたたずんでいるような穏和な心持はまるでしない。いや、しかしぼくは裸足で川べりにあって、足を水に浸してあるようでもあった。つまりぼくは時の流れを前にして、世界が絶えず変化し、その形姿を変面のごとく屡次に及び変えているにもかかわらず、自分はみじんも変身せず、ほとんど一個の奇怪な虫のように部屋の隅にありつづけているのだ。時の流れとはつまり、日が昇って、水へ絵具が溶けるように光が部屋に充満し、淡い青色から白く世界を浮き立たせてはまた青く暗い滑らかな闇のなかに戻る、その反復だ。あるいは鏡に映ったぼくの荒れた肌、乾燥した毛髪、落ち窪みくまがひどい目など。ぼくは時というものを自己の完全な外部に置いて泰然としている。


というのも、ぼくは総体的に絶望なのだ。ぼくという人間は絶望そのものだ。かつ、ぼくは空腹と排泄を備えた意識自体だ。ぼくは単なる皆川丈浩という領域を超えて、ほんらいぼくではないはずのあらゆる物体までもがぼくになっている。言い換えれば、ぼくという意識は部屋全体に満ちて、ぼくは部屋そのものでもあった。この小さな空間でぼくは全体であり、空間それ自体として存在する。というのもぼくはほとんど飲まず食わずに思索に耽り、生と眠り、あるいは生と夢のはざまにある意識単体のはざまに陥っているからだ。ぼくは生きてもいず、死んでもいず、また醒めてもいず、眠ってもいず、ただ存在した。生命という存在様態を脱却して、超越論的仮象になったのだ。端的に言えば、ぼくは思弁的である。ただそうであるがゆえに、根本的にはいまだ生物であるぼくはその永劫の谷から這い登って、生きものという地点に戻らざるをえない。一日ぶりに空腹を感じ、部屋にあるものを食べる。このとき、ぼくはもうほんらいのぼくに返っているから、部屋はもとのとおりに部屋として存在する。ぼくはぼく、部屋は部屋。そして、排泄欲。いつぶりに便器に座っただろうか。異様に濃い尿を大量に出す。ぼくは人間だ。


 ぼくは奈落の底に落ちたというより、その途中のちょっとしたくぼみに引っかかっているのだった。悲嘆の底からもういっぺん這い上がる反作用のような力はとうてい湧かないし、今のまま生きながらえようという生命力も枯渇している。同じ血が流れ、同じ肉に包まれているぼくの魂は、しかし、凍てついていた。精神の深奥が白く固まっていた。


 風呂に入るのも億劫だった。ぼくは文字どおりに何もできなかった。無為だった。


これもすべてかれ一人のせいだと言ってさしつかえないはずだ。いや、だれにさしつかえがあるだろう。ぼくは孤独で、友人も家族も職業もなく、ただ一個の人間なのだから。気兼ねせずにすべてを呪い、高いところからものごとを総括すればよい。ぼくは悪い意味での哲学者だ。直截に言えば、絶望者だ。ぼくはかれによって何ごとかに飢えている。同時に、生に飽いている。ぼくは十八歳のときすでに死んだも同然だった。かれと最後に握手を交わし、それで息絶えたのだろう。にもかかわらず肉体は生きている。ほんとうに死んだのはぼくの魂だからにちがいない。そうだ、つまり、ぼくは身体上は持続しているが、精神上は途絶した人間なのだ。抜け殻の器。


 ぼくは一人の人間を失ったのだ。そのせいでぼくの生命は冷め、もう一度活動するだけのエネルギーを持たなくなった。ぼくには精神的代謝というものが、目下、存しなかった。悲劇を一身に受け止め、向き合い、うまく折り合いをつけて生きてゆくだけの器官が体内になかった。崩れ落ちた心は、崩落したきり、土くれをそこらに転がしていた。心を生かす体液というものがあるのなら、精神の崩壊によってその循環はとうに絶えた。ぼくの心は淀み、腐ろうとしていた。だから一歩も動けないのだ。便所に立つことだけを、理性ないし社会性という器官のはたらきによって行うほかでは、空や天井を見据えた。


 「きみのそれは、結局は兄弟とか家族への愛と同じなんだ。いくら、ぼくがいなければ生きていけないんだと言ったって、親に甘えるのと同じなんだ。……だからきっと、きみは一人で生きていける」


 それはぼくのためにはひどく残酷な宣告だった。ぼくの取りすがる余地なく、完全に撥ねつけたのだから、そのときの無力感といったらなかった。ぼくはもう一歩もかれのもとへは歩み寄れないのだ。一言も声をかけることはできないのだ。もしあの過去が輝かしく侵しがたい、何か整えられた女の指先や爪のようなものであるとすれば、そして今それは失われていると考えれば、ぼくたちはいったい何であったのだろう?


 しかしぼくとかれとがいつまでも二人きりでいられるはずもない。ぼくとかれとは、いくら魂で通じ合っていたとしても、肉体的に異なる個人どうしだから、離別する可能性はいくらでもある。とはいえなおその障壁を跳躍して、秘密の園で二人きりで生きられたら、どんなに幸福だったろう。ぼくはすべてを失った。かれは何をしている? どこに消えたんだ?


ぼくらは別々の大学に進学した。そのはずだ。ぼくはかれが結局どの大学に行ったか知らない。ぼくと同じ大学を志望していたが、かれはぼくほど勉強ができなかった。それも大局的に見れば、とるに足らない差でしかないのだが、ぼくにはその大学に入れる見こみがあっても、かれはもうすこし足りないだろうという見立てを先生はつけた。だからきっとかれは滑り止めの私大とか、後期試験で別な国立大に行ったはずだ。すくなくとも、四年間で一度もかれらしい人を見かけなかったのだから。


なぜぼくは簡単にかれとの未来を諦めたのだろう? ぼくはたしかにかれが欲しかった。「ふみくん」と呼んでみる。苦しくなる[このあたりから文章のあいだに無意味な殴り書きが増える]。もうふみくんはいない。最後に田桁から鳥羽津まで出て、そこから別れたのだ。かれは一遍実家に戻り、ぼくはすぐに大学のある町まで来た。どの大学なのか、どういう進路をたどるつもりか、まるで尋ねないでおいたのはぼくの手落ちだ。なぜ尋ねなかったのか? 答えようがない。ほんとうに、何の理由もなしに、ぼくはいつまでも口を閉ざしていた。じきにかれを失う恐怖や不安で落ち着きがなく、それを隠すために寡黙になった。いつもどおりにかれと二人きりでぼんやりしながら、ぼくは泣きそうだった。「どこへ行くの」と言えば、そのままかれはいなくなりそうだった。将来のことを聞くなりかれが消えてなくなるように思っていたのだ。


ふみくん、どこにいるの? ぼくはいつも胸のなかにある十六歳のかれを思う。ぼくは脳裡にとどめ置いているかれをいつも十六歳だと思って接している。十七歳でも十八歳でもない。かれは絶対に十六歳だった。


――ぼくはわがままが厭だったのだ、そうだった。かれに、離ればなれは厭だ、とすがりつくのはみっともないと思って、ぼくはいつまでも澄ました顔でいたのだ。二人の関係は、高校というごく狭い国のなかでのみ育まれるもので、ひどいことを言えば、遊びだったのだと、そう決めつけたかった。むろんぼくの心は分裂して、かたやひどく寂しがってもいた。もしこの世界が単に『ぼくの見ている世界』・『ぼくが観測している世界』だとすれば、そして同時に、愛するということが相手の生涯や苦楽の半分をもらい受け、また自分の半分を与えることだとすれば、ぼくはかれを愛することで、ぼくの見ている景色の半分をかれに分け与えたのであり、つまり世界の半分をかれにあげたのだろう。したがってぼくはかれの受け持つ世界を半分だけ担っていたはずなのだ。昔はそうだった。でも最終的にぼくたちはそうせず、あるいはそれを止めて、異なる人生を歩むことにしたのだ。あのとき、駆け落ちすればよかったのか、それとも心中すればよかったのか? 二人だけの宇宙に閉じこもって、そこで緩やかに崩壊すれば、いっとう幸福だったにちがいない。単に死ぬのではなくて、混ざり合い、淡くにじむように消えていれば。


かれなしで生きてゆくのは、それがどれほど困難だとしても、一つの方策だった。自己の体面を保つためにかれの足を掴んで引きとめることを避け、かつ自死を選ばずに生きてゆくとは、つまり、かれなしでもとにかく生きるということだった。かれがぼくの手をすり抜けて消えたのでなく、ぼくがそれを許したのだ。ならばぼくはそのまま一人で歩くしかない。漂うように歩くほかなかった。ただ足元に地面はないようだった。踏み出す足には感触がなく、大きく柔らかい塊の上を転ばないよう歩いた。そのうちまっすぐ進んでいるか、いやそれだけでない、直立して進んでいるか、上下さかさまになって進んでいるか、それすら不分明だった。回転しているかもしれない。一つも進まずにいるかもしれない。きっとぼくは空転しているだろう。


とうとう一度もかれと肉体的接触をしなかったのは奇跡だ。何度気持ちがたぎってかれを求めたかわからない。かれにはぼくの子を産んでほしかったし、ぼくにしたってかれの子をはらみたかった。だのにぼくらはそうじゃない。互い、穴は腸に通じているばかりだ。なぜ? 何にせよ、一年生の春に寝つけないかれと話したときにはもうぼくは危うかった。後藤も丸谷もいたというのに、あとすこしで、寮だというのに、かれを犯そうとしていた。かれの目に光る好意の色は、つまり同意だった。「してもよい」という同意。だいたいハグもキスもとうとうしないづくじゃないか。ぼくらは何だったんだ? ぼくにほとんど何もしなかった。甘いことばを使うことすら止して、どうももっと徳高い恋愛をしてやろうという魂胆が自分でも見えみえだった。ばかじゃないか。何がプラトニックだ。そんなものは虚無じゃないか。何も残らない。余韻のない恋。自分が理性的で尊い存在だと思いたいがための無意味な宗教。


ぼくは禁欲的であろうとしていた。いつかきっとかれを強姦するだろうという見立てがあったからだ。[以下、「ふみくん」からの手紙の文面と思われる]≪きみはぼくのことが好きなんじゃないか? 実家にいるあいだ、ぼくは絶えずきみのことばのせいで動揺していた。人事不省に陥ったようだった。きみのせいで今まさに引き裂かれそうだ。きみはいったい何なんだ? ぼくは真剣にきみを好いているんだ。きみと結ばれたくて焦がれているんだ。夏のあいだ、寮を出て帰省したのはけして悪いことではなかった。でもきみに会えないことはこの上なく苦しかった。手紙でことばを交わせば、どうにか寂しさも紛れると思った。反対だった。きみの一文いちぶんを追ってゆくとぼくの心はひどく渇いた。かえってきみが欲しくてたまらなくなった。丈浩 皆川丈浩 皆川丈浩 皆川丈浩 欲しい 早く会いたい 苦しい きみはどうしてる?≫まるで自分ばかりが満たされずに生きているような書きぶり! ぼくがあえて精神的接触にのみ努めていたのを、根本的に愛情がないのだと思ったんだろう。放言しよう、ぼくはふみくんが大好きだった、ほんとうに! 現に、かれを失って魂を引き抜かれたぼくはもはや人間ではない。矛盾的虚構だ。ぼくときみとは精神的に繋累してあるんだから、離れてしまえばどちらかの霊性が喪失するに決まっていたんだ。それがぼくだった。きみはどうなったか知らないが、とにかくぼくは明白に力を失ったのだから、反対にきみは幸せになっていておかしくない。ぼくが背負っていたはずの幸福がすべてきみにさらわれた。ぼくはもう息絶えたのだ。生と死を結ぶ無数の経路のなかで、ぼくはきみが別の道をとった反動で脱線し、墜落した。心というものは、一度傷を受ければ二度と癒えることはないのだ。悲しみ、傷つき、絶望し、崩壊した心は、もうもとのようには動かない。えぐれた部分に肉は再生せず、裂け目に沿って新しい皮膚が生じるだけで、失ったものは失われたまま、いびつな精神として営んでゆくほかない。母を亡くしたときからぼくは一遍に瓦解した。そこでひどく打ちのめされたのだ。それをきみがいたおかげでどうにかこらえていたんだが、今やどうしようもない。あらゆるものごとは暗黒に放りこまれた。ほんとうはぼくときみ以外は何ものもなければ、ぼくという人間はただ静穏だったろう。ぼくときみだけがあるなら、ほとんどすべてのものごとは明晰に理解できただろう。きみの心情以外のすべて。




  愛において人はその財産を忘れその両親を忘れその友人を忘れると語つた人がある。私はその人の意見に従ふ。大いなる愛情はそこまでゆく。愛においてさやうにも深くへ人がゆくのは愛する者以外に何も要らぬと思ふからである。精神は満ちてゐる。心配や不安の占める場所はもうそこにはない。情念は過度でなくして美しくあることはできない。さういふわけで人は世間のうはさを気にしない、といふのは彼は世間が我々の行為を、その行為が理性から出てゐるがゆゑに、非難するはずがないことをすでに知ってゐるからである。情念の充満がある。反省のハの字もありえない。[註:のちにある博識が探し当てたが、これは次の書である。パスカル?『愛の情念に關する説』第51節、 津田穣訳、角川書店、1950]




ぼくらはむやみに操を立てようとした。性に欲に堕落することが一つの決定的な過ちだと判じて、決してもう一歩先へは進もうとしなかった。互い、次の一歩が我が身を地獄へ向かわすのだと確信して倦まず、尊い愛のためには欲望など必要ないのだと、いつまでも相手に踏みこんでゆかなかった。むろん、手紙の上ではいくぶんか熱いことばを交わしもしたが、それはしょせん遊戯であった。犬が、互い遠く離れているか隔たっていればこそ吠えて威嚇しあうのと同じことで、ぼくらは手紙によってしか通信できないほど距離を置き、面と向かっていないかったからあれだけ何でも言いあえたのだ。そのときはよかった。結局、あの文面だけが真実であり、寮での語らいには一つの真理もなかった。愛の尊栄に上り詰めるためにぼくたちはかえって、抑圧を是とする倨傲に甘んじていた。まるでみじめな二人であろう。


 ぼくはかように二人のあいだがらを繰り返し考察してきた。回顧の滝壺から抜け出られずに、いつまでもあの日を思って已まない。肉体の上にごうごうと音を立てて過ぎてゆくような時間の流れはもはやぼくに何らの動揺も与えず、ぼくはひたすら過ぎ去ったはずの大潮流になかで溺れている。同じ川に二度入ることはできないと言うが、ぼくのばあい、ある一瞬間のこの川の水に浸かったまま出てこず、そのなかでまったく疑似的な溺死をして現在横たわっているのだ。


 しかしぼくは実際に自死をするだけの意志を持たない。かといって生きる意図も持たないが、日々のパンのために生きる道はとらない。そうしてダイヤモンドのためにも命を使わない。ぼくはいつまでも一個の絶望者、拘泥者、嗟嘆者として時空間に固定されているばかりだ。その大家にはなれまい――絶望家、拘泥家、嗟嘆家といった、窮理者にはなれぬはずである。ぼくの自己分析は不完全であり、何も解き明かせそうにないから。かれの底意を理解せず、ただぼくの視点から得た材料だけで安楽椅子探偵を一席ぶっているのだから、単に労働せずに道楽に明け暮れているのと相違ない。なまの事実は永久にぼくに舞いこんでこない。わずかな記憶とおびただしい量の想像だけだ――手紙? そう、手紙は、たしかになまの事実かもしれないが、しかし、どうだろう。あれが何ごとかを語ってくれるだろうか。あそこでだけ、すなおな気持ちが表れていたにちがいないが、ぼくはもはやそれすら≪すなおな気持ち≫や≪底意≫でないと解釈している。≪威嚇≫はつまり怯えの現れだから、わざと明け透けに語られたものごとたちはみな、牽制じみた無意味な文字列だったろう。字義どおり使われたことばなどそこにはない。全部が全部、もう一歩踏み出すのは何だか怖いが、いちおうその意志だけは装っておこうというくらいなものである。最初から本気で愛する気などない。『こころ』で「先生」は、「私」がたびたび自身を訪ねることを「恋に上る階段」と言ったはずだが、どのくだりで発せられたのだかもうはっきりしない。とはいえそういうことだ。ぼくらは当時、思春期のただなかにあって、見境なく人を恋しく思い、とにかく誰彼なく好きになってみることで、精神を養成していたのだ。交際という実践をして、逢瀬を重ねるにつれ、あたかも脳内にニューロンが増えるかのように、魂は複雑な構造をとりだすのだ。他者を疑似的にでも愛した数だけ自己は涵養され、将来実際にただ一人のみを愛して家庭を築くことになるのだ。すべては結実のための犠牲だ。ぼくらはそういう意味ではつねにすでに加害者だ。恋には反面、加害性があり、恋愛というかたちでの対他化は同時に戦争という対他化なのだ。ぼくらはまがいものの愛によって他人の心を傷つけ、その実平気でいるのだ。そしてすべては単に思い出として語られる。若い時分の恋慕の情は、思春期の錯覚であり教育だ。そして恋愛の崩壊と再興の継起のうちに反省がある。「愛する者以外に何も要らぬと思ふ」とき、「反省のハの字もありえない」。ほとんど妄信的に愛し、宗教のような愛を実践しているからだ。ともすれば、信仰が廃れ、愛から脱却し、すべてが過ぎ去ったのちには、第一に反省の段階があるだろう。そうでなければ精神の発達はない。愛的盛衰の連綿たる歴史に織りこまれた反省こそが、人間精神を小さなものにしないためのいわばつなぎの役割を果たす。


 だからつまり、ぼくとかれとの恋慕ゲームは実人生の階梯の一部であったにちがいない。人間という種の多年の営みのなかで、人間本性が要請したつなぎとしての恋愛を、ぼくらは共同的に成したのだ。


 それゆえにぼくはただの一事のために死んではならない。かれを思って死に至るのはぼくの手落ちだ。ごっこ遊びとしての愛を世界制作のための重大事業と捉えた結果の死という滑稽に陥ることはぜひ避けねばならない。死も何もなしにぜひ生きていかねばならないはずなのだ。


 あるいは、死を語る意味はないのかもしれない。経験していず、何ごとも語れるはずはないから。死を語ることは真理の述定ではなく、表象の描写である。なまの事実の陳述ではなく、観念の操作である。何かしらの恐怖と折り合いをつけるため、精神の安定に最良な説明を練るのと同じである。死は直示できない。それは存在ただそれだけを直示できないのと同様である。死とは(あるいは存在とは)行為でなく、存在様態であり、性質である。遺体をゆびさして、これが死であると言っても、それは指示しそこなっている。このとき指示したのは単に死体そのものであって、死というありようではない。


 ある人は次のように言うかもしれない。つまり、生や死は性質であり、かつ性質は指示不可能として、生や死は指示不可能である(それゆえ語る意味などない)とするのだから、性質全般にこれを押しつけることになると。熟したりんごにゆびさして「これが赤だ」と述べることができないのはおかしいのではないかと。われわれが発語と状況を同定するとき、ことばと世界を結びつけている。ことばを世界に、という適合方向である。われわれはときにこの性格をもつ直示という方策を採る。どんぐりとは何かと問われれば、椎や樫や椚の実で、云々、とはしない。むしろこれがどんぐりだと実物やその写真を見せる。それと同様に、赤色を示すさい、赤いものを見せる。この作業はみな例化された対象の指示である。どんぐり性を支持するのでなく、どんぐり的なもの(クワイン流に言えば、「どんぐりする」もの)を支持している。本質的にこの営みは性質より例化物を示していたのだ。だから性質は指示不可能という点に誤りはなく。「これは赤だ」という言い方に誤りがある。実のところ「これは赤的な(赤する)ものだ」と言っているのだ。これを考えると、死体は死の例示であり、死的なものである。われわれは生的であり存在的なものである。こうなると、ぼくとかれとのやりとりの集合は愛の例示であり、愛的なものである。いや、疑似愛的なものであろう。ぼくらのあいだの何についても、「あれは愛だった」とも「愛ではなかった」とも言えない。愛はどこにもない。愛的なものばかりが存在し、交わされる。さらにはぼくとかれとが温めていたもの、そして今では凍てついてしまったものは愛のまがいものなのだから、およそぼくらは無意味な遊戯に興じていたことになろう。


 こうしてみると、ぼくらには何もなく、ただむやみに気を揉み、精神をすり減らし、過度に詮索し、ありもしないことまで推論していたことになる。愛はなく疑似愛で、しかも「的なもの」だけがあったのだから。寮で暮らした三年間の心配や不安や悲嘆や切望や熱意や愛情は、すべて語るに足らない虚無であり、すべては徒労だったのだ。


 しかし本当にそうだろうか? ぼくの胸に湧いて精神を蝕んでいたあの激しい情念は、だとすれば、いったい何であっただろう。かれが手紙に書いた愛にまみれたことばに、寮に残ったままぼくは心躍らせた。かれにキスを求められたとき、そのあまりに唐突なことに驚いて拒絶のごとき姿勢をとったけれど、その実ぼくはずっと二度目を待っていた。もう一遍、高貴な精神をかなぐり捨てて、ただ心情を相手に塗抹するように迫ってほしかった。だがそうはならなかった。かれは情に激しやすく、一方で同じ過ちを二度と犯さぬように汲々とするたちだから、最初に拒まれたらもうキスしたいなど思わなくなっただろう。あるいはそう思わないように無理に心を殺したにちがいない。夏休みを終えて寮に戻ってきたかれの表情はこわばり、怯えていた。罪の意識にさいなまれているという顔をしていた。


 なぜ堕落することなく三年間を過ごしたのだろう? 校舎裏のだだっ広い山林に紛れれば、交接くらいできたはずだ。たしかに一度だけ山林へ入り、滝を見に行ったが――あのときはただ森の奥に大きな滝があって、その流れ落ちるようすを飽かず眺めていた。しかし、ただそれだけだ。ぼくらは関係の深化・崩落・不道徳化が怖くて、もはや手をつなぐことすら不貞だと見なしていた。いや、手をつなげば唇が欲しくなり、唇をつなげば肉体が欲しくなり、肉体をつなげば……というふうに不徳義の底へ墜落すると知っていたのだろう。その怯えが結局、手紙の上では威嚇として現れたのだ。浴場でたがいの裸体すら見ていたのにとうとう友人以上の関係にはならなかったことは驚きである。……


 これだけのことを塗抹するのにほとんど無限的かつ瞬間的な時間が過ぎている。これはまったく矛盾しない。つまりわれわれの時間というものは、まったく同じだけの時間幅がひどく長くなったり、かえってきわめて短くなったりするものだ。その長短の差にはしかるべき理由がある。われわれは同じ習慣を繰り返し、同じ環境に漬かりこみ、一つの気風でにしめると、時間の流れというものをまるで感じなくなる。一日は感知する間もなく過ぎ去り、一週間の去来がようやく問題となり、結局のところ、一か月が最小単位となる。生活に何のおもしろみもなく、過ぎゆく世界が人に何らの感興も起こさなくなったとき、人は時間という大きなうねりを毫も感じなくなる。そうして簡単に一か月先へ流されるのである。これを防ぎ、一日どころか一時間をもって最小単位とするためには、活動がなければならない。情緒のない、精神にまるで作用しない機械作業的習慣を排して、ぜひ新鮮な空気を取りこまなければならない。新しさ、見慣れなさこそがわれわれに実質的な時間を与えるのであり、われわれはつねに変化しつづける必要がある。


 ぼくはこれを忘れたがために、というよりはまずもってぼくを部分的にでも一変せしめる事態がなかったがために、一か月を最小単位とし、一年を基本的な一区切りとして生きているのである。ふつう、一年という歳月は、精力的に動いている人間からすれば茫漠たるものだが、ぼくには大股な歩幅ほどにしか思われない。ちょっとした跳躍で一年、二年などは飛び越えてゆけるのである。というのも彼を失い、大学を出てからというもの、ぼくは完全に部屋に閉じこもったからだ。なぜかれを失うはめになったかについて思索を弄し、再三、同じ結論を出してはまた同様の議論へ結びつけたのである。このなかで時は思惟のなかに溶け、時間と空間と思想は一つの揺らぎとなってぼくの外郭をぶち壊し、ぼくに人間であることをやめさせたのである。


 ――今、十年という年月の流れをようやく自覚した。ぼくがかれを失ってから、議論を重ねた時間だ、つまり生であるというより無為であった時間のことであり、虚無という延長の幅のことだ。一か月ごとの月日はあっさり過ぎてゆくので、ひょっとするとまるでその実質的な長さなどふだん問題にしないのだが、あるときふと、これまでの歳月のおそろしいほどの厚みないし深さを感じるのだ。時の深淵の底のない感触が、ぼくの胸を掴む。そう、何も時鈴が鳴ってくれるのではないから、一日、一週間、一か月の流れをそのつど覚知するわけではなく、それがずっとあとに過ぎ去ってから発覚するのである。月が変わる瞬間に何ごとかがまるきり変化し、それによって、たとえば六月から七月になったなどと理解するのではなく、いつまでも六月だと思いなしているうちに、七月も半分近く過ぎたところでようやく七月だと気づくことになる。こうなったばあい、もっと細かいことを言えば、十四時十分はおよそ十四時三十分に相違なく、もはや十五時も同じことなのだ。そしてそのうちに昼下がりは音もなく過ぎ去り、じきに夕方になり宵も深くなってゆくのである。時鈴で時間を細かく分割する学校という場所の異質さが思われる。


 ぼくはこの人間に一般な時間論を体感している。ぼくはこれまで何であったのか、そこへ否が応にも考え至らずにはいられなくなっている。ぼくは今になってやっと、人間に戻り、長期にわたる本性的堕落のつけを払わねばならない局面に際している。朝、いきなり死刑執行を告げられて、夢見心地にすべてを諦める、頬がぽっぽと赤らみながらも同時に青ざめた瞬間に臨んでいる。ぼくは自己を超越しなければ、つまり過去を清算しなければならないだろう。人間は一般に自己を超越できない以上、現実世界を多少なりと疑わざるをえない。そして外界はすべて偽りで、自分のために与えられたハリボテだと結論するとき、外界それ自体が問いであると発覚する。お前はどう生きて何を為すかという問いが突きつけられたのだから、実際に生きて直示せねばならない。しかし思うように生きられないとなれば、生とはつまり宿命という目に見えぬ大いなる暴力にいたぶられるだけにも思えてくる。自分は結局、無力だと悟っていっぺんに堕落する瞬間はきっと来る。われわれはこの問いに対して、欠陥なく答えることはできない。この絶望は、ひいては、死とは何か、死の先に何があるかという合理的解答の不可能な問いへ連れていく。経験していないことがらにはまるで答えられないのに、ぼくらは繰り返し、この死という超越の先にある領域を考えて明け暮れる。すると実際のところ、問いとは次のことだ。なぜ、現在、生なのか? そして、なぜ、現在、死ではないのか? なぜ断絶ではなく、持続なのか? 喪失と怠惰ばかりの無意味な営為を前にして、なぜ踏み越えをしないのか?


しかし今こそ答えを得なければならない局面にぼくは際している。かれを失ったいま、無為徒食の咎に贖いをせねば許されない。ぼくの生が断絶されて、持続の先に飛び越えてゆけば、万事再度淀みなく進んでゆくはずだ。ふみくん、きみを失ったいま、ほんとうにきみのいない場所へ、先へ、ぼくは歩を進めるほか途がないのだ。……










ざっとこれだけが、読める文章としてわかっているかぎりである。ところどころに抜粋されていない箇所がり、文章として成り立っているかも怪しい箇所まで含めると、もうすこし長い。そしてあるところで文は突然断絶されている。ここが決定的な擱筆の地点であり、実のところ、上に掲げた文章の最後がそれにあたる。


狂人の遺書は、寡黙で神経質で高慢な学生の幾人かには好評で、この上なく文学的な一節という見立てすら成されている。彼らはこの遺書をそらんじ、涙まで流す。しかし、われわれ一般はそこに並々ならぬ後悔と絶望と錯乱とを認める一方、冷笑しもする。他人の苦悶とそれにかんする思索は嘘みたいにわれわれに響かない。狂人の切実な声は雀の語らいより無意味に聞こえるかもわからない。すくなくとも、文豪気どりの青年どもが思うほど高尚ではない。重なり押しあうような、無数かつ一つの波の音にすぎない。

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