十三番街のカレイドスコープ

第1話 プロローグ


 辺りは暗く、両手が触れる冷たい黒い石畳の上に、雨粒の数だけ光の波紋が広がる。見上げると、灯りに照らされた見知らぬ通りの名前があった。


「……じゅうさんばん、がい?」


 若い枝葉に隠れる様にして佇む、古い木製の門に書かれた文字。まるで神社の鳥居のように街の入口を囲っている。じっと目を凝らしてみたけれど、門の中は闇があるばかりで何も見えなかった。


 慌てて周りを見回す。


 私は一体どれだけここでほうけていたのだろう。初夏とはいえ、身体がすっかり冷えてしまっていた。長い髪も、新しくおろしたシャツも、その上に着たジャケットも、ブーツの中までもぐっしょりと濡れそぼっていた。

 目に入る雨粒を拭いながら立ち上がると、ふらふらと自分の愛車の姿を探した。痛くはなかったけれど、記憶が飛んで地面に座っているなんて、どうも転んだとしか思えない状況だった。


 けれど、自分の座り込んでいた通りには、等間隔にぼっと灯る瓦斯燈が見えるだけ。愛車どころか人っ子一人いない。

心細さがじわじわと湧いてくる。


「……」


 確か自分は、大学の飲み会に誘われて、その帰りで。

 両腕で身体を抱きながら、考える。バイクで行ったのだから、お酒は飲んでいない。なのに、何故ここにいるのか思い出せない。

 それに、看板に書かれた“壱拾参番街”って。


「……モシ」


 ガラン、と下駄が鳴る音と共に、至近距離で聞こえる声。不意に翳る視界。思考が中断された。

 息が止まる。

 着流しの、大きな……いや、巨大な人に唐笠を差し出されたのだと、振り返って漸く気が付く。


「モリヤマ アカネ サマ デスネ、オムカエニ マイリマシタ」


 頭上から低い平坦な声で自分の名を問われ、私は驚き、そして──震える声でハイと返事をした。名を問われて答えるのは、昔話的には良くないことだと思いながら。



 促されるまま看板の内側。境界の内側へ、よろけるように一歩、二歩。

足を踏みいれると同時に色とりどりの提灯が灯りだす。提灯だけではなく中には古めかしいランタンも混じっている。煤けた硝子の火屋と真鍮のシェードが鈍く光る。無数の明かりは星のように、通りの両側に聳える歪な壁を染めていた。壁は、よく見れば木製の建物に更に別の建物を接いだちぐはぐな建造物だった。

 

 傘をさした着流しの案内人と一緒に、私は建物の谷の間を歩んだ。次第に人声が聞こえ始め、いつの間にかに通りは見えない沢山の何かが行き来をしているような気配があった。

 何回か案内人にどこへ行くのかと話しかけたけれど、一言も返してくれない。けれど、私の歩幅に合わせる様に彼? はゆっくりと進む。

 同伴者が無言なのを良い事に、私は歩きながら少しずつ、今の状況を把握しようと試みた。足を踏み出すごとに、革製のブーツの中で水がごぽっと音を出す。ただ、唐笠の下にいると不思議な事に寒さが薄らぐようだった。


 存在しない十三番街。

 この市には、十二番街しかないはずだ。

 合併を繰り返して各町の名前こそ消えてしまったけれど、生まれてからずっとここに住んでいるのだから間違えようがない。ただ十三番街の話は小さな子供でも知っている。


「……なんの冗談」


 あまりの皮肉に溜息混じりにつぶやいた。

私は文章に残らない物語を収集する身。

こんな怪談まがいな出来事に巻き込まれるのはきっとチャンス、なのだろう。でもこれは巻き込まれて良い類のことか甚だ疑問だ。振り返っても、もう入口は見えない。

 

 喧噪を避けるように迷路のような路地を何度も通り抜けた。細い階段を昇り降り、柿渋の垣根を潜り、案内されたそこは大きな門の前だった。辛うじて読める字で柱に何か書かれている。


 追野森。


 達筆な字体で書かれているのがうっすら読めるが、つ……の、もり。つのもり、だろうか。私が首を傾げて目を凝らしていると、案内人が古びた柱に触れた。すると鐵の縁取りをされた観音開きが目の前で大きくゆっくりと開かれる。濡れネズミの私は大きな手に背を押され、建物の敷地に踏み込んだ。


「マエ、ヘ」


 久しぶりに聞いた言葉に驚いて顔を上げると、再び唐傘に視界を遮られた。

 とっさに傘の柄を掴み、声のした方を見てみても誰もいない。煙のように闇に溶けて消えてしまっていた。

 

 案内人の代わりはすぐに現れた。ぽん、と提灯が目の前に灯り、ゆらゆら揺れながら先を行く。じじ、と芯が雨粒を焦がす音がする。

 揺れる提灯に導かれて、離れを通り過ぎ蔵を横目に奥へと進む。広大な庭のどこかからか、鹿威しの音が聞こえてきた。

 

 漸くたどり着いた母屋は見覚えがあった。篝火が勢いよく燃えている。

軒先で途方に暮れていると、からからと明るい音がして戸が開いた。


「ああ、茜……!」


 飛びつかれて後ろによろめく。

 この声は。


「……!」

 

 良い香りのする肌触りの良い布が頬に触れ、思わず濡れてしまうと身を捩って逃げる。

 私と違う淡い肩までのふわふわした髪、光の加減でオレンジ色に見える瞳。襟元から伸びる、細い白い首。着物を着ているけれど見間違いようがない。私と違う、歪んでいない笑顔で微笑むあなたは。

 いつの間にかに姿を消したあなたは。

 

 ういか?


 口の中でつぶやいた言葉が相手に届くわけもなく。それでも、目の前の人の瞳が揺れたように見えたのは火影のせいなのか。


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