作者第0話 桶川和樹
★☆☆☆☆ すずむしさん 2022/05/20
これ投げ捨てたい。展開が最悪。
作者あほなの?
主人公の考え方が一般常識からかけ離れてるし、作者どういう育ち方してんの。
感性おかしいわ。駄作。
作家、桶川和樹(おけがわかずき)は画面を見つめたまま微動だにしなかった。
赤いノートパソコンの画面に表示されているのは、特にどうという事もないよくある感想の一つだ。
いわゆる『レビュー』といったもの。
しかしその一文に、彼は今この瞬間心を殺された気がした。
「あー……こいつ、殺そ」
桶川はぽつりと呟いて、電源を切らずにノートパソコンを閉じた。
室内灯をつけていない深夜の部屋で、明かりがスタンドライトだけになる。
六畳一間のワンルームで、白い明かりが浮いていた。
きっといつもの彼なら「またかよ。ちったぁ感想らしいことかけよ。アホはてめーだろ」と悪態をついてやり過ごすことも出来たのだ。
けれど間が悪かった。
この日の桶川は担当編集者にボロクソに原稿を貶されていたし、リテイクは勿論のこと兼業作家である彼は本日深夜残業上がりで、上司からの八つ当たりに加えてスマホには実家の母から借金をこさえたから金を振り込んでくれという無心の連絡まであった。
桶川は四国の片田舎から就職のために上京していた。
一人暮らしで彼女はおらず、休みの日にやる事といえば趣味でありかつ副業でもある小説を書くことだった。
ネット小説というものが名を馳せてきた昨今、桶川もまた書籍化デビューにより作家となった一人だ。
「レビュー者名が……あ゛ー…すずむし、だっけ? 虫かよ!!」
桶川はこれから呪う相手の名を吐き捨てる。
男か女か、二十六の自分より年上なのか年下なのかもわからない。
けれどそれでも、相手は確かに桶川の強い怒りに触れた。
「虫の駆除ってか?」
どこにでもいる青年と同じように桶川が笑う。
初めて己の書いた小説がネットで賞を取った時と同じ笑みだった。
嬉しい楽しい、これからもっと自分の名を知らしめてやる、というやや大きな自己顕示欲と、未来への不安。
喜怒哀楽すべてがまだらに混じっていた。
本人でさえ自分の中に湧き上がっている感情がわからなかった。
鬱屈した感情の吐き出し先を見つけたという喜びと、まさかこんなレビューひとつで殺されることになるとは夢にも思っていないだろうどこかの誰かを追い詰める楽しみと、仕事もしながら寝る間も削って精魂込めて書いた本を貶された怒りと、作品が受け入れられなかったことへの哀しみと。
一体、どれが一番強い感情なのか、桶川にはわからない。
それくらい彼の精神は壊れてしまった。
たった一文の「レビュー」によって。
とどめを刺された。
今日、桶川は縋る思いで過去出版した己の書籍のレビューを見た。
過去何度も疲労した心を救ってくれた、誰かの言葉を目にするために。
助けてもらうために。
けれどレビューとは、基本的に最新のものが一番上に表示されてしまう。
桶川がそれを目にしたのは偶々だった。
レビュー者もまさかやや悪気のある、けれど誰でもやってしまいそうないちゃもん混じりの感想に、実行に移されるほどの深い殺意を抱かれるなどとは思ってもみなかったろう。
間が悪かった。
もしかすると、この話はただそれだけのことなのかもしれない。
けれどたった一つのレビューで、この桶川和樹という作家の命は絶たれたのだ。
今にも折れそうだったぎりぎりの心の骨を、彼は極簡単でありふれたナイフのような言葉にぼきりと圧し切られてしまった。
か細い息の根を止められてしまった。
今日、桶川は作家として死んだ。
殺された。
ただ一人のレビュー者によって。
目には目を、歯には歯を。
子供でも知っている復讐の言葉だ。
桶川も同感だった。
人が殺意を抱く瞬間。
それはきっと、こんな風な些細な一瞬なのかも知れない。
「殺したんだから、殺されても文句言えねーよなあ……」
閉じた赤いノートパソコンの上面を四本の指でとんとん、と軽く叩きながら桶川は言葉を落とす。
その手がぐっと握り込まれた瞬間、振り上がった拳がバン、とノートパソコンの上面を叩く。
つるりとした面に蜘蛛の巣に似たひびが入った。国内でも有名なメーカーが生産しているその赤いノートパソコンは、桶川がネット小説で受賞した時にもらった賞金で買ったものだ。赤いから三倍書くのが早くなるかも、なんて笑って。
けれどもう、桶川にとってそれはどうでもいいことだった。
これから彼がする『殺人』はスマホ一台あればこと足りてしまう。
文明の利器により現代は『加害者』にとって最も優しい世界となった。
殺したい相手を追い詰める方法も、探し出して殺す方法も、依頼殺人さえ指先一つで検索できる。
3Dプリンタで本物に近い殺傷能力を備えた銃を作ることもできるし、爆弾だろうがボウガン等の武器類だろうが実現する。
ただ実行する人間が少ないだけだと———誰もが知っていた。
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