第11話 ドブさらいをする。

「ユーリ様、どうでした?」

「ああ、なんの問題もない」


 ユーリは一人でドブさらいの依頼受注を済ませた。

 初めてのことだが、元皇帝にとっては造作もない。

 その落ち着きぶりに、職員の方が驚いたくらいだ。


「余は仕事に行ってくる。夕刻にここで落ち合うとするか」

「ちょっ――」


 クロードは慌てて手を伸ばし、ユーリを止めようとする。


「ん? まだ、なにかあるのか?」

「私もご一緒します」

「いらん」

「分かりました。ここでお待ちしております」

「ああ」


 クロードとしては心配で引き止めたいところだ。

 しかし、ユーリが一度そう言った以上、彼にできることはない。

 命令には黙って従う――それが身についた習性だ。


 ギルドを後にしたユーリは指定された場所に向かう。

 ドブさらいの依頼は区分けされており、指定された場所以外では禁止されている。

 冒険者同士の奪い合いを避けるためだ。

 アタリの場所もあれば、ハズレの場所もある。


「前世でも、縄張り争いは厄介だった」


 よくできたルールだと関心する。


「ふぅ。なかなか遠かったな」


 身の丈ほどのショベルを背負い、ここまで歩いてきた。

 依頼受注が遅かったせいで、ギルドから遠いハズレの場所しか残っていなかった。

 彼女の幼い身体では、この場所まで来るのもひと苦労。


「まあ、これもこの身体に慣れるための修練だと思えば、どうということはない」


 マジックバッグにショベルをしまえば楽だったが、彼女はそれを選ばなかった。

 自分の身体ひとつで生きていく決心をしたからだ。


 さて、依頼に取りかかろうと、もうひとつの仕事道具を広げる。


「この袋もこの身体だと大きいな」


 防水加工された布袋だ。


「この袋も以前はなかった。便利になったものだ。使い道はいくらでもある」


 自然と戦場に思いを馳せ、その使い方を考えてしまうが、すぐに首を振って意識を戻す。


「今はそれより、ドブさらいだ」


 仕事はシンプルだ。

 この袋にドブに溜まった汚泥やゴミを詰めていくだけ。

 ショベルと袋どちらも冒険者ギルドの資材課から借り受けたものだ。


 ユーリが作業に取りかかろうとしたら――。


「あら、お嬢ちゃん。ドブさらいかい?」


 ふくよかな中年女性に声をかけられる。

 野菜や果物を売る露天商のおばさんだ。


「ああ」

「ちっちゃいのに、エライね。頑張りなよ」

「任せておけ」


 子どもらしからぬ言葉に、おばさんは「ふふっ」と笑う。

 子どもらしい扱いを受けて、ユーリも喜んで笑顔を返す。


 ユーリはすぐに気持ちを切り替えて、仕事に取りかかる。


 ――ドブからは悪臭が漂う。


 不快なにおい。

 貴族令嬢であれば、一生、縁がない悪臭。


 しかし――。


「クロードが言っていたほどではないな。なに、戦場の臭いに比べれば、たいしたことはない」


 数百数千、数えきれぬ亡骸なきがら

 血と臓腑の立ちこめる臭い。

 腐乱した肉にうごめく蛆虫。


 戦場に生きたユリウス帝とっては、死の香りですら慣れ親しんだものだ。

 ドブの空気などまったく問題にならなかった。


「さあ、始めるぞ――」


 ――1時間後。


「ふぅ、やっとひと袋か……」


 疲れ切ったユーリはその場にへたり込んでしまう。

 汗だくで。髪は張りつき。

 服には飛び散った汚泥がまだら模様をつけていた。


 魔力による【身体強化ライジング・フォース】は使えば楽なのだが、使うつもりはない。

 【身体強化】は身体にかかる負担を魔力で軽減させる魔法だ。

 その分、身体への負荷が少なくなるため、筋肉や骨の成長を阻んでしまう。


 ――【身体強化ライジング・フォース】に頼り切りの兵は、いざという局面に脆い。


 ギリギリの死闘では、鍛え上げられた肉体と精神が物をいう。

 ユーリはそれを知っている。


「この身体では本気で鍛えないと使い物にならん」


 疲れた身体にムチを打って、ショベルを支えにして立ち上がる。


「クロードには5袋こなしてやると啖呵たんかを切ったからな」


 ――皇帝の言葉に二言はない。


 どんな局面でも、一度口にしたことは絶対に実現してきた。

 今生でもそれをたがえる気は毛頭ない。


 汚泥の詰まった袋は重さは約5キログラム。ユーリの体重の4分の1だ。

 これを指定された倉庫まで運ぶのだ。


 さて、そこで困ったことになった。

 ショベルをどうするかだ。


 ユーリの身体では、ショベルを持ったまま袋を運ぶのは不可能だ。

 だからといって、置きっぱなしにして盗まれても困る。


 一般的にはこの仕事は数人のグループで受ける。

 その場合は役割分担できるので、なんら問題はない。


 しかし、ユーリはひとり――。


 「仕方ない、マジックバッグにしまうか……いや」


 できるだけマジックバッグや魔力に頼りたくないユーリは頭を巡らせ、アイディアを思いつく。

 皇帝時代だったら、浮かびもしなかった考えだ。

 ユーリとなったからこそ気づけた考え。

 彼女はその思いつきに、我ながら感心する。


「ねえ、お姉さん」

「あらあら、さっきのお嬢ちゃんじゃない。お姉さんなんて、嬉しいわね」


 声をかけたのは露天のおばさんだ。

 天使の笑みで話しかける。


「ちょっとお願いがあるんです」

「どうしたんだい?」

「このショベルを預かっていて欲しいんです」

「ああ、そういうことね。わかったわ」

「ありがとうございます!」


 いつもドブさらいを見ているおばさんは、すぐにユーリの意図を理解する。

 ユーリがペコリと頭を下げると、にっこりと微笑んで「転ばないようにね」と心配までしてくれた。


 ――うむ。この少女を演じるのも、悪くないな。とくに、クロードの反応は堪らん。もっと、からかってやるか。


 おばさんにショベルを預け、重い袋を持ち上げる。

 それだけで、身体がふらついた。


「うわっと」


 だが、なんとか踏ん張り、一歩を踏み出した。


 ユーリはすでに疲れ切ったいた。

 彼女を支えるのは筋肉ではなく、強靭な精神だ。


 激戦の末、窮地を脱し、怪我を負った配下三名を抱えて走り抜けたことがある。

 その時の重さは、命の重さだった。

 それに比べれば、ただの布袋など、どうということはない。


 ゆっくりと、だが、確実に一歩ずつ進んでいき、指定場所の倉庫までたどりついた。

 ユーリの姿を見ると、役人の男が駆け寄ってくる。


「お嬢ちゃん、ひとりかい?」

「ああ、そうだが?」


 人好きのする役人は、不審に思って問いかける。

 汚泥にまみれているが、孤児には見えない。

 それどころか、どこぞの令嬢らしき気品が感じられる。

 そんな子が、どうしてドブさらいというキツい仕事をしているのか。

 役人の頭の中で、いくつもの悲劇が繰り広げられた。


「親御さんはどうした?」

「あれは親とは言わん。こっちから絶縁してやった」

「…………」


 役人は絶句する。


 浮かぶ言葉は――虐待。


 そして、怒りがこみ上げてくる。

 だが、怖がらせてはいけないと、笑顔を作る。


「頑張るんだよ。俺はいつもここにいる。なにかあったら、頼ってくれていい」


 この男は絶対に誤解しているな、とユーリにはわかる。

 わざと誤解するような言い方をしたからだ。


 男からは下心は感じない。

 親切と正義が彼を動かしている。

 実直な男だ。


 ――このようなところで遊ばせておくにはもったいない男だ。


 ――余だったら取り立てて、地位と責任のある職にかせるのだがな。


 ――ここの領主は無能なのか。それとも、この世が平和すぎるからか。


 そこまで考えて、男が心配そうな表情を浮かべていると気がつく。

 男のために、ユーリはユーリとしての言葉をつむぐ。


「うん、ありがと! 一人で頑張るって決めたからね。でも、いざっていうときは助けてね」


 ユーリの健気さに、男の目尻が光る。


「ああ、ああ、もちろんだとも」


 男は目元を拭い、自分の仕事を思い出す。


「じゃあ、その袋は預かるよ。冒険者タグを貸してごらん」

「はいっ!」

「よし、これで手続き完了だ。まだ、頑張るのかい?」

「うんっ! 約束したんだ。今日中に5袋終わらせるってね」


 男は思う。「それは約束じゃなくて、命令なのでは」と、だが、その先は自分の領分ではない。両の拳を固く握り、笑顔で見送ることしかできなかった。


 ユーリは温かい気持ちで、ドブさらいの仕事に戻る。

 まだまだ、一日は始まったばかりだ。






   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『依頼完了を報告する。』

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