第10話 初めての依頼を受注する。

「そうか、なら、安心したぞ。それはそれとして――」


 難しそうな顔は、パッと切り替わり、ユーリは目を輝かせる。

 散歩に連れて行ってもらえると知った犬みたいに、目に見えない尻尾がブンブンと揺れている。

 思わず頬をほころばせたクロードに、ユーリが尋ねる。


「依頼を受けるにはどうしたらいいのだ?」

「あちらになります」


 思わぬ出会いがあったが、ギルドに来た目的は依頼の受注だ。

 昨日、訪れたときから、ユーリはずうっと楽しみにしていた。

 依頼を受けて、それを解決――いかにも普通の冒険者らしい。

 新しい生き方を始めるのに、ユーリはもう待ちきれなかった。


「ほら、いくぞ」


 クロードの手をつかむと歩き出す。

 彼女の手は小さく、柔らかく、温かい――守りたくなる手だ。


 前世で陛下を守るために生きた。

 今生でもユーリを守るつもりだ。


 だが、同じ「守る」でも、意味が違う。

 本人はその違いにまだ気がついてない。

 そして、自分の中に芽生えた思いにも。


 二人が向かったのは、壁の大きな掲示板だ。

 多くの依頼票がひしめく様に貼られている。

 ユーリはクロードの手を離しに駆け寄った。


 今は他の冒険者たちが競うように依頼を奪い合う時間帯だ。

 大きな背中の列に阻まれ、ユーリの背ではなにも見えない。


「クロード。抱っこだ」

「はいっ!?」


 いつも冷静沈着なクロードが驚いて落ち着きをなくす。

 ユーリと再会してから、調子がくるいっぱなしだった。

 前世の記憶があるだけに、ギャップに戸惑うばかりだ。


「ほら、早くせい」


 両腕を上げて、抱っこをせがむポーズを見せる。


「わかりました」


 ドキドキしながら、ユーリの脇に手を入れる。

 ほとんど力を入れずとも、すっと持ち上がる。


「わっと!」


 勢いがよすぎたせいで、ユーリはバランスを崩す。


 ――軽い。


 昨晩ベッドに運んだときも思ったが、今はそのとき以上に軽く感じる。

 ユリウス帝は自分よりも背が高く、身体も厚かった。

 抱っこするなんて、前世ではとても考えられないことだ。


「おお、これは新鮮だな。前世でもなかった経験だ。悪くない」


 ユリウス帝の父は、自分の子どもを後継者候補としてしか見てなかった。

 それゆえ、親からの愛情はほとんど受けていない。

 その不憫さを思い出し、クロードの心に影が差しかけたとき――。


「ほう、いっぱいあるのだな」

「Fランクで受けられる依頼はここにあるのだけです」

「ランクごとに依頼が分かれているのか」


 掲示板はいくつかに区分けされ、それぞれのランクごとに依頼票が貼られている。

 ふむふむと、ユーリは興味深げに観察する。


「どれどれ、Fランクで受けれる依頼は……」


 ユーリはクロードの腕の中で、小さい体を賢明に伸ばして依頼票を見ていく。


「よく見えん。もっと右だ」

「はい」

「すこし下だ」

「はい」

「近うよれ」

「はい」


 クロードは言われるがにまま動く。

 その姿に奇異の視線が集まる。


 Aランク冒険者のクロードは有名人だ。

 昨晩の出来事も冒険者たちの間に広まっている。

 厄介ごとに巻き込まれては堪らないと、皆、二人から離れていく。


「ほう、楽にはなったが、少し申し訳ない気もするな」


 皇帝時代ならいざ知らず、今は駆け出し冒険者。

 特別扱いは望んでいない。


「皆の者、余のことは気にするな。遠慮は無用だ」


 そう言われても、冒険者たちは遠巻きに眺めるだけだ。


「まあ、よい」


 ユーリはそれ以上は気にしなかった。


「雑用ばかりだな。モンスターと戦ったりはしないのか?」


 そういうのがユーリのイメージしていた冒険者の仕事だ。


「それはEランク以上ですね。Fランクが受けれるのは街中の仕事だけです」

「駆け出しに危険な仕事は任せられない――新兵と同じだな」

「私と一緒なら、上のランクの依頼も受けられますが――」

「いらん」


 ユーリはクロードの提案を退ける。


「自分の手で、イチから始める――その方が面白いだろ?」


 その笑顔はクロードの心を鷲掴みにした。

 だが、湧き上がった感情にどう名前をつければいいのか、クロードには分からない。


「よし、これに決めた」

「ドブさらいですか?」

「不服か?」

「いえ、疑問に思ったのです。どうしてそれを選ばれたのですか?」

「なに、皇帝の仕事からもっとも遠そうな依頼だからだ」


 意外な理由にクロードは驚く。


「ですが、ユーリ様の身体では大変な仕事ですよ?」

「大変な仕事?」

「はい。筋肉を使う重労働です」

「なあ、クロードよ」


 ユーリが凄みを利かせる。


「頷くだけで多くの者が死ぬ――それより大変な仕事があるのか?」


 その言葉に、クロードの中で前世の記憶がよみがえる――。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 ――そこは戦場だった。


 厳しい戦闘がひと段落し、窮地を脱したところで、クロードは本陣の天幕を訪れた。

 数名の部下を中心に、ユリウス帝は椅子に座っている。


「陛下、ご報告に参りました」

「申せ」

「敵軍は潰走いたしました」

「我が軍の被害は?」

「死者は二百名ほど、負傷者も軽微――我が軍の完全勝利です」

「そうか」


 ユリウス帝は感情をぎ落とした顔で頷く。


「ウィラード隊は?」

「隊長ウィラード以下、全百十三名、勇猛果敢に粉糖し、最期﹅﹅まで任務を果たしました」


 ウィラード隊は決死隊だ。

 命がけで敵を撹乱し、時間を稼ぐ。

 それが彼らに課された使命だ。


 それを命じたのはユリウス帝。

 彼がウィラードたちに死ねと命じたのだ。

 より多くの命を救うために。


 ウィラード隊が敵を食い止めなかったら、千人近い被害が出ていただろう。

 数字だけ見れば、ユリウス帝の決断は間違っていない。最善の決断といえる。


 ユリウス帝は表情も変えず、その命令を下した。

 冷酷皇帝の名が示すように――。


「ご苦労。下がってよい」

「御意」


 クロードが頭を下げると、ユリウス帝は立ち上がり、皆に背を向ける。

 冷酷皇帝と呼ばれる彼だが、感情がないわけではない。

 むしろ、人並み以上の感情がなければ、ここまで覇道を歩めなかった。


 ――余が至らぬせいで、そなたらを殺した。許せとは言わん。余を恨んで構わん。済まなかった。


 湧き上がる感情を押し殺し、決して表には出さない。


 ――皇帝ゆえの孤独だ。


 クロードを始め、誰もその背中に声をかけられなかった。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 ――クロードはハッとする。


 あの背中を思い出したからだ。

 声をかけられなかった背中を。

 自らの無力が呼び起こされる。


「どうしたのだ?」


 それに対して、ユーリは機嫌がいい。

 手に持つ依頼票を眺めて鼻歌を歌う。


 その姿は、クマのぬいぐるみをもらった幼女そのもの。

 見かけのままの可愛らしさ。鉄と血からほど遠い存在。


「いえ、なんでもありません」

「普通の冒険者はこういった仕事から始めるのだろ? だったら、丁度いい」


 ――ユーリ様は普通に生きたいのだ。普通の人が送る人生を体験したいのだ。


 今度こそ、ユーリ様にはすべてを背負わせない。

 ユーリ様には、ずっとずっと笑っていて欲しい。

 その笑顔を守るためなら、なんでもしてみせる。


 クロードは固く誓った――。







   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『ドブさらいをする。』


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