第8話 依頼を受けに冒険者ギルドに向かう。

 朝食を済ませた二人は冒険者ギルドへ向かった。

 その道すがら、クロードはユーリに問いかける。


「ユーリ様、装備はいかがしましょう?」

「ナイフ一本あれば十分だ」


 今朝の模擬戦でわかったが、大人用の武器はユーリの体格では上手く扱えない。

 防具に関して、革鎧などを着て動きが鈍るくらいなら、なにもつけない方がマシだ。


「他になにかご入用の際は、おっしゃって下さい。ひと通りの物は取り揃えております」

「ふっ」


 ユーリはクロードの真面目な顔を見上げる。


「平気だ。余の【虚空庫インベントリ】にも大抵の物は入っておる」

「承知しております……」

「ふむ。なにか言いたげだな。構わん、申せ」

「この二百年の間で、魔道具開発が進展いたしました」

「ほう。そうだったな。あの『しゃわー』とやらは便利だったな」


 ユーリは鷹揚おうように頷く。


「わかった。また今度、教えてもらうとするか」

「御意」

「違う」

「……」


 クロードはなにがまずかったか分からず、顔に困惑を浮かべる。


「その喋り方だ。余はもう皇帝ではない。その堅苦しい話し方はやめろ」

「……」

「まあ、余の喋り方がマズいのかもしれんがな」


 ひらめいたユーリは笑顔を浮かべ――。


「クロードお兄ちゃん、いろいろ教えてね」


 抜群の破壊力だった。

 かつてない衝撃に、クロードの心は激しく揺さぶられた。

 この姿で、この声で、この言葉でお願いされたら――。


 間違いなく、誰もが喜んで従うだろう。

 皇帝の命とは正反対の強制力だが、その力は負けず劣らずだ。


 黙り込むクロードをユーリはかす。


「ほら、其方そちの番だぞ」

「…………」

「なにか、言わんか」


 クロードは我に返った。

 なにか、気の利いた返事をしなければ……。

 陛下がお望みなものは……。

 必死に考えた挙げ句、出てきた言葉は――。


「うん。なんでも教えてあげるよ」


 引きつった笑顔で返事する。

 前世の自分であったら、絶対に言わないセリフだ。

 彼なりにユーリの期待に応えようと頑張ってみたのだが、あまりの羞恥にユーリ以上に顔を赤く染める。


「ふっ。よく言えたな。今のは、なかなかよかったぞ。クロードお兄ちゃん」


 お互い、恥ずかしくて顔を見れない。

 しばらくは止めておこう、とユーリは心に誓った。


 ――ふわっ。


 朝の爽やかな風が、ユーリのスカートをはためかせる。

 その風が二人の熱を冷ました。


「そういえば、若い頃はしばしば街に繰り出したな」

「ええ、陛下の覇気を抑えるのが大変でしたね」


 いくら平民の格好をしても、ユリウス帝からにじみ出る覇気は隠しきれない。

 そのために、お忍びの際は、覇気を封じる腕輪が必要だった。


「偉くなってからは、視察でしか街を見れなくなった」


 その瞳は少し寂しげだ。


「余は本当に民を見ていたのであろうか……」


 視察の際に見る民は、不敬がないように取り繕った姿だ。

 民草の本来の姿を見ることはできなかった。

 自分の生き方が本当に正しかったのか――常にユリウス帝にまとわりつき、最後まで答えが得られなかった。


「民は皆、陛下に感謝しておりました。恐れていたのは確かです。でも、それ以上に感謝しておりました」

「気休めか……いや、其方そちはそのようなことは言わぬな」

「陛下がいらっしゃらねば、もっと多くの者が死に、もっと多くの者が不幸になっておりました」


 ユーリを見下ろす視線に揺らぎはない。

 それを確認し、「そうか」とユーリは頷いた。


「平和な世でも、仕事は尽きない。民の笑顔を守るためにも、働かないとな」

「そうですね」


 二人の間に沈黙が流れる。

 静かになったことで、ユーリの耳に街の喧騒が届く。


 街が起きるのは早い。

 日が昇る前から、寝返りを始め、日の出とともに覚醒する。

 活気に満ちた一日はとっくに始まっていた。


 流れる風をユーリは鼻から大きく吸い込む。


「いい空気だな……血の匂いがしない」


 戦場をおおいつくす血臭。

 もっとも嗅ぎ慣れた匂い。

 それはクロードも同じだ。


 クロードにとっては二十年以上も前の話で、すっかり今の空気に馴染んでいた。

 だが、ユーリにとってはつい数日前のこと。

 そのことを思い出し、クロードの胸がチクリと痛む。


「平和だな――」


 初めて見る街並み。

 新しい建築物や、見たこともない売り物が並んでいる。

 そして、なによりも、街人の笑顔。


 ユリウス帝が求め続けた理想が目の前にある。

 自然とユーリの頬が緩んだ。

 ギルドに向かって、二人は歩き続ける。


「天気もいい」


 晴れ渡った空。

 雲ひとつない。


 空も今はユーリと同じ気持ちなのだろう。


 ユーリは手をかざして、天を仰ぎ見る。

 胸の中に湧き上がるのは不思議な感覚。


 それがなんなのか知りたくて、ユーリは手を伸ばし――。


「きゃっ」


 足元がおろそかになり、可愛い悲鳴とともに、尻もちをついた。


「ううぅ、痛い。なんで、この身体はこんなにヤワなのだ」

「大丈夫ですか?」


 伸ばされた手を掴み、ユーリは立ち上がる。

 痛みを抑えるため、反対の手でお尻を擦る。


「これが普通なのか?」

「はい。その年頃の子は、転んだだけで泣いてしまうものです」


 涙目のユーリに、クロードが答える。

 あまりの微笑ましさに、クロードの胸が暖かくなる。


「さっさと、ギルドに向かうぞ」


 歩き出したユーリに、クロードは引っ張られる。

 ユーリを起こしたときにつないだ手がそのままであることに、二人ともしばらく気づかなかった。







   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『クロードの知り合いと出会う。』

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