仰ぐ月に紅を映して

紫宮月音

第1夜 ふたつの痕



ぽつん、と等間隔に並んだふたつの赤い痕。


制服のリボンを直しているときに、首筋にあることに気がついた。


うすく色づいたそれは、春先の虫刺されにも似てみえたから。


眠っている間にでも、少しいただかれてしまったのだろうとわたしは思った。


痕が目をひくわりには、痛くも痒くもないのだけれど……


少しだけ、首筋という場所のせいか恥ずかしく思えた。


女子の首筋に痕だなんて。囀りが好きな学生には格好の的だわ。


わたしはシャツの襟をたてて、赤い痕を隠すことにした。


虫刺されであろうが、できものであろうがなんであれ。


彼女達にとっては同じものなのだから。


襟を立てるくらいなら、風紀委員のチェックにも引っかからないだろう。


どうせ、数日もすれば消えてしまうはず。


よそ見していた気持ちを戻して、身だしなみを整える。


そろそろ、学校に行かないと――


「澪、もう支度は済んだのか?」


少し遠い声。玄関のほうから兄の声が聞こえて急ぐ。


「待たせてごめん。のんびりしすぎよね、わたし」


間に合えば問題はないだろう? と兄がわたしの学生鞄を手渡してくれた。


いつもそれぞれの鞄を、準備ができたら玄関において。


先に準備ができたほうが、手渡すようにしている。ささやかなコミュニケーション。


「そうよね、ありがとう……いってきます」


無人になる家に向かって、わたしは声を掛ける。


これも、わたしの習慣。あの日から、だれもいなくても声を掛けていくようになった。


腕時計で時間をチェックしながら、兄がいう。


「今夜は遅くなるから……まぁ、一人でも澪なら平気だな?」


「平気。いつまでも、私だって子供じゃないのよ?仕事、頑張ってね」


車に乗り込みつつも、戸締りをきちんとするように、と釘をさす兄。


大丈夫よ、と軽く答えると、少し笑った兄は職場へと向かっていった。


あぁ、わたしも学校に行かないといけない。正直行きたくないのだけれど。


行かないと、兄さんに迷惑をかけてしまうもの。


学生の義務に追い立てられて、私は駆けていく――



わたしの通う高校は、幸いなことに家から徒歩で通える範囲。


しかし今朝はのんびりしすぎたか、ぎりぎりの登校時間となった。


駆け込むように、風紀委員の遅刻チェックを通り過ぎ。


流れるように教室へ向かって自分の席に鞄を下ろす。


この時間に来るのは珍しいね、と誰かに声をかけられて、挨拶をした。


クラスメイトの、誰か。


わたしの成績は標準以上、それ以下でも、それ以上でもなく。


標準的な高校生だ。敵もいなければ、特別味方もいない具合。


「おはよう。寝坊でもしちゃったの、珍しいね?」


「ねえねぇ、課題忘れちゃって……ノート貸してもらってもいい?」


そう、そのとおり寝坊しちゃっただけよ。


えぇ、ノートは別に。終わったら返してくれるならいいわ。


どこからともなく現れて、儀式のように声をかけられる。


誰かの手が、手渡されたノートをむしりとっては離れていく。


退屈極まりない、いつもの風景だった。


きっと、あの子はまたぎりぎりまでノートを返すのを忘れるんだろう。


そんな気持ちは、笑顔を貼り付けて隠して見せない。


特別楽しくもない。どちらかといえば登校することでぐったりしてしまう。


けだるく感じながら、教科書を整理していると、派手な音が教室の入口で鳴った。


耳障りなドアの開閉音は、わざとやっているとしか考えられない。


そうじゃなきゃ、設備が古びているんでしょう。


担任がやってきたから、体は反射的に正面を向く。


手に持つ出席簿を、せわしなく閉じては開く動作を繰り返す。


だるそうに前を向く人もいれば、夢の世界へ旅立ったままの人。


さまざまだが、担任はちらりと一瞥するだけだ。


機械仕掛けのように号令をかけ、挨拶をする――



「来週は今学期最初の試験があるからな。期末じゃないからって、手を抜かないように。


私たちが頑張っても、お前らが頑張らなきゃ意味がないんだぞ』



後で困るのは自分たちなんだからな――


試験の結果が悪かったならば、頑張らないお前たちの責任だとでもいいたげ。


眼鏡を神経質そうに直しながら、ことさら勢いをつけて担任は出席簿を閉じた。


そうして、いつもどうりに淡々と授業が進んでいく……


本当に、面白くないし、実りもない。通っている塾ですでに勉強し終えているから。


担任の話を横目に、窓の外を眺める。学生だから、わたしはここに来ているけれど。


義務付けられているというそれだけで。それ以外が、なにもない。


なんにもない……ない、けれども。それが私に残された、時間だというのならば。


噛み締めなければいけないのだろう。だって、生きているのだから。


いつも一人残された人って、だいたいそんな感じね。


わがままだとは自分でも思うけれど。いっそ、他の子のように何も考えずに。


学生生活そのものを、享受できればいいのだけれど――


当然の重みが、まるで手錠や鎖につながれているかのように感じてしまう。


此処から、どこかへ逃げ出せるなら今すぐにでも飛び込んでしまいたいくらいに。


あぁ、本当にどうしてわたしだけ――


日当たりの良い座席に、右から左へと抜けていくカリキュラム。


それはわたしの眠気を誘うには、十分すぎるほどだった。


暖かな日差しとは裏腹に、悪夢の中へと吸い込まれるように沈み込んでいく……


戻れもしない、消せもしない、生々しいばかりの夢。




こらこら! みおちゃん、そんなに走ったら転んでしまうよ?


大丈夫! おばあちゃん、はやくはやく!



お菓子が詰め込まれた袋を揺らしながら、少女が待ちきれないように振り向く。


ゆっくりと歩いてくる老婆は穏やかな笑みで。


にこっと微笑んでから、少女は見知った家の扉を開けて駆け込む。


おばあちゃんが、たくさんお菓子を買ってくれた。


食べきれるかなお父さんとお母さんにも、わけてあげなきゃ!


帰ってきたんだから、あいさつしなきゃ。


お母さんは料理をしているのかな。お父さんは本を読んでいるのかな。


それともふたりでおしゃべりしているの?


今日はおばあちゃんと遊んだから、明日は三人であそびたいな。


リビングのドアがぐんぐん近づいてくる。


後ろからは、おばあちゃんがドアを閉めた音がする。


ただいま!とドアを開けようとして、何かに滑ってわたしは転んだ。


だからいったんですよ、とおばあちゃんの笑う声がする。


「でも、わたしが悪いんじゃないわ。だって、床が滑るんだもの


むくれながら、また転ばないように気を付けて起き上がる。


なんだかよくすべる。それに汚れているみたい。


わたしのワンピースに色がついちゃった。


「大丈夫だったかい? ほら、おばあちゃんに見せてごらん」


いわれるがまま、わたしはふりむく。


ワンピースのすそをつかんで、くるりと一回転。


少し汚れちゃったけど、けがはしてないし、転んでもないてないよ。


だから、そんなに怖い顔をしないでね。


「え……みおちゃん! ちょっと、おばあちゃんのそばにおいで!」


なんで、あいさつしてからでもいいでしょう? 首をかしげる。


「だめですよ!ほら、こっちにおいで!!!」


おばあちゃん。そんなに強く腕を引っ張ったら、痛いよ。


わたし、あいさつしなきゃ怒られちゃう。


終わったら、いうことも聞くし、お風呂で汚れだって落とすんだから――


おばあちゃんの腕をふりきって、わたしはリビングへと駆け込んだ。



おかえりなさい 澪 あらまぁ そんなにお菓子たくさんどうしたの?


よかったなぁ! でも、食べ過ぎちゃあ だめだぞ


ご飯の準備どうする? お母さんと一緒にやってみようか



おいおい! 僕も入れてくれよ。みんなで一緒に作ろうじゃないか



ふたりの声が聞こえると思ったのに、とても静かだった。


わたしが帰るのを待ってくれていたのかな。お母さんは寝てるみたい。


椅子に座った背中が見える。


おとうさんはどこだろう、と部屋を見渡す。


眠っているのかな。ソファに横になっている。


起こさないようにそうっと近づこうとしたら、また滑って転んだ。


バタンっと大きな音がして、転んでおきながらびっくりした。


さっきから転んでばかり。おばあちゃん、大丈夫かな?


「ねぇお母さん、起きて。床が汚れてるよ? かたづけなきゃ。


わたしもお掃除手伝うから――」


お母さんに近づいて、腕を引いたけれど起きなくて。


体がぐらりと揺れて、床に倒れてしまった。


仕方がないのでわたしは、ソファーに近づいてみた。


お父さんも起きてよ。ここも、汚れているじゃない。


わたしだって、何度も転んだからこんなに汚れちゃった。


『みおちゃん!』


叫ぶみたいなおばあちゃんの声が頭に響く。


大きな声。でも、おばあちゃんなら、ふたりを起こせるかな?


さぁ、早く起きて。ごはんの前にお風呂に入らなきゃ。


だって、みんな――――真っ赤なんだもの。



「おい、叶野! 話を聞いているのか?」


苛立ちを含んだ担任の声で、わたしは今へと引き戻された。


まどろみながら、夢を見てしまっていたらしい。


頭がくらくらする。あの夢のせいだろう……返事をするのも面倒だ。


「すいません。ぼうっとしてました。どうぞ、続けてください」


「いや、顔色が悪い。体調が悪いなら、医務室へ行ったらどうだ?」


言葉とは裏腹に表情は雄弁だ。俺の授業を聞く気がないのならばいい、と。


「では、具合が悪いのでそうさせていただきます」


つっけんどんに返答して、するりと席を立ち教室を後にする。


去り際の、かすかなさざめきがわずらわしく後を引いた。



白い天井に白いカーテン、白いベッド。棚に並んだ薬品の瓶――


病院のような香りと色彩を感じるのは、こういった場所の共通点だろうか。


ひとりきり。医務室のベッドの中で、わたしは体を休めていた。


担当の先生がいなかったけれど、鍵はかかっていないから平気だろう。


許可はもらっているのだ。先生がきたら、伝えればいい……それにしても。


ベッドに体を横たえているのに、ぐらりぐらりと揺れているような感覚、眩暈。


あの夢を見たのは、いつぶりだろうか。


強烈だったから、もう何年も見ていなかったはずだ。記憶は色あせないままでも。


あれはわたしが幼いころだ。祖母は小学生のわたしと、よく一緒に遊んでくれた。


祖母は近所に住んでいたのだけれど、よく家に顔を出してくれていた。


ごく普通に、幸せな生活。


何度そのままでいられたら、と今までに思ったかもう数えていない。


なんのへんてつもない、ただの父と母の休日。わたしは学校も休みで。


祖母につれられて、わたしは近くの駄菓子屋さんへと出かけていた。


連れて行ってもらえるのが楽しみで、話を聞くなりいってきますもいわずに家を飛び出した。


祖母がたくさん買ってくれて、私はうれしくて仕方がなくて。


早く両親に見せたくて、駆け足で家へと向かっていた。


弾むような足取りで帰宅したわたしを待っていたのは、通りすがりの悪意がもたらした光景。


今だからこそ悪夢といえるけれど、当時は何が起こっているのか理解できていなかった。


ソファーに横たわる父親。


わたしが、床に転がしてしまった母親。


二人を、部屋を包み込むように広がっている赤色。


その赤を汚れと認識していたから、当時は恐ろしくなかった。


祖母の心臓は止まりそうだったろう。


無邪気にくるりと回る孫の服が、血に染まっていたのだから。


わたしが部屋でまごついているなか、祖母の行動は早かった。


リビングの電話から、警察へ連絡をして。


そうして私を抱きかかえると、浴室へ連れて行った。


頭から冷水をシャワーで浴びせられて、仰天した。


今思えば、祖母も動揺していたのだろう。何が起こったかわかったから。


父と母を奪ったのは、どこの誰ともしれない殺意。


謝罪はいらないけれど、犯人に消えてほしいと思うわたしはおかしいだろうか?


わたしが両親を亡くしたと理解できたのは、数か月もたってからだった。


当時はいない、というのが理解できなかったのだ。


ひどく寂しい記憶はあるが、泣いた覚えはない。理不尽すぎた。


急に穴が空いてしまうと、どうしていいのかわからなくなるばかりで。


親を亡くしたわたしは、しばらく祖母に世話になっていた。


けれど祖母は、数か月後に心臓発作で倒れてしまった。


泣きながら、何度も番号を押し間違えながら救急を呼んだけれど、間に合わなかった。


両親と祖母を亡くした私は、親戚の家をたらいまわしにされた。


最終的に、親戚の兄……わたしにとって従兄の家族にお世話になった。


今は兄の両親は別のところに住まいをもっている。


実家に私と兄の、ふたり暮らし。


いまだに高校生であるわたしは自立できず、社会人の兄にお世話になっている。


兄さんには感謝してもしきれない。


けれども時折考える、わたしが負担になっていないだろうか?


兄の金銭的な負担、人生の邪魔になっていないだろうか?


なぜ、両親はわたしを連れていってくれなかったのか……


とりとめもなく考える。もしもわたしが、もっと大人だったら。


とりとめもなく考える。もしもわたしが、もっと大人だったら。


ひとりで住まいをもち、生活できるくらいであれば。兄さんの、重荷にはならないのに。


あぁ。余計なことを考えていたら、ここに来る前より具合が悪くなってきたわ……


気だるい体を、ベッドから起こす。もう早退してしまおう、今日はここにいたくない。


家に、帰りたい。ふたりで住む家。わたしの部屋。


担当の先生を探しに医務室を出る。さっさと、終わらせてしまおう。


職員室へ向かい、目当ての人を見つける。神経質な担任へと確認をとってもらい、許可をもらう。


普段の態度のおかげだろうか。滞りなくスムーズに早退手続きが済んで、ほっとした。



帰宅したわたしは、荷物を片付けてベッドに腰かけた。


自分の部屋というのは、帰ってくるだけで落ち着く。


何をしようか……今眠ると、確実に夜の睡眠に差し支える。


あてもなく部屋の中に視線をさまよわせると、本棚が目についた。


いろんな国の童話やおとぎ話が並ぶわたしのお気に入り。


その中でも古びたブックカバーにつつまれた、一冊は特別だ。


不思議の国のアリス。アリスのために書かれたお話。


子供だけでなくとも、読めばおとぎの世界に没頭できる。


もう何度わたしは、ウサギ穴へと飛び込んだだろうか。コーカス・レースを繰り返した?


沈んだ気持ちを振り払うように、本のページを指でめくって読みふける――


アリスはなんて幸福なのだろう。優しい姉がいて、お伽噺の住人に出会えて。


彼女にとっての選択は、チョッキを着たウサギを追いかけたこと。


それほどまでに、奇抜な組み合わせは魅力的だったのだろう。


わたしだって、ウサギでなくとも不思議な世界への誘いがあればためらわず飛び込むだろう。


アリスは、最後にはちゃんと現実の世界へと帰ってくる。


けれどもわたしは、どこかへいってしまいたいのかもしれない。


叶うのならば、そのままたゆたっていたい。ふわふわとした甘い夢に包まれて。



物語を読み、頭の中で考え事をして――どれくらい時間がたったのだろう。


女王様とクロケーをしているころ。部屋のドアが控えめにノックされる音で我に返る。


慌ててドアを開けると、遅くなるといっていたはずの兄がいた。


部屋の時計を見やると、まだ夜の七時をすぎたくらい。どうしたのかしら。


「お帰りなさい、兄さん。ごめんなさい、本に夢中で……」


「澪はその本お気に入りだものな。邪魔したか?」


「ううん、そんなことないわ。兄さんこそ、どうしたの? ずいぶんと早い……」


わたしがそういうと、兄は心配そうな顔をしながら言った。


「どうかしたって、具合が悪いんだろう、澪?


「えっ……なんで兄さんが知ってるの? わたし、目に見えて顔色悪い?」


違う違う、と少しゆるく首を振りながら兄さんは続けた。


「学校のほうから連絡が来てな、早退のお知らせ。


 それで心配になったから、早めに仕事を切り上げてきたんだ」


「嘘。ごめんなさい。わたしなら、もうほとんど大丈夫よ。


結局は精神的なものだから……一過性の。仕事大丈夫?」


「それこそ、お前が心配することじゃないさ。


やることは終わらせてきたからな、何も問題はない」


兄はいつも、私に優しくしてくれる。でも、仕事大変だっただろうに。


兄さんはわたしと違って、しっかりしているから。中途半端なことはしない。


だから兄がこの時間にここにいる以上、仕事はきっちり終わっているはずなのに。


わざわざそれを聞いてしまうなんて……と自己嫌悪。あぁ、わたしったら面倒。


頭のなかでうじうじしていると、兄がわたしを手招いた。


「澪さえよければ、そろそろ夕食にしないか? もちろん食欲があれば、だが」


残念ながら、今日は手料理じゃないんだが……と兄は続けた。


「うん、食べようかな。食べたほうが、早く良くなるだろうし。ありがとう」


仕事の都合で、兄さんと一緒に食事をするのは久しぶり。


少しなら、他愛のない話をしても邪魔にならないわ、きっと。


今わたしにできることは、再び体調を崩して、兄に迷惑をかけないこと。


胸に抱えていた本を棚へと戻してから、リビングへと向かった。



兄が買ってきた晩御飯は、出来合いのもの。


けれども、わたしが好きなものばかりだった。


食後のデザートまで、わたしが好きなものが並んでいた。


兄さんいわく、好きなものを食べれば元気がでると思ったらしい。


風邪の子供に、桃の缶詰を与える親のようなものなのだろうか?


兄さんの場合は、それにさくらんぼを足すようなものだけど。


食べきれないデザートは冷蔵庫にしまい。軽くシャワーを浴びて体を休めた。


体は思っていた以上にまいっていたのだろうか。あっという間に眠りにおちて――


どれくらい、時間がたったのだろう。


寝苦しいわけではないのに、ぱちりとわたしは目を覚ました。



寝ぼけ眼で枕もとの時計を見ると、午前二時をすぎたくらい。


のどの渇きを覚えたので、そっと廊下にでて、階下へと向かう。


リビングで冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、少し飲む。


……心なしか、まだ胸が甘ったるいような気がする。


けれども体調は戻りつつあるようで、明日は問題なさそうだった。


落ち着いたのだろうか。急に眠気に襲われて、慌てて部屋へと戻る。


部屋に入ると、視界になにかちらついた。


窓際のカーテンが、かすかに揺らめいていた。よく見ると、少し窓が開いている。


わたし、開けたかしら……眠気と闘いながら、窓とカーテンを閉める。


ひとつ欠伸をしながら、ベッドへもぐりこみ、瞼を閉じようとした時だった。


かすかな、物音が耳に滑り込んできた。ぼうっとしながら、上半身を起こす。


部屋の中を見渡すと、カーテンが少し揺れている……窓は閉めたはずなのに。


カーテンをじっと見る。なんだか、人影が見えたような気がして。


ぱちぱちと瞬きを繰り返した。何も見えはしないはずなのに。


疲れているのねきっと、と自分に言い聞かせて横になる。


天井を仰いで瞼を閉じる瞬間――ふたつ、の赤い色が見えて。


驚いて、目を見開く。視線だけを動かすと、そばに誰かがいる気配がした。


今夜はまだ月明りも入らず、暗くて見えないはずなのに。


顔は見えないのに、赤色だけは浮かび上がるようにやけにはっきりと見えた。


おかしなものをみているはずなのに、叫ぶ気にも飛び起きる気にもならなかった。


何が起こっているのかわからない、なんて状況はもう嫌。


でも、魅入られたようにただ赤い色を見つめるばかりで……


白くて……長い指。浮き上がるように揺らめく誰かのそれがわたしの顔のほうへ近づいてきて――


ぷつり、とわたしの意識は途切れた。




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