人外美丈夫がこんなにもド攻めだなんて聞いてない!~花売りの受けが人外攻めに手を貸したら大変な事件に巻き込まれました~

真田火澄

第1話

 全ての空は細長い四角だと思っていた。

 何もかもが長方形で、黒く太い電線が大量に張り巡らされているものだと思っていた。


 大通りの隅に座り込んで花を売っていたルォシーは、ぼんやりと長方形の空を見上げ、そして大きく大きく溜め息をついた。


 世界はいつでも長方形で、手が届かなくて、そして、魔法に溢れていた。


 この世界には魔法がある。

 皆それぞれ、最低でもひとつは得意魔法があり、ルォシーは唯一花を咲かせることだけができた。


 残念ながら魔力がほとんどないせいで、花を咲かせると言っても大したものはできない。


 どんなに頑張っても、いびつな大きさで美しくもない花しか生まれない。

 そんな花はまったく売れず、今日も今日とて一個五分硬貨にも満たない、小さなパンを買うくらいしかできないだろう。これだって、かつての貯金を切り崩して得られるものだ。


「はぁ……」


 視線を空から斜め横にスライドさせる。

 その先には、この国を支配する皇帝が住まう宮殿が横たわっている。

 何もかもをきらびやかに誂えてあり、だがしかし、その金の装飾のひと欠片もルォシーの手元には入らない。


 気に食わない、とは思うだけで、だからといって何かあの宮殿に一矢報いることなんてできなかった。


 ルォシーの力は、あまりにも弱い。


 薄汚れ擦り切れた服を着て、黒い髪は伸び放題。体質なのか、髭なんかは生えないでくれているが。雑に一本にまとめた後ろ髪が前に垂れてきたのが鬱陶しくて、手で後ろに払う。

 小柄で、一見すると女性にも見間違えられる顔、緑色の瞳。そんな顔をしているのだから身体くらい売ればいいのに、だなんて投げかけられたこともあるが、それだけは断固拒否していた。


 さすがに、どんな相手であろうと、そういう稼ぎ方はしたくなかった。


「花ぁ~、花はいらんかね~」


 人が通るたびにそう言ってみるが、最下層底辺の人間を見る目はみなゴミを見るかのようだった。まぁ確かに、もし自分が平民であったら、こんな男からは買いたくないだろう。魔法で花を生み出していても、誰も見ない。見ても、「この程度」と鼻で笑われる。


「はぁ……帰ろ……」


 ここでこうして蹲っていても、花は売れないのだ。もう店仕舞いにしよう。

 そう思って花籠を持って立ち上がって、家近くまでショートカットしようと路地に入った。


 そんな時だった。


 路地を曲がった先の更に路地を、バタバタと何者かが走る音が聞こえてきた。

 その音はまっすぐこちらに向かってくる。


 なんだ、と思う間も無かった。


 ドンッ


「うわっ」


「わっ」


 前を見ずに走ってきたのは男だった。

 ぼろ布を頭から被って、裸足のまま走っていたようだ。ぼんやり歩いていたルォシーは突っ込んできた男に対応できず、二人して道に倒れてしまう。花籠は遠くに飛んでいき、道端には花が散らばった。


「痛ってぇ……おい、どこ見て走ってんだよ!」


「すまな……、っ! 静かに」


「はぁ? なにを……ちょっ!」


 謝るよりも先に、男に手を引っ張られ路地に積まれた荷物の影に放り込まれる。抗議しようと口を開くと、男の大きな手が口を塞いできた。すっぽりと男のぼろ布に包まれてしまい、ルォシーの身体は男の身体とぼろ布のせいで完全に隠れてしまった。


「《隠して》」


「っ!」


 小さく、呪文が呟かれる。

 今、ルォシーは張られた薄いバリアの中に閉じ込められ、外からは見えなくなった。


 それでも叫ぼうと腹に力を入れたところで、バタバタと走ってくる複数人の足音が聞こえてきた。ガチャガチャと金属をかき鳴らしながら、何やらを叫びながら、細い路地を突き進んでいるようだ。


 その足音に男は反応して、グッと身体を近づけてきた。

 なんだなんだ、と頭が混乱していると、ちょうど足音が荷物のそばで止まった。


 呼吸が止まる。

 バリアで守られているとはいえ、少しでも物音を立ててしまうと向こうにバレてしまうのだ。


 憲兵の鎧を纏った男たちが、こっちはどうだだの、あっちはどうだだの言い合いながら、ちょうどルォシーと男が隠れている場所までやってきた。

 その距離、紙一枚分。

 紙一重とは、まさにこのことだ。


「報告しろ!」


「はっ! こちらの通りには見当たりません」


「こちらの通りにも走ってきた形跡がありません」


 ちょうどルォシーたちの前に立つ男は、この集団のリーダー的存在のようだ。口々に報告を受けた男は盛大に舌打ちをして、なにやらを怒鳴り始める。

 ルォシーの心臓はバクバク跳ねていて、目の前の男はジッと息を潜めた。


 ほどなくして、鎧姿の男たちはどこかにまた走って行った。


 ドッと疲労が押し寄せる。

 と同時に男の手が離れていった。


 ゆらり、と男の輪郭が歪み、そうしてバリアが解除された。


「ったく、何なんだよ、お前……」


「すまない、咄嗟に」


 咄嗟に、なんだ。

 思わず男を睨んで、だがルォシーは目を見開いた。


 目の前で頭に被っていた布を取った男は、あまりにも人間離れした容姿を持った美しい男だった。

 美丈夫、というやつだろう。


「(か、顔がいい……)」


 思わず呆けてしまうほどには、その男は美しかった。


 短い白銀の髪は金の装飾で彩られていて、ぼろ布の下は上等な生地で出来た漢服。涼やかな目元は紅が引かれ、瞳は燃えるような赤。まるで一体の彫刻を見ているかのように、美しくがっちりとした体付きをしていた。裸足で走ってきたようで、足元は汚れてしまっている。首には重々しい雰囲気を持った首輪がかけられていた。

 ルォシーの口を覆っていた手も、長い指と大きな手のひらで、突然見たこともない容姿の男相手に固まってしまった。


 口をパクパク開閉させていると、こちらに気づいた男まで目を丸くしてしまった。


 うっかり流れた沈黙に耐えられなかったのは、男の方だった。


「本当にすまない、変なことに巻き込んでしまった」


「いや、その……それは、別に……」


 大丈夫ではないが、目の前でしゅんと肩を落とされてしまうとそう言うしかなかった。


 ともかく、今こんなところでこんな金持ちアピールされてしまっては、通行人にどんな因縁をつけられたか分かったものではない。

 まだしょげている男の頭からもう一度布を被らせて慌てて周囲を見るが、運のいいことに今日は誰もいなかった。


「い、今はとりあえず、布被っててよ。こんなところでそんなギラギラした飾りつけてたら、あいつらとは別のやつらに追いかけ回されるぞ」


「そう、なのか? わかった」


 やけに素直な男だ。

 分かったならいい、と言って、そこで自分が手に何も持っていないことに気づいた。


 花籠が無い。


 周囲を見る。


「あーーーっ!」


「な、なんだ、どうした?」


「おれの花籠ーーーーー!!!」


 道の端に転がっていた花籠は、めちゃくちゃに壊れていた。きっとあの男たちが気づかずに踏んだのだろう。花も粉々に踏みつぶされていて、ルォシーはがっくりと地面に手をついた。


 花籠だってタダじゃない。自分で作れないルォシーにとっては死活問題だ。


 明日からどうやって商売すればいいのだろうか。

 売れない花ではあるが、ルォシーの大事な花だった。


「あーいーつーらーー! おれの花籠壊しやがってーー!!」


「あの籠は、お前の大事なものなのか?」


「そうだよ! おれの商売道具!」


 そもそもこの男があいつらに追いかけられているのが悪い。

 キッと男を睨むと、男は少し考える素振りをしてから、右手の人差し指を籠に向けた。


「《直して》」


「え? わっ!」


 ふわり、と籠が光を纏って浮き上がる。

 何が起きたやら、気づいた時には花籠は美しい花を満載にさせた状態でルォシーの腕の中にあった。

 驚いて花籠と男を交互に見ると、男はニコリと笑った。菩薩のような優しい微笑みに、なぜかドキリと心臓が跳ねる。


「これで、良いだろうか。すまない、私のせいだ」


「い、いや、な、直ったなら、もういい」


「そうか」


 何が起きたのだろう。

 魔法だというのは分かる。

 だが、あんな適当な呪文で、こんな豪華な花籠になるだなんて。

 目の前で起きたことがまったく理解できないが、もうここにこうして座り込んでいる意味はない。


「悪かったな、直してもらっちゃって」


「いや。私のせいで壊れてしまった。弁償するのは当たり前だ」


「あんた、名前は?」


 一応、花籠を壊した張本人ではあるが、こんなに豪勢に直してくれた相手でもある。

 礼儀として名前を聞くと、男はキョトンと目を瞬かせたあと、またあの菩薩のような微笑みを浮かべた。


「私は、ハオラン。あなたは?」


「おれは、ルォシー」


「ルォシー。今日は本当にすまなかった。では」


「ま、待った!」


 布を纏った男……ハオランが立ち上がったのを、思わず止めてしまった。驚いてこちらを見るハオランに、ルォシーは自分でも驚く言葉を吐いてしまった。


「お、おれの家に来ないか?」


「え?」


「ほら、まだあいつらがこの辺ウロウロしてるかもしれないだろ。あんた、追われている身なんだし、ちょっとの間うちに隠れてなよ」


 本当は、こんなことを言うつもりではなかった。

 だが、ハオランを見ていると、彼に尽くしてあげたいという気持ちが沸き上がってしまって、止められなかった。


 断ってくれ、と思わず願ってしまうが、ハオランは「それなら」と言ってルォシーの家に来ることになってしまった。


 なんてこった、なんて絶望している暇はなかった。


 *****


 路地の奥の奥の、更に奥。そこにルォシーは家を構えていた。元は厩舎だった東屋で、非常に狭い。

 そしてルォシーの家は、かろうじて家と呼べるような有様である。

 壁と屋根があるだけいい方で、隙間風は常に吹いているし、ベッドもベッドとは呼べない代物だ。木箱の上に布を広げているだけ。一度だけ金持ちの家で見たソファなるものも無いし、テーブルも無い。

 そんな場所にハオランを連れてくることに引け目を感じたものの、ここしか連れてこれないのだから仕方がないと割り切るしかできなかった。


「ここなら、路地の奥だし、あいつらも探しには来ないだろ」


「ありがとう、ルォシー」


「……別に」


 真正面から丁寧にお礼を言われると、慣れない言葉にどうしたらいいか分からない。そっぽを向いて流すしかできず、こんなことをしたいわけではないのに、と歯噛みした。


 とりあえず、ハオランをずっと立たせておくわけにもいかず、ベッドに座らせた。

 ハオランはそこがベッドであると知ると驚いて目を丸くして、そっと木箱を撫でていた。


 ぼろ布を外したハオランは、やはり金持ちの格好をしていた。

 薄い水色に見える絹をふんだんに使った漢服には金糸で模様が縫い込まれていて、手首と足首には金色のブレスレットやら何やらが光っている。髪につけられた装飾品には高そうな石がついていて、彼の白銀の髪をより美しく魅せてくれていた。

 そして、革製の首輪。この首輪だけ違和感がある。


「茶も、美味しいのとか、ないけど……」


「いや、いいんだ。私のことは気にしないでくれ。ありがとう」


 今朝作り置きしておいた、この家唯一の嗜好品を茶碗に入れてハオランに渡してやる。茶碗も一部欠けていて恥ずかしいが、これでも一番綺麗なものを選んだ方だ。

 ハオランは気にせず茶に口をつけて、そして柔らかく笑いながら「美味しい」と言った。

 花籠を片付けたあと彼の横に座ってルォシーも茶を飲んでみるが、どう頑張っても色のついた水だ。美味しいとはとても思えない。


「絶対嘘だ」


「そんなことはない。ありがとう、ルォシー」


「それ」


「ん?」


「そのありがとうっての、やめて」


 思わず、拒否して顔を背けてしまった。

 こんなに短時間の間に三回も感謝されるだなんて、生まれてこの方初めてだった。こちらをまっすぐ見つめてくるのも耐えられない。


 顔が熱い。

 なんだってこんな恥ずかしい思いをしなければいけないのだ。


 拒否されたハオランの顔は、いったいどんな顔をしているのだろう。分からない。


 と、突然横からプッと吹き出す音が聞こえた。


「なっ! 笑うなよ!」


「ふふふ、すまない、その……そうやって嫌がられたのが、初めてだったものだから」


 なんと、ハオランは笑っていた。

 驚いてそちらを向くと、ハオランは口を手で隠しながらクスクスと笑っている。上品とはこういう態度を言うのだな、と初めて知った。

 こちらを見て固まっているルォシーを見て、ますます面白くなったのか、ハオランは笑う。


「笑うなってば!」


「すまない。本当に。いや、笑うのは失礼だったな」


「し、失礼とか、ではないけど……」


 単純に、恥ずかしい。

 ぼそぼそとそう呟くと、ハオランは何を思ったのか、ルォシーの頭に手を置いてきた。なんだ、と見れば、そのまま優しく頭を撫でられる。


「こ、子ども扱いするなよ!」


「え、あ、すまない、つい」


 ハオランは先ほどから、感謝するか謝罪するかの二つしかしていない。

 それがだんだんと申し訳なくなってきて、ルォシーは黙ってハオランがやりたいようにさせるしかなかった。

 威勢のよかったルォシーが途端に黙り込んでしまったのをいいことに、ハオランはまたルォシーの頭を撫でる。


「ルォシーは、いい子だな」


「いい子とか、言うな」


 これでももう成人はしているのだ。

 そりゃ、ガタイが良く年上そうな顔をしているハオランから見たら、その辺にいる子供ぐらいにしか見えないだろう。貧相で、小さくて、そして童顔。数え役満である。


「おれは、ちゃんと成人している」


「子供扱いしているわけではない、ルォシー。どうも、愛おしく感じてしまって」


「い?! な、なんだ、それ」


 まだ出会って数時間も経っていないというのに。なんてことを言い出すのだ、この男は。

 まさか、ルォシーのことを女だと思っていやしないか。


「おれは男!」


「わかっている」


 キョトンと首を傾げられたまま肯定されてしまって、今度こそ何も言えなくなってしまった。


 成人している男相手に、こんなことをするのか。


 こんなボロ屋を「気にしない」と言い、色のついた水を「美味しい」と言う。ルォシー相手に、何度も「ありがとう」と「すまない」を繰り返し、あまつさえ頭を撫でてくる。


 変なやつだ。


 こいつは、変なやつだ。


 一度だけ、小さいころに似たようなことを大人にされて、その先はもう思い出したくもないような行為を強要された。


 まさか、ハオランもその類なのだろうか。


 そう考えが至った瞬間、鳥肌が全身を覆った。


 ガタッ


「ルォシー?」


 鳥肌の原因から離れたくて、思わず身体が動いてしまった。

 ベッドから飛び跳ねるように立ち上がって、ハオランから距離を取る。

 ルォシーの突然の行動にハオランは訳が分からない様子で、罪悪感が沸き上がってきた。


「ご、ごめん。えっと……」


「こちらこそすまない。嫌だったな」


 そんなことはない。と、思ってしまう自分にもびっくりだが、ルォシーはまだ立っている鳥肌をどうにかしたくて服の上から二の腕をさすった。

 嫌な空気が二人の間に走る。


「と、ともかく、お前はこれからどうするんだ?」


「特に決めていない」


 それもそうだろう。決まっていたなら、こうしてルォシーについてくることもなかったはずだ。


「それじゃあ、しばらくここにいればいい」


「え?」


「どうせ大通りに行ってもあの鎧男たちがいるし。あいつら、宮殿にいる憲兵たちだろ? なんであいつらに追われてんのかは知らないけど、しばらくは身を隠した方が安全だ」


 すらすらと、そんな言葉が出る。自分でも驚きだ。

 ルォシーの提案に、ハオランは少し考えたあと、こくりと頷く。


「すまないが、よろしく頼む」


「おう」


「ありがとう、ルォシー」


「だから! その、ありがとうってやつやめて!」


 どうしたって、拒否してしまう。

 あぁ自分が情けない。


 ルォシーの言葉にハオランはまたキョトンと目を瞬かせて、「すまない」とまた言った。


 早急にその「すまない」もやめさせないと。こちらの心臓と感情に悪い。


 この出会いが、後々ルォシーの人生に大きく関わってくることを、この時は知りもしなかった。

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