第40話 おまけ わいがや後日譚


 街道開通式典と夜会が行われた翌朝。


 湯浴みを済ませたエマが部屋を出る支度をしてると、ジェニーがやってきた。


「おはよう。」

「あ、お姉様、おはよう。朝食はラウンジに行かない?」


「え? いつものように部屋で取るのかと思ったわ…」

 ジェニーは目を瞬かせている。


「だって、もう仕事も終わったし、変な噂もないし、部屋に篭る理由もないもの。」

 エマは、ブレスレットを着け終えるとにっこり微笑む。


「違うでしょ… わかりやすいわね! あなた、アンリに会えないかな?って思ってるわね。」

 ジェニーは、ニヤりとする。


「まあ… 朝食の席で、偶然会えたら嬉しいけれど… 悪いことじゃないわよね?」

「全く、健全よ。でも、二人で一緒のテーブルに着くのはよしてよ。」

「なぜ?」


「もう… 疎いんだから。 一緒のテーブルで朝食を取っていたら、まるで、一晩一緒に過ごしたみたいに見えるわ。昨日の今日なんだから…」



「そういうことね…」

 エマは頬を染める。


「とりあえず、行ってみて、もし居たら、食後の紅茶でも、テラスでしたらいいわ。私も同席するけれど。」


「ありがとう。」




 二人は、早起きの老貴族と、夜会の間も働き詰めだった疲れた顔の文官や将校たちに混じってラウンジで朝食をとる。

 見渡す限り、それらしい人はいない。


「残念。疲れた将校はいっぱいいるのにね…」

「まだ、忙しいのかな…」


 ティーカップを置いたジェニーが尋ねる。

「対策本部に行ってみる?」

「こんな朝に誰かいるかしら?」

「あんな顔の人たちだらけよ、きっと。どうする?昨日みたいに、キラキラして、いい香りのアンリはいないわよ。いても、無精髭、目の下にくま、かもよ?」

「…それでも会えたら、おはようと言いたいわ。」


 二人のテーブルの脇をジャックが通りかかる。


「マーロウ卿、ご機嫌よう。」

 ジェニーが声を掛ける。

「ご機嫌よう。セヴィー伯爵夫人、エマニュエル嬢。」

「ご機嫌よう。」


 ジャックは、足を止め、エマに向き合う。

「あの、エマニュエル嬢… この数日の件ですが…」

 ジャックが話し始めるのを、エマが遮る。

「あ、いろいろな誤解とか、私の不躾な態度は、私のほうから、お詫びしたいと思っていました… お許し頂けますか?」


「勿論です。」

 この数日の重責から解かれたせいか、アンリにまつわる秘密がなくなったせいか、ジャック本来の明るい笑顔が溢れる。

「私は、あなたを尊敬しています。だから、私であなたの助けになることがあれば、お力添えしたいと思っています。お困りのことがあれば、いつでも、ご遠慮なく。」


「マーロウ卿、感謝いたします。 あの、今、そのようにお申し出いただいたから、というわけではないのですが… ご存知でしたら、教えて頂けますか?アンリ卿は、今、お仕事をなさってるのでしょうか?」


 ジャックは、思案し答える。

「あぁ、アンリは… 2時間前に部屋に戻ったばかりですかね… まだ寝てるか、または、起きて部屋で書類を書いているか、だと思いますよ。」


「「2時間前…」」

 エマとジェニーの声が揃う。


「部屋にご案内しますか?」

「いえ、私どもが部屋に伺うわけには…」

 エマが男の寝所へ行くと言うと困るため、ジェニーが先に答えた。


「彼の部屋は、寝所というより、執務室ですよ。呼んで来ますか?」

「ご都合もわかりませんから…」

 アンリの身体を心配するエマが答える。


「コーヒーぐらいは飲むでしょう。エマニュエル嬢が待っている、と聞けば、何より優先しますよ。」

 ジャックは少し身を屈め、声を落として答える。


「今でなくとも、落ち着いた頃にします。いつまで滞在の予定でしょう?」

「… 終わり次第すぐ出発すると聞いています。王都での仕事を終わらせて、できるだけ早くガルデニアに行きたいようですよ。」

 つまり、エマと過ごす時間を早めたいがために無理をしようということだ。エマもそれを聞くと、邪魔はしないほうがよいように思う。



「とは言っても、コーヒーぐらいは飲みますよ。連れてきます。」

 押し問答してる間がもったいない。痺れを切らしたジャックは、アンリを連れてこようと決めた。


「制服ですかね?」

「エマ??」

 ジェニーとジャックは、エマの問いの意味を測りかねた。




「あ、ここにいたか!」

 困惑の雰囲気の中、ギヨームとダニエルが現れた。


「ご機嫌よう。ダニエル様、ギヨーム兄様、こんな早朝からお揃いで!」

 兄二人は、顔を見合わせる。

 二人のテーブルの脇にジャックがいるのを確認すると、兄たちは、空いた椅子に腰掛ける。


 立ち去りたかったジャックは、時機を逸してしまった。


「あなた方の兄上は勤勉だからな。朝から寝所まで押しかけてきたのだよ。」

 ダニエルが姉妹に向けて言う。

「まあな、差し込みの案件があってな、おちおち寝てもいられなかったんだ。」

「こちらこそ、朝早くすみませんでした。」

 男三人は、何やら急ぎの件で早朝から仕事をしていたらしい。


 ギヨームは、早速要件に入る。

「それで、だ。今日の午後、ラトゥリアの王家が王都へ立つからな、その前に恩賞の目録授与をすることになった。授与式は、今日の昼。迎賓館でな。」


「セヴィー伯爵夫人も、エマニュエル嬢もお手柄だったな。聞いていると思うが、君たちにも恩賞が出るよ。時間がないが、正装で。」

 ジェニーは嬉しそうだ。恩賞にではなく、正装して表舞台に出ることに。


「ジャック殿、アンリ卿にも正装して迎賓館へ、と伝えてくれるかい?」


 今度こそ、アンリをエマのもとに連れて来れる、と思い、ジャックは頷く。


「じゃあ、エマニュエル嬢たちは、今から支度ですか?」

「いえ、まだ早いです…」



 エマが、ふと入り口に目を向けると、近衛の制服に身を包んだアンリが颯爽とラウンジに入ってきた。


「あ…」

 王国軍や騎士団、領軍は、紺、濃緑、ベージュ、迷彩柄などであるため、真っ白な近衛の制服は目を引く。

 ラウンジの他の客も、アンリを振り返っている。



「ちょうど良かったですね。コーヒータイムですよ。 エマニュエル嬢?!」

 ジャックが、アンリからエマに視線を戻すと、エマの鼻から、一筋の血が流れ落ちた。

 ジャックが咄嗟に差し出した手で鮮血を受け止める。


「ごめんなさい…」

「いえ、大丈夫ですか?」

 控えていた侍女がナプキンをエマとジャックに手渡す。


「もしかして、制服を見て、興奮したの?さっき、制服かと聞いたのは、ソレ?」

 ジェニーが、エマとジャックにだけ聞こえる声で尋ねると、鼻を押さえたエマがコクリと頷く。

「エマ、一旦、部屋に戻りなさい。」

 何が起きたか察した一同に呆れられ、エマは侍女と共に席を立つ。


 入れ違いでアンリがテーブルにやってきた。

 

「おはようございます。みなさん…お揃いで…」

 事情が飲み込めないアンリは、立ち去るエマの後ろ姿を目で追う。


「おはよう。まあ、お前の登場で、一人退場したがな。」

 ダニエルが説明した。

「雑な…」

 ジャックが突っ込む。


「まあ、妹は、君の制服姿に衝撃を受けたということだよ。」

「それも、語弊があるわね…」


 四人の微妙な雰囲気に、アンリはエマを追いかけようとする。

「部屋に送ってきます…」


「部屋じゃなく、別館のサロンを使ってくださいませね。」

「後で、コーヒーを持って行かせるから。」

「制服姿をよく見せてやれ。」

「白い近衛服を赤く染めるなよ。」


 アンリは首を傾げながら、足早にエマの去ったほうに歩いて行った。






「ところで、シエンタ土産の、兵隊ハンカチは、エマニュエル嬢の発案だとか?」

 おもむろに、ダニエルが切り出した。


 残る三人は、まあそうだろう、と思いながらも黙っていたが、察しの悪いダニエルは口に出してしまった。


「あ、コレは、ギヨームの二の舞か… 口にするな、と君たちの顔に書いてあるな…」

 ダニエルが周囲を見渡すと、一部始終を見ていた貴族たちが視線を逸らし、聞き耳を立てている。


「ダニエル様、あなたも不名誉な二つ名を授けられたくて?」

「あなたも、ということは、ギヨーム殿には、既に?」

 ジャックが食いつく。


「マーロウ卿、こちら、私の兄の、金のうずらゴールデン・クワイルことギヨーム・ドポムよ。」

 ジェニーは、もったいぶってジャックに兄を紹介する。


「なぜ、うずらクワイルなんだ?」

 ダニエルは、果敢に質問する。

「ダニー、うずらはどう鳴く?」

 ジェニーに代わってジャックがダニエルに聞き返す。



「… wet my lip… よく滑りそうな口だな…」


「お前は、緋色のうずらスカーレットクワイルだ。」

 不名誉な二つ名に諦め顔のギヨームがダニエルに宣告する。



「ドポムりんごは金色、ドランジュオレンジは緋色か… 逆じゃないか。」

 ダニエルは、やれやれ、とため息を吐いた。

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