第18話 Day3 速度を上げる馬
次の駅家に着く直前、ジャンがジャックと馬を並べる。エマには何を話しているか聞き取れない。
やがて、ジャックがエマに聞こえるよう、声を張り上げた。
「マイ・レディ、不審な動きがあります。次の駅家は飛ばします。駅家の手前で、速度を上げます。」
エマは、了承の意味で軽く手を挙げる。
ー まだ速度を上げられるの? シェラシアのはどんな馬よ!
駅家が近づいたのか、先頭のジャックが速度を上げる。ジャンは、エマに覆い被さるように頭を低くする。それを合図にエマたちの馬も加速していく。
駅家の周りを駆け抜けるとき、かすかに焚き火の後のような匂いを感じた。確かにそこに人がいたのだろう。
暫く緊張感が続いたが、やがて先行くジャックが速度を緩めた。
「ふう…」
思わず、エマの口から声が漏れる。
「力を抜いて。」
背後から声がかかる。エマは、返事の代わりに頷いた。
その後は順調に進み、深夜、ガルデニアの領館についた。
ジャックによると、シエンタ北部のイクス地方の畑に人が潜伏している可能性が高いと報告された。そのため、トマーシュの従騎士は領館にいる領騎士で最も小柄なカイルと交代、エマの外套を身につけさせ、トマーシュと同乗し、エマを装うことになった。
また、ジャックは、イクス地方の手前から、駅家のある小街道を逸れ、林道を直線距離でシエンタに入ることになった。
ジャックさえ無事に戻れば、トマーシュらもエマらも夜が明けてからでもよいのではないか、と議論を重ねたが、ジャックに続き、夜のうちに出発することにした。
朝まで待った結果、相手が逃亡してしまっては相手の目的もわからず、手掛かりを失ってしまう。また、エマを無事にシエンタに送り届けるなら、10分差で先行する囮があった方が敵の目を欺きやすいからだ。
その代わり、ジャックは、シエンタに到着次第、トマーシュらの援護を派兵する。トマーシュとカイルが囮になったとしても、援護は間に合う算段だ。
エマは、シエンタ周辺の地形図と、古い水道橋の流量記録、山間の集落からの被害届と人口の流出入記録を引っ張り出した。
深夜の執務室で、ペンを走らせ、候補地を地図に印をつけ、理由をまとめる。
ジャックに持たせる資料をまとめると、部屋の入り口に、外套の騎士がいる。部屋の中だというのに、フードを被り、顔は見えない。
「ジャン? 休んでいてよいのに。」
ジャンは、使用人から受け取ったであろう軽食と飲み物をサイドテーブルに置き、黙って出て行こうとする。
「あ、待って。これをジャックに。ジャックさえ良ければ先に出発するよう伝えて。 ジャンたちも少し、何か口にしてね。 とんぼ返りで申し訳ないけど、みんなの準備ができたら、私たちも出発しましょう。朝にはシエンタに着きたいの。」
ジャンは、一瞬動きを止めたが、無言で書類を受け取って出て行った。
ー 無茶を言って、びっくりさせた? でも、のんびりしているわけには…
トマーシュとカイルを送り出すために、エマも厩舎にやってきた。
「私とジャンは、あなたたちの後に出発ね。トマーシュ、何かあったときは、照明用の花火で合図して。それで私たちは林道を使うか判断する。」
「エマニュエル様もお気をつけて。」
トマーシュは、膝を折り、騎士の礼を取る。ドポム家の家族同然の領騎士としては、珍しい慇懃さだ。
騎士たちは冷静ではあるが、事態は緊迫している。
「あなた方も…」
「無事を祈ります。シエンタで会いましょう。」
エマは膝を折るトマーシュとカイルに手を差し出し、口付けを受けた。
二人の出発後、ジャンとエマも出発する。
何度目の乗り降りだろうか。言葉を掛けずとも、エマが少し腕を上げるだけで、ジャンは、後ろからそっと支えて馬上におろす。
不意に、フードが近づく気配がする。
「眠って構いません。落としませんよ。」
「ありがとう。我慢できなくなったら、お願い。 さ、ジャン、行きましょう。」
ー 身体は限界。腕もお尻も痛い。眠った人間を前に乗せて疾走できるのかしら。こんな役回り、本当に、ジャンは不憫ね。
身体に鞭打ち、出発した。
何度馬を替えただろう。イクス地方が近づいている。身体は疲れているが、緊張して眠気はない。
「姫!」
前方を見ると、照明が上がっている。ジャンは馬の向きを変え、林道に向かった。
パァーン
銃を使った音が暗闇に響く。
「弾は届かないから怖がらないで。あなたが怯えると馬も動揺する。」
エマの身体は震えた。歯がガチガチと鳴る。手も震えて馬具を掴んではいられない。涙で視界が歪んで、どこをどう走っているのかもわからない。
ジャンの左腕がエマのお腹に回されたおかげでなんとか落ちないでいる。
林に入り、小街道からは見えない場所まで来ると、馬は速度を緩め、立ち止まった。
ジャンは、後ろからエマを抱きしめ、震える手をグローブ越しに握った。
次第にエマの震えが収まると、ジャンが馬の向きを変えた。
「更に奥の獣道を。」
声を出せぬエマは頷いた。
明るくなり始めた頃、ようやく林を抜けた。林の先には、ガルデニア領騎士団が待っていた。
身も心も疲れ切ってはいるが、領騎士にとってエマは主人だ。気持ちを奮い立たせ、声を張る。
「トマーシュとカイルの安否は!」
エマが騎士団長に問う。
「トマーシュは、落馬し、今手当てをしています。カイルは行方を捜索中です。」
ー まさか…
エマは、動揺を隠し、迎えに出た騎士たちを労う。
朝靄の中、視界の開けた草原をシエンタの城壁を目指して進む。領騎士団とジャンに守られ、エマはシエンタ市内に入って行った。
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